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愛さなければよかった

愛さなければよかった

By:  雨降りCompleted
Language: Japanese
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夫の神前元紀(こうさき もとき)は、外で何度も女遊びしたにもかかわらず、どうしても離婚に応じてくれない。 彼の家族は、私のことを「ふしだらな女」だと罵った。 五年前、私が初めて離婚を切り出した時、元紀は何も言わず、ただ私を別荘に丸々一ヶ月間閉じ込めていた。 一ヶ月後、私は妊娠が判明した。 三年前、私が二度目の離婚を切り出すと、元紀はその夜のうちに実家へ戻った。 その直後、私は週に一度だけ子どもに会う権利を得た。 今日は三度目だ。私はようやくここから去ることができる。 なぜなら、私の子どもが私を愛していないこと、そして私たちの結婚自体が偽りであったことに気づいたからだ。 結局、私は外にいるあの愛人たちと何一つ変わらないのだ。 その後、再び顔を合わせた時、元紀はすぐに目を赤くした。

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Chapter 1

第1話

友人・伏見健一(ふしみ けんいち)の結婚式で採用されたのは、かつて私が自分のために練り上げたウェディングプランだった。

あの頃、私は半年もの時間をかけて式のすべての流れを計画したのに、神前元紀(こうさき もとき)はそれをわずか一分で却下した。

形式だけの適当な式の後、元紀は私にこう約束した。

「外でどんなに女遊びしても、俺の本当の妻はいつまでもお前だ」

そして今日、彼はこの結婚式に若い愛人を連れて現れた。

私が会場に足を踏み入れた瞬間、四方八方から刺すような視線を浴びせられた。

面白がるような目、品定めするような目、そして……同情の目。

元紀だけが相変わらず涼しい顔で言った。

「来たか」

彼の腕に馴れ馴れしく絡みつく少女、日笠梨々花(ひかさ りりか)を一瞥し、私は静かに頷き返した。

結婚して七年、元紀の浮気は今に始まったことではない。

そんなことは、とうに慣れっこだ。

健一も気まずそうだ。明らかに、この事態は想定外であろう。

「清子さん、よく来てくれたんだ。さあ座って、遠慮しないで」

私は控えめな笑みを浮かべ、その場を取り繕ってくれた彼に心の中で感謝した。

本来私が座るはずだった席は、既に埋まっている。あろうことか、私の席を奪ったその招かれざる客を、元紀が守っている。

彼は私をちらりと見ただけで、悪びれる様子もなく言い放った。

「席が埋まってるから、別のところに座れ」

長年にわたり全てを飲み込み、耐え忍んできた私は、従順であることが骨の髄まで染み付いてしまっていた。

「……わかったわ」

席に着いた瞬間、周囲の視線がいっそう遠慮のないものに変わったのを感じた。

健一は申し訳なさそうにしているが、中座する際にも家族に私への気遣いを頼んでくれた。

夫である元紀よりも、友人の彼の方がよほど私の気持ちを案じてくれている。

結婚式は予定通りに始まった。

新婦は私がデザインしたウェディングドレスを身に纏い、私がコーディネートしたバージンロードを歩んでいく。私が手に入れられなかった幸せのもとへと、嫁いでいくのだ。

何もかもが、かつて私が夢見た通りだ。

ただ一つ、その夢を叶えたのが私ではないという事実を除けば。

元紀の腕に寄り添う梨々花は若く、その表情は天真爛漫そのものだ。

「元紀さんから聞いたけど、清子さんって花道が得意よね?私にも花束を作ってくれないの?あの花嫁さんが持ってるみたいなやつがほしいの!」

その場の空気が一瞬にして凍りついた。同じテーブルの人々は顔を見合わせ、誰も口を挟めずにいる。

私は箸を置き、無意識のうちに元紀の方へ視線を向けた。

元紀は梨々花の頭を愛おしげに撫でながら、私に向かって尊大に顎をしゃくり、命じた。

「何ぼんやりしてるんだ?さっさと行って作ってこい」

