「そんな、修行だなんて。本当にお2人ともすごいです」「藍花ちゃんは優しいね。ありがとう」「いえいえ。だって、お医者さんになるには6年も医大に通わないとダメだし、研修期間もあって大変ですもんね。そういうの、しっかり乗り越えて素晴らしいお医者さんになったんですから、心から尊敬です」「看護師だって大変だよ。とても尊い仕事だと思う。産婦人科もそうだけど、どこの科の看護師も本当に良く動いてくれて感謝してるんだ。医師としては有難いよ」七海先生は、どこまでも周りのことを褒めてくれる。この優しさに毎日包まれる女性は、いつも心が温かくて幸せなのかも知れない。そんな人、今はいないと言っていたけれど……「藍花ちゃんとはもう少し一緒に仕事がしたかった。仕方ないけれど、でもとても残念だ」「七海先生……」そんな切ない目をしないでほしい……悲しくなる。「ありがとうございます。私ももっといろいろ教えてもらって勉強したかったです。先生とはあまり話す機会もなかったですから残念です。もう松下総合病院には戻られないんですか?」いつか一緒に働ける時がきたらいいのに――そんなことを願ってはいけないのかな……「そうだね。松下院長には恩があるけど、実家の病院に入ればもうずっとそこで頑張ることになるかな。産婦人科がメインだけど、あと美容系もやっていてね。父にどうしても戻ってほしいって懇願されて。松下院長にも背中を押してもらって……本当に有難い限りだよ。でも……」少しの沈黙。「……先生?」「やっぱりもう少しだけ……」七海先生は、思い詰めたように下を向いて唇を噛み締めた。「先生っ、だ、大丈夫ですか?」「ごめんごめん。本当はね……。今日、君に伝えようか悩んでたことがあってね。でも、今言わないともう二度と言えない気がするから……僕の話、聞いてもらってもいいかな?」そのとても優しい声に心拍数が上がり始める。
さっきまでとは違う穏やかな表情に少しホッとしたれど、この後に続く言葉を聞くのがすごく怖かった。とんでもなく嫌なことだったり、悲しいことだったらどうしよう。「は、はい」返事をしたものの、何だか緊張が止まらない。まだ心の準備が中途半端なうちに、七海先生は静かにゆっくりと話し始めた。「僕は……今回、ただ病院に戻るだけじゃないんだ。ある人とのお見合いの話があってね」「えっ、お見合い……ですか?」「ああ。相手は父の大事な友人のお嬢さんで、僕も少しは知ってる人なんだけど、その人が僕を気に入ってくれてるらしくて。両親はそのことをとても喜んでてね」「そうだったんですか……。それはとても素敵なことじゃないですか。ご両親が喜んで下さってるなら良かったですね」やはり七海先生には決まった人がいた。こんなに素敵な人なんだから、相手がいて当然だろう。「僕は父を尊敬してる。父の支えがあって、産婦人科の医師としてずっと頑張ってこれたからね。母も、いつも僕を応援してくれてて。でも、母はあまり体が丈夫じゃないんだ。だから早く結婚して安心させてやりたいっていう気持ちが最近強くなって……」お母様を安心させてあげたい気持ち、すごくよくわかる。先生は、その人と結婚するという報告を私にしたいのか……どうしてそんなプライベートな話を私なんかにするのだろうか?「そういう理由もあって、確かに結婚は意識してる。ただ、彼女には1度断ったんだけど、どうしてもと言われて。両親にもずいぶん押されててね。正直、戸惑ったまま今に至ってるんだ。ちゃんと返事ができてなくて、それでも、もうこれ以上、彼女を待たせるわけにもいかなくて」七海先生……「先生はその人が好きじゃないんですか?どうして断ったり……」「僕には心に決めた人がいるから」私の質問を遮るように言ったその言葉と、先生の真剣な表情に、思わず心臓がキュッとなった。
「心に決めた人?」「ああ。僕はその人をずっと想ってた。だけど、なかなか気持ちを伝えることができなくてね。本当に情けない男だよ。でもね、やっぱり言おうと思う。だって……その人が今、僕の目の前にいるんだから」「えっ……」先生の目の前って……?「藍花ちゃん。僕は……君が好きだよ。ずっとずっと好きだった」七海先生……?そんなの……絶対、嘘だ……「これからもずっと君を見ていられると思ったし、少しずつ距離を縮められたらって思ってた。なのに、それが叶わなくなった。でも、もし君が、僕を少しでも受け入れてくれるなら、そしたら僕は、何もかも失ったって構わないと思ってるんだ」先生のその真っ直ぐな想いに胸が熱くなった。「そ、そんな馬鹿なこと言わないで下さい。全てを失くすなんて、それがどれだけ大変なことかわかってますか?私にだって想像できます。私には……そんな価値はありません。私は、先生みたいな立派な人とは釣り合わないですから」七海先生には、産婦人科医としてこれからもたくさんの命をこの世に送り出す使命がある。何もかも失うなんて、絶対にあってはならない。「僕はね、藍花ちゃんを守りたいんだ。守る価値のある人だと思ってる。本当だよ。君の笑顔は可愛くて太陽みたいに眩しい。そばにいるだけで元気になれる。僕は立派なんかじゃないし、まだまだ男としても何かが足りたいと思ってる。だから、釣り合わないなんて言わないでほしい」七海先生の言葉に、どうしようもなく涙が溢れる。向こうにはみんながいて、こんな状況で泣いてはいけないのに……この切ない気持ちを抑えることができないのはなぜなんだろう?
