LOGIN五年にも及ぶ熱愛の末、結婚式の当日に彼に置き去りにされた。九十九回も自殺未遂を繰り返す、あの幼馴染の機嫌を取るために行ってしまったのだ。 安藤明乃(あんとう あけの)はついに悟った。霧島岳(きりしま たける)の氷のような心を溶かすことなど、永遠にできはしないのだと。 彼女は未練をきっぱりと断ち切り、水南地方へと旅立って、人生をやり直す決心を固めた。 だが運命とは皮肉なものだ。泥酔の勢いで、海都圏で最も危険な男――実兄の宿敵である藤崎湊(ふじさき みなと)を自分から押し倒してしまった! 翌朝、明乃は忍び足で「犯行現場」から逃げ出そうとした。 しかし、大きな手が不意に足首を掴み、容赦なく柔らかなベッドへと引き戻された。 男の気だるげで禁欲的な声が耳元を掠め、白く冷ややかな首筋に残る生々しい噛み痕を、指先でつついた。 「明乃ちゃん、俺をつまみ食いして逃げる気?ここまでキスまみれにしておいて、責任取る気はないか?」 *** 海都圏の誰もが知っている。藤崎家の当主、湊は冷徹で無欲、雲の上の存在であると。 だが、彼が宿敵の妹をずっと密かに想い続けていたことは、誰も知らない。 かくして神は祭壇から降り立ち、その執着は狂気へと染まった。 彼は二百億円を投じて古い町を丸ごと買い取って明乃に贈り、さらにほろ酔い彼女を腕の中に閉じ込める。バスローブを大きくはだけ、引き締まった美しい腹筋を晒しながら、低く甘い声で唆した。「明乃ちゃん、触ってみる?いい手触りだ」 明乃は沈黙した。 冷徹で禁欲的だなんて、話が違うじゃない。 湊が言った。「禁欲?それは他人に対してだ。お前に対してあるのは、欲だけだ。」
View More夜の闇は濃く、窓の外のネオンは分厚いカーテン越しにぼんやりとした光の輪を残すだけだった。湊はベッドのヘッドにもたれかかっていた。胸元がかすかに上下し、汗の粒が引き締まった肌の筋を伝い落ちて、腰のあたりに掛かった薄い掛け布団に消えていく。黒髪が濡れて、幾筋ものが乱れたまま額に落ちかかり、眉目を半ば隠している。けれど、瞳の奥でまだ完全には引かない暗い潮までは隠せなかった。隣で、明乃はとうに眠りに落ちていた。横向きに身体を丸め、顔が柔らかな枕に埋もれている。呼吸は浅く、規則正しい。薄い掛け布団からのぞく肩の肌は滑らかで、そこにいくつか、真新しい艶めいた赤い痕が残されていた。仄暗い光の中で、ひどく鮮やかだった。長い睫毛が濡れたまま伏せられ、唇はわずかに腫れている。眠っていてなお、過度に求められた後の気怠さと甘やかな倦怠が、眉のあたりに漂っていた。空気には情事の後に特有のけだるい気配が満ちて、明乃の淡い芳香と湊の清冽な体臭が溶け合っている。湊は横を向き、静かな眼差しを彼女の寝顔に落とし、長い間見つめていた。彼は指先を持ち上げ、彼女の頬に触れようとして――触れる寸前で止め、代わりに首筋に貼り付いた一筋の濡れた髪をそっと払った。その動作はひどく慎重で、少しの優しさを帯びており、先ほどまでの情事で見せたあの狂暴なまでの独占欲とはまるで別人のようだった。彼女はこうして、何の防備もなく彼に寄り添って眠っている。その事実が、彼の心の奥底のどこかを異常なほど柔らかくすると同時に、彼女を徹底的に支配し、守り抜きたいという欲望をさらに引き摺り出した。今夜のようなことは、二度と起こさせてはならない。彼は瞳の色を沈ませ、薄い掛け布団をめくると、彼女を起こさないよう極めて静かに身を起こした。彼は裸足で冷たい床に降り立つ。しなやかな筋肉のラインを描くその背中は、薄暗い光の中でまるで息を潜める豹のようだった。彼は身をかがめ、床に無造作に放り投げられていた黒いシルクのガウンを拾い上げ、羽織った。帯を緩く結び、引き締まった胸元を少し覗かせる。寝室を出て、静かにドアを閉めた。書斎にはデスクの隅のスタンドライトだけが点灯しており、薄暗いオレンジ色の光が彼の長身の影を壁に長く引き伸ばしていた。デスクに置いてあるスマホを取り上げ、ある番号に