面白がるようなその目を見て、私は一瞬言葉を失ったが、すぐに何も気にしないように笑みを浮かべた。

私は椅子を引いて立ち上がると、迷うことなく踵を返し、会場の出口へと歩き出した。

元紀は満足げに頷き、さらに追い打ちをかけた。

「手際よく頼むぞ」

私は何も答えず、歩調を緩めることすらしない。

会場を出てホテルの出口へ向かい、出口を抜けて大通りへ出た。

一度たりとも、振り返ったことはない。

道端のゴミ箱の前で、私は足に馴染まないレッドソールのハイヒールを脱ぎ捨て、中に放り込んだ。

自分に合わないものは、もう必要ない。

裸足で地面を踏みしめた瞬間、私は深く長い息を吐いた。

まるで、体に巻き付いていた見えない枷さえも、跡形もなく消え去ったかのようだ。

結婚して七年目にして、ようやく私は本当の意味で「地に足がついた」感覚を味わっている。

家に着いた途端、元紀から電話がかかってきた。

「たかが花束一つに、いつまでかかってるんだ?待たせてるのがわからないのか?」

私はテーブルの上の花を指先で弄びながら、気のない声で答えた。

「花束を作るなんて、約束した覚えはないわ。

それから、私ならもう家にいるわよ」

元紀は鼻で笑いながら言った。

「神前清子(こうさき きよこ)、お前いい度胸だな?」

「ええ、そうね」

彼の予想に反して、私はその言葉を素直に受け入れた。
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第1話
友人・伏見健一(ふしみ けんいち)の結婚式で採用されたのは、かつて私が自分のために練り上げたウェディングプランだった。あの頃、私は半年もの時間をかけて式のすべての流れを計画したのに、神前元紀(こうさき もとき)はそれをわずか一分で却下した。形式だけの適当な式の後、元紀は私にこう約束した。「外でどんなに女遊びしても、俺の本当の妻はいつまでもお前だ」そして今日、彼はこの結婚式に若い愛人を連れて現れた。私が会場に足を踏み入れた瞬間、四方八方から刺すような視線を浴びせられた。面白がるような目、品定めするような目、そして……同情の目。元紀だけが相変わらず涼しい顔で言った。「来たか」彼の腕に馴れ馴れしく絡みつく少女、日笠梨々花(ひかさ りりか)を一瞥し、私は静かに頷き返した。結婚して七年、元紀の浮気は今に始まったことではない。そんなことは、とうに慣れっこだ。健一も気まずそうだ。明らかに、この事態は想定外であろう。「清子さん、よく来てくれたんだ。さあ座って、遠慮しないで」私は控えめな笑みを浮かべ、その場を取り繕ってくれた彼に心の中で感謝した。本来私が座るはずだった席は、既に埋まっている。あろうことか、私の席を奪ったその招かれざる客を、元紀が守っている。彼は私をちらりと見ただけで、悪びれる様子もなく言い放った。「席が埋まってるから、別のところに座れ」長年にわたり全てを飲み込み、耐え忍んできた私は、従順であることが骨の髄まで染み付いてしまっていた。「……わかったわ」席に着いた瞬間、周囲の視線がいっそう遠慮のないものに変わったのを感じた。健一は申し訳なさそうにしているが、中座する際にも家族に私への気遣いを頼んでくれた。夫である元紀よりも、友人の彼の方がよほど私の気持ちを案じてくれている。結婚式は予定通りに始まった。新婦は私がデザインしたウェディングドレスを身に纏い、私がコーディネートしたバージンロードを歩んでいく。私が手に入れられなかった幸せのもとへと、嫁いでいくのだ。何もかもが、かつて私が夢見た通りだ。ただ一つ、その夢を叶えたのが私ではないという事実を除けば。元紀の腕に寄り添う梨々花は若く、その表情は天真爛漫そのものだ。「元紀さんから聞いたけど、清子さんって花道が得意よね?
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第2話