空には星と月。澄み切った秋の空気は清々しくて……私は、この美しい夜の告白に心が揺れた。七海先生の言葉をまだ全部は飲み込めていない上に、これが現実なのかもわからない。もし、この告白が嘘じゃなかったとしても、私には先生の思いにどう答えればいいのかわからない。でも不思議だ――私は、すごく、すごく……感動していた。ねえ、七海先生、ずっと私を想ってくれてたなんて本当ですか?お見合い相手がいるのに私なんかを?そんな思いが溢れて止まらない。「僕はもうすぐこの病院を去る。それまでに返事をもらえないかな?」「えっ……でも先生にはお見合い相手の人が……」「彼女にはもう一度きちんと話すつもりだよ。初めから『好きな人がいる』って言えば良かったんだ。両親の手前、ハッキリ言えなかった自分がいけなかった。でも、僕には大切に想ってる人がいるって、今度はちゃんと話すよ。だから、藍花ちゃんは、僕への気持ちだけを考えて返事してほしい。どんな答えがきても、次は必ず覚悟を決めるから」今の私にそんな重大なことを決められる自信はない。先生がいなくなるまであと1週間。そんな短い間に結論を出せるのか?七海先生は私に微笑んでから、背を向けてみんなのところに歩いていった。それを見届ける自分に問いかける。私はこの人が好きなの?――この人と結婚して死ぬまで一緒にいたいと思えるの?と。自分の将来のことだけれど、七海先生の一生の問題でもある。本当にどうすればいい?とにかく冷静になって考えなければ、今のままでは正しい答えなんて出せるわけがない。七海先生からの申し出はとても嬉しいし、有難いことだと思うけれど、頭の中は嬉しさと不安が入り交じり大混乱していた。一旦、わざと笑顔を作り、私は一歩前に足を踏み出した。どうしようもなく複雑な気持ちを引きづったまま――
今日は月那の彼、店長の笹本 太一さんから招待を受けて、2人のお店にやってきた。何か私に話があるらしい。もしかして……と嬉しい話を期待しながら、私はお店が終わり、お客さんがいなくなった店内に入った。まずは月那にマッサージをしてもらう。ベッドに横たわり、うつ伏せになると、「疲れたよ~」と思わず本音がこぼれ出した。「任せて~。月那様が藍花ちゃんの疲れを取ってさしあげますからね~」そう言って、私の体を背中から足に向かってゆっくりと揉みほぐしてくれた。太ももからふくらはぎを滑る両方の親指に、何ともいい感じに刺激され、あまりの気持ち良さに寝落ちしそうになった。本当に、月那のマッサージは最高だ。今日は招待してくれた店長さん、月那の彼氏の厚意でマッサージ代金を無料にしてもらった。今日1日仕事を頑張ったご褒美だと思ってその気持ちに甘えることにした。「藍花、寝ちゃダメだよ!早く続きを報告して。もうずっと楽しみにしてたんだから~」月那が子どもみたいに甘えた声で言ってくる。こういうところも可愛い。リラックスできる優しい音楽とマッサージに思いっきり癒されながら、私は、中川師長から歩夢君の気持ちを聞いたこと、春香さんが歩夢君を好きだったこと、白川先生に料理を作るために部屋に誘われたこと、七海先生に告白されたこと……恥ずかしいけれど、全部隠さずに話をした。そして、明後日、白川先生のマンションに来るように言われたことも――「えー!明後日!!それ、マジヤバいね」月那は、私の話を終始興奮した様子で「それでそれで?」と、次から次へ興味津々に聞いてくれた。心に溜まっていた「整理不能なこと」を全て吐き出すことができ、この時ほど月那がいてくれて助かったと思ったことはなかった。誰かに話すことで、不思議と自分の気持ちがラクになり、少し頭がスッキリするのはとても有難いことだ。
「もう、藍花、本当にすごいよ!紛れもないモテ期が来たよね!でも何なのよ~相手がみんなビジュアル良過ぎの超イケメン揃いって、めちゃくちゃうらやましい!ううん、あのレベルはイケメンなんて言葉じゃ表せないよ。俳優?モデル?王子様?」興奮が止まらず、子どもみたいにはしゃいでいる月那に苦笑いする。「月那、手が止まってるよ」「ああ、ごめんごめん」「別にモテ期とかじゃないけど……。でも、今までずっと平穏な毎日だったから、急にいろいろ起こって、本当にどうしたらいいのか悩むばっかりで。私は月那と違って恋愛経験が乏しいからね」「まあ確かに私ほどではないだろうけど」「月那様には敵いません」「でもさ、でもさ、本当、一気に来たよね。