彼は静かにそう言ったが、その言葉の端々には血の匂いが漂っていた。明乃の心臓がきゅっと縮んだ。湊は頭を下げ、もう一度唇を落とした。今度はなだめるキスではなかった。罰を含んだ甘噛みが、唇にかすかな痛みを残す。手が腰から背中に滑り、明乃をさらに強く自分に押しつけた。薄い衣服越しに、湊の胸の激しい心臓の鼓動が伝わってくる。明乃のと同じくらい、速かった。意識が蕩けていく中、湊は明乃を抱き上げ、寝室へ向かった。身体が柔らかなマットレスに沈み、湊の重みが覆いかぶさってくる。唇から首筋へと、密な、灼けるような口づけが這い降りていく。湿った熱の痕跡を残しながら。手が裾の下に潜り込み、脊を撫で上げた。戦慄が波のように走る。明乃は彼に翻弄されて全身の力が抜け、呼吸も荒くなっていたが、彼がさらに踏み込もうとした瞬間、わずかに残った理性で彼の胸を押し留めた。「待って……」彼女は息を乱しながら言った。「まだお風呂に入ってない……」湊の動きが止まった。身を起こして明乃を見下ろす。瞳にはまだ情欲の波が渦巻いていて、暗く、恐ろしいほどだった。数秒、明乃を見つめた。不意に深く息を吸い、顔を明乃の首の窪みに埋めて、呼吸を整えた。「一緒に入ろう」かすれた声で言い、有無を言わせず明乃を抱き上げて、バスルームへ歩いた。……同じ頃、病院のVIP病室では、消毒液の匂いがむせるほど濃い。美優は激しい頭痛と、身体を引き裂くような痛みの中で目を覚ました。意識が戻った瞬間、廃工場でのあの混沌とした光景が津波のように押し寄せてきた――男たちの歪んだ顔、卑猥な笑い声、衣服を引き裂く手、吐き気を催す感触……「いやあああっ!!!!」ベッドから跳ね起き、凄絶な絶叫を上げた。両手で狂ったように自分の髪と身体を掻きむしる。あの汚らわしい感触を、皮膚から剥ぎ取ろうとするかのように。「あっち行って!触るな!来るな!」目の焦点が合っていない。極限の恐怖に瞳孔が縮み、涙と鼻水が止まらず、顔が原型を留めないほど歪んでいた。ベッドの横に付いていた晋助と部下たちが面食らい、慌てて美優を押さえようとした。「美優!美優、落ち着け!もう大丈夫だ!もう終わったんだ!」晋助は心臓を刃物で抉られるような痛みに、声まで震えていた。「いやああ!近寄るな!あんたたちみんな化け物よ
車が地下駐車場に入り、エンジンが切られた。世界は唐突に静まり返り、二人の荒い呼吸音だけが残された。湊はすぐには降りなかった。身体を明乃の方に向け、指先で明乃の顎を持ち上げ、強制的に自分の方に向かせた。彼はひんやりとした指の腹で、彼女の顎を撫でていた。「まだ怖いのか?」低く、かすれた声で彼は問うた。明乃は首を横に振った。そんなに脆くないと言いたかったのに、あの底の見えない暗色の瞳と目が合った途端、言葉が喉でつかえた。今夜は確かに無茶をした。後から来た寒気が、今になってようやく背骨を這い上がってくる。湊が数秒、明乃を見つめた。不意に身を傾け、唇が瞼に落ちた。ごく軽く、なだめるように。それから鼻先に。最後に、唇を覆った。いつものような攻めるキスではなかった。ゆっくりで、擦り合わせるような力が込められている。舌先が歯列をこじ開け、舌を絡め取り、まるで明乃がここにいることを確かめるかのように。明乃は息ができなくなっていた。指が無意識に湊の肩に這い上がり、スーツの生地をぎゅっと掴む。