電話の向こうで荒い息遣いが二秒ほど続き、やがて元紀は怒りを込めて笑った。「上等だ、清子。いい度胸だな」電話を切り、私はラインを開いて、以前に追加した弁護士の唐沢遊真(からざわ ゆうま)にメッセージを送った。【先生、離婚の手続きについてご相談があります】スマホを置くと、使用人の伊藤彩(いとう あや)がすでに荷造りを始めていた。「奥様、これらは本当にすべて置いていかれるのですか?」ファミリークローゼットの壁一面に並ぶブランド品を見つめながら、彩は私に尋ねた。それらはすべて、パーティーに出席するために元紀が買ってくれたものだ。彼は言った。「清子、お前の過去がどうだったかは知らん。だが、神前家に嫁いだ以上、その貧乏くさいしけた雰囲気はしっかり隠してもらわないと困る。俺の顔に泥を塗るな」そう思い出し、私は首を振って明るい声で言った。「そのブランド品もドレスも、全部いらないわ。残りのものだけ詰めてくれればいいから」彩は困惑した表情を浮かべた。「ですが、奥様……これらを除けば、お荷物になるようなものはほとんど……」私は一瞬きょとんとして、思わず吹き出してしまった。――ああ、そうね。元紀と結婚して七年、私が本当に自分のものと呼べるものは、ずっと少なかった。この広い別荘の中で、私に許された居場所といえば、寝室のベッドの半分だけだった。この半分のベッドこそが、私の七年間そのものであった。その夜、元紀は帰ってこなかった。そのおかげで、私はぐっすりと眠ることができた。翌日、私はまとめた荷物を手に家を出ようとした。一つのスノードーム以外、何も残さずに。それは、元紀と付き合い始めてから結婚するまでに貰った、唯一のプレゼントだ。進学のためにU市へ出てきたばかりの私に、元紀は一目惚れした。あの頃の彼は裏表がなく情熱的で、ただ二言三言言葉を交わしたいがために、毎日私の通学路で待ち伏せしていたのだ。このスノードームも、その頃彼がくれたものだ。親の金に頼らず、初めて自分で三日間アルバイトをして買ったプレゼントだと言っていた。ドームの中の雪が決して溶けないように、私への愛も永遠に消えることはないのだと。七年が過ぎた今も、スノードームの中の雪は変わらず舞い続けている。けれど、彼の愛はもう必要ない。
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第3話
それから一ヶ月後、私は妊娠が判明した。三年前、私が二度目の離婚を切り出した時、元紀はその日のうちに実家へ戻った。その直後、私は週に一度だけ子どもの神前潤(こうさき じゅん)に会う権利を得た。結婚して七年、元紀はいつも私の弱みを的確に握り、離れることも逃げ出すことも許さなかった。私はただ、彼の手のひらで踊らされる滑稽な操り人形になるしかなかったのだ。そして、今日が三度目だ。同情してくれたのか、遊真は私の依頼を引き受けてくれた。私が差し出した戸籍謄本を受け取ると、彼は目を見開いた。「神前さん、この戸籍謄本は……偽造されたものです。あなたとご主人は、法的には夫婦ではありません」「えっ?」私は勢いよく立ち上がった。聞き間違いだと思った。「戸籍謄本が偽物だなんて、そんなわけないでしょう? もう一度よく見てください!」遊真は眼鏡の位置を直し、念入りに確認した。「申し訳ありません、神前さん。しかし、これは紛れもなく偽物です」「は……」私は乾いた笑いを漏らした。けれど、涙は勝手に溢れ落ちてきた。七年、2555日。私は毎日、何百回も自分に問いかけ続けてきた。――どうして元紀を信じてしまったのか?どうして、彼との結婚を承諾してしまったのか?冷酷非道で、人を思うままに利用するこの神前家という悪魔の住み処に嫁いでしまった。その現実を受け入れるのに七年かかり、離婚する勇気を振り絞るのに六年を費やした。なのに今、弁護士の遊真は私にこう告げた。私と元紀は、そもそも結婚していなかったと。どうりで、神前家の人々が私を「ふしだらな女」と罵るわけだ。――なんだ……結局のところ、私は外にいるあの愛人たちと何一つ変わらなかったんじゃないか……涙を拭い、親切な遊真に礼を述べてから、私はゆっくりと事務所を後にした。結婚していなければ、別れるのはずっと簡単だ。ただ、潤のことだけが心残りだ。潤は私と元紀の子どもで、今年でもう四歳になる。あの子を産んだ時、私は難産による大量出血で手術台の上で死にかけた。薄れゆく意識の中で、医者が元紀に「母体と子ども、どちらを優先しますか」と尋ねる声が聞こえた。元紀は躊躇うことなく答えた。「子どもだ」その氷のように冷たい言葉が、朦朧とする意識の中で、私
