LOGINここは、自分や他人が幸せかどうかが一目でわかる制度がある現代とはちょっとだけ違う世界。 坂井 穂乃果はその制度をよいものと思っていましたが、あることがきっかけでその制度について疑問を抱くようになり……。
View More私は『幸せ』について再度考えてみることにした。 これまで何度も考えてきた。考えることで、本当に様々なこと知った。きっと今なら前よりもたくさんのことが浮かぶ自信があった。 何かに自信がもてるようになったのも、幸せについて考えるようになってからだ。それまでは、何かができても「私なんてたいしてことない」と素直に受け入れられなかった。 自分でもこんなに変わったことに驚いている。 人は、いつでも変わることができるようだ。きっかけさえあれば大きく現状が変えられる。 私が幸せと感じるには、自分自身を大切にできていることだけでなく、『愛する人が幸せでいること』も大切なことだとわかった。 だっていくら私がしたいことなどをたくさんできて心が満たされていても、彼の苦しそうな顔をみると私はそれを無視したまま笑顔ではいられないから。ほっておくことなんてとてもできない。 彼がそばにいて素敵な顔をしていると、私も元気をもらえるし嬉しい気持ちになる。 私は、彼と共に『幸せ』を掴みたい。 それは平坦な道ではないかもしれない。違う考えをもった二人が、お互いに無理したり我慢しすぎに支え合う。言葉だけだとそこまで難しく聞こえないけど、歩み寄り、二人でちょうどいい距離感を見つけてることはきっと私が思っているよりずっと時間や労力がかかることだろう。何も障害や病気をもっていない二人でもそれを見つけることは難しいかもしれない。 私には、障害がある。 それでも、私は幸せになることを諦めたくない。どんなに困難なことに直面しても、たとえ心が疲れても、その思いだけは揺らがない。 そして、彼に支えられるだけでなく、私も彼を支えたいと思った。確かに私のできることはすごく小さなことかもしれない。障害のためにきっと私の方が彼に大変な思いをさせることが多いと思う。これまで彼が大変な思いをしていることにさえ気づけない時がたくさんあっただろう。また、彼がたくさん愛情を注いでくれているのに、私はそれにも気づけず、「なんで私のことをわかってくれないの?」と勝手に一人もやもやもしていた。ひどい言葉を言ったこともあったかもしれない。 私は一つの感情に支配されやすいし、すぐにいっぱいいっぱいになって何事も一気にはできない。それは本当に申し訳ないと感じている。ふとその今の気持ちを言葉にしてみようと思った。上手く言えるか
私には発達障害のためにできないことがある。 どんなに頑張っても、悲しいけれどできない。でも、ただ嘆いていても何も変わらないと思った。 私の様々な能力をもしグラフで表したら、すごくでこぼこしていると思う。できることととできないことには、かなりの差があるようだから。 他の人のグラフは、きっとそんなに差はなくどれも平均値ぐらいの数値で、でこぼこはしていないだろう。きれいな形をしていると思う。 不恰好ででこぼこな私には、きれいな形をしている他の人のことが羨ましかった。 他の人を羨む気持ちはまだどうしても頭に浮かんでくる。 でも、そんな私にもできることは多少はあることは確かだから、できることに意識を向けたいと思った。 私は辛さをずっと抱えたままではなく、先に進みたいのだから。 私ができることってなんだろう。 何かを継続することは割と得意だと思う。集中することも得意だ。単純作業も苦だとは思わずすることもできる。 また、アイデアを考えたり絵を描いたりという物作り系は全般的に好きだ。 好きというワードで考えると、子どもは好きだ。小さな子に会うといつも懐かれる。また、街中でも、なぜかおじいちゃんやおばあちゃんにもよく声をかけられる。子どもやお年寄りの相手をする仕事は向いてるかもしれない。 話をすることは苦手だけど、話を聞くことはもしかしたらできているかもしれない。または、私に他の人よりも話しかけやすい雰囲気があるという可能性もある。 こうやって考えることは思っていたより楽しかった。自分のできることに目を向けるの悪くないと思った。これからもっともっと自分のできることを探していこうと決めた。 そして、できることをさらに伸ばして、できないことは彼や周りの人に手助けしてもらおうと思った。「できない」と言うことも、助けてもらうことも自分の人生をよくするためならしてみようと思えた。確かに相手にとってはそれをすることで、大変になることもあるかもしれない。でも、まずは私がこれができないと伝えることが大事で、それにはきっと意味があると思った。 相手に余裕がなければ何もしてもらえないこともあるだろうけど、まず私のことを知ってほしい。 だから、私はまた彼の書斎のドアをノックした。 すぐに「入ってきていいよ」と声が返ってきた。 そもそも私たちは基本家にいる時は、いつも