それが「モテ期」なんだよ。藍花の人生最大のモテ期だね。ほんとに白川先生も七海先生も歩夢君も、みんないい男ばっかりだから困るよね。誰か1人を選べなんてあまりにも残酷だわぁ~」「誰か1人を選ぶ……?そんなこと、上から目線過ぎない?そういうの、月那みたいな良い女のすることだよね」「あはは。まあ、とにかくさ、いろいろまとめて起こっているから焦るかも知れないけど、まずは冷静になって落ち着いて考えてみるしかないよ」「冷静に……」「そうだよ。たぶん考えようとしてるんだろうけど、やっぱり焦ってるんじゃない?白川先生、七海先生、歩夢君、みんなのこと1人ずつ思い浮かべてさ。この人はあ~だとか、こ~だとか。たまに3人を比較してみたり。妄想したり楽しみながらさ、もっと気楽に考えてみたらいいんじゃない?前にも言ったけど、私的には白川先生が1番ドキドキするんだけどな~」妄想したりだなんて、恥ずかし過ぎる。もし月那の言ってることができたら、もっと楽しく悩めるのかも知れないけれど……私なんかが誰かを選ぶなんて厚かましい気がして、申し訳なくて、そんな風に考えられない。どうして私はこういう性格なのだろう。わかってはいるけれど、毎度毎度情けない。
本当にめんどくさい性格で嫌になる。「月那はいつも白川先生のことを推すけど……そんなに好き?」「うん、白川先生はかなりいい男じゃん。あの端正な顔立ちで、たまに見せる色気のある表情がたまんないでしょ。たくさんの女性を虜にして、全く罪な男だよね。デート中もあんなイケメンが隣にいたらずっとドキドキしちゃうし、それにさ、やっぱり夜が上手そうだよね」「ま、また言ってる。夜って……そんなことで選べないよ」「そうは言うけど、そこってかなり大事だからね。夜の相性が良い方が長続きするのは間違いないよ。私達みたいにね」「えっ、あっ、う、うん」親しいだけに、月那のプライベートを聞くのはちょっと照れる。「後、白川先生の良いところは……スタイル抜群、頭が良い、めちゃくちゃお金持ち、医師として最高の腕を持っている……みたいなことかな。性格はちょっと厳しいけど、2人でいる時は案外優しいんでしょ?」「うん……まあ、厳しかったり優しかったり……」「何かいいじゃん。もしあんな素敵な人が自分の彼氏だったらって想像するだけで最高だよ」月那にそう言われて、私の頭の中に蒼真さんが浮かんだ。2人でデートしているところを無理やり頭に描く。手を繋いだり、笑いあったり、キスしたり……ダメだ、恥ずかし過ぎて耐えられない。私は、無謀にも勝手に想像してしまった映像を急いで消し去った。まだ告白もされていないのに、調子に乗り過ぎたことを反省した。「私は別に白川先生に告白されたわけじゃないし、部屋に呼ばれたのもただ料理を作りにいくだけだから」本当にそうだ。ただそれだけのことで、決してデートするわけじゃない。「あのさ、藍花。大の大人がご飯作って食べて、はいサヨナラなんてあるわけないじゃん。美味しいご飯、美味しいお酒、ベランダから星を見たりなんかしてさ……。もうその後は『私、どうなってもいい!』ってなるんだよ、絶対に」月那の妄想はなかなか激しい。そんなことになるわけないのに。「冗談は止めて。私と白川先生はね、そういうんじゃないんだよ」
「藍花は控えめ過ぎるんだよ。そんなに可愛くてスタイルもいいんだからさ。無自覚にも程があるよ。もうちょっと胸を強調するような洋服に挑戦するとかしてさ、白川先生をドキドキさせてやりな。あ~私も白川先生のマンションに着いていきたい。それでさ、2人のやり取りを一部始終見ていたい。考えただけでもワクワクしちゃう~」月那の暴走はどこまでも果てしなく、止まることを知らない。「あのね、私は真面目に相談してるんだからね」「めちゃくちゃ真面目だってば。もちろん、七海先生や歩夢君のこともちゃんと考えないとダメだけど、だけど私はどう考えてもやっぱり白川先生なんだよね。わかんないけど何か感じるんだよ」何か感じる……曖昧ではあるけれど、その言葉には妙に説得力があった。「七海先生はちょっと優し過ぎるっていうか何か物足りないし、歩夢君は年下で少年みたいな感じがして。ま、これはあくまで私の主観だけどね。後はさ、藍花。白川先生の部屋に行ってからだよ。考えてもわからない自分の本当の気持ちがさ、案外そこでスっと出てきたりするかもよ」「そうなのかな……。本当に答えなんて出せるのかな」「七海先生と歩夢君は藍花が好き。