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第194話

Author: 藤崎 美咲
さっきの結衣の反応で、すべてがはっきりした。星乃は、悠真がもう理解したのだと気づいていた。

それが自分の生死に関わることでも、彼は追及しようとはせず、まるで何でもないことのように、いつも通り軽く流してしまおうとしている。

星乃は小さく笑い、彼の手を振り払って距離を取った。「もういいわ。あなたが送ってくれなくても、道くらい自分でわかる。だから、本当に必要としてる人を送ってあげて」

そう言って視線を少し先に向ける。そこには結衣がいた。

ちょうどその瞬間、結衣もまた星乃を見ていた。

さっきまで律人の前で言い訳を並べて必死に取り繕っていた彼女は、もうすっかり落ち着きを取り戻していて、口の端をわずかに上げて挑発的に笑っている。

その目が、まるでこう語っているようだった――結局、悠真が選ぶのは自分よ、と。

星乃は肩をすくめ、穏やかに笑った。

――いいの。

返してあげただけ。

結衣はその笑みと、どこまでも静かなその目に、一瞬だけ息をのんだ。

どれだけ取り繕っても、目だけは嘘をつけない。

けれどなぜか、星乃の瞳からは、ほんの少しの悲しみさえ読み取れなかった。

演技?

それとも、本気?

それとも、自分が気づかないだけで、まだ何か打ち手があるのだろうか。

悠真もまた、星乃の言葉の裏を感じ取っていた。彼は振り返り、結衣の方を見やった。

夜の空気はさらに冷たくなっていく。

濡れた服が肌に張りつき、体温を奪っていく。

風が吹き抜け、結衣は両腕を抱いて胸元を押さえ、かすかに咳をした。

その顔が青ざめているのを見て、悠真は唇を引き結んだ。

結衣の気持ちはわかっている。星乃が自分に見捨てられたように感じ、傷ついていることも。

しばらく考え込み、彼は深く息を吐くと、ポケットに手を入れた。中には、婚約指輪の入った小箱がある。

何か言おうとした、そのとき――「寒いし眠いしさ。ねえ綺麗なお嬢さん、着替えに行こうよ。こんな格好で誰かに見られたくないし」律人が大きなあくびをして、軽口を叩いた。

星乃は彼を見て、すぐに笑う。「いいわ」

そう言って、悠真の方を一度も見ずに、律人と並んで歩き出した。

悠真は遠ざかっていく星乃の背中を見つめた。

ふと、前よりも少し背が高くなったような気がした。

けれど、それも曖昧な記憶だ。

昔、星乃と一緒にいた頃は、いつも彼の
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