LOGIN「悪霊は、この中にいます!」 「出てけっつってんだこの三流詐欺師がっ!」 寂れた商店街の定食屋の女主人、間田木リョウコの元にやって来たのは巫女服をまとった謎の少女。少女によれば、リョウコの店には悪霊が取り憑いているらしい。だが、リョウコは一介の料理馬鹿に過ぎないのだ。そんなことを言われたところで、出来るのは料理を作ることだけ。代々受け継ぐ店を守るため、リョウコは持ち前のきっぷの良さと自慢の腕で店に襲い来る悪霊(幽霊・妖怪・都市伝説・宇宙人を含む)を成仏させていく。飯テロ御免のグルメコメディ、いま開幕! ※ダイエット中の方はご遠慮ください
View More「悪霊は、この中にいます!」
「へい、らっしゃい! って、いまなんて?」昼下がりの商店街。
シャッターの降りた店がちらほら見える、少々寂れたその片隅。 古びた2階建ての1階、定食屋その少女は建付けの悪い引き戸をガラリと開け放つと、店内の一角をびしりと指して黒い前髪をかき上げた。白地に朱色の縁取りが入った巫女服の袖から細い指が伸びているが、その先をたどっても別に何もいない。
「悪霊です。そこに悪霊がいるんです!」
「ああン? ちょっと待て、イヤホン外すから」オープンキッチンのカウンターの中にいた赤髪の女が、怪訝な顔をして片耳に挿したイヤホンを抜き、念入りににらんでいた競馬新聞を置いた。爪を短く切った人差し指で、こめかみをぽりぽりとかきながら聞き返す。
「えーと、あっしの聞き間違いじゃなきゃあ、悪霊っつったか?」
「ええ! 悪霊です! このお店は悪霊に取り憑かれています!」 「で、て、い、け」 「はい?」 「出てけっつってんだこの三流詐欺師がっ!」赤髪の女は刺身包丁を握りしめ、血走った目で少女をにらみつけた。
巫女服の少女はその剣幕にたじろぎ、思わず二歩、三歩と後ずさる。「ここ何日か客がぱったり来なくなったのを見透かして、ペテンにかけようってンだろ! テメェら詐欺師のやり口なんてわかってンだからなっ!」
そう言うと、女は刺身包丁の切っ先で入り口の脇を指した。
そこには、奇妙に捻くれた壺やら極彩色の仮面やら招き猫やらなんとも醜怪な笑みを浮かべる七福神像などが並んでいた。「い、いかにも怪しげな霊感グッズの山……」
「もういい加減だまされねえ! そこに並んでるのはな、あっしの血と汗と涙が染み込んだなけなしの売上と引き換えに手に入れた反省の結晶だ! あっしからこれ以上一銭でもむしろうってンなら容赦しねえぞ!」 「ええと、あの、お金とかはいいんで、とりあえず話を聞いてもらえると……」 「ハッ、ここはメシ屋だぜ! お話をするところじゃねえ。注文しねえんならさっさと帰りな」 「ううんと、それならこの日替わり定食の『松』を……」 「ハハッ! いくら1200円の松定食を頼んだってあっしの気は変わら……えっ、松定食? お客さん、マジで松定食?」 「は、はい。お昼はまだだったのでついでに……」 「松定食一丁! かしこまりやした!」赤髪の女は鬼の如き形相から一変し、にこにこしながら包丁を握り直す。
まな板を拭くと、カウンター下の業務用冷蔵庫から食材を取り出して丁寧に並べた。「へへへ、今日はマグロの赤身のいいやつが入りましてね。うっすーら脂の入ったほとんど中トロみたいなやつで。最近増えてきた養殖マグロってやつでね。あっ、養殖ったって馬鹿にしちゃぁいけませんよ? ンなことを言うと下品だが、天然物よりかえって高ぇくらいで――」
しゃべりながら、女は包丁を使う。
刺身包丁の背に人差し指をそえ、刃元から切っ先までをすっと引いて桜色のサクを厚い平造りにしていく。刺身の角はびしりと立って、切り口はみずみずしく覗き込めば顔が映りそうだ。 その鮮やかな手付きに見惚れ、少女は思わずカウンターに身を乗り出していた。「あ、松定食は刺身とフライのセットなんですけどね。フライは選べるンすよ。コロッケとホタテはぜんぶに付くンすけど、メインはエビかアジで選んでもらえるようになってて。エビは産地直送のでっかいブラックタイガー。アジはそこの生け簀で泳いでるやつをさっとさばいてすぐに揚げるって寸法で」
