Mag-log in1度溢れ出した涙は、暫く収まる気配を見せない。 私は、母と抱き合いながら嗚咽を漏らしつつ短く言葉を交わした。 そっと優しく頭を撫でてくれる感触も、声も。全然変わらなくて。 私と母が涙を流しながら抱き合っている傍ら。 涼真さんは父と強く握手を交わしていた。 ◇ 「大変、失礼しました……」 「もう泣き止んだか?話を始めてもいいのか?」 ソファに座り直し、ようやく感情の昂りも落ち着いて、話せるようになった。 先ずは話の腰を折ってしまった事を謝罪しないと、と私が声を上げると、意地の悪い父の声が聞こえた。 母が「あなた!」と小さく咎めているのが見えたけど、私は苦笑いを浮かべて答える。 「──はい。大変失礼しました……そして、本日お話をさせていただく前に、いいでしょうか?」 きゅっと私は自分の膝の上に置いた両手を握りしめる。 私が話そうとしている内容を、事前に伝えていた涼真さんから勇気付けるように手を握られる。 そんな私と涼真さんの姿を、眩しいものを見るかのように目を細めて眺めていた父が「なんだ?」と小さく答えた。 「先ずは……、謝罪をさせてください。過去の……子供過ぎた私が犯した愚かな行為のせいで、お父様にも、お母様にも……そして、加納家にも多大なご迷惑をおかけしました」 「……そうだな」 「そして、お父様やお母様の言葉に聞く耳を持たず、家を飛び出して……このように長期間連絡もせず、親不孝な事をいたしました。簡単に許していただきたいとは思っていません。だけど、今後……少しずつでもお父様とお母様の信頼を取り戻したいと考えています」 本当は、しっかりと言葉を紡ぎたかった。 だけど話していくうちに、やっぱりまた感情が揺れて、声が震えてしまう。 それでも、父も母も私が話し終わるまで一切口を挟まず、真剣に最後まで聞いてくれた。 「あの時の事は私たちも後悔している。後悔だらけだ……私たちももっとお前と対話をすれば良かったものを、それを諦めて親としての責任を放棄してしまった。子の過ちは親の責任だ。私たちも子供のお前に酷い事をしてしまった」 「私たちも、心。あなたにずっと謝りたかったの……。こんなに遅くなってしまって、ごめんなさい……」 父と母が、しっかりと私を見つめ返して真摯に話してくれる。 それだけで、私はもう十分だった。 私が顔を覆
広い広い応接室に通された私と涼真さん。 私は、見慣れた室内が何故か落ち着かなくってそわそわとしてしまう。 お手伝いさんの顔も、屋敷内にいる使用人の顔も、以前私が居た頃とはガラッと変わっていて。 私が知っている人はいないのだろうか……。 そう考えつつ、出された紅茶のカップに口をつけた。 喉を潤していると、この部屋に近付いてくる足音が廊下から聞こえた。 「──っ、」 「心。落ち着いてくれ」 涼真さんが苦笑いを浮かべつつ、隣に座る私の手をそっと優しく握ってくれる。 大きな手のひらに包まれて、安心感を感じた私は小さく息を吐き出すと、涼真さんに頷いて返す。 「そう、ですね。すみません、緊張してしまって……」 「はは。ご両親に会うのに緊張する事はない。心だって、過去の自分を恥じているんだから、素直にその気持ちをご両親に伝えればいいよ」 「……はい。ありがとうございます、涼真さん」 短い会話をしていると、応接室の扉が不意に開く。 開けたのは、この屋敷で長く働いている使用人の男性。私も見知った、懐かしい顔だ。 以前より皺が増えて、所々に白髪があった程度だったのに今はもう髪の毛が真っ白になっている。 使用人の男性──加藤さんが、私に視線を向けて柔らかく、懐かしむような優しい笑みを浮かべてくれた。 「お嬢様」と加藤さんの口元が小さく動いた気がする──。 加藤さんに意識が持って行かれてしまっていたけど、室内に入って来た加納家当主の厳しい低く、重い声が室内に響いた事で、私ははっとして視線を父に戻した。 「待たせてすまない、滝川涼真さん。……それに、心」 「とんでもございません。本日はお時間を取っていただき、ありがとうございます」 涼真さんが、父に向かって深々と頭