これは決定!あとは白川先生の本心を知って、そしたら誰が1番なのかわかるかも知れないでしょ」「歩夢君には直接告白されたわけじゃないから……。でも……うん。とりあえず、月那のアドバイス通りに頑張ってみるよ」「そうだよ、頑張れ!応援してるから。ファイト!」「ありがとう。マッサージも気持ち良かったよ」「どういたしまして。今日は興奮していつもより力が入っちゃったかもね」「確かにね」私はマッサージを終えて、着替えを済ませ部屋を出た。待合室には店長であり、月那の恋人の笹本さんがいた。「藍花ちゃん、お疲れ様」「あっ、今日はありがとうございました。月那のマッサージ、とっても気持ち良かったです。本当に代金はいいんですか?」「もちろんだよ。今日は俺達の招待だから。あのさ、ちょっと藍花ちゃんに報告があってね」笹本さんは、妙に改まって少し顔が強ばっている。緊張しているのが伝わり、私までドキドキしてきた。まだ心の準備は万端ではないけれど、私は次の言葉に期待した。「藍花ちゃん!!」「は、はい!」その勢いにつられてしまい、思わず元気よく返事してしまった。
翌日、堂本先生が内科の診察前に、私に会いに来てくれた。「済まなかったね、昨日は」「まさか蒼真さんに電話されるとは……びっくりしました」「何だかね……無性に電話しないとって体が勝手に動いてた。自分でもよくわからないけど……そうしなきゃいけないって」「先生は優しい人です」「買いかぶりすぎだよ」「いいえ。じゃなかったら、電話なんかしないですよ。でも……本当にありがとうございました」「え?」「蒼真さん、喜んでいましたよ。堂本先生が電話をくれたこと。そして……堂本先生に申し訳なかったって言っていました」「……そっか……。久しぶりに昨日は学生時代の頃のことを思い出しながら眠った」「そうなんですか?」「ああ。不思議と楽しかった思い出ばかりが浮かんできて……なんだか懐かしかった。いつまでも彼女のことを引きずっているなんて、未練がましくて情けないってことがわかったよ。ほんと、バカだった」先生の顔は、優しくて安堵感に溢れていた。「堂本先生……」「これからは、僕も新しい人生を楽しみたいって思ってる」「よかったです。めいっぱい楽しくて幸せな人生を送ってくださいね。私も蒼真さんも、堂本先生に素敵な未来が訪れるって信じてます」「ありがとう、嬉しいよ」「私も先生に負けないよう、楽しい人生を送れるようにしたいと思います」蒼真さんと蒼太と3人で……「そうだ。新しい病院が決まったんだ。僕の実家がある近くに友達のクリニックがあるんだけど、ずっと前から声をかけてもらっててね。そこで一緒に頑張っていこうと思う」「そうなんですね。寂しいですけど……頑張ってくださいね」「ああ。彼女とならうまくやっていけそうだし」「彼女?女医さんですか?」「僕の幼なじみ。幼稚園の頃からのくされ縁でね。本当に優秀な内科医なんだ。……なんだかね、昔から僕のことが好きみたい」「えっ!」「もちろん、僕にはまだ彼女に対して恋愛感情は無いけどね。まぁ、でも、この先はどうなのかわからないしね」幼なじみの間柄、何だか勝手に恋の予感を巡らせた。堂本先生がとても嬉しそうだからかな。いろんなことが吹っ切れたような爽やかな表情に、私は心からホッとした。「いつかまた……蒼真さんに会いに来てください。いつでも堂本先生のこと大歓迎ですよ。あの人も楽しみにしていると思います」「……そうだね、またいつか
「藍花……」「蒼真さん……?」「もっともっと俺のことを好きになって……」「……あっ……」蒼真さんの手のひらが私の頬に触れる。そこから直に伝わってくる愛情。蒼真さんへのどうしようもない愛しさが、私の体を巡る。「でも、どれだけ俺を好きになっても、俺が君を好きな気持ちには勝てないけどね」キュンと胸を貫く甘い言葉。自然に唇を塞がれて、蕩けそうになる。こんなことが私の日常にあることが今でもまだ不思議で仕方ない。上から下まで、とてつもなく美しい蒼真さん。年齢を少し重ねた私達。それでも、この妖艶な魅力を醸し出す蒼真さんに、私はいつだって心を奪われる。「堂本先生の話を聞いて、改めて思った。君の心は、誰にも奪わせない。どんな宝石をも盗み出す怪盗にだって……この体と心は盗ませない」「蒼真さん……」「何があっても俺のそばから離れるな」「はい。絶対に離れません……」幸せだった。