FAZER LOGIN自分はずっと、結衣こそ世界でいちばん優しくて、完璧で、芯の強い女性だと思っていた。なのに、どうして……佳代は隣で電話を終えると、そのままスマホの電源まで切った。「たとえ事情があったとしても、事前に私たちへ話すべきだったわ。勝手に動いて、こんな騒ぎにするなんて」佳代が言った。「先に説明して、彼女の隠し事に協力しろってことか?」悠真は淡々と問い返した。「それとも、一緒になって『星乃が彼女を突き飛ばして流産させた』ってニュースでも作るつもりだったのか?」佳代は情報が早い。結衣がしていたことも、きっと以前から知っていたはずだ。それでも、自分が崖下に閉じ込められていた時期、遥生が訴訟を起こした際も、佳代は結衣を庇い続けた。佳代は唇を引き結ぶ。「これは冬川家に関わる問題よ。大局を優先するべきだわ」「大局、か」悠真は皮肉っぽく笑った。「じゃあ星乃は?彼女は冤罪を着せられても仕方ないって?」佳代は、その言葉の裏にある感情を察した。小さくため息をつき、口を開く。「あなたが星乃と長く一緒にいた分、まだ気持ちが残っているのは分かる。でも現実を見なさい。あなたたちはもう離婚してるのよ。彼女には彼女の立場がある。でも、あなたにもこれから進む道があるの。彼女のために、自分の利益を何度も犠牲にするべきじゃない」最後の一言は、はっきりと強い口調だった。以前のような説得ではない。まるで警告、いや、命令に近いものだ。悠真は少し黙ったあと、その場にいた全員を凍りつかせる言葉を口にした。「もし俺が、彼女と復縁したいと言ったら?」「……何ですって?」佳代は目を見開いた。聞き間違いかと思ったのだ。だが、悠真の目は真剣そのものだった。冗談でも、勢いで言っているわけでもない。佳代は信じられないという顔で言った。「ここまで揉めておいて、それでも復縁するつもりなの?」悠真は迷いなく頷く。佳代は怒りで言葉を失った。震える指先で悠真を指差し、唇まで怒りと動揺で小刻みに震えている。すると、長く黙っていた雅信が、ついに口を開いた。深く眉を寄せ、低い声で言う。「当時、星乃はお母さんの誕生日会で、君との離婚を公の場で切り出した。冬川家の面子など一切考えずにな。それなのに今さら復縁だと?瑞原市の人間が冬川家をどう見ると思っている。
誠司に付き添われ、悠真がホールへ入った頃には、家中はすでに大混乱になっていた。佳代自身は、この謝罪会見にそこまで関心はなく、本来なら見ようとも思っていなかった。だが、結衣の件が冬川家に悪影響を及ぼすのではと気がかりで、最初から最後まで人をつけて監視させていた。だから、結衣が星乃を陥れたあの騒動も、始まった時点ですぐに知っていた。結衣が去ったあと、佳代は真っ先に記者たちへ口止めをさせた。それでも、一部の記者は生配信をしていて、業界内の何人かには騒ぎを見られてしまった。事情を探るように奥様連中から次々と電話がかかってくる。口では心配しているふりをしていても、実際は面白がっているだけだった。雅信の付き合いのある層は、佳代たちほど噂好きではない。だが、そのぶん影響は大きかった。すでに話がまとまりかけていた取引が、いくつも白紙になっている。冬川グループの株価にも、わずかながら影響が出始めている。誰も口にはしないが、雅信には相手が何を考えているのか痛いほど分かっていた。この半年、悠真はずっと結衣を庇い続け、星乃を邪魔者のように扱っていた。結衣の妊娠騒動が出たあとも、冬川家はその子供を守るため、遥生や世間の声を敵に回してきた。なのに今になって、その妊娠が嘘だったとわかるや否や、悠真は人前で態度を翻して、結衣をあそこまで追い詰めた。今日は結衣だった。けれど、明日、切り捨てられるのは誰なのか……それに、星乃の件では、悠真はすでに多くの人間の利害に踏み込んでいた。今回の件を口実に、不満をぶつけている者も少なくなかった。花音のもとにも、友人たちから確認の連絡がいくつも届いていた。だが彼女は見るのも嫌になり、そのままスマホの電源を切った。ぼんやりとソファに座り込み、頭の中は真っ白だった。昨夜、悠真から聞かされた話だけでも、まだ整理しきれていない。だから今日は結衣と顔を合わせる気になれず、部屋に閉じこもっていた。けれどまさか、今日さらに、自分の価値観を揺さぶられるような事実を知ることになるなんて思ってもいなかった。「お兄ちゃん、さっきのって本当なの?彼女、本当に妊娠してなかったの?今日の謝罪だって、星乃を陥れるためだったの?」悠真が部屋に入ってくるなり、花音は堪えきれず駆け寄り、立て続けに問いかけた。悠真は彼