かすかな嗚咽が漏れて、ようやく湊がわずかに離れた。額を明乃の額に押し当てたまま、灼けるような吐息が絡み合う。「次」荒い息の間に、一語一句が明乃の心臓を叩いた。「またこんな真似をしたら、鎖で繋いで、どこへも行かせないからな」凄みのある言葉だった。なのにその奥に、どうしようもないという甘やかしが透けている。明乃の鼓動がひとつ跳ねた。負けん気で言い返す。「やれるものなら……」湊が低く笑い、鼻先で明乃の鼻を擦った。「やってみるか?」彼女が答える前に、湊はもうドアを押し開けて車を降りていた。助手席に回り、明乃を横抱きに抱え上げる。明乃が小さく声を上げ、反射的に首に腕を回した。「自分で歩けるわ……」湊は取り合わず、そのままエレベーターへ向かった。鏡張りのエレベーターに、二人の重なる影が映る。湊はスーツ姿のまま、明乃は髪がわずかに乱れ、頬にはまだ引かない赤みが残っている。湊の腕は安定して力強く、膝裏と背中を支えていた。その存在感は、無視のしようがなかった。最上階のペントハウスに入ると、センサーライトが次々と点灯した。湊は明乃を玄関の低い棚の上に座らせた。ちょうど、目線が同じ高さになる。大きな照明はつけなかった。隅の壁灯だけ
湊の喉仏が上下した。続きの言葉は出てこなかった。けれど明乃は、その瞳の奥に恐怖を見た。これまで、湊の目に一度も見たことのない感情だった。彼女は呆然とした。湊が手首を放し、身体をシートに預けた。手を上げて眉間を揉む。「城東の案件については、もう調べるな」声のトーンが落ちた。だがそこには、有無を言わせぬ響きがあった。明乃の中で、意地がむくりと頭をもたげた。「それは無理よ!」湊がさっと振り向いた。目が鋭い。「あれはお父さんの人生をかけた仕事なの!今もまだ彼は病院で眠ったままよ!安藤グループはあの人たちに潰されかけたのよ!それなのに調べるなって?」声が上擦った。興奮で、わずかに震えている。「あれは私のお父さんなのよ!」「おまえの親父だってことくらい分かってる!」湊の声も沈み、押し殺した怒気が滲んだ。「だからと言って自分の命まで差し出して調べるのか?今夜は運が良かっただけだ。次はどうする?」「私にだって考えはあったわ!」「お前の考えは、廃工場で追い詰められるってことか?」明乃は言葉を詰まらせた。胸が激しく上下する。湊の言うことが正しいのは分かっている。けれど、義男のあの生気を失った姿や、安藤グループが崩れかけている現状を考えると、冷静でなんかいられなかった。「藤崎さん」彼女は彼を見つめ、徐々に目が赤く染まっていく。「あれは私のお父さんなの……黙って見てるなんて、できないわ……」彼女はそれ以上言葉を続けることができなかった。湊は赤くなった明乃の目を見て、喉元まで上がっていた叱責の言葉がすべてつかえた。深く息を吸い、荒れる感情を力ずくで押し込めた。車内は沈黙に陥った。長い時間が過ぎてから、湊が再び口を開いた。声はいつもの冷静さを取り戻していたが、かすかな――ほとんど気づかれないほどの譲歩が含まれていた。「城東の件は、俺がやる」明乃は急に顔を上げた。「お前は手を引け」彼は口調を強め、「裏にいる人間は俺が引きずり出す。清算すべきものは、一厘たりとも見逃さない」と言った。明乃が口を開きかけ、反論しようとした。「俺の言うことを聞け」湊が遮った。深い視線が明乃の顔に落ちる。「これ以上、俺の気を散らせないでくれ」最後の数文字に、ある種の重みを帯びて明乃の心を震わせた。湊の目に宿る疲労と決意を見て、
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