いくつになっても蒼真さんに抱かれる幸せは、私の最上の喜びだ。「藍花のこと気持ちよくしてやるから」その言葉をきっかけに、蒼真さんの愛撫が始まった。嬉しい……本当に……嬉しい。「ああんっ……はぁ……っ」「ここ、気持ちいいんだろ?」「はあっ、ダ、ダメっ」「ダメじゃないだろ……こんなに濡らしてるくせに」「で、でも……っ」「もっとしてほしい……って、言って」耳元にかかる熱い吐息。蒼真さんの唇がそっと耳に触れると、体が勝手に身震いした。「ああっ、も、もっと……して……」体中がしびれ、我慢できないほどの快感に包まれる。言葉で表すことのできない刺激的な快楽が押し寄せる。「藍花……可愛いよ」「蒼真さん……はぁっ、い、いいっ、気持ち……いい」蒼真さんの舌が私のいやらしい部分に這う。どうしようもなく濡れている場所をさらに愛撫され、私はもうどうなってもいいと思った。「イキたい?」「は、はい……もう……我慢できないっ」蒼真さんは、人差し指で私の秘部の奥を何度も突いた。こんなことをされたら……「ああっ!ダ、ダメぇ!もう……イッちゃう……」案の定、私は簡単にあっけなく絶頂を迎えた。蒼真さんに私の敏感な部分を全て知られ、逃げることなんてできない。もちろん……逃げたいなんて思わないけれど。「蒼真さん……」「ん?」「蒼真さんは……本当に私の体で満足してます
「……残念だな。確かに……嘘だよ」「……う、嘘?」「彼は、僕の彼女の告白を見事に断った。僕のことを裏切った彼女にも腹が立つけど、1番憎いのは白川先生だよ。彼は何もかも持っているのに、誰1人女性を相手にしようとしなかった。そういうところがめちゃくちゃ嫌いだったよ。余裕があるっていうか……」嘘だったと聞いて、信じていたとは言え、心からホッとした自分がいた。「蒼真さんは誠実な人なのに、勝手に悪者にしないでください。そんな理由……ひどいです」「……君はほんとに彼のことが好きなんだね。よくわかったよ。それに、白川先生も……嘘偽りなく藍花さんのことが好きなんだろうね」「……」そうだといいなと、一瞬考えてしまった。蒼真さんに嘘偽りなく愛されたい――私は心からそう思った。「どんな女も寄せつけない男が選んだんだ、君は相当良い女なんだろう」「そ、それは……。で、でも、これ以上、蒼真さんに何か言ったり変なことしたら私、許しませんよ」「強いな、君は。別に、今まで彼に何かをしようと思った事はないよ。もう忘れていたし、僕は僕の道を進んでいた。なのに、白川先生が突然連絡してきて……。あれだけ女性を相手にしなかったくせに、君みたいなとても素敵な女性を奥さんにしていたから……。結局、ああいう男が、君みたいないい女を手に入れるんだと思うと、なんだか無性に腹が立ってきて……。あの時彼女を奪われた僕の気持ちを白川先生にも味合わせてやろうと思ってね」「そんな……」「僕の密かな企みは結局失敗に終わったけどね。残念だけど、僕じゃ、彼には到底かなわないってことだな」堂本先生は苦笑いした。「僕はね、あれから誰かを好きになることができなくなってしまったんだ」「えっ?そんな……」「本当のことだよ。彼女ができても、またフラれるんじゃないか、誰かに盗られるんじゃないかって思うと怖くてね。情けないけど、誰かを好きになることができなくなってしまって」「堂本先生……」何だかその告白に胸が痛くなった。トラウマになってしまった先生の気持ちはわからなくはない。でも、それは蒼真さんのせいではない。彼氏がいながら、他の男性に告白した女性が悪いと思う。「今の病院すごくいいでしょ?働きやすくて、みんないい人ばかりだ。正直、そんな中でこんな歪んだ心を持った自分が、これから先、うまくやっていける自信は
蒼太が小学校の高学年になり、私は蒼真さんの勧めで、近くの病院で看護師として働きだした。蒼真さんの知り合いの内科の先生がいる地元では有名な総合病院。松下総合病院と比べると、かなり規模は小さいがそれなりに立派な病院だった。いろいろ教えてくれる中川師長のような頼りになる先輩がいてくれて、とてもありがたかった。私は、外科の病棟に勤務していた。「藍花さん。少しは慣れましたか?」「あっ、堂本先生。はい……と言いたいところですが、まだまだです。堂本先生がこちらの病院を紹介していただいたおかげで本当に助かりました。ありがとうございました」「いえいえ。白川先生から頼まれると断れません。彼は僕の学生時代の友達ですから」「主人からも聞いています。