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第4話
「もしもし?ママ!」聞き覚えのある幼い声が聞こえてきた。――潤だ。私の子どもの声だ。私の目はたちまち潤み、胸の奥が柔らかくなった。「潤、いつ帰ってくるの?ママ、会いたいよ」電話の向こうからは遊園地のような賑やかな音が聞こえているが、それでも私は潤の声だけははっきりと聞き取った。「でも、僕はママに会いたくない」目に溜まっていた涙が、一瞬で凍りついた。私は信じられない思いで聞き返した。「潤、今、何て言ったの?」潤の声は相変わらず澄んでいて、その響きが私の心臓に鋭く突き刺さった。「だから、ママには会いたくないって言ったの」スマホを持つ手に無意識のうちに力がこもった。私は深く息を吸い込み、優しく諭すように言った。「今は楽しく遊んでるんでしょう?ママはわかってるわ。だから、遊び終わったらママに会いに来てくれる?どんなに長くかかっても、ママは待ってるからね」潤は躊躇しなかった。そこには、元紀と瓜二つの冷たさがあった。「やだ。パパが、ママはパパを怒らせたから悪いママだって言ってたよ!潤はママに会いたくないし、ママも潤を探さないで。潤は、こんなママが好きじゃない!」電話が切られ、受話器から聞こえるツーツーという音を聞きながら、私は完全に心が折れた。結局、私の子どもも、その父親と同じように、私を愛してはくれないのだ。これでいい。もう何の未練もなく、私はここを去ることができる。ホテルに戻り、私は明日の実家への航空券を予約した。寝る前に元紀のインスタをチェックした。遊園地での三人の写真が投稿されている。中央にいるのは、結婚式で見かけたあの女の子、梨々花だ。潤は元紀の腕に親しげに寄り添い、梨々花と一つの三色アイスを分け合って食べている。キャプションには、【息子がとても喜んでいる】と書かれている。【いいね】が一つもついていないその投稿を見て、私は察した。これは元紀が私にだけ見せるために、私にのみ公開した投稿だ。以前も喧嘩をするたびに、彼はこのように潤に関する投稿をアップロードし、子どものために頭を下げろと警告してきた。そして、私はいつも彼の望み通り、自らのプライドを捨て、彼の言いなりになり、侮辱されるがままになってきた。今思えば、私が命がけで子どもを産んだその瞬間から、
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第5話
「清子!ドアを開けろ!」ドアの外で元紀の荒々しい声が響き、私は思わずびくっとした。「清子!別れるなら、面と向かって言え!開けろ!」私はため息をつき、すぐにはドアを開けなかった。まずは、快適で暖かい服に着替えてから、ドアを開けた。中に入ってきた元紀は、上着を着ていない。三月のU市はまだ身を切るような寒さが残っているが、元紀は全くそれを感じていないようだ。「入って」少し身を引いて中へ促し、私は冷静にソファに腰を下ろした。長年の結婚生活を通じて、私は元紀によって、良いことも悪いことがあっても動じない、淡々とした性格を身につけてしまっていた。元紀は座ろうとせず、照明の下で、その大きな影が私を覆い尽くすかのようだ。「清子、誰の許可を得て俺と離婚しようとしてるのか?」元紀は怒りに満ちた目で、私をじっと見つめている。それに対して私はむしろ、不思議そうに彼を一瞥し、少し呆れた顔をしている。「あなたに離婚を切り出すのは、これが初めてじゃないでしょう?そんなことを言って、何の意味があるの?元紀、まさか私があなたに死ぬほど惚れてるとでも思ってるわけ?」元紀の顔色は一気に悪くなり、痛いところを突かれたかのようだ。付き合い始めた頃は、確かに彼のことが好きだった。大金持ちの名門御曹司として、彼の容姿は本当に際立っていた。私を追いかけていた頃の、あの清純さや真剣さを装い続けていた姿も、確かに魅力的だった。だが、彼はあることを見落としていた。自分を侮辱する人に、正気の人が心から尽くすことは決してない、ということだ。