LOGIN私はしばらく黙って彼を見つめていた。そのあと、きっぱりと首を振った。七年も待っていた。彼が夕美を手放し、私を選んでくれる日を。期待で胸を膨らませた日から、希望が潰え心が死んだ日まで。かつて彼のために狂うほど脈打っていた心臓は、もう跡形もなく消え去っていた。私はくるりと背を向けて家に帰ろうとした。南は衝撃を受けたように私を引き留め、私の目の前で、膝をつき、いつも高慢だったその頭を深く垂れた。「佳奈、許してくれ!俺が悪かった、ごめん!本当に愛してるんだ、君なしじゃいられない!」私は首を傾げ、理解できないというように彼を見た。しかし彼は涙に濡れた顔で私を見上げ、まるで私がこの世で一番大切な存在かのように見つめてきた。命がかかった瞬間、彼は私を選ばなかった。一度拾った命、私はもう自分と愛する人に使いたい。私は彼の手を振り払った。そして静かに告げた。「でも南、私はもうあなたを愛していない」彼の目が裂けるように見開かれる中、私は里見の手を取った。「紹介するわ。私の夫、里見よ」そう言って、私は呆然としている里見を引き寄せ、そのまま唇を重ねた。南は必死に首を振りながら叫んだ。「違う、佳奈!わざと俺を嫉妬させようとしてるんだろ!そいつは雇った男なんだろ?君はあれだけ俺を愛してた!俺があんなことをしても、君は離れなかったじゃないか!」彼は半ば狂ったように、私たちの過去を並べ立てた。ひとつひとつ……今の私には、ただ滑稽に聞こえるだけだ。どんどん冷たい表情になっていく里見の横顔を見て、私は扉を閉めようとした。南は手をかけて必死に押し入ろうとしたが、私は力任せに扉を閉め、外の泣き叫ぶ声など一切気に留めなかった。里見は怒っていた。口であやしても無駄と悟り、私は身体で宥めるしかなかった。何度も、何度も。翌朝、足が震えるほど疲れ切った状態で扉を開けると、南はまだそこにいた。彼は、わざとらしく首元に残る痕を見つめ、血走った目で言った。「佳奈、やり直そう。夕美だろうが里見だろうが、俺は何も気にしない。ただ君がいればいい。君と一緒なら、他には何もいらない!」私は静かに彼を見つめ、また首を振った。「でも南、どうしてそんなに当然のように思うの?あれだけのことがあっても、私がまだあなたを愛してる
彼女はそのとき、どれほど絶望していたのだろう。南は、自分が佳奈を平手打ちしたこと、佳奈の脚の火傷、採血、火事のときに自分が手を離したことを思い出した。前のことが、彼の脳裏で何度も再生される。そして、佳奈の、あの絶望した眼差し。南は力が抜けたようにその場に跪き込んだ。涙は糸が切れた珠のように溢れ落ちる。騒ぎを聞きつけた夕美と医者が慌てて出てきた。目にしたのは、目を赤く染め、まるで鬼のような南の姿だった。「南、聞いて!あなたが思っているのとは違うの!」彼女に返ってきたのは、南の冷たい視線だけだった。その夜、夕美と医者は借金取りに連れて行かれた。だが南は、少しも胸が晴れなかった。彼は必死に佳奈の行方を探した。街という街を探し尽くしたのに、佳奈は跡形もなく消えていた。まるで昔、佳奈が言ったとおり。「南、ちゃんと私を大事にしてね。あなたがいつか私を愛さなくなったら、私は去って、あなたの世界から永遠に消えるから」彼はようやく悟った。佳奈を追い払ったのは、ほかでもない自分自身だと。……再び目を覚ましたとき、私はS国の病院にいた。包帯で巻かれた自分の手を見つめ、火事の後の記憶を辿る。もうダメだと思った瞬間、慌てたあの見慣れた顔が私を救い上げた。私は、ベッドの傍らで見守っている、ある人の頭をじっと見つめた。思わず手を伸ばして撫でてしまった。力加減を誤ったのか、その人が顔を上げた。整った顔立ち。そこにいたのは、私の宿敵である常陸里見(ひたち さとみ)だった。彼は憔悴しきり、目のふちを赤くして、泣いたように見える。どこにもわんぱくで手に負えない面影はなかった。私が目を覚ますと、彼は睨むように言った。「水道を修理しろって言っただろう?どうして消火活動になってるんだ」私は気まずくなり、彼の目の下にできたクマを見ながら言った。「久しぶりね、里見」里見は私を力いっぱい抱きしめた。「佳奈……もう少し遅かったら、君……本当に死んでたかもしれないんだぞ!」その声には、失ってまた取り戻した者だけが抱く強い安堵が滲んでいた。「今度は自分から俺のところに転がり込んできたんだ。もう二度と離してやらない」私ははっと、七年前のことを思い出した。あの無鉄砲で我の強い、私に告
