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第21話
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幼馴染を選ぶはずの彼の心に、私が残っている 第30話
岳が一歩踏み出し、その声はひどくかすれている。「明乃……やっと見つけた」明乃はようやく顔を上げ、彼をまっすぐに見据えた。その目は澄んでいたが、感情のさざ波ひとつ立っていなかった。岳も彼女を見つめ返した。目の前の彼女は、記憶の中と変わらず美しいままだ。もし以前のように目を細めて笑いながら話してくれたら、この一ヶ月の出来事はすべて、ただの悪夢だったと錯覚してしまうのだろう。「霧島さん」彼女は口を開く。その声は平坦で、抑揚のかけらもない。「何かご用ですか？」「霧島さん」という響きは、冷たい針となって、岳の胸に深く突き刺さった。以前の彼女はプライベートではいつも「岳」と呼んでいた。怒った時も、嬉しい時も、時には甘えるように柔らかく呼んでくれた……仕事の時だけは、公私混同を避けて「霧島さん」と呼んでいた。「俺は……」数え切れないほどの言葉が喉元で詰まる。岳は喉仏を上下させ、ようやく絞り出すように口を開いた。「明乃、ずっと探している……」彼は無意識に明乃の手首を掴もうとした。明乃は反射的に身を引いて避ける。「何の用？私たち、もう別れたはずよ」岳の顔が強張った。「俺はみとめていない」明乃は冷笑しそうになった。「霧島さん、あなたの同意なんて必要ないわ……」明乃はわずかに身を引き、淡々とした表情で続く。「他に用事がなければ、忙しいので失礼するわ」彼女の冷淡さは鈍い刃のようで、岳の神経をじわじわと切り刻んでいく。背を向けて去ろうとする明乃を見て、岳は本能的に手を伸ばし、彼女の手首を掴もうとした。「明乃、話し合おう」明乃は彼の手を激しく振り払い、一歩下がって距離を取った。彼女の白い顔に、ようやくわずかな変化が現れた。だがそれは感動ではなく、はっきりとした嫌悪と怒りだ。岳は胸に無数の針を突き立てられたようで、呼吸が詰まった。生まれつきの失感情症のため、多くの場合、他人と共感することができない。他人の喜びや怒り、悲しみを理解できず、関心を持つことさえなかった。しかし今、彼は為す術もなく立ち尽くしていた。これまでずっと、明乃が明るい太陽のように彼の周りを明るく照らし、賑やかに回っていた。以前はただ鬱陶しいと思っていたのに、その太陽が消え失せた今、彼は底なしの恐怖に突き落とされていた。どうすれば昔に戻
幼馴染を選ぶはずの彼の心に、私が残っている 第29話
世界がようやく静寂を取り戻した。明乃は椅子の背もたれに身を預け、こめかみを指で揉みほぐした。気持ちを落ち着かせ、再び仕事に集中しようとしたその時、オフィスの外から徹の大げさな声が聞こえてきた――「ボス！ボス！誰が来たか見に来てほしいっす！！」明乃はイライラしながら顔をしかめた。またどこかから予想外の大物クライアントでも連れてきたのかと思った。彼女は気力を振り絞って立ち上がり、ドアを開けた。ドアの向こうでは――徹が興奮した様子で身を引いて、その後ろにいた男が、唐突に彼女の視界に飛び込んできた。……岳だ。彼は以前より痩せており、顎のラインがより鋭くなっていた。スーツの襟元は少し開き、中のシャツは上質だが襟元が少し乱れている。明乃の表情が一瞬で凍りついた。ドアノブを握る指に力が入り、血液が一気に全身に駆け巡り、ありえないほどのめまいに襲われる。世界がこの瞬間に静止したかのようだった。