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第10話

Author: ごはんまん
風真の目に一瞬、後ろめたさがよぎった。「ちょっと家に寄ったら、すぐに君のところに行くから」

玲奈は風真を行かせまいと、すぐにすねた顔を見せた。

今ここで風真が戻れば、すべてがバレてしまう。証拠を隠す時間もない。

「結衣のことが心配なの?でも、私はこの結婚を十八年も待ってたんだよ」

風真はその場で足を止め、玲奈を連れて一緒に帰ろうかと考えたが、玲奈はすでにタブレットを差し出した。

「どうせ結衣さんのことが気になるんでしょ?見せてあげる」

タブレットの画面には監視カメラの映像が映し出されていた。

映像の中で、結衣は手錠でベッドに繋がれ、体を小さく丸めて泣き声で訴えていた。

「風真、私が悪かった。もう二度と逃げたりしないから」

風真の顔からは張りつめていた険しさがすっと消え、ここ数日重く覆っていた心も少し晴れた。むしろ、早く帰って会いたいという気持ちが強まっていた。

だが玲奈は、そっと風真の手首に腕を絡め、甘えた声でささやく。

「女心が分かってないんだね。こういう時は、しばらくほうっておく方がいいんだから。

そうしたら、あなたの大切さを思い知るはずだよ。今日はうちに泊まっていって。ね?」

風真は数秒だけ考えて、うなずいた。

正直なところ、彼も少し気分を変えたかった。

この一週間、結衣はほとんど無表情で、怒りをぶつけようにも何も響かなかった。罰を与えたくても、何の反応もない彼女を見続けていると、さすがにうんざりしていた。

それから数日間、風真は仕事が終わると玲奈の家に直行し、リビングのカーペット、キッチンのカウンター、カーテンの陰、ベッドの上……ふたりはありとあらゆる場所で、何度も体を重ねた。

さらには、玲奈とあきらを連れてキャンプにも出かけ、流されるように日々を過ごした。その間、別荘で待つ結衣のことは、ほとんど頭から消えていた。

毎日、結衣の監視映像だけは一度確認した。

画面の中の彼女は日ごとに元気を失い、「もう逃げない」と訴える声もどこか必死だった。風真の中にあった苛立ちも、いつしか消えていた。もうそろそろ戻ってもいいだろう、そう思い始めていた。

その日、仕事帰りに役所に寄り、翌朝には結衣を連れて正式に婚姻届を出そうと決めた。

これでもう、結衣は絶対に逃げられない。

ところが、翌朝ようやく別荘に帰り着いた風真が目にしたのは、焼
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