結婚して一年も経たないうちに、私は完全に目が覚めた。悟ったのだ。――元紀は単なるチャラ男ではない。人間のクズだ。だから結婚して二年目には、離婚を切り出した。残念ながら、元紀は私が思っていた以上にクズで、私を妊娠させた。子どものために、私はすべての不満と恨みを飲み込んだ。「清子、お前が俺を愛していようといまいと、理解しておけ。俺が死なない限り、お前は永遠に俺から離れられない!」またしても、聞き慣れた言葉だ。私の落ち着いた表情を見て、元紀は眉をひそめた。「どうだ、信じないのか?」私は首を横に振った。――もちろん、信じている。そうでなければ、これほど長年も
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第6話
あの日だけは、陽が差し、空は青く澄み渡り、心地よい風が吹いていて、まるで私の心を映し出しているかのようだった。言葉にできないほどの喜びと高揚感に包まれた。私は朝早くから神前家へ向かい、丸三時間待ち続けた。ようやく誰かが現れて、ドアを開けてくれた。執事は私を見ると、あまり良い表情をしなかったが、私はそれを気にしなかった。当時の私は、もうすぐ会える子どものことだけを考えていた。広間に通されてから、どれほどの時間待ったのか分からない。正午の鐘が鳴り響くまで待ち、ようやく義母の文枝が一歳になった潤を抱いて現れた。その幼い顔を見た瞬間、私の目頭が熱くなった。この子は、私が屈辱に耐えながらも無事を願った子どもだ。生まれた直後に取り上げられてしまった子どもだ。文枝は私を見ると、いつものように嘲笑の言葉を投げかけた。「元紀が口を出さなければ、あなたのような貧乏くさくて縁起の悪い女に、私の孫を会わせるものか。肝に銘じておきな。潤は私たち神前家の子どもよ。面会を許されるのは恩恵だと思いなさい。おとなしくしてて、あの子に変な気を起こすんじゃないよ。わかったね?」子どものために、私は反論せず、ただ理解したという意味で頷いた。文枝はそれでようやく満足し、子どもを私に預けた。ちょうど食事の時間だったから、使用人が潤の食事を運んできた。私は慌ててそれを受け取り、文枝を注意深く見た。自分の手で子どもに食事を与えたかったのだ。文枝は顔色を変えたが、それでも止めようとはしなかった。黙認されたので、私は急いで興奮しながらしゃがみ込み、あの子に近づこうとした。だが、あの子は私のことを知らなかった。私が誰なのかも、わかっていなかった。私が近づくと、彼は口をへの字に結び、すぐにわあっと泣き出した。慌ててなだめようとしたが、あの子に食事をひっくり返されてしまった。スプーンが床に落ち、陶器の破片が飛び散り、私の手に傷がついた。私はため息をつき、カバンからお守りを取り出した。それは、潤の生後一ヶ月の記念日に、私が彼のために買ったものだ。大学時代のアルバイトで稼いだお金を使い、神前家の金とは一切関係ない。「このお守りは、五年前に潤が生まれた時に私が用意したもの。ずっと渡したかったけど、お義母さんに嫌
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第7話
私は一瞬、呆然とした。記憶の中にある、あの冷静で理知的な男性の姿が蘇ったからだ。私は孤児で、幼い頃から福祉施設で育った。子どもの頃から人一倍負けず嫌いで、自立する力を身につけるため、一生懸命勉強し、U市で一番の大学に合格した。そこで最も強みとする専攻を選んだ。大学二年生の時、幸いにも憧れの教授・忠の研究室に配属されることができた。ただの雑用係だったけれど。忠が言う「先輩」とは、その研究室で中心的な役割を担っていた樽田昇(たるた のぼる)のことだ。そして、彼はかつて私が片思いしていた相手でもあった。残念ながら、私が大学三年生の時、彼は海外へ留学してしまった。私の恋心は口に出されることなく、そのまま消え去ってしまった。私が黙っていると、忠は話を続けた。「当時、私が最も期待してたのは君と昇だった。二人は私の研究室の中で最も優秀な学生だ。残念だ。君は卒業後すぐに結婚してしまったからな」 そう言う時の忠の声には、心底からの後悔が滲んでいる。私は唇を噛み締めた。