周囲の音が消え、暴走する心臓の音だけが響く。ドクン。ドクン。鼓膜を内側から叩くような激しい音。徹がまだ興奮して言葉もろくに話せない様子で叫んでいる。「ボス！霧島さんっすよ！僕の憧れの……」彼の声は遠くから聞こえてくるようで、ぼんやりとしていた。明乃は無意識に拳を握りしめ、爪を掌に食い込み、微かな痛みで我に返った。落ち着け。彼女は自分に言い聞かせた。二人は、もう終わったんだから。明乃は深く息を吸い込み、胸の中で渦巻く感情を無理やり押し込めた。彼女は岳を見ようともせず、傍らにいる徹に視線を向けた。その声は氷のように冷たく、抑揚がなかった。「ここは法律事務所、仕事をする場所なの。これからは無関係の人間を勝手に連れ込まないで……」「え？」徹の笑顔が凍りついた。その言葉の意味が理解できていないようだ。相手は霧島岳だ！法曹界のカリスマ！彼の憧れの相手！「ボス、彼は霧島……」「知ってるわ」明乃は徹の言葉を遮った。「ヒカリスの案件の執行詳細はまとまったの？クライアントは今日の午後に必要だと言っているのよ」明乃の言葉は頭から冷水をぶっかけられたように、徹の熱意を一瞬で消し去った。彼はようやく、この場の空気の異変に気づいた。これは……感動の再会なんかじゃない。むしろ……徹の背筋に冷たいも
幼馴染を選ぶはずの彼の心に、私が残っている 第28話
「明乃……」梅の声には少しぎこちなさがあったが、無理に気安く振る舞おうとしているのが分かった。「あなた……どうして黙って行ったの？おばさんに一言の挨拶もなしに。いつ帰ってくるの？おばさん、あなたに会いたくて……」矢継ぎ早の質問に、明乃はただ違和感を覚えた。過去五年間、梅は明乃を岳の恋人として認めてはいたものの、その態度は常によそよそしく、時には批判的でさえあった。こんなに親しげだったことは一度もなかった。文句を言われないだけで、明乃にとっては十分親切だったのだ。一ヶ月前にこの言葉を聞いていたら、きっと感動して泣いていたかもしれない。だが今は――ただの皮肉にしか聞こえなかった。「私は元気です。ご心配ありがとうございます」明乃の声は他人行儀で、冷ややかだった。「ご用件があるなら、遠慮なく言ってください」梅は言葉に詰まった。自分が姿勢を低くしたのに、相手感謝するどころか冷たくあしらうとは予想外だったようだ。引っ込みがつかなくなり、声のトーンが冷たくなった。「岳がああいう性格なのは知ってるでしょ？頑固で口下手で、今に始まったことじゃないよね？どうしてまだ根に持っているの？家も売ったって聞いたわよ？いくらなんでもわがままよ、そんなことする必要ないわ。今の天都の不動産価格はすごく高いんだから、もしあなたがいつか帰ってきたら、同じ値段では買い戻せないわよ……」明乃は黙って聞いていた。胸の奥が鉛を飲み込んだように重く、苦しい。以前の自分は目が曇っていた。真心を向ければ、相手も真心で返してくれると信じ込んでいた……梅は結局のところ、明乃のことなどどうでもいいのだ。だからこそ、こんな時でも平気で明乃の心をえぐるようなことが言える。「おばさんが知ってるわ、結婚式のことで辛い思いをさせたのね」梅は話し続ける。「おばさんが保証する。今度は必ず岳にあなたを正式に、胸を張って迎えさせるからね！もしどうしても心配なら、先に籍だけ入れて、式はゆっくり準備しましょう。前回より立派にするから、ね？もう岳と意地を張らないで。あの子、最近は魂が抜けたみたいで、家にも帰らず、あなたを探し回って、一回り痩せちゃったのよ……」明乃はかすかに笑った。自嘲の色が濃い、乾いた笑いだった。ほら、今になっても、彼らはまだ自分がただ拗ねているだけだと思っている。
