Share

第134話

Author: 藤崎 美咲
本当に二人を離婚させるなら、別の手段が必要だった。

結衣は一包みの粉薬を取り出し、そっと隣のグラスに溶かした。

その薬は、わざわざ人に頼んで手に入れたものだ。もし今夜、悠真がそれを飲めば――あとは自然な流れで自分と彼は関係を持つことになる。

子どものことも思い通りになる。

夜の出来事を思い描いただけで、結衣の頬はほんのり熱を帯び、息が少し早くなった。

「結衣さん、何してるの?」

考えに沈んでいたところに、不意に花音の声が背後から聞こえた。

結衣は心臓が跳ね上がる。まさか花音が突然やって来るなんて思ってもみなかった。慌てて粉薬の包みを手の中に握りしめ、動揺を隠せずに言った。「どうして入ってきたの?」

花音は、彼女の強い反応に自分が驚かせてしまったのだと思ったらしい。

大して気にも留めずに笑って言う。「だってドアが開いてたから、そのまま入っちゃった」

「次からは、入る前にノックして」

「……うん」花音は素直にうなずいた。

普段は礼儀正しいが、親しい人には遠慮しない性格だ。以前は別荘で、星乃にフルーツを切ってもらったり、何かと頼みごとをして、部屋のドアもノックなしで開けるのが当たり前になっていた。

星乃も特に気にした様子はなかった。だから結衣も同じだろうと思っていたのだが、思いがけず注意されて少し戸惑った。

でもすぐに、驚かせてしまっただけだろうと自分を納得させた。

「結衣さん、一人で飲んでるの?」花音はテーブルに置かれた二つのグラスに目を留めた。「二つグラスがあるなら、私も一緒に飲むよ」

「いいえ、大丈夫」結衣は慌てて首を振る。

「遠慮しなくていいでしょ?私、このあと実家に戻るから。その前にちょっとくらい付き合ってあげるよ。この数日いろいろお世話になったし、せめてお礼くらいさせて」

そう言って花音は、迷わずもう一つのグラスを手に取った。

結衣が止める間もなく、そのまま迷いなく飲み干した。「ん、悪くないお酒だね」

味を確かめるように言いながら、もう一度注ごうとする。

結衣は立ち上がり、声を張った。「もうやめておきなさい、花音。明日ピアノの練習があるんでしょ?お酒はほどほどにしておいた方がいいわ」

「私が送っていくから」

結衣は声を震わせながら言った。

この薬の効き目は、人を惑わせてしまう。もし花音に何かあったら……

最悪の
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 彼女しか救わなかったから、子どもが死んでも泣かないで   第247話

    星乃は少し考えたあと、自分の気持ちを胸の奥にしまうことにした。理由があったとしても、それはあまりにも自己中心的な考えに思えてしまったのだ。それに、口にすれば相手を傷つけてしまいそうだった。そう思いながら、彼女はグラスを手に取って一口飲んだ。律人はその仕草を見て、口元の笑みをわずかに止める。――質問が難しすぎたのか?それとも、彼女の答えが、悠真だったのか。律人の表情が見る見るうちに沈んでいくのを見て、星乃は少し胸が痛んだ。咄嗟に話題を変える。「……これまで、何人くらいと付き合ったことがあるの?」律人はしばらく考えてから、淡々と答えた。「覚えてないな」「……」そんなに多いなら、確かに覚えていなくても不思議じゃない。「それで、ヤキモチ焼いたりするの?」柔らかく笑う律人の瞳を見た瞬間、星乃は背筋がひやりとした。嫌な予感がした。この質問も、どう答えても彼を不機嫌にさせてしまいそうな気がした。でも、ふたりは「本音で話そう」と決めていた。だから嘘をつきたくなかった。なのに、不思議と、彼を悲しませたくもなかった。星乃はもう一杯、グラスを傾けた。何杯か飲むうちに、胃の奥が熱くなり、頭が少しぼうっとしてくる。律人が悠真に嫉妬しているのは明らかだった。でも、律人が自分を「好き」だというのは、少し無理がある気もする。けれど彼の質問はどれも妙に攻撃的で、まるで恋のライバルを意識しているみたいに感じられた。その目の奥にある嫉妬は、どう見ても演技ではない。気づけば、星乃の口から思わず言葉がこぼれた。「……律人、私のこと好き?」言い終えると同時に、彼の耳がぱっと赤くなった。まるで血が滲むほどに。星乃は雷に打たれたように固まった。律人は何も言わず、グラスを手に取って一気に飲み干す。その様子を見て、星乃の胸のざわめきはゆっくりと静まっていった。――やっぱり、勘違いだ。全部、思い込み。彼が答えられないのは、つまり「違う」ということだ。星乃は気づかなかった。律人がグラスを置くとき、彼の指先はわずかにぎこちなく固まっていた。あの一杯は、緊張で体が勝手に動いてしまっただけだった。そして後になってようやく、自分が何をしていたのかを理解した。でも、なぜだろう。「好きだ」「愛してる」なんて、いつも