登世はわざと厳しい顔をして、自分を睨んだ。「星乃みたいないい子、今どき探そうと思ってもなかなか見つからないんだからね。そんな子があなたに嫁いでくれたんだよ。このバカ孫、ちゃんと大事にしなさい。もし星乃を泣かせたって知ったら、ただじゃおかないからね」あの頃の自分は、いつもまともに取り合わなかった。自分の中では、星乃の賢さが計算高さにしか見えず、聞き分けのよさも取り入ろうとしているだけに思えた。美しさだって……ああ、それだけは認めざるを得ない。だが、綺麗な女ならいくらでも見てきたし、星乃に対する偏見のせいで、その容姿に心を動かされることもなかった。だから適当に相づちを打つか、あるいは誠司に電話をかけさせて、適当な理由をつけてその場を離れるだけだった。なのに今、あれほど嫌っていたはずのこういう場で、彼は心の底から願っていた。時間が巻き戻って、登世がもう一度あの言葉を言ってくれないかと。今度こそ、ちゃんと答える。大切にすると。一方その頃、誠司は発表会に招いた記者たちを案内し終え、必要な指示を済ませると、慌てて戻ってきた。悠真がまだその場に立ち尽くしているのを見て、急いで駆け寄る。「悠真様、ホールのほうに来るよう、雅信様がお呼びです」誠司は内心かなり落ち着かなかった。さっき雅信から電話が来た時、声色も口調も明らかに険しかったからだ。雅信と佳代は、普段からこの息子をとても可愛がっていた。悠真を冬川家の後継者として育ててきた二人は、たとえ悠真の判断が常人には理解できないものであっても、これまで一度も口を挟んだことはない。それは悠真の見る目が鋭く、冷静で、決断力もあったからだ。彼なら絶対に、冬川家の利益を損なうようなことはしない。二人はそう信じていた。だが今回は違う。今日の悠真の行動は、誠司から見ても、理性的な判断とは到底思えなかった。結衣の妊娠を、悠真はとっくに知っていた。しかもずっと周囲に隠していたくせに、今日になって、世間から散々注目されている元妻の前で、その事実をわざわざ暴いたのだ。それは結衣の顔を潰しただけじゃない。冬川家そのものを笑い者にしたようなものだ。さすがに今回は、簡単には済まされないはずだ。誠司はそう言いながら、どう対応するか相談しようと思っていた。だが、悠真はまるで
誠司の動きは早かった。騒ぎが起きるや否や、すぐにボディーガードに指示を出して記者たちを退避させ、壊れたカメラの弁償も済ませ、その場を片づけた。現場に残ったのは、星乃と悠真、それに数人のボディーガードだけだった。星乃は気持ちを落ち着かせると、小さくうなずいた。「大丈夫」助けてもらったことは事実だったからか、さっきまでのような冷たい口調ではなかった。「私を気にするより、自分の心配をしたほうがいいよ。それに、次からはあんなことしないで。前に律人から護身術を教わってたから、あれくらい避けられたの。わざわざ庇う必要なんてなかったし、もうあなたに借りを作りたくない」悠真は唇を引き結んだまま、何も言わなかった。崖下で数日間を共にして、彼も気づいていた。星乃はもう、昔みたいにか弱い女性じゃない。たとえ自分が動かなくても、彼女が怪我をしなかったことも分かっている。それでも、なぜ自分があの瞬間に飛び出したのか、彼自身にも分からなかった。頭で考えるより先に、体が勝手に動いていた。返事をしない悠真の様子を見て、どこか言いづらそうにしているのを察した星乃は、すぐに理由を理解した。きっと結衣の罪を少しでも軽くしたかったのだろう。そう思った瞬間、さっき少しでも心が揺らいだ自分が可笑しく思えた。「部屋の配置が変わってなければ、救急箱は寝室のベッド横の引き出しにあるはず。茶色い瓶の消毒液を傷口に塗れば、消毒にもなるし、痣にも効くから」星乃は淡々と言った。助けてもらったお礼のつもりだった。「他に用がないなら、私はもう帰るね」悠真は彼女の後ろ姿を見つめながら、さっきの言葉を思い返していた。ほんの一瞬、二人がまだ離婚していなかった頃に戻ったような気がした。けれど、もしあの頃のままだったなら、彼が怪我をした時、星乃はきっと慌てて薬を塗り、病院へ連れて行こうとしていただろう。今のように、距離を置いた淡々とした言葉だけではなく。もう慣れたと思っていたのに、それでも胸の奥には埋めようのない空白が広がり、じわりと苦しさが込み上げる。悠真は思わず口を開き、彼女を呼び止めようとした。その時、少し離れた場所から、登世の世話をしている使用人が歩いてきた。「星乃さん、せっかく来てくれたんだから、ぜひ会いたいって、登世様がおっしゃってます」