堂本先生はとても優秀だから、勉強させてもらいなさいと」スラット背が高く、白衣も似合っていて、とても落ち着いた雰囲気のある真面目な先生だ。病院内の評判もとても良い。看護師達からの信頼も厚く、患者さんにも人気がある。松下総合病院で頑張っている蒼真さんと同じだ。「とんでもない。学生時代から彼の方がとても優秀で、僕なんか足元にも及ばないですよ」「……あっ、いえ。短期間ですが、先生を見ていて立派な方だとわかります」「ありがとうございます。あなたにそう言ってもらえると嬉しいです」「よかったら、1度、食事でもいかがですか?」「本当ですか?主人も喜びます」「……あ、いや。できれば、藍花さんと2人で話がしたいんですけど……。いろいろと……」えっ、2人きりで?……と、心の声が口から出そうになった。堂本先生の突然の誘いに驚き、なんと答えればいいのかわからなかった。「……ダメかな?」「す、すみません。2人きりはちょっと……。ナースステーションの誰かを誘ってみんなで行きませんか?」そう言った途端、堂本先生の顔つきが険しくなった。「みんなでワイワイするのは好きじゃないんだ。落ち着いたところで、白川先生の学生時代の話とか……できたらいいんだけど……」「主人の学生時代の話ですか?」そう言われると、とても興味がある。それでも蒼真さんに内緒で行くことはできない。「ああ、そうだよ。学生時代の白川先生のことを君に教えてあげたくて。聞きたくないの?」「き、聞きたくないことはないです。でも……」「とても興味が湧く話だと思うけどね」
僕はその結果に心からホッとしながらも、正直、自分を情けなく思った。自分にとって何よりも大切な人がこんなになるまで頑張っていたのに……無理していることに気づいてあげることができなかった。結果、桜子に不安を与えてしまい、痛い思いをさせてしまった。医師として、そして、彼氏として本当に申し訳ないことをしたと心底反省した。医師だから、体も心も強いわけではない。もがきながら、苦しみながら、逃げ出したい気持ちもある中で、みんな必死に患者さんのために頑張っている。僕も今回の事を教訓にして、桜子の体調も気にしながら、お互い励ましあって、支え合って生きていきたいと思った。もう二度と桜子を不安にさせないと、心に誓った。「ごめんね。本当に心配かけて。何だかみんなに心配をかけてしまって……恥ずかしい。これからは、一生懸命、妊婦さんや婦人科の病気を抱えている人のために頑張っていくね。あ、でも、自分の体にも気をつけていきます」「……うん。そうだね。僕もたくさんの人の命を守りたい。その気持ちを永遠に持ち続けて、そして、桜子のこと、必ず……幸せにしたい」「蒼太さん……?」「本当はもっとロマンチックな形で言いたかったけど、今どうしても君に伝えたいから」「えっ?」「桜子。僕たち結婚して、夫婦にならないか?」「……蒼太……さん?」「お互いに支え合って、いつまでもずっと一緒にいよう。絶対幸せにするから、僕についてきてほしい」「……嬉しい。蒼太さん、私、とっても嬉しいよ」「ほんと?」「うん、私を選んでくれて本当に本当にありがとう」「こちらこそ……。うわっ、すごくドキドキした」あまりの緊張に思わず心臓を抑えた。「私もドキドキしたよ。ありがとう、ほんとに嬉しい」「うん、僕も嬉しい。良かった……」病院の片隅、僕たちは永遠の愛を誓った。泣きながら笑うなんて変だけど……でも、こんなに幸せでいられることに感謝しかなかった。***それからしばらくして、両親と僕たちは川の近くにあるキャンプ場にやってきた。流れる水がとても綺麗で、心地よい風が吹いている。最高のキャンプ日和だ。早速、近くにテントを張ってバーベキューの準備をする。父も母も、桜子の元気な姿を見て、とても嬉しそうだった。「何だか蒼太の子供の頃を思い出すわね。川辺で遊んでいる姿がとても可愛かったわよね。ほ