  • 彼女しか救わなかったから、子どもが死んでも泣かないで   第246話

    律人はすぐには答えなかったが、星乃も沈黙の数秒で、だいたい答えを察していた。やはり白石家の人間だ。今、律人と自分の関係がどんなに良くても、律人が圭吾と本気で対立することはありえない。このことは、彼女も前から分かっていたから、特に悲しいとも思わなかった。律人の力を借りるのは一つの理由にすぎず、律人と一緒にいる最も大きな理由は、圭吾がいつか本気で手を出してきても、自分を守れるだけの力を持っていたいということだった。律人は答えないだろうと思っていたそのとき、律人は口を開いた。「君を助けるよ」星乃は一瞬、目を見張った。信じられないという顔で問う。「どうして?」律人は答えた。「言っただろ、美女が傷つくのを見るのは辛いって。だから当然、他の人と一緒になって女の子をいじめたりなんてしないさ。それに相手が自分の彼女ならなおさらだ。もちろん、他にもいくつか理由はあるけど……ちなみに、今のは別の質問の答えだね」その言葉に星乃ははっとした。確かに、自分は質問を一つ多くしていた。彼女はテーブルの上の酒を手に取り、もう一口飲む。「じゃあ、罰ってことで」「じゃあ、次は君の番だ」飲み干すと、淡々と律人に向かって言った。律人は腕をテーブルに置き、きれいな瞳を瞬かせた。「午後、悠真が君に一週間考える時間をあげるって言ってたけど、じゃあ、悠真とやり直すつもりはある?」「ない」星乃は迷わず答えた。律人はどうやら気分が良さそうだ。「じゃあ、質問はこれで終わり」星乃は彼の軽やかな様子を見て、なんだか変な気がした。律人のその言い方に、なぜか星乃は、彼がヤキモチを焼いているような気がした。そう考えながら、つい口に出してしまった。「悠真に嫉妬してるの?」律人はそばの酒を取った。「その答えは、保留にしておこう」そう言って、酒を一口飲む。星乃はそこでようやく、自分の言ったことも質問だったと気づく。せっかくのチャンスを無駄にしてしまった。でも、律人の「保留」とは何を意味するのだろう?言わないということは、まさか本当に自分のことが好きなのか?星乃はそれも違う気がした。律人はこれまで多くの女性と付き合い、さまざまなタイプの女性を見てきた。自分より美しい人も、スタイルや性格が良い人もたくさんいる。それでも、どれも一時のものにす

