LOGINただ、学校の短距離走大会で、弟・黒木翔太(くろき しょうた)から一位を奪ってしまった。 それだけの理由で。 格闘技のコーチをしている母・黒木麗奈(くろき れいな)に、僕・黒木健人(くろき けんと)は肝臓が破裂するほど痛めつけられた。 息ができなくなり、薄れゆく意識の中で必死に母さんに助けを求めた。 けれど母は、僕を数メートル先まで蹴り飛ばすと、憎悪に満ちた顔で怒鳴りつけたんだ。 「どうしてあんたみたいな畜生が育っちまったのかね!弟を泣かせてまで一位を奪って、そんなに嬉しいのかい!?」 ……その後、母がようやく僕のことを思い出した時。 僕はすでに、物言わぬ死体になっていた。
View More政一はもう小学生になった。彼が学校から帰ってくる時間になると、私は玄関で尻尾を振って待ち構える。かなりの甘えん坊だ。前世では翔太にかかりきりで、彼には借りが多すぎた。だから今世では、ただひたすら彼に寄り添い、心の支えになってあげたいのだ。政一も私をとても可愛がってくれた。パパとママにねだり、可愛い服やオモチャ、それに美味しいドッグフードを買ってもらってくれる。週末には友達との遊びに連れて行ってくれるし、家族揃ってのキャンプやピクニックにも行った。私は感動した。彼の何気ない振る舞いから、彼が前世と変わらず、心が綺麗で優しい子だということが伝わってくるからだ。けれど、悲しい出来事が起きた。金城夫妻の仲に亀裂が入り、離婚話が出るまでになってしまったのだ。その頃の夜、政一はいつも部屋に閉じこもり、私に向かって泣き言を漏らしたり、内緒話をしたりするようになった。「コーラ。パパとママ、喧嘩しなきゃいいのにね。二人とも大好きなのに。離れ離れになるなんて嫌だよ。今日、パパに聞かれたんだ。『もしママと別れたら、どっちについて行きたい?』って……」……そんな時、私は言葉を話せない自分が恨めしくてたまらない。仕方なく、私は自分の体をグイグイと彼の懐に押し付け、少しでも悲しみが癒えるように寄り添う。そして顔を伸ばし、その目尻の涙を舐め取ってあげることしかできない。政一はもう小学六年生。思春期に差し掛かり、彼なりに感情の起伏も激しくなっていた。ある日、金城夫妻がまた言い争いを始めた時、政一はついに堪えきれず怒鳴り声を上げた。「うるさい!喧嘩ばっかりして!二人ともそれしか能がないのかよ!」言うが早いか、彼は両親の制止を振り切り、怒りに任せて家を飛び出してしまった。私は気が気じゃなかった。彼の後を追って二回ほど吠え、そのままついて行った。あたりはもう夕暮れ時。一人と一匹、付かず離れずの距離で街を歩く。歩き疲れたのか、政一が私を振り返った。「……僕のこと本当に心配してくれるの、コーラだけだよな」彼はしゃがみ込み、私の頭を撫でた。私は空気を読んで、ただペロペロと彼の頬を舐めた。「腹、減ったか?待ってて、パン買ってくるから」しばらくして、政一は買ってきたパンを半分こにしてくれた。彼が半分、私が半分。苦し
「『自分で不注意で転んだんだ』とか『下校中に悪い人に絡まれた』とか……とにかく、あの子は絶対にあなたたちのせいにはしませんでした!でも私が『ご両親に叩かれたの?』と聞くと、健人くんは酷く慌てて否定するんです。『違う違う、父さんと母さんは悪くない、二人は間違ってない!』って。それに、あの最後の短距離走大会だって、多くの生徒が見ていましたよ。翔太くんがずっと健人くんの前を塞いで、わざと抜かせないようにしていたことをね」言い終わるや否や、高橋先生は堪えきれず、テーブルの上のコーヒーを父に浴びせかけた。「あなたたちに親を名乗る資格なんてありますか!健人くんが何をしたっていうんです!彼はあなたたちの愛をどれだけ渇望していたか!なのに虐待して、最後には殺して……あなたたちのような親は、この世に二人といませんよ!」父は反論もせず、ただうわごとのように繰り返した。「ああ、私たちが悪かった……私たちのせいです……」そう呟くと、父は高橋先生を気にする様子もなく、魂が抜けたようにふらふらと立ち去った。その夜、父は僕の部屋で、僕の写真を抱きしめ、長い間泣き続けていた。翌日、父は留置所へ面会に行き、これらすべてを母に話した。最初はただ嗚咽を漏らすだけだった母も、僕が自分の傷について「父さんと母さんがやったんじゃない、自分の不注意だ」と庇っていたことを聞くと、その場で激しく泣き崩れた。「私たちが悪かった、健人に申し訳ないことをした……!」最終的に、検察による起訴を経て、数々の罪状により母には死刑判決が下された。刑の執行前、母は拘置所の職員に懇願した。「息子の健人の墓参りをさせてほしいです。お願いできませんか?」無理難題ではないため、協議の結果、その願いは聞き入れられた。僕の墓石を見て、母は滝のように涙を流した。「健人、ごめんね。母さん、何年もあなたを名前で呼んでやれなかったね……謝らせておくれ。あなたを産む時、難産だったから、最初から翔太の方を可愛がってしまったんだ。それに翔太の嘘を信じ込んで、あなたを敵対視して……本当にごめんね。あなたこそが良い子だったって、もっと早く気づくべきだった……」その後も、母は懺悔の言葉を吐き出し続けた。それを聞いて、僕は思わず深い溜息をついた。母さん、今さら何になるんだよ。どれだけ謝っても、
