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第8話

Author: 雨降り
「毎日せっせと皆の後ろをついて回って、あれこれ質問ばかりしてた。

あの時、私はこの子が将来きっと大物になると思ったんだ」

それ以上、忠は何も言わず、私は目を伏せて静かに酒を飲んだ。

飲み会の後、私はすぐに立ち去らず、人がほとんどいなくなったのを見計らって、カバンから自分の研究ノートを取り出した。

「先生、私はもう一度勉強を始めたいと思っています」

忠は驚きつつもノートを受け取り、長い時間をかけて熱心に目を通した。

それを置いた時、彼の顔はすでに笑顔に満ちている。

「清子、やはり君を見る私の目は間違っていなかった。

君のノートを読んだが、とても先見の明がある。

今夜帰ってから考えて、君にいくつか良い研究機関を推薦するから、面接を受けてみなさい」

そう話していると、昇が不意に口を挟んだ。

「僕にも見せてくれないか?」

今夜、彼が私に話しかけてきたのはこれが初めてだ。

私は頷いて、ノートを渡した。

昇は鼻筋にかかる金縁の眼鏡を押し上げ、真剣な表情で言った。

「僕のもとで働いてみないか?」

私は一瞬戸惑い、彼の意図がよく分からない。

忠が説明してくれた。

「そうだ。君の先輩は今回帰国して、自分で研究所を立ち上げるつもりなんだ。

いやあ、この年になると物忘れがひどくて困る。もう君は昇のところへ直接行ったらいい。私も時々様子を見に行くから」

私は驚いて目を大きく見開いたが、同時に少し気後れもした。

「私はもう長い間、本格的な研究には携わっていません。

私で務まりますか?」

昇は頷いた。彼の声は冷ややかだが、人を安心させる力がある。

「君のノートを拝見した。論理は非常に明快だ。

君を迎え入れよう。ただし、試用期間を設ける」

途方もない喜びが、私を飲み込みそうになった。

「ご安心ください。必ず努力します!」

私の勘違いかもしれないが、その言葉を聞いた昇の口元がわずかに緩んだように見えた。

個室を出て帰宅しようと見上げると、会いたくない人物の姿が目に入った。

元紀が数人の友人と隣の部屋から出てきた。どうやら二次会に行くつもりのようだ。

隣には、やはり例の梨々花がいる。

「清子?」元紀の幼馴染である伏見尚人(ふしみ なおと)が、真っ先に私を見つけた。

前回私たちが参列したのは、彼のいとこの結婚式だった。

私を見て、彼は
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