  • 彼女しか救わなかったから、子どもが死んでも泣かないで   第245話

    律人は口もとに笑みを浮かべた。「てっきり、まずは探り合いの挨拶でもするかと思ってたよ。簡単な質問くらいしてさ」まさか、最初から核心を突いてくるとは思わなかった。星乃は落ち着いた声で答えた。「相手が他の人なら、そうしてたかもしれないわ」「じゃあ、どうして僕にはそうしない?」星乃は小さく笑って、柔らかな声で言った。「だって、私たち、恋人同士でしょ?彼氏には、やっぱり特別扱いしないと」律人は、彼女のわずかに笑みを帯びた目をじっと見つめた。茶色の瞳には、どこかいたずらっぽい光が宿っていた。彼は小さく息を漏らして笑った。――星乃は、僕の真似をしてる。本音と嘘を少しずつ混ぜていく。そうして時間が経てば、どこまでが真実なのか、誰にも見分けがつかなくなる。律人は背もたれに軽く体を預けた。「圭吾は僕の従兄だ。彼がいたから、僕と姉は今も生きていられる。同時に、彼も僕たちがいたからこそ生き延びられた。いわば共生関係みたいなものだった。でも、それは子どもの頃の話。今はもう、ただの協力関係だよ」「協力っていうのは、白石家の支配のこと?それとも別の意味?」星乃の問いに、律人は答えず、淡々とした声で言った。「次は僕の番だ」星乃は軽く唇を引き結んだ。腕を抱き、胸の前で組む。その姿勢は、無意識の防御反応だった。律人はその仕草を見ても何も言わず、穏やかに尋ねた。「今日は、どんな気分?」星乃は一瞬、きょとんとした。――それって、質問のうちに入る?彼女は小さく息を吐いて言った。「これは交互に質問するってルールよね?今みたいに関係ない質問ばかりしてたら、あなたが私から欲しい情報を得る前に、私のほうが先にあなたのことを知っちゃうわよ」律人は肩をすくめて微笑んだ。「僕は別に、関係ないとは思ってない。けっこう大事なことだと思ってるよ」星乃は黙り込む。「……」「それに、君が言ったじゃないか。僕たちは恋人同士だって。彼女には特別扱いが必要だろ?」律人は軽く笑いながら彼女を見た。「他の人には核心を突くのが好きだけど、君には、まずその警戒心をゆっくり解かせたい」そして、もう一度繰り返した。「今日は、どんな気分?」星乃はその言葉を聞いて、少しだけ息を整えた。今日一日のことを思い返した。簡単な質問のはずなのに、いざ答えようとすると

  • 彼女しか救わなかったから、子どもが死んでも泣かないで   第244話

    そうと決めたからには、結衣が動くしかなかった。これは、言葉のない駆け引きだ。玄関まであと少しというところで、結衣は悠真の声がしないことに気づき、歩く速度をさらに落とした。ドアノブを回して扉を開けても、悠真は追ってこない。結衣は唇を噛み、スーツケースを階段の段差に持ち上げるふりをしながら、そっと横目で彼の様子をうかがった。「待て」背後から、低く冷ややかな声が響く。結衣の唇の端が、ほんのわずかに上がった。振り向くと、悠真がゆっくりと歩み寄ってくる。そして彼は無言のまま、スーツケースを持ち上げて外に運び出した。結衣が何か言おうとした瞬間、悠真はそのままスーツケースを玄関の外に置いた。結衣の笑みが、唇の端で凍りつく。「誠司に送らせる」悠真は淡々と言った。「新しいマンションのセキュリティはしっかりしている。そこに住めば安全面の心配はない」その言葉に、結衣の胸の奥でようやく灯りかけた希望が、一気に冷水を浴びせられたように消えていく。少しの間を置いて、無理に笑みを作った。「……わかった」大丈夫。まだ勝負はついていない。星乃と悠真はすでに離婚している。別荘にいられなくても、悠真と一緒にいられるチャンスはいくらでもある。自分はいまも冬川グループに残っている。それに、花音が味方してくれている。勝率で言えば、自分の方が星乃よりずっと上だ。……その頃、バーの中は賑やかだった。人でごった返し、熱気と喧噪に包まれている。一番奥の比較的静かなボックス席で、星乃と律人が向かい合って座っていた。テーブルの上には、ずらりと並ぶグラス。どれも濃い酒ばかりで、横の氷桶にも数本のボトルが冷やされている。「本音ゲームだ」律人が言う。「怖いなら、いまのうちにやめてもいい」星乃は前のグラスをちらりと見た。どれも度数の高い酒ばかりで、中には複数のスピリッツを混ぜたものまである。それでも星乃はふっと笑った。「あなたが怖がらないのに、私が怖がる理由ある?」「結婚する前、みんなが私をなんて呼んでたか知ってる?」律人が片眉を上げた。興味ありげな表情をつくってみせる。「なんて?」「酔わない令嬢よ」星乃は少し誇らしげに顎を上げた。「実家のパーティーでは、私ひとりでテーブルの人たちをまるごと潰したの」飲