「全く……油断も隙もないな……」 「確か、あちらの社長には丁度いい年齢のご子息がいたはずですよ、滝川社長」 「高遠副社長……」 「ははは、すみません。余計なお節介でしたね。それでは、私もここで失礼しますよ。加納さんも、また」 涼真さんと高遠副社長は、軽口を叩き合うようにいくつか言葉を交わし、高遠副社長は肩を竦めたあと、私に挨拶をして部屋を出て行ってしまった。 あまりにも速い退出だったので、私は副社長にご挨拶が出来ないままで。 私がわたわたとしていると、涼真さんが疲れたようにため息を吐き出しつつ、こちらに向かって歩いて来た。 「全く……彼は他人事だと思って俺を揶揄ってる……」 「滝川社長と副社長、随分気心が知れた仲なのですね……?」 「ああ。彼の兄が俺の父親の部下なんだ。兄弟揃ってうちの会社を支えてくれていて……感謝しているんだが、昔から知っているからこそ揶揄われて堪らない……」 「そうだったんですね。皆さん、仲が良さそうで、傍で見ていて微笑ましかったです」 「そう?加納さ……心も、その内の1人だよ」 「──っ、そう、なれるでしょうか」 「もちろん。と言うか、もうなっているだろ?」 涼真さんは、本当に心からそう思ってくれているのだろう。 きょとん、とした顔でそう口にし、笑ってくれる。 なんの意識もしていない、本心からの言葉。 それがとても嬉しくて、私はついつい涼真さんに笑い返してしまった。 「……心、」 「滝川社長、戻りまし──失礼しました」 涼真さんが、ふと真剣な顔で、私に向かって手を伸ばした。 その瞬間、応接室の扉がノックされてすぐに扉が開かれる。 持田さんは、顔を上げて室内を見た瞬間、すぐにそう告げて扉を閉めてしまった。 その後、慌てて涼真さんが扉に向かい、持田さんと間宮さんを迎えているのを、私はどこかぼうっとしながら見つめた。 ◇ それから、数日。 涼真さんが話してくれた通り、涼真さんと私の婚約が大々的に発表された。 そして、それと同時に滝川本家が私に対して誹謗中傷を行ったネットニュース会社を提訴した、と言うニュースも公開された。 その事は、大々的に報道され、SNSでも大きな騒ぎになった。 滝川本家が、私を認めた──。 その事で、私に対する興味や、バックグラウンドを調べようとする人達まで現れている
「す、すみません持田さんに間宮さん……!」 秘書として先輩のお2人に資料を取らせてしまうなんて!と私が慌てて口にすると、持田さんは「気にしないでください」と笑みを浮かべた。 「加納さんは滝川社長のお相手を。面倒くさいので、よろしくお願いします」 にっこりと笑顔を浮かべたまま、持田さんがはっきりとそう口にする。 高遠副社長は「容赦ないなぁ」と笑い、間宮さんも苦笑いを浮かべている。 涼真さんも「きみなぁ……」と砕けた様子で持田さんに小言を告げていて、私は4人が慣れ親しんだ仲なんだ、と実感する。 涼真さんの秘書として長く仕えていた持田さんと間宮さん。 それに、副社長の高遠さん。 何だか、私だけが4人の中に混ざり込んだ異質な存在のような気がしてしまって……。 いえ、でも私が異質な混ざりものなのは分かっていたはず。 涼真さんが優しくて、私を保護してくれたのが始まりだ。 勘違いしそうになってしまう。 涼真さんとの婚約の振りだって、私を助けるために必要で。 本当の婚約者になれるわけじゃない。 涼真さんの隣に、ずっと居続けられるわけじゃないんだから。 それをしっかりと自覚しないと、いけない。 「──さん、加納さん?どうかした?」 何度も名前を呼ばれていたのだろう。 私の名前を呼びつつ、涼真さんの顔が覗き込んで来た。 私ははっとして、すぐに表情を引き締めて笑顔を浮かべた。 「申し訳ございません、何でもありません。行きましょう、滝川社長」 「……ああ」 私は、急いで持田さんと間宮さんから資料を受け取り、涼真さんと一緒に応接室に向かった。 「本日はお時