胸の奥が少し痛んだ。もしあの時、元紀と結婚していなければ、今頃は研究を続けていただろうか。そう思うと、急にU市を離れる気が失せてしまった。三十歳は、もしかしたら新たなスタートになるかもしれない。忠の飲み会への誘いに応じて、私はある寂れた住宅街にやって来た。ここにマンションがあり、私が大学時代に借りて住んでいた。結婚後、私はその物件を購入した。七年間、元紀との息苦しい生活に耐えられなくなると、私はいつもここへやって来た。この人目につかない雑然とした場所には、元紀は決して足を踏み入れたがらないだろう。荷物を置き終えると、私はベッドに心地よく横たわった。1LDKの小さな家で、広さは全部でわずか40平方メートルほど。ここは様々な書籍で埋め尽くされている。適当に一冊を開くと、中にはびっしりと細かいメモが書き込まれている。七年間、私は一度も勉強を諦めたことがなかった。夜の飲み会を思い出し、自分の研究ノートを取り出した。今夜、忠に会えるなら、何とかチャンスをくれないか頼んでみたい。たとえ雑用でも構わない。何年も漫然と生きてきたが、やはり一番楽しかったのは、あの研究室で過ごした日々だった。……飲み会の場所は「レ
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第8話
「毎日せっせと皆の後ろをついて回って、あれこれ質問ばかりしてた。あの時、私はこの子が将来きっと大物になると思ったんだ」それ以上、忠は何も言わず、私は目を伏せて静かに酒を飲んだ。飲み会の後、私はすぐに立ち去らず、人がほとんどいなくなったのを見計らって、カバンから自分の研究ノートを取り出した。「先生、私はもう一度勉強を始めたいと思っています」忠は驚きつつもノートを受け取り、長い時間をかけて熱心に目を通した。それを置いた時、彼の顔はすでに笑顔に満ちている。「清子、やはり君を見る私の目は間違っていなかった。君のノートを読んだが、とても先見の明がある。今夜帰ってから考えて、君にいくつか良い研究機関を推薦するから、面接を受けてみなさい」そう話していると、昇が不意に口を挟んだ。「僕にも見せてくれないか?」今夜、彼が私に話しかけてきたのはこれが初めてだ。私は頷いて、ノートを渡した。昇は鼻筋にかかる金縁の眼鏡を押し上げ、真剣な表情で言った。「僕のもとで働いてみないか?」私は一瞬戸惑い、彼の意図がよく分からない。忠が説明してくれた。「そうだ。君の先輩は今回帰国して、自分で研究所を立ち上げるつもりなんだ。いやあ、この年になると物忘れがひどくて困る。もう君は昇のところへ直接行ったらいい。私も時々様子を見に行くから」私は驚いて目を大きく見開いたが、同時に少し気後れもした。「私はもう長い間、本格的な研究には携わっていません。私で務まりますか?」昇は頷いた。彼の声は冷ややかだが、人を安心させる力がある。「君のノートを拝見した。論理は非常に明快だ。君を迎え入れよう。ただし、試用期間を設ける」途方もない喜びが、私を飲み込みそうになった。「ご安心ください。必ず努力します!」私の勘違いかもしれないが、その言葉を聞いた昇の口元がわずかに緩んだように見えた。個室を出て帰宅しようと見上げると、会いたくない人物の姿が目に入った。元紀が数人の友人と隣の部屋から出てきた。どうやら二次会に行くつもりのようだ。隣には、やはり例の梨々花がいる。「清子?」元紀の幼馴染である伏見尚人(ふしみ なおと)が、真っ先に私を見つけた。前回私たちが参列したのは、彼のいとこの結婚式だった。私を見て、彼は
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第9話