南は赤信号を無視して車を走らせ、意識を失った夕美を病院へ運び込んだ。安堵すべきはずの胸の内は、空っぽだった。彼は抑えきれずに佳奈のことを思い出していた。あの眼差しを思い出す。絶望に満ちた眼差しを。それは、佳奈が家で父親に殴られている時だけに見せた眼差しだった。彼はかつて、二度と佳奈を傷つけさせないと誓った。だが今、彼はその誓いを破ってしまった。南は衝動的に、あの馴染みの番号に電話をかけた。だが向こうから返ってきたのは、電源が切れている旨の音声案内だった。彼はボディーガードに電話をかけ直す。ボディーガードは、佳奈はすでに出て行ったと伝えた。南はようやくほっと息をついた。自分が真っ先に佳奈を救わなかったことに、彼女はただ怒っているだけだと思ったのだ。医者は、夕美が意識を取り戻したと告げた。南はスマホを置き、ボディーガードに探させるのもやめた。数日すれば佳奈は戻ってくるだろうと思ったのだ。南は夕美のベッドに歩み寄った。彼女の顔を見つめながら、ふと佳奈を思い出す。首を横に振り、雑念を振り払おうとした。夕美はかろうじて目を開き、恐怖に満ちた声で尋ねた。「南、私たちの赤ちゃんは?」南は立ち上がり、彼女の額にキスをしてから、優しくお腹を撫でた。「赤ちゃんは無事だ。心配しなくていい」夕美の顔には、悔しさが浮かんでいた。「南、分かってるの?私、すごく怖かったの。佳奈が火をつけて、私と赤ちゃんを焼き殺そうとしたんだよ!」南は彼女の背中に置いた手が、一瞬止まった。「夕美、じゃあ新しい家を探して、引っ越すか?」夕美は青ざめた顔で、信じられないと言った。「佳奈にやられたのに、どうして私が引っ越さなきゃいけないの?」南は眉をひそめた。「佳奈は俺の妻だ。彼女は君のことが好きじゃない。夕美、君と赤ちゃんには辛い思いをさせてしまった!」夕美はまだ何か言おうとしたが、南の苛立った表情を見て、胸の中の不満を呑み込み、理解あるふりをして言った。「大丈夫、あなたと佳奈が幸せなら、私が何をしてもいいの」南は彼女を抱きしめた。「夕美、君は世界で一番優しい人だよ」しかし夕美は、かろうじて口角を上げるだけだった。その夜、南は夕美の住まいを手配させた。急いで車を走らせ、自
私は無表情のまま、彼が私を否定する言葉を聞いていた。弁解しようとしても、もう声が出なかった。彼は私を信じていない。私が何を言っても、彼にはただの言い逃れにしか聞こえない。そして私の沈黙を、彼は「私が認めた」と受け取った。医者が病室の中から出てきた。「篠川さん、須崎さんは大量出血しています。ストックされている血液が足りない状況です!」南は軽く頷き、無造作に私を指さした。「彼女から血を採れ。夕美を傷つけたのは彼女だ。代償を払わせろ。どれだけ採っても構わない!」私は必死に逃れようとしたが、ボディーガードに押さえつけられた。真っ赤な血が夕美へと流れ込んでいく。私は唇の色がどんどん白くなり、視界がぐらぐらと揺れた。南には止める気配すらない。医者が「もう十分です」と言っても、南は止めようとしなかった。意識を失う直前、私が見たのは、南が昏睡した夕美の額に、そっと口づける姿だった。あまりにも優しくて、まるで彼女こそが彼の一生の愛であるかのように。次に目を覚ましたときには、もう夜だった。私は南に、椅子の上へ雑に放り出されていた。全身が痛む。針ですら抜いてももらえず、血がぽたぽたと床に落ちていた。私は痛みに耐えながら自分で針を抜き、立ち上がって家へ帰った。家に着くと、南と夕美も戻ってきたところだった。南が車椅子を押し、夕美はそこに座って私を見ている。彼女は流産していないが、安静にして赤ちゃんを守る必要があるらしい。私は静かに彼女を見つめた。あの煮込み料理に触れたのは彼女と私だけ。自分が料理に何も入れていないことは、私が一番よく知っている。答えは一つ。彼女は私を陥れるため、自ら毒を盛ったのだ。私は二人とすれ違い、淡々と寝室へ戻った。荷物をまとめ、離婚協議書を書き上げた。離婚協議書を南に渡そうとした瞬間、南は不機嫌そうに、「夕美の世話をしろ」と言い放った。そして警告するように私を見た。「佳奈、俺はこれから取引先に行ってくる。余計な真似はするな。夕美と赤ちゃんに何かあれば、責任は全部君に取らせるからな!」私は彼に主寝室へと押し込まれた。たった一日で、この部屋はもう私の知っている姿ではなくなっていた。ベビーベッド、ロッキングチェア、ぬいぐるみ。南がいないせいか