私は、『障害』と向き合う覚悟を決めた。 ずっと現実を受け入れたくないと思っていた。いや、自分に障害があることがどうにもしっくりときていなかった。辛いことは確かにあるけど、私がもっと頑張ればなんとかなると思っていた。 でも、過去の辛かったことを思い出し、障害の特徴と照らし合わせてみると、あれは実は障害のためにできなかったのかと納得のいくことがいくつかはあった。 自分が障害とまっすぐ向き合えていないとわかった。 苦しくなることは、今後も変わらずたくさんあると思う。それがなくなることは決してない。 向き合うことで何が変わるか、現時点ではわからない。もしかしたら何も変わらないかもしれない。 苦しいことにわざわざ目を向けるのはとても勇気のいることだし、前に進むことが怖い気持ちももちろんある。 基本今のことだけですぐに頭がいっぱいになる私だけど、障害のことを考えると未来のことが少しだけ頭に浮かぶ。 未来のことを色々と考えたことなんて今までほとんどなかった。そもそもそんな発想が私にはなかった。未来のことを考えるとこんなにも苦しくなるのかと、正直戸惑っている。 でも、苦しみは何もしないでいつの間にか完全に消えてしまうということはない。それは私の今までの経験からよくわかっている。 確かに『時間』が解決してくれることもあると思う。でも苦しみの根本とはいつかは向き合わなければいけない。根本を取り除かないと苦しみはいつまでも消えずに、心の中に居続ける。全て向き合うことで、本当の意味で問題解決できたといけるのではないだろうか。 そもそも私はこの短期間で本当にたくさんのことを考えてこれた。まずはそのことをめいっぱい褒めたい。少し前に彼に褒めてもらえて嬉しかったから、今度は自分で自分を褒めてみようと思った。いいことはどんどん増やしていっていいから。きっと自分を褒めることはおかしなことではない。 そして、一生治らないのであれば、できない自分をずっと責めるより、『障害だからまあ仕方ないよね』と少しでも障害を受け入れた方が気持ちが楽になる気がした。 また、今の気持ちや感じたことを、大塚に伝えに行かないと決めた。 たとえ私がなんと言おうと、相手はおもしろがるだけだろうから。もうそんな風に誰かに振り回されたくない。わざわざ相手の思う壺になる必要はない。 そのことは彼にも
どうして彼はこんなに障害に詳しいのだろう。 彼はもちろん医者でもなければ、医療系の学校に行っていたという話を聞いたこともない。 発達障害という名前ぐらいは知っていても、詳しく知らない人の方が遥かに多い気がする。メディアで取り上げられいても、わざわざそのことについて調べる人は少ないだろう。だから認知度や理解はきっとまだまだ低い。それに本人である私ですら、わからないことがあるのだから。人によってでてくる症状も様々なところが発達障害をよりわからないものにさせているとも彼は言っていた。 また、どうして障害のある私を拒否せず、理解を示し無条件で受け入れてくれるのだろう。 普通障害があると聞くと、一歩引いてしまいそうなものだ。さらに、夫婦として一緒にいるなら大変なことの方が圧倒的に多い気もする。障害があるとわかったのは最近だけど、先天性のものだからこれまでにも彼の前で変な発言や行動をきっとしてきただろう。 なんでそんなことするのかな? とわからない時もたくさんあっただろう。苛立ったときもあったかもしれない。でも彼は普通と違い変わった人である私と、別れるという道を選ばずに結婚までしてくれた。 私たちは確かに愛し合っている。でも障害とはそれ以上に大変なもので、どんなに愛があっても乗り越えられないかもしれない。いつか彼の心が限界を超えて私を振る時がきたら、それはすごくすごく悲しいけれどそれよりもそんなになるまで心を痛めつけて申し訳ないと私は後悔する。 彼は私といて、幸せと少しでも感じているのだろうか? もし感じていないなら、できるだけ早く私から離れていく方がいいのではないだろうか。 一人で考えていると、どうしてもマイナスな方にばかり考えてしまう。「蒼はどうしてそんなに障害についての知識があるの?」 結局私は、また彼に頼ってしまった。 本当は彼の時間を私のために使わせたくないと思っている。私が何かすると大概面倒なことになるから。毎回同じことをぐるぐると繰り返してしまう。「それは、穂乃果のことをもっと知りたいと思い、発達障害に関する本をたくさん読んだからだよ」 確かに彼は読書が趣味の一つでもある。それでも私はまた質問せずにはいられなかった。気になることをそのままにしておくことがやっぱりできない。「わざわざ私のために、一から勉強してくれたの?」「そうだ