数日して、桜子が胃カメラを受ける日がやってきた。一旦腹痛も治まり、翌日には退院して、仕事にも戻っていた。僕の両親と桜子、4人でその話をしたら、父も母もとても心配していた。父は外科医、母は看護師、2人とも熱い志を持って今も仕事をしている。2人とも可愛い桜子に対して何かしてあげたいとの思いを語ってくれた。「お父さん、お母さん。私のことをそんなに心配してくださって、本当にありがとうございます。産婦人科医として働いている自分が病気になるなんて……すごく情けないです」桜子は沈痛な面持ちで頭を下げた。「何を言ってるの。人間は病気になるものよ。でも病院に行って治療を受ければ大丈夫。病院と先生を信じてね。きっと良くなるわ。情けないなんて言っちゃだめよ」母が丁寧に諭すように言った。看護師としての母も、普段の母も、とても穏やかで優しい人だ。「お母さん……。励ましていただいてとっても心強いです」「いえいえ、私は昔、外科医である主人によく怒られていたのよ。笑顔で患者さんに接して、決して不安にさせてはいけないって」「別に怒っていたわけじゃないよ」父が照れながら言う。僕にはわかるけどね、父は母のことが大好きで、でも、うまく気持ちを伝えられずに、そういう態度で接してしまっていたんだって――「とにかく患者さんに優しく不安を与えずに治療を続ける主人を見て、とても感動したの。患者さんは先生に頼るしかない。わからないから不安になる、だから、先生に優しくされたら心から安心するのよね。主人と関わる患者さんは皆そうだったわ」「……そのくらいでいいから」「お父さん、照れすぎだよ。お母さんはそんなお父さんのことをいつだって尊敬していた。僕もその姿を見ていたから、お医者さんになりたいって子供の時から決めてたよ。無事に父さんと同じ外科医になれて本当に良かったと思ってる」「そうよね。だってそのおかげで蒼太は、桜子さんと出会うことができたんだもの」「お母さんがお父さんと出会ったように……ですね」桜子が少し目を潤ませて、そう言った。「そうね。私も主人と出会えて本当に幸せよ。可愛い桜子さん、本当に蒼太と出会ってくれてありがとうね。病気の事はきっと大丈夫だから。信じましょう。元気になったら、みんなでバーベキューでも行きましょう」「うわぁ、楽しみです。バーベキューなんて小学生の時以来で
優秀な外科医である父の背中を見て育った僕は、昨年研修医を経て、無事に父と同じ外科医となった。まだまだ未熟だけれど、志は熱い。これからたくさんのことを学んで、多くの患者さんを救いたいと心に誓っている。大学病院の外科での仕事は大変だけれど、それを支えてくれる父や母、そして、僕の彼女の「相川 桜子」、みんなのおかげでモチベーション高く頑張れている。桜子は同じ大学で医学を学んだ同士であり、現在は産婦人科医として頑張っている。父や母の知り合いの七海先生の話はよく聞いていたが、僕も、産婦人科医はとても大変で尊い仕事だと認識している。桜子とは新米の医者同士、励ましあったり、知識を共有したりして、お互い尊敬しあっていてとても良い関係だ。そう、彼女は、僕の最高のパートナー。来年あたり結婚して、仲の良い楽しい家庭を作りたいと思っている。もちろん、授かることができれば、かわいい赤ちゃんも欲しい。僕の両親もそのことをとても喜んでくれていて、優しくて品があって、努力家の桜子のことをすでに娘みたいに可愛がってくれている。***そんなある日のこと。桜子はいつものように実家から大学病院に向かった。電車を降りて病院まで歩いている途中の事だった。桜子が急に腹痛を訴えて倒れ込み、たまたま近くにいた人が救急車を呼んでくれ、僕たちが勤める大学病院に運ばれた。知らせを聞いて、僕は慌てて桜子の元に飛んでいった。桜子はお腹を押さえ、冷や汗をかいてベッドに横たわっていた。「桜子!大丈夫か?」「あっ、ごめんね。仕事中なのに」「何言ってるんだ。そんなこと気にするな。それより大丈夫なのか?」「……うん、急にお腹を刺すような痛みがして……」僕は目の前にいる桜子を見て、胸が張り裂けそうなくらい不安になった。一体何が起こったのかと心配で心配でたまらない。なのに、今の自分には何もしてあげることができず、医師として情けなくて悲しくて、無力さを痛感した。「蒼太先生。桜子先生は今から検査に入ります。すみませんが、しばらく待っていて下さいね」「わかりました。先生、どうかよろしくお願いします」 「大丈夫ですよ。しっかり検査させていただきます。終わったらまた連絡しますね」「お世話になります。ありがとうございます」僕はそう言って、担当の先生に頭を下げ、不安な気持ちを抱えたまま外科に戻った