ツマを乗せた角皿に刺身を盛り付けながら、赤髪の女が目線でカウンターの奥を示す。そこには幅1メートルほどの水槽があり、エアレーションの水泡の中で数匹のアジが鱗を銀色にきらめかせていた。
「すごい。定食屋さんなのに生け簀があるんですね」
「へへへ、あっしは釣りが趣味でね。店で出せそうなもんが釣れたらあそこに放り込んでおくんでさ。おっと、エビの方もお見せした方がいいっすかね。これもめったに手に入らない上物ですぜ」女は冷蔵庫から木箱を取り出すと、カウンターの上にそっと置いた。
蓋を開け、おがくずを丁寧に取り除くと、中から姿を現したのは片手に余る大きさの、でっぷり太った見事なブラックタイガーだった。くっきりとした黒い縞模様が美しい。「一昔前はブラックタイガーなんて安いエビの代表だったらしいンすけどね。いまはもう、天然物のクルマエビなみに美味いもんも出回っててね。なかなか馬鹿したもんじゃあないんですぜ」
少女の視線が、水槽のアジと木箱のエビの間で右往左往する。
もう口の中は唾液でいっぱいだ。溢れたそれが、唇の端から垂れていることに気がつき、少女は慌てて口の端を指で拭く。「あ、あの、両方食べることはできますか?」
「えっ、追加ですかい!? さ、三百円ほど追加でお代をいただけたら――」 「お願いしますっ!」 「ありがとうございやすっ!」女の説明に、少女が食い気味で応じる。
女は威勢よく返事をすると、水槽からアジを掴みだしてあっという間に三枚におろし、エビの殻を剥いて身に斜めに包丁を入れていく。それに小麦粉をはたいて卵液にくぐらせ、パン粉をたっぷりとつけると、フライヤーに静かに沈めていく。 しゅわしゅわ、ぱちぱちと油の弾ける音がして、香ばしい匂いが店内に立ち込めた。キッチンタイマーが鳴り、女がアジとエビを油の海から引き上げる。
色はもちろん黄金色。肉厚なアジも太ったエビもびしりとまっすぐで、尾っぽの先まで曲がっていない。揚げ物の専門店でもここまでのものはそうそうお目にかかれないだろう。「へい、松定食エビ・アジフライセットお待ちどおっ!」
「ふぁぁぁあああ……お、美味しそう……!」少女は、眼前で香気を上げる定食に目を奪われた。
背後に忍び寄る、黒く不吉な【速報です。東京地検特捜部は与党我民党幹事長、波洲沱氏宅の強制捜査を開始し――捜査のきっかけは通称『怪盗ラクーンアイ』が公開した資料と見られ――】「おお、すごい! またラクーンアイが大手柄ですよ!」「ううん? そうか、そりゃあよかったなあ」「うわー、めちゃくちゃ興味なさそう」 間田木食堂に突然の珍客があってから数週間。 今日もトウカはカウンターで食事をしながらリョウコと雑談をしている。今日のメニューは唐揚げ定食。間田木食堂の唐揚げはひとつひとつがとても大きく、かぶりつくと肉汁が垂れてくるほど瑞々しい。これにマヨネーズをたっぷりつけて食べるのが最近のトウカの流行である。 ところで例の珍客――タヌキだが、商店街の獣医に預けたところ、しばらくして逃げ出してしまったらしい。 銃創なら警察にも届ける必要があったのだが、肝心の証拠であるタヌキが消えてしまったのでそのあたりのことはうやむやになっていた。逃げ出すほどの元気を取り戻しており、リョウコの応急処置も適切であったことから、タヌキ自体の心配はないだろうとは獣医の言葉だった。「つうかよ、なんでトウカはそんなになんとかアイってのが好きなんだよ?」「だって怪盗でそのうえ義賊ですよ! きっとこう、背が高くって、スラッとして、ニヒルな笑顔が似合うクール系イケメンに違いありません!」「はあ、うちの常連みてえな中年太りのおっさんかもしれねえぞ?」「もうー、やめてくださいよ。