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嵐の後でも、愛を信じる
嵐の後でも、愛を信じる
Author: 浅夜

第1話

Author: 浅夜
病院で、江戸桐乃(えど きりの)は検査結果の用紙をぼんやりと見つめている――彼女は妊娠した。

なんで今……なの。プロジェクトマネージャーにようやく昇進したばかりなのに。

頭の中で、二人の小さな桐乃が言い争っていた。ひとりはキャリアと未来のために叫び、もうひとりは七年も愛し合った夫――陸川舟一(りくがわ しゅういち)との家庭を必死に守ろうと訴えていた。

「昨晩、俺が力入れすぎちゃったかな?」

聞き慣れた声が待合室の奥から聞こえてきて、桐乃は茫然とそちらを見上げた。舟一だった。

一瞬で血の気が引き、全身の血液が凍りつくような感覚が走った。

白くて冷たい蛍光灯の光の中で、舟一は背筋を伸ばして立ち、腕には見知らぬ女性を抱えていた。

「ううん、舟一のせいじゃないよ」女性の声はこの上ない甘くて柔らかく、頬はほんのり赤らんで、目尻の泣きぼくろが妖しくて印象的だった。

「でも次は優しくしてね、痛かったんだから」

――ガサッ。

検査結果の用紙が、桐乃の手の中でくしゃくしゃに丸められた。昨夜、舟一は仕事が忙しく、法律事務所で徹夜だと伝えてきたのに。

世界は、一瞬で音も色も失った。

舟一が目を伏せ、そっと腕の中の女性を見つめるその優しい眼差しは、まるで十年前の頃のようだった。

大学の桜が満開に咲き誇る中、舟一は桐乃の手をぎゅっと握りしめ、澄んだ声で誓った。「桐乃、俺たちが結婚したら、しっかり稼いで、子どもを産んで、犬と猫も飼おう。みんなで、ずっと一緒にいよう」

ピンクの花びらがひらひらと舞い落ち、桐乃の視界をかき乱した。

怒りが一瞬で頂点に達した。彼女は飛びかかって舟一を平手打ちしたい。大声で問い詰めたかった。

けれど、両足はとっても重く、一歩も前に進めなかった。

桐乃は苦しそうに目を閉じ、二筋の涙が落ちた。再び目を開けた時、視界は涙でかすんでいたが、瞳だけはただ澄み切っていた。

彼女は振り向き、足を進めて婦人科の受付カウンターへと向かった。

「人工妊娠中絶手術の予約で、よろしいですね?」医師の声は事務的で、淡々としている。

「……はい」桐乃の声はかすれていたが、そこに迷いは一片もなかった。

同意書への署名、術前検査、手術の日取り決め――すべての手続きを、彼女は素早くこなした。まるで日常の業務書類を処理しているかのように。

診察室を出ると、午後の太陽の光が病院の大きな窓を透過し、まぶしく彼女の顔を照らした。

彼女は少し目を細め、スマホを取り出し、アシスタントに電話をかけた。

「ルーシー、これから三日間のスケジュールを空けて。

それと、すぐに信頼できる、婚姻問題に詳しい探偵を紹介して。夫のここ半年の……親密な異性関係を調査してほしい。今日中に、最初の報告が欲しい」

午後、手術室のライトは白く、冷たく、まぶしかった。

麻酔薬が静脈に流れ込む瞬間、鋭い痛みが彼女の眉間に一筋の皺を刻んだ。

視界がぼやけ、意識が遠のいていく中で、記憶の断片が抑えきれずに押し寄せた。

――半年前、きちんとスーツを着込んだ彼が、少し目を赤くしながら、人々の前で指輪を彼女の薬指にはめ、あの言葉を声を震わせて言った。「桐乃、俺たち、ようやく永遠に一緒になれるね」

その瞳に宿っていた光は、人を焼き尽くすほどに熱かった。

冷たい器具が体に入り、空虚な痛みが腹の底に広がった。

桐乃のまつげが微かに震え、一滴の涙が音もなくこめかみへと流れ落ちた。

――そうか。彼の言う「永遠」って、これほどまでに短いものだったんだ。

短すぎて、赤ちゃんが、両親がかつて夢見た家庭生活の風景を、一目たりとも見ることが叶わなかった。

夜、桐乃はベッドに横たわっていた。術後の鈍い痛みが、静寂の中でますます明確に、脈打つように感じられる。

スマホの画面が光った。

【桐乃、今夜も仕事で徹夜だ。事務所で泊まる。先に寝てて】

舟一からのメッセージだった。

ほとんど同時に、別の通知音が響いた。

探偵からのメールだ。

桐乃が開くと、写真が次々と画面に現れた。

事務所で、舟一と竹田心(たけだ こころ)が絡み合う姿。

高級マンションのエントランスを、肩を並べて出入りする後ろ姿。

そして病院で、腟裂傷の診断書を手にしている二人の顔……

桐乃は表情一つ変えず、冷静に画面をスクロールした。

【調査対象:竹田心(23歳)

経歴:キャバクラ勤務。過去に他人の婚姻関係に介入し、多額の財物を受け取ったことにより、3ヶ月前に正妻から財産返還訴訟を提起された。この案件の担当弁護士は陸川舟一である。

訴訟期間中、陸川は私的に竹田の負債――2400万円を肩代わりして返済していた。事件終結後も、陸川は個人名義で毎月高額な生活費を支払い、高級マンションを借り与えている】

桐乃の心臓が、少しずつ、冷たくなっていく。それが、また少しずつ、固い石のように凝り固まっていく感じがした。

彼が誓った「永遠」は、結婚してたった三ヶ月で終わっていたんだ。

愛人を囲い、それに夫婦の共有財産で、何度も他人の家庭を壊した女の借金まで肩代わりするなんて。なんて皮肉なんだろう。

画面の冷たい光が、桐乃の潤んだ瞳に揺らめいた。彼女は手の甲でそっと涙を拭い、弁護士に電話をかけた。

「佐々木先生、夜分遅くに失礼します。

お願いが二つあります。まず、不当利得返還請求で、竹田心を訴えてください。陸川舟一が彼女に送金した全額を、元本も利息も含め、一円の違いもなく返還させること。

二つ目は、離婚協議書の作成です。自宅と車は私の名義に。その他の共有財産については、七割を要求します。

関連する証拠は整理し次第、全てお送りします。至急、進めていただけませんか」
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