伯母さんに結婚をせかされてから数日後、僕は、いつものように松下総合病院で仕事をしていた。「歩夢さん。あの……私、もうすぐ退院ですよね」「そうですね。よく頑張りましたね」「あの……退院する前に話しておきたいことがあって……」しばらく入院していた田川 紗英さんに、突然話しかけられてびっくりした。「……どうかしましたか?田川さん」「……入院中、仲良くしてくれてありがとうございました。すごく不安で仕方なかったけど、歩夢さんのおかげでリラックスして手術も受けれたし、術後もいっぱい励ましてもらったから今日まで頑張れました」僕より2つ年下の彼女。気づけば、田川さんは僕のことを名前で呼んでくれていた。「ありがとうございます。そう言ってもらえたら嬉しいです。少しでも田川さんのお役に立てたならよかったです」「少しだなんて。歩夢さんにはたくさんたくさん励ましてもらいました。私、すごく……幸せでした」「そんな大げさですよ、幸せだなんて。これから先、あなたにはたくさん幸せなことが待っていますから」「そうですかね……。私にも何か良いことありますかね」「もちろんですよ。絶対あります。田川さんは、退院したらやりたいこととかあるんですか?」田川さんは、小柄で女性らしいふんわりとした印象のある、とても可愛らしい人だ。しかも、性格が良い。趣味の話や、テレビや食べ物の話など、いろいろなことを話している中で意気投合することも多かった。きっと、こんな人と結婚したら毎日楽しんだろうなと、ほんの少し思ったりもした。「……やりたい事はたくさんありますよ。映画も見たいし、ショッピングもしたい。キャンプに行ってバーベキューもしてみたいし、夜空の星を見るツアーにも参加してみたい。あっ、遊園地にも行きたいですね。あとは……う~ん、まだまだやりたい事がいっぱいあってまとまりません」必死に語る田川さんが可愛く思えた。「いいじゃないですか。楽しみがいっぱいですね」「でも……」「でも?」「どれもこれも1人では寂しいです。2人でなら楽しいことばかりですけど……」田川さんは目を閉じて、そして、何かを想像するかのように微笑んだ。「ん?仲良しの友達がいるんですか?」「……友達はいますけど……そういう楽しいことを一緒にしたいと思うのは、やっぱり……」田川さんは、急に僕から視線を外し戸惑
「歩夢、いい加減、そろそろあなたも結婚とか考えたらどうなの?いつまでも1人じゃ寂しいでしょ」伯母の中川師長にまた同じ質問をされた。もう何度目だろう。もちろん、伯母さんだって本当は言いたくないだろうけど……「だから、いつも言ってるように、僕には彼女がいないんだから結婚なんてできないよ。相手がいなきゃ、結婚はできないんだからね」「当たり前でしょ。そんなことわかってるわ。ほんとに毎回毎回同じことばかり。歩夢にはその気がないの?」今日の伯母さんはいつも以上に必死だ。「その気がないわけじゃないよ。でも……病院にいたら出会いなんてないよ」「そうはいうけど、今どきネットとか出会いはたくさんああるんでしょ?何か試して前に進んでみたら?この間も、私の知り合いの娘さんが、その……なんて言うのかしら?マッチングアプリ?そういうので、素敵な人と出会ったらしいわよ。いろんな相手がいてね、こちらが興味を示したらボタンを押すんですって。それを見て相手も興味を持ってくれたら、会ったりするんですって~。すごいわよねぇ~」伯母さんの口からマッチングアプリなんていう言葉が飛び出すとは思ってもみなかった。確かに……伯母さんの助言は有難いと思う。だけど、今の僕には誰かと付き合うなんてまだ考えられない。正直、藍花さんと離れて数年、他の誰かを好きになることはなかった。無理して誰かを好きになろうとも思わなかった。僕は……きっとこのまま独身のまま人生を終えるのだと……そんな気がしていた。それでもいいとさえ思っていた。「伯母さんの気持ちは本当にありがたいけど、もう少し今は仕事を頑張っていたいんだ。まだまだ未熟だし、仕事が1番楽しい。もっと勉強して、いろんなことを知りたいから。そうだ、伯母さんこそマッチングアプリとかしてみれば?良い相手が見つかるかも知れないよ」「な、な、何を言ってるのよ!伯母さんをからかわないで。ま、全く何を言ってるのかしらね。私がマッチングアプリなんてするわけないでしょ」かなり慌ててる伯母さんをみたら、さらにからかいたくなった。「伯母さんも第2の人生を楽しんでみたら?イケメンでお金持ちの人もいるかも、僕、断然応援するよ」「私のことはいいのよ、ほんとにもう。歩夢……。あなた、もしかして、まだ藍花ちゃんのことを?」伯母さんにはとっくの昔から僕の気持ちを見抜かれ