リョウコさんは夢がないなあ」 そんな益体もない話をふたりが続けていると、ガラリと音を立てて店の引き戸が開けられた。 入ってきたのは十代後半程度に見える少女。茶色のショートボブで、くりっとした垂れ目気味の目に愛嬌がある。どこかタヌキのような雰囲気のあるその少女は、怪我でもしているのか左足を少し引きずっていた。「いらっしゃい、好きな席にどうぞ」「えっと、ここでもいい?」「へい、もちろんかまいやせんぜ」 少女はカウンター席に座る。 そしてそわそわした様子で店内をきょろきょろと見回していた。 その様子に気がついたリョウコが声をかける。「お目当てのメニューが見つからないんですかい? うちは品数多いっすからねえ。とりあえず言ってもらった方が早いかもしれないっすよ。メニューにないもんでも、できる範囲でやらせてもらうん
高級住宅街の屋根屋根を飛び越えて、ひとりの少女の影が走る。 覆面に顔を隠し、身体には濃紺色のレオタードをぴったりとまとっている。その軽やかな動きは、人間と言うよりもまるで1匹の野生動物のようであった。「くそっ、捕まえろ! ラクーンアイが出たぞ!」「絶対に逃がすな! あの書類が流出すればお館様もただでは済まん!」 地上を走って追いかけるのは黒服の男たち。 しかし、夜空を自在に駆ける少女に翻弄され、いくら懸命に追っても距離が縮まらない。それどころか、徐々に引き離されつつある。「くっ、仕方がない。発砲を許可する! 撃て、撃て!」 リーダー格の男がそう叫ぶと、黒服たちは懐から一斉に拳銃を抜いた。 3Dプリンター製の簡易なものだが、殺傷力は十分にある。おまけに、使用後は焼いてしまえば証拠が残らないため、近頃闇社会で流行っているものだった。 閑静な住宅街に、何発もの銃声が響き渡る。 そのうちの一発が少女の太ももをかすめた。思わず苦鳴を洩らす少女だが、その動きに衰えはない。やがて黒服たちを振り切って、遠く離れた商店街まで逃げ切った。 その一角の、いくらか古びた定食屋の前で、いよいよ少女は力尽きる。 その場に倒れて、動かなくなってしまった。 * * *【今夜の特集は『怪盗ラクーンアイ徹底解剖! その正体に迫る!』です。お楽しみに】「おお、リョウコさん、今日はラクーンアイの特集をするみたいですよ!」「ああン? なんでえ、そのなんちゃらアイってのは?」 少々うらぶれた商店街の一角、間田木食堂では今日も赤髪の女――間田木リョウコと、やたらに入り浸っている巫女服の除霊師――稲荷屋トウカがテレビを見ながら話をしていた。「ええー、リョウコさん知らないんですか? 近頃巷を騒がしている怪盗ですよ。悪い政治家やお金持ちから悪事の証拠を盗んで、ネットに公開してるんです!」「ふーん、世直しってやつかねえ。奇特なやつもいたもんだ」 リョウコは興味なさげに手元でなにやら作っている。 といっても実に簡単なもので、丼に盛った白飯に天かすを載せ、自家製のめんつゆをさっと回しかけて小ネギを散らしただけのものだ。「むむっ、リョウコさん何を作ってるんですか?」「ああ、もうオメェは本当にめざといなあ。たぬき丼だよ、たぬき丼」「へえ、おいしそうですねえ。私にも一杯ください
リョウコは、まず冷蔵庫からひき肉を取り出した。 それを大きなボールに開け、塩を振る。「あれ、お肉しか入らないんですか?」「いや、色々足すのは後からなんだよ。まずは肉と塩だけで練らねえと粘りが出ねえからな」 トウカの疑問に答えながら、リョウコはビニール手袋をはめて肉を練っていく。 数キログラムはある肉塊が、徐々に粘りを帯びていった。肉をちぎって、断面が毛羽立つ程度になったら次の工程だ。「こいつにな、荒く刻んだ玉ねぎと、生卵、ナツメグとコショウを加えてさらに練っていく」「玉ねぎは生なんですねえ」「炒めてからでもかまわねえぞ。そのときは肉に火が通らないよう一旦ちゃんと冷ましてからな。