  • 彼女しか救わなかったから、子どもが死んでも泣かないで   第243話

    いや、違う。それだけじゃない。自分の知らないことが、まだあるのかもしれない。星乃はいつだって、いいことしか話さない人だった。自分が家に帰るたび、彼女はいつも笑顔で迎えてくれた。そのとき、自分は何を考えていたんだろう。結衣が海外で苦労していると聞いていた。毎日が大変で、心身ともに追い詰められていたはずなのに、どうして星乃は、あんなに明るく笑っていられたんだろう。だから彼はよく冷たい態度を取った。わざと彼女の機嫌を損ねるようなこともした。二年前、星乃が「誰かが別荘に侵入した」と必死に訴え、防犯カメラをつけたいと言った。けれど悠真は即座に却下した。監視されるような感覚が、どうしても嫌だったのだ。だが今になって、彼は少しだけ後悔している。――「後悔」なんて、今までしたことがなかったのに。どんな決断も、振り返ることはなかった。星乃との結婚だって、気が進まなかっただけで、後悔なんて感じなかった。結衣が苦労していたと知ったときも、申し訳なさはあっても、まず考えたのはどう償うか、ということだった。なのに今、こんなことで後悔している?悠真はこめかみを押さえた。頭の中がぐちゃぐちゃにかき乱されている。「悠真」背後から結衣の声がした。振り向くと、彼女は部屋の真ん中に立っていた。手にはスーツケース。まるで今すぐ出て行くような気配だった。悠真は一瞬言葉を失った。「何してるんだ?……」「ごめんなさい、悠真」結衣はそっと目を伏せ、静かに言った。「あの事故のことも、星乃が流産したことも、あなたが私を憎んでるのはわかってる。車の中に星乃がいたなんて、知らなかった。でも結局、事故を起こしたのは私。私の車が制御を失って、星乃からあの子を奪ってしまった。あなたと星乃の間を壊したのも、私のせい。最近、あなたが私を避けて会社に泊まり込んでるのも知ってる。でも……そんな姿を見てるのが、もうつらいの。もし私の存在があなたを苦しめるのなら、私は出て行く」結衣はかすかに笑って、スーツケースの持ち手を握り直し、玄関のほうへ歩き出した。悠真はその華奢な背中を見つめながら、眉を寄せた。今日、彼が戻ってきたのは、もともと結衣を出て行かせるつもりだった。けれど今は、胸の奥に言葉にできないざらついた痛みが残っている

  • 彼女しか救わなかったから、子どもが死んでも泣かないで   第242話

    悠真の顔色がみるみる険しくなっていくのを見て、恵子の胸も重く沈んだ。本当のところ、星乃がいない今なら言い訳はいくらでもできる。魚以外の料理は全部自分が作っていた、と言えば済む話だ。けれど悠真が信じず、「今すぐ作れ」とでも言えば、すぐに嘘がばれてしまう。なぜ急にこんな些細なことにこだわるのか、彼の考えがまるで読めない。それでも、頭の中だけは必死に回転していた。どう言えばうまく切り抜けられるか。――星乃がどうしても自分で料理したいので私はいつも手伝うだけだ、と言えばいい。あるいは、星乃のほうから「台所に入らないで」と言われていた、とも言える。どうにでも言える。星乃は今ここにいないのだから、悠真は自分の言葉を信じるはずだ。だが、口を開くより早く、悠真が冷たい声で問いかけた。「他には?」「ありません!星乃さんがやってたのはそれだけで、あとは全部、私がきちんとやってました!」恵子はきっぱり言い切った。だが悠真は、その目が一瞬だけ泳いだのを見逃さなかった。彼の脳裏に、数日前に見た光景がよみがえる。床に散らかっていたナッツの殻、ゴミ箱に放置されていたドラゴンフルーツの皮。怒りが喉の奥からこみ上げ、悠真は皮肉めいた笑みを浮かべた。「そうか。じゃあ今から別荘の監視映像を確認させてもらおうか。恵子がどれほど真面目に仕事をしてたのか、見せてもらうよ」「監視……映像?」恵子の背中に、冷たい汗がどっと流れた。――別荘に監視カメラなんて、あったの?悠真は彼女の動揺を見抜いたように、鼻で笑った。「二年前、ここに侵入者があっただろう?星乃が怖がって、あのときに設置したんだ。もとは防犯用だったが……まさか今日、こんな形で使うことになるとはな」その言葉を聞いて、恵子は完全に青ざめた。あの事件の話は耳にしていたが、まさか星乃が本当に監視カメラをつけていたとは。怠けていたのがばれるくらいならまだいい。問題は、彼女がこの別荘からこっそり持ち出していた数々の物だった。それをもし悠真に見られたら……全身が震え、思わず彼の足元にすがりついた。「ごめんなさい、悠真様!本当に悪かったです、もうしません!」「確かに、ここ何年もこの別荘の管理は星乃さんがしてました。でも、それは佳代様のご指示だったんです。私はただ言われた通りに……」た

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status