「お待たせしました。すみません、社長と持田秘書は現在打ち合わせ中でして、すぐに戻られると思います」 「加納さん。分かりました、中で待たせてもらいますね」 間宮さんがにこり、と笑みを浮かべつつそう返してくれる。 彼と私が話していると、副社長が「失礼するよ」と言いながら社長室に入って行く。 私は急いでお茶の用意をして、副社長の前に置く。 すると私に向かって副社長はにこり、と笑いながら「ありがとう」と言ってくれた。 副社長は、確か涼真さんの20歳年上だったはず。 笑みを浮かべると、目尻に皺が浮かび、穏やかな容姿をしている副社長の雰囲気が更に柔らかくなる。 「このお茶美味しいねぇ。加納さんはお茶をいれるのが上手だ」 「ありがとうございます」 「持田さんは……仕事は凄いんだけど……、ほら、彼女お茶はちょっと、だっただろう?」 「言わないであげて下さい」 副社長は間宮さんにこそり、と話しかける。 すると間宮さんは苦笑いを浮かべた。 どうやら、持田さんはお茶をいれるのが苦手だったみたい。 でも、持田さんはとても仕事が出来る敏腕秘書。 副社長もそれは十分承知しているからこその、冗談を交えた会話。 もしかしたら、私が緊張しているのを和ませて下さっているのかもしれない。 社長室の雰囲気が柔らかくなったような気がする。 「加納さんは秘書は初めてなんだよね?」 「はい。まだまだ勉強中の身です」 「そんな固くならないで大丈夫だと思うよ。滝川社長は優しいし、滅多な事では怒らないから」 そこで副社長は1度言葉を切ると、ちらりと隣の部屋の扉に視線を向ける。 涼真さんと持田さんがまだ出てこないかどうかを窺っているのだろう。 そして、副社長は少しだけ声を潜めて続けた。 「だけど、社長が激怒した時は本当に恐ろしいんだよ……。二の句を継げない」 「そ、そうなんですか……!?その、普段の社長からは想像出来ない、ですね……」 「だろう?滝川社長の激怒事件は私たちの間では結構有名なのがあって──」 副社長がひそひそと声を潜めてお話されるので、耳を傾ける私は自然と副社長の近くでお話を聞く事になる。 無意識の内に副社長との距離が近くなったところで──。 「……高遠副社長。加納さんに変な事を吹き込まないでくれ。彼女、純粋だからすぐに信じてしまう」 ぐっ
「──……?」 この間から、何度か感じた痛み。 つきり、と胸を刺すような痛みを感じる。 私は無意識の内に痛む心臓をそっと自分の手のひらで押さえていた。 「加納さん?どうした……?体調が悪いのか?」 「──え?あっ、大丈夫です滝川社長。資料は、ここに」 「本当に?……無理しないで、辛かったら言ってくれ」 「ありがとうございます、本当に大丈夫ですよ」 心配そうな顔をした涼真さんが、私に声をかけてくれる。 持田さんとの通話は終わったのだろう。 私は、午後の会議に必要になるであろう資料を涼真さんに笑顔で手渡した。 ◇ 「社長、失礼します」 「ああ持田さんか、入ってくれ」 午後。 取引先との会議のため、副社長の秘書に着いていた持田さんがやって来た。 社長室の扉をノックする音が聞こえ、次いで持田さんの声がかかった。 それまでパソコンに視線を落としていた涼真さんがパソコンから顔を上げて、扉に視線を向ける。 扉を開けて持田さんが入ってきた瞬間、涼真さんの表情が柔らかく緩んだような気がする。 涼真さんの目が嬉しそうに細められて、持田さんが入室するのを椅子から立ち上がって出迎えた。 「持田さん、忙しいのにわざわざ悪いな。助かる」 「いえ、とんでもございません。お求めの資料です」 持田さんはきりっとした表情のまま、鞄から書類の入った封筒を取り出し、涼真さんに手渡す。 涼真さんは中身を取り出し、内容にさっと目を通した後持田さんに向き直った。 「ちょっといいか、持田さん」 「分かりました、社長」 「加納さん、悪いけど少しだけ待っててくれ。少し話をして戻る。副社長が来たら、待っててもらって」 「分かりました、滝川社長」 涼真さんは、私に顔を向けてそう指示をすると、持田さんを連れて隣の部屋に入って行った。 社長室に1人残された私は、準備した資料を再確認したりして2人が戻ってくるのを待つ。 けれど、涼真さんと持田さんの話は長引いているのか。 まだ隣の部屋から戻ってくる気配は、無い。 どんな話をしているんだろう。 今まで、涼真さんと持田さんがお話をする時は場所を変える事なく、その場で話をする事が多かった。 だけど、今回は場所を移している。 私に聞かれてしまうと、あまり良くないお話なのだろうか……。 何だか、またもやもやとした