あっしは玉ねぎのシャキシャキが残ってた方が好みなんでな、生にしてるんだ」 リョウコとトウカが話していると、そこに冨桐も加わってくる。「パン粉や牛乳も入れないのかい?」「へい、まずパン粉だが、うちのハンバーグはデカいんでね。下手に入れると焼いたときに膨らみすぎて割れちまう。それで肉汁が逃げちまうんですわ。牛乳は味を薄めずに水分を足す役割があるンすけど、生玉ねぎを使ってるんでね。水っぽくなりすぎるんで入れてないってわけで」「なるほど、ボリューム感を追求したが故のシンプルなレシピというわけか……」「まあ、そんな大層なもんじゃありませんが、味と量にはそれなりにこだわってはいますかねえ」 冨桐はメモ帳とペンを取り出してなにやら書き付けはじめた。「ところで肉はどんなものを使っているんだい? 企業秘密ならもちろん答えなくていいが……」「普通の牛と豚の合い挽きですぜ。牛が6、豚が4のやつだ。脂が足りないときには肉屋の方で牛脂を足してもらったりしてますがね。まあ、長年付き合いがあるんで阿吽の呼吸ってやつで」「読者や編集に対する信頼感にもつながる話だな……」 冨桐はペンを走らせ続けている。 リョウコは、よくわからない話がはじまったと思い、何も答えず練った肉を丸めて整えはじめた。それを順番に金属製のトレーに載せていく。「はい、これで一丁上がりと。簡単だろ?」「へえ、ハンバーグって家庭科の授業で作ったきりですけど、もっと色々材料があって面倒くさいイメージでした」「色んなもんを加えて試してみるのも面白れぇけどな。肉の配合、玉ねぎの分量、
年の瀬もやや押し迫ってきた頃。 行き交う人々が少々足早になるその季節、商店街の一角に間田木食堂はある。 何の因果か悪霊や妖怪のたぐいが引き寄せられ、それを料理で祓ってしまうと噂の謎多き店だ。 その間田木食堂に、悩める男が今日もまたひとり――「ぜったいにこれは悪霊の仕業なんだ! もったいつけないで助けてくれ!」「ンなこと言われましてもね、ここは単なる定食屋で、あっしはただの料理人でして」「うう……どこの除霊師に頼んでも霊なんかついていないと言われ、噂に聞いたこの店だけが最後の頼みだったのに……」「あー、わかんねえっすけど、それなら悪霊がついてなくてよかったじゃありやせんか?」「よくないっ! それでは僕の悩みが解決しない!」「はぁ、うちはお悩み相談所のたぐいでもないんですけどねえ」 カウンターを挟んで、ベレー帽をかぶった男と赤髪の女――間田木リョウコがなにやら話している。 男の表情は必死そのものだが、対するリョウコは困惑している。リョウコには霊感などないし、過去に除霊を手伝ったのも成り行き上のことである。除霊師の間で店の噂が広まっているとは聞いていたが、こんな客に来られても対応のしようがないのだ。「悪霊は、この中に――あれ、今日はいないですね」「おお、トウカ。いいところに来た。このお兄さんの相談に乗ってやってくれよ」 ガラリと引き戸を開けて現れた巫女服の少女は稲荷屋トウカ。 黙っていれば日本人形のような愛らしい美少女なのだが、美味そうな料理を見るとよだれを垂らす食いしん坊と化すのが玉に瑕だ。本職の除霊師であるトウカがやってきたので、リョウコはこれ幸いとバトンタッチすることにした。「なんです、悪霊関連の相談ですか?」「あ、あんたはこの女の弟子っていう新米除霊師だな! 除霊師ランキングにも載っていた!」「えへへ、新人除霊師ランキング第4位の稲荷屋トウカです。リョウコさんの弟子っていうのはちょっと違うんですけど」「細かいことはどうでもいい、僕に憑いた悪霊を祓ってくれ!」 すがりついてくる男に、トウカもまた困惑する。男には、悪霊の気配など微塵も感じられないからだ。 リョウコに視線を送ると、「こういうわけだからよろしく頼むわ」という表情をしている。トウカは「ひとつ貸しですよ」という意味のことを目顔で返した。「ええっと、まずは具体的に