南はそれを聞くとすぐに席に戻り、冷笑を浮かべて私を見た。「佳奈はもうこんな小細工しかできないんだな。自分を傷つけるのが好きなら、俺は止めないぞ」痛みに顔を歪め、私は冷たい水で何度も脚を冷やすしかなかった。焼けるような痛みが、無数のアリに傷口をかじられるかのように襲ってくる。私は思わず涙を流した。南はただ冷ややかに見ているだけだった。まるで傷ついているのが自分の妻ではないかのように。かつて私が指を切っただけで心配でたまらなかった南は、まるで消えてしまったかのようだった。私は突然、彼を知らない人のように感じた。私は足を引きずりながら、煮込み料理を持って出て行った。夕美は得意げに私を見つめる。「佳奈、ありがとう。怪我してるのに、私と赤ちゃんのために料理してくれるなんて。南、一緒に食べてよ!」二人のラブラブぶりには目もくれず、私は痛みに耐えながら寝室に戻った。救急箱を求めて、部屋中を探し回った。その瞬間、南が突然扉を開けて入ってきた。手には救急箱を持って。彼は眉をひそめ、私の脚の水ぶくれと青あざを見た。「座れ、傷の手当てをしてやる!」拒もうとしたが、彼は私をベッドに押さえつけた。慎重に薬を塗りながら、目には隠せないほどの心配が浮かんでいる。私を傷つけたのは彼なのに、どうして今さら同情するような態度を取るのだろう。希望を与えておいて、また私を絶望させるだけなのに。私は大きく息を吸い、涙をこらえようとした。でも傷の痛みで、涙は止まらなかった。南は手当てを終えると、ティッシュで丁寧に私の涙を拭った。「どうして子供みたいに泣くんだ。いい年して、まだそんなに痛がるのか!」彼の気配が全身を覆い尽くす。「佳奈、もう拗ねるのはやめよう。これからは仲良くやっていこう、いいだろ?」私は必死に押し返そうとした。でも、私は何を拗ねているというのだろう?ただ、夕美と赤ちゃんを喜んで世話できなかっただけ。彼の匂いはあまりに馴染み深い。ぼんやりとして、まるで過去に戻ったような気がした。かつて私を自分の命のように大切にしてくれたあの少年。家での暴力から私を救い出してくれた男。あなたはかつてそんなに私を愛していたのに、どうして今は私をこんなに悲しませても平気なの?私の回
「赤ちゃんが生まれても、あなたのことは『お母さん』と呼ばせる。夕美は名分なんていらない。ただ、ちゃんと彼女を世話してくれれば、あなたはこれからも篠川家の奥様だ」私は、まだ膨らみも見えない夕美のお腹を見つめた。そこには南の裏切りの証がある。なのに、彼は、私が夕美の面倒を見ることを期待している。夕美は、まるで見せつけるようにお腹を軽く突き出した。「佳奈、嫉妬してるの?家に赤ちゃんがいると、もっと赤ちゃんを呼び寄せるって聞いたよ。もしかしたら、私の子が生まれたら、あなたにもできるかも!」私は南を静かに見据え、これまで何度も子どもが欲しいと願った自分を思い出した。すると彼はいつも面倒くさそうに言った。「子どもなんて、俺たちの生活の邪魔になる。今はそんな時じゃない」彼が嫌がるのを見て、私はそれ以上口にするのをやめた。子どもへの執着も静かに手放した。危篤の母親の前でさえ、私は南の悪口を一言も言わなかった。ただ「私が子どもを好きじゃないだけ」と言った。今思えば、すべて滑稽な話だ。彼は子どもが嫌いだったわけじゃない。ただ、私との子どもが嫌だっただけだ。愛しているかどうかなんて、本当に分かりやすい。南は夕美を、主寝室に連れてきた。私のベッドで、私の布団をかぶって。夕美の強いバラの香水の匂いが主寝室いっぱいに広がった。私は吐き気がした。南は眉をひそめて私を見る。「どうした?気分悪いのか?少し休んだら?」夕美はそれを聞いて、私を見た。「南、お腹すいちゃった。煮込み料理が食べたいの」南がすぐにアシスタントに電話しようとすると、夕美は口元を少し上げ、私をじっと見た。「南、私は佳奈の手作りの煮込み料理が食べたい」そう言って、夕美はわざとらしく可哀そうな顔をしながら、目だけは挑発的に光っている。「佳奈、作ってくれない?私も赤ちゃんも食べたがってるの」私は一瞬もためらわずに拒否した。夕美の目が潤むと、南は不満げに眉を寄せ、私を睨んだ。「佳奈、料理ぐらいだろ。別に無理な話じゃないだろう!」私は皮肉を返した。「どうして私が、愛人とその雑種のために料理をしなきゃいけないの?」夕美の涙が布団を濡らした。「佳奈、どうしてそんなひどいこと言うの。私と南の子は雑種なんかじゃない。ただ偶