幼馴染を選ぶはずの彼の心に、私が残っている 第27話
仁には、その二人が突然良心に目覚めるような人間だとは思えなかった。あの時の交通事故、何か裏がありそうだ。「明乃なんてくそ女、私の足元にも及ばないわ！」美優は尻尾を踏まれた猫のように金切り声を上げた。「私こそ岳と幼馴染みで、一緒に育ったのよ！岳はいつかきっと、誰が本当にふさわしいか気づくはずだわ！」「ふさわしい？」仁は冷笑を浮かべた。「陰口をたたくのにふさわしいとでも？それとも他人の結婚式の日に自殺騒ぎを起こすのにふさわしいと？」美優は怒りで唇を震わせた。「あなた……何をでたらめを……」「でたらめだと？」仁の目は冷たくなる。「秦さん、少しは面目を保つな。岳がなぜ君を避けているのか、本当に分からないのか？これまで君のわがままを許していたのは、君のお母さんの命の恩があったからだ。だが明乃ちゃんを追い出したことで、その僅かな情けも君自身が使い果たしてしまったんだ。これ以上恥を晒すな」その言葉は鋭い刃のように、美優の胸に突き刺さった。彼女は全身を震わせ、仁を指さして「あなた」と言ったきり、まともな罵り言葉も出てこなかった。仁に何が分かる？自分と岳には幼い頃からの絆があるんだ！自分こそ岳とは同じ世界にいて、明乃なんかに岳を理解できるはずがない！「あなたたちはみんな、明乃という泥棒猫にたぶらかされてるのよ！後悔するわよ！」美優は捨て台詞を吐くと、踵を返して立ち去った。仁は彼女の後姿を見ながら、微かに眉をひそめた。彼はスマホを取り出すと、岳からのメッセージを確認する。【着陸した。安心して】水南地方……明乃ちゃんを連れ戻せることを祈るしかない……一方、美優は怒りに震えながら明岳法律事務所のビルを飛び出し、自分の車に乗り込んだ。屈辱と悔しさが胸の中で膨らんでいく。どうして？どうして誰もが明乃の味方？あのくそ女のどこがいい？！彼女の瞳に、怨念に満ちた冷酷な光が走る。ダメ！絶対にこのままでは終わらせない！岳はきっと明乃を探しに行ったに違いない……何か手を打たなければ！そう思うと、美優は慌ててスマホを取り出し、ある番号にかけた。「もしもし？霧島岳の今日のフライト情報を調べて……そう、今すぐ！一刻も早く！彼が今どこにいるのか知りたいの！」……水南地方、明光法律事務所。創業当初は苦
幼馴染を選ぶはずの彼の心に、私が残っている 第26話
美優は諦めきれずに、もう一度発信ボタンを押した――【おかけになった電話は……】「もうっ！」美優は怒りのあまり叫び声を上げ、手に持っていた弁当箱を地面に叩きつけそうになった。彼女は拳を強く握りしめ、爪が掌に食い込むほど力を込める。激しい呼吸で胸が波打っていた。明乃というクソ女、本当にしつこい。いなくなっても邪魔をするなんて！ダメ！今日は絶対に岳を捕まえる！「コーヒーを淹れてちょうだい……」美優は受付エリアのソファに座り込むと、まるで社長夫人のような尊大な態度で受付嬢に命じた。「豆から挽いたもので、砂糖もミルクもなしで」受付係は当然美優のことを知っていた。美優はよくここへ来て岳を訪ねてくる。噂では二人は幼なじみで、しかもも、みんなが慕っていた明乃を追い出したのは、この女だという話まである！内心では軽蔑していたが、逆らうこともできず、彼女は渋々準備に向かった。時間が一分一秒と過ぎていく。美優は焦燥感に駆られ、コーヒーを何杯もお代わりしたが、岳の姿は一向に見えない。忍耐が限界に達しようとしたその時、エレベーターのドアが「チーン」と音を立てて開いた。