「清子!いい加減にしろ!不満があるなら、直接言え!直すから、それでいいだろう!」元紀が頭を下げたのは初めてのことで、尚人は目を丸くして驚いている。だが、私の心には何の波風も立たない。私は彼らに礼儀正しく道を譲るように伝え、立ち去ろうとした。しかし、元紀が私の手を握った。「清子、俺と一緒に帰るぞ」私が言葉を発する前に、背後から突然手が伸びてきて、元紀の手を振り払った。「失礼ですが、節度をお守りください」昇はジャケットを手に持ちながら、冷たい手つきで元紀を引き離した。「お前は誰だ!」元紀の目は瞬時に充血し、振り返って殴りかかろうとした。私はため息をつき、昇の前に立ちはだかった。「やめて」この軽い一言は、まるで一時停止ボタンのようだ。元紀の動きが止まり、信じられないという目で私を見た。「清子、お前はこいつを庇うのか?こいつは誰なんだ?」私は目を上げ、彼の充血した目を見据えた。「そんなことを聞いてどうするの?元紀、私たちはもう別れたのよ」元紀は唇を動かし、何か言いたそうだが、私は聞きたくない。尚人に笑顔で挨拶をすると、彼を押しのけてそのまま歩き去った。レストランを出る瞬間まで、背後から不満に満ちた視線が注がれているのを感じた。「さっきは、ありがとうございました」昇と並んで歩きながら、私は気まずそうに礼を述べた。昇は「ああ」と短く返事をして、私に尋ねた。「彼が神前だと?君の見る目はないだな」このシンプルな二言に、私は思わず笑みがこぼれた。もし私がかつて彼に片思いしていたことを知ったら、彼はこの言葉を後悔するだろうか。そう思い、私もつい口に出してしまった。「先輩、以前私があなたのことを好きだったって言ったら、それでも私のことを『見る目はない』と思いますか?」「思う。以前の樽田昇には、君に好かれる価値がなかった」昇は足を止めた。私は戸惑いながら、不思議そうに彼を見た。しかし彼は顔をそらし、私の方を見ようとしない。「以前の僕はあまりにも臆病で、そのせいで多くのものを失ったから」彼の言っている意味が分からず、さらに問い詰めようとした時、彼が言った。「戻ったら、面接の日時と場所を送る。しっかり準備しておけ」私の思考は瞬時にそちらへと移り、心
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第10話
元紀の顔色は少し良くなった。元々40平方メートルに満たない小さな部屋なのに、私が本を積み重ねているせいで、さらに狭く見えた。元紀は不機嫌そうに、しぶしぶ小さなソファに腰を下ろした。恐らく、彼にとって30数年の人生でこれほど窮屈な思いをするのは初めてだろう。何気なく手に取った本を読んだ元紀は、一瞬呆然とした。「お前はもう、こういうものには興味がないと思ってたが」私は冷蔵庫から牛乳を取り出し、温めてから潤に渡した。「これで潤も私に会えたし、他に用事がなければ彼を連れて帰ってちょうだい」潤は牛乳を抱きしめながら、どうすればいいのかわからず、元紀を見上げた。元紀は潤を膝に抱き、穏やかな声で言った。「清子、本当に、俺たちはもう昔には戻れないのだろうか?」「昔のどの状態に戻るの?」私はソファにもたれかかり、だるい様子で言った。「あなたの名ばかりの妻であり続けることなの?もう結構よ。飽きたの」潤は私たちの話題を理解したようで、口を開いた。「ママ、ごめんなさい。パパと一緒に家に帰ろうよ」その顔に浮かんだおずおずとした様子を察し、私は彼の頭を撫でた。「あなたは悪くないわ。ママがいけなかったのよ。ママは昔、反抗することを知らなかったから、あなたがおばあさんに育てられ、ママになついてないのは当然のこと。大人の事情をあなたの人生に巻き込むべきじゃなかった」最初に潤から「ママが嫌い」と言われた時は、彼を責めたり、憎んだりしたこともあった。でも、徐々に考えが変わってきた。彼はまだ四歳の子どもにすぎない。善悪の判断をまだ知らない。口にする言葉も、行動も、すべて大人が教え込んだ結果なのだ。もし私が潤を育てて、彼が私を愛さなかったなら、私は彼を憎むこともできただろう。しかし、潤は違う。結局のところ、彼に負い目があるのは私の方なのだ。もしあの時、私がもっと勇気を持って、文枝の決定に抵抗できていたら。潤は普通の子どもと同じように、母親のそばで、すべての愛を受けて育つことができたはずだ。元紀は潤を連れて帰って行った。立ち去る際、彼は言った。「清子、わかるか? 時々、俺はお前が一度も俺を愛したことがなかったんじゃないかって思うんだ」……それから長い間、元紀が私の邪魔をしに来るこ
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