取調室で、警察官が規定通りに母を尋問し始めた。「事件当時、なぜ健人くんに暴行を加えたのですか?」母の目は虚ろで生気がなく、力なく答えた。「翔太のせいです。あの子が言ったんです。短距離走大会で自分が一位になれそうだったのに、健人がぶつかってきたせいで、健人が一位になったって。それで私は翔太の無念を晴らしてやろうと思って、健人を数発殴り、最後に数メートル先まで蹴り飛ばしました」それを聞いて、警察官はさらに追及した。「では暴行の後、なぜすぐに健人くんを病院へ連れて行かなかったのですか?」その言葉が終わるや否や、母は泣き出した。「あんなに酷い怪我だとは思いもしなかったんです……私は、母親失格です……」その後の尋問に対しても、母は全ての事実を認めた。取り調べが終わり、留置場に入れられた母は、虚ろな目で鉄格子のドアを見つめ、何度も僕の名前を呟いていた。「健人、ごめんね……母さんが悪かったよ……」その時、僕の魂はふわりと父の方へ移動した。母が連行された後、父は斎場に連絡を入れ、すぐに翔太の遺体は引き取られていった。数時間後、斎場の担当者から父に電話が入った。「黒木翔太様の遺体の火葬が完了しました。ご家族の方は、お骨を引き取りにいらしてください」それを聞いた父は、ただ眉をひそめ、ゆっくりと言い放った。「遺骨の引き取りは拒否する。そちらで勝手に処分してくれ。ダメならゴミ箱にでも捨てて構わん……俺に、そんな息子はもういない」電話を切ると、父は狂ったようにタバコを吸い始めた。あっという間に一箱が空になる。もう一本吸おうと手を伸ばし、箱が空だと気づいた瞬間、父は声を上げて泣き出した。自分自身への悔恨か、あるいは僕への罪悪感からか。涙が枯れ果てるまで泣き尽くすと、父は長い間、呆然と天井を見上げていた。どれくらいの時間が経っただろうか。父は何かを思いついたようにスマホを取り出し、高橋先生に電話をかけた。「もしもし、高橋先生ですか……健人の父です。明日お時間ありますか。お話ししたいことが……」電話の向こうの高橋先生は、父の涙声など意に介さず、冷淡に日時と場所だけを告げて電話を切った。翌日、カフェにて。父が先に口を開いた。「先生、健人のことを教えてください。あいつが学校でどう過ごしていたか、
「この家に息子は僕一人だけで十分なんだよ!父さんと母さんは僕だけを愛してればいいんだ!なんで余計な人間が僕と争うんだよ!健人なんて、最初からいなきゃよかったんだ!」翔太のあまりに残酷で非道な言葉を聞いて、母は完全に崩れ落ちた。長年溺愛してきた息子がこんな姿だったとは思いもしなかっただろう。そして、本来愛すべきだった「良い息子」が僕の方だったと気づかなかった自分自身を、激しく憎んだ。「あんたこそ……あんたこそがクズだったんだね!」そう叫ぶと、母は再び翔太の頬を張った。その騒ぎを聞きつけ、父も駆け寄ってきた。「翔太、健人はお前の実の兄だぞ!どうしてあんな酷い仕打ちができたんだ!」だが翔太は、ふてぶてしく鼻で笑った。「兄さん?だから言っただろ、この家に息子は僕一人でいいんだって!僕だけが父さんと母さんの愛を独占するべきなんだよ!」それを聞いた父も怒りを抑えきれず、翔太の顔面を拳で殴りつけた。だが翔太は、殴られて顔を腫らしながらも、頑なに叫び続けた。「僕はちっとも悪くない!」見かねた母は、翔太の髪の毛を鷲掴みにすると、そのまま僕の骨壺の前まで引きずっていき、膝裏を蹴り上げた。「土下座しな!兄の骨壺の前で、あんたの犯した罪を懺悔するんだ!」蹴り倒された翔太はすぐに顔を上げ、母に向かって薄気味悪く笑った。「全部僕のせいだって言うの?違うだろ!父さんと母さんの見る目がなかっただけじゃないか!何年も兄さんを殴ったり罵ったりしてたのは誰だよ!それにさ、最後に兄さんを殺したのは、結局は母さんじゃないか!」その言葉に、母の理性が完全に焼き切れた。目は血走り、翔太の背中を滅多打ちにし始めた。「ああそうさ!健人は私が殺した!……だから今、あんたも道連れにしてやるよ!」慌てて父が止めに入った。「麗奈、落ち着け!やめるんだ!」その時、玄関のチャイムが鳴った。父が応対に出ると、そこには二人の警察官が立っていた。「こんにちは。ある事件の件で通報を受けまして。黒木麗奈さんはご在宅ですか?」騒ぎを聞きつけた母が、ふらふらと玄関へ出てきた。「……ええ、私です」「黒木健人さんの死亡に関与している疑いがあります。署まで同行願えますか」それを聞いた瞬間、翔太が勢いよく飛び出してきた。「そうです!兄さんはこの人