結衣は目の前がぐらりと揺れ、言葉にできない感情に襲われていた。悠真は皆の前で、さりげなく星乃をかばっていた。あの言葉は、ただ事情を説明するためだけのものじゃない。人前でも彼女を守る、そんな彼の意思がはっきりとにじんでいた。自分と星乃の間で、彼はまたしても星乃を選んだ。しかも、この場面がどういう意味を持つか、悠真ははっきり分かっているはずなのに。案の定、記者たちの間にざわめきが広がる。「悠真さんって星乃さんのこと好きじゃなかったんじゃないの? なんであんなふうにかばうの?」「でも星乃さんって結構すごいよ。あんな扱い受けながら、五年も結婚続けてたんでしょ。普通じゃ無理だよね」「結衣さんがやったこと、さすがにやりすぎじゃない? 正直ちょっと怖い」「これって、悠真さんが星乃さんと復縁するってこと?」「たぶんそうじゃない?」「……」ひそひそとした声があちこちで飛び交う。結衣ははっきりとは聞き取れなかったが、それでも自分に向けられる視線や、冷ややかな目は感じ取れていた。星乃も細かい内容までは聞こえていなかったが、大体のことは想像がつく。けれど、どうでもよかった。離婚届を出したあの日から、自分は悠真ときっぱり線を引いている。本来なら面倒な展開になると思っていたのに、まさか悠真が出てきて、こんなにあっさり片付くなんて。多少の引っかかりはある。それでも、偽の妊娠が明るみに出れば、冬川家が結衣を許すはずもないし、今日悠真が自分をかばったのも、本当はリスクを背負ってのことだと分かっている。少なくとも、冬川家の評判には多少なりとも影響が出る。この謝罪会見は、自分の予想をはるかに上回る結果になっていた。二人の間に沈黙が落ちる中、星乃は淡々と言った。「偽の妊娠なら、もう療養の必要はないよね。あとは弁護士と話してね、結衣さん」そう言い残し、星乃は背を向けてその場を去ろうとした。結衣はその後ろ姿を見つめ、目の奥を真っ赤に染める。どれだけ考えても、今日の出来事は全部星乃のせいだ。彼女さえいなければ、自分と悠真がこんなことになるはずがなかった。全部、彼女のせい。全部、彼女が悪い。考えれば考えるほど怒りが膨れ上がり、ついに限界を超えた。次の瞬間、結衣は記者の中からカメラをひったくると、そのまま持ち上げ
結衣はもう否定しても無駄だとわかっていた。悠真がここまで言う以上、彼の手元には、自分が妊娠していないと断定できるだけの証拠が揃っているのだろう。それでも分からなかった。どうして今、このタイミングで暴くのか。しかも、これだけ多くのメディアの前で。これまでの悠真なら、自分を守ってくれていた。こんなふうに自分を傷つけることはなかった。胸の痛みに耐えながら、結衣は自分に言い聞かせる。きっと、彼はついさっきこの事実を知ったばかりなのだ、と。あまりの怒りに、後先も考えず暴いてしまっただけなんだ、と。だが、その考えが浮かんだ直後、悠真は失望をにじませた目で言った。「ずっと前からだ。病院にいた頃には、もう気づいてた。結衣、君が自分から認めるのを、ずっと待ってた」その言葉を聞いた瞬間、結衣は全身の力が抜け落ちたように感じた。やっぱり、昨日の違和感は気のせいじゃなかった。けれど……結衣は並ぶカメラの列と、自分に向けられる、面白がるような視線を見渡した。胸を押さえ、苦しそうに声を張り上げる。「どうして今なのよ!?」暴くこと自体はいい。けれど、どうして今なのか。どうして、こんな無様な姿を皆の前にさらされなければならないのか。「これ以上、間違いを重ねるのを見ていられない」悠真の声は低く重かった。結衣の偽りの妊娠を知ってから、彼は強い怒りを抱いている。だがその怒りは、結衣に裏切られたこと、そして彼女への期待が思いもよらない方向へと崩れていったことに対するものだ。優しくてか弱いと思っていた結衣の内側には、闇と狂気、そして手段を選ばない冷酷さが潜んでいる。交通事故を仕組み、自分と星乃の子どもを死なせた。さらに何度も星乃を殺そうとした。星乃が崖から生還したと知っても心配するどころか、圭吾と手を組んで、ひそかに命を狙った。彼は何度も結衣をかばい、理由をつけてきた。だが、彼女は何度も過ちを重ねてきた。「でも……全部、あなたを愛してるからよ……」結衣は泣き崩れながら訴えた。「愛は、他人を傷つける理由にはならない」「じゃあ星乃は?私を傷つけてないの?もしあの子がいなかったら、私たちはとっくに一緒になってた!あなたの妻は、私のはずだったのよ!彼女が他人を傷つけてないって、本当に言い切れるの!?」結衣は声を張り裂けそうな