美優の目が輝き、すぐに立ち上がってスカートの裾を整え、笑顔で駆け寄った。「岳、やっと帰って……」声が突然途切れた。来たのは岳ではなく、仁だ。「秦さん？」仁は美優がまだここにいることに驚き、眉をひそめた。「まだ帰ってなかったのか？」美優の笑顔は一瞬で消え、不満と憤りが滲み出る。「岳は？どこに行ったの？午後ずっと待ってたのよ！」仁の心には嫌悪感が湧き上がった。美優の下心などお見通しだし、岳がその気がないこともよく知っている。これまでは彼女の母親が岳の命の恩人だったという義理で、つけ入る隙を与えてしまっていただけのこと。今や明乃を追い出されたというのに、よくものうのうと偉そうに居座れるものだ。「霧島なら出張だ」仁は取り合うのも面倒で、彼女の横をすり抜けようとした。「出張？」美優はすぐに仁を止める。「どこへの出張？いつ戻ってくるの？どうして私には何も言ってくれなかったの？」矢継ぎ早に質問を浴びせ、喰ってかかる。仁はついに我慢できなくなった。「霧島がどこへ行こうがいつ戻ろうが、君に報告する必要なんてないだろう？」「なっ！」美優は言葉に詰まり、
幼馴染を選ぶはずの彼の心に、私が残っている 第25話
「明……明日の朝九時ですか？」賢人は目の前が真っ暗になり、その場で卒倒しそうになった。法務部が抱えている案件は、重点訴訟だけでも八件があり、通常の権利侵害訴訟に至っては数十件もある。その一晩で全て洗い出し、詳細な報告書まで作成しろだと？！これは徹夜で過労死するペースだ！「藤崎社長、それでは……時間的に少し厳しいのでは？」賢人は最後の抵抗を試みた。湊が視線を上げて賢人を見て、その目には温度がなかった。「何か問題でも？」賢人は瞬時に言葉を飲み込み、頭皮が粟立つ。「い……いえ！必ず遂行いたします！」彼は泣きたいけど涙すら出ない。心の中で絶叫した。一体誰がまたこの暴君の逆鱗に触れたんだ？！この理不尽な残業地獄は、一体何なんだ？！湊はそれ以上何も言わず、立ち上がってジャケットの襟を正すと、会議室を後にした。残されたのは、賢人と法務部のエリートたちの悲鳴だけだった。……天都、空港の高速。仁は車を飛ばし、空港へと急いでいる。彼はルームミラー越しに、後部座席で一言も発せず表情のこわばった岳を見て、思わずため息を漏らした。この数日間、岳がどうやって狂ったように世界中を駆けずり回り、明乃を探す姿を目の当たりにしてきた。使える人脈は全て使い、手掛けていた重要な案件すら全て放り出し、まるで別の人に変えたようだった。あの偏執的なまでの焦燥感は、普段の冷静沈着な岳の面影はどこにもない。世間では彼を冷血だと言うが、仁にはわかっていた。岳は明乃に対しては、常に特別だった。ただその「特別」が深く隠されすぎていて、岳自身さえ気づいていないか、あるいは認めることを拒んできただけなのだろう。失って初めて、それが雪崩のように、あるいは津波のように、彼自身を飲み込み始めたのだ。「見つかったら、ちゃんと話すんだぞ。その無駄に高いプライドは捨てろよ」仁は我慢できずに口を挟んだ。「明乃ちゃんは柔らかそうに見えるけど、根は強いんだ。ここまでやったのは、相当深く傷ついてるってことだ。君は……」仁の説教が終わらないうちに、けたたましい着信音が車内に響き渡った。岳は着信表示を見ると、事務所の代表番号だと気づき、軽く眉をひそめて電話に出た。「何の用だ？」受話器の向こうから、受付嬢の恐縮しきった声が聞こえる。「霧島さん、秦さんがいらっしゃい
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