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第2章

Author: 匿名
京志はスマートフォンを手にし、口元に柔らかな笑みを浮かべている。

相手は栞だろう。

朝食を彼のベッドサイドに置くなり、私は静かに部屋を後にした。

奥様の帰りを見計らい、彼女に辞職の意向を告げるつもり。

終身契約を結んだメイドたちと違い、私はいつでも辞任することができる。

「京志があなたを必要としなくなったら、出て行ってよい」と、かつて奥様は言ってくれた。

ずっと彼のそばにいたいと私は願っていた。だが今、その約束を自ら破る時が来たのだ。

書斎で奥様は腕を組み、鋭い目で私を見据えている。

「京志は知っているかしら?あなたが辞めることを」

奥様は、私と京志の間に特別な関係があることをとうに気づいている。そのせいで、いつも私に対して冷ややかな態度を取っている。

私は視線を落とし、小さい声で答える。

「避妊薬は飲みました。小泉家の子を宿すことはありません」

彼の欲望を満たすため以外、私は無に等しい存在だ。いなくなっても、彼はきっと気にもしない。

奥様は疑わしげな目を向け、家庭医を呼びつけた。

全身検査を受けると、妊娠の可能性が完全にないとわかって、ようやく彼女は重く口を開いた。

「五日以内に後任を見つけるから。その後、直ちにここを離れなさい」

京志のことで多少は役に立っていなければ、今すぐにでも彼女に追い出されたはずだ。

ほっとして書斎を出ると、リビングに栞の姿があった。

彼女は京志の腕にしなだれかかり、耳元に何かを囁きながら笑っている。

「栞にお茶いれろ」と、私の姿を見た彼はそう言いつけた。

栞が待ちきれずに、いれたてのお茶に手を伸ばした瞬間――

「熱い!」と、お茶をこぼした。

京志から冷たい視線が投げつけられた。

「どういうつもりだ?」

私は慌ててうつむき、謝罪の言葉を繰り返している。彼女はえくぼを浮かべながら微笑み、片付けの手を止めてくれ、軽く首を振る。

「平気、平気。私の間抜けなんですよ」

そして人懐っこく、しかしどこか挑むように言った。

「あなたが京志君のそばにいるメイド、白石安希(しらいし あき)さんでしょ?」

私は小さくうなずいた。その瞬間、京志から息が詰まるほど冷たい視線を感じた。

彼の不満が伝わってきた。

私はすぐに床に膝をつき、改めて謝罪を繰り返した。

その姿を見てようやく、京志の表情がいくぶん和らぐ。

「小泉家のルールだ。遠慮する必要はない」そう言いながら、彼は栞をソファに連れて行った。

栞は私に哀れみの視線を向けたまま、ため息をついた。

しばらくして、栞は子どものように京志の袖を引きながら甘える。

「私、京志君の家は初めてなの。案内してくれない?

あっ、そうだ、安希さんは……」

話の途中で、京志が言葉を遮った。

「安希、ついてこい」

「何かあれば彼女にさせればいい」と、京志はそのまま栞の手を取って歩き出す。

私がデートの邪魔だと悟った栞は、あからさまに不満を滲ませて振り返り、声をひそめて睨みつけてきた。

「覚えてなさいよ」

私は返事をせず、ただ黙って後ろを歩いた。

これも職務の一部――ただ、世話を焼く相手がもう一人増えただけのことだ。

屋敷の外に出ると、栞は桜の木の高い枝を指差し、楽しげに言う。

「安希さん、あれを取ってきて」

桜の枝は細く脆い、そのまま登ると、怪我をしかねない。私は脚立を取るつもりだったが、栞は首を振った。

「道具はダメ。花を傷つけちゃうでしょう?手で取って」

返事をしなかった私に向け、京志は冷たい口調で言い放つ。

「聞こえていないのか?」

仕方なく、袖をまくり登り始める。

針のように鋭い枝が手に突き刺さり、血がにじむ。

下から栞がせかすように叫ぶ。

「頑張って、もっと上!ほら、あそこよ!」

花にようやく手が届くその瞬間――

パキッ!

枝が折れ、体が宙に投げ出された。

幾本もの枝が肌を切り裂き、私は地面に叩きつけられた。

その手には、栞の欲しがった桜の枝をしっかりと握っている。

震える手で差し出したら、彼女は口を尖らせ、涙をにじませる。

「京志君、台無しになっちゃったわ」

京志は彼女を抱き寄せてなだめ、眉をひそめて私を叱りつける。

「枝一本まともに取れない上に、自分まで傷だらけになるとは?

みっともない、さっさと戻れ」

私は小さくうなずき、血のにじむ腕で体を支えながら立ち上がる。

その様子を見た京志は歩み寄り、片腕を取ってくれた。

「まあ、しょうがない。その速さじゃ遅い」

私、抵抗はしなかった。

これを最後の温もりだと思ったから。

ただし、背中には、栞の視線が突き刺さっている。
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