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第8話

Autor: 楽恩
……私は、すぐに理解したくなかった。でも、理解せざるを得なかった。

来依は、鼻で笑った。

「まあ、普通ってとこね」

「……」

私は驚いて彼女を見た。「何の話?」という目で問いかけた。

すると、伊賀のことを気にせず、来依は平然と言い放った。

「一回寝たけど、大したことなかったわ」

伊賀が、飛び上がるように反応した。

「あれは俺の初めてだったんだぞ!何も分かってねぇくせに!」

来依は彼の言葉を遮り、彼の右手と左手を指差した。

「はいはい、ちょっと待った。あんたみたいなプレイボーイが、初めてとか笑わせないで。どうせ、あんたのファーストはこれか、これだったんでしょ?」

いつもふざけてばかりの伊賀が、来依にからかわれて顔を赤くしている。

その光景を見て――私は、ようやく彼らの関係を理解した。

――ワンナイトだったのね。

伊賀は、たぶん来依を本気で口説こうとしている。

でも、来依はまったく本気にしていない。彼女は伊賀を無視し、私の手を引いて個室へ向かう。

「ある先輩が、海外から帰ってきたの。伊賀たちが企画した集まりで、私も顔を出すことになって」

「へぇ、誰?」私は、小声で尋ねた。

「あんたも知ってるわよ。それは――」

来依がドアを開けた。

個室には、すでに数人の男が座っていた。馴染みのある顔ぶれもいれば、初めて見る人もいる。そして、一人だけ、目を引く人物がいた。

男はすらりとした高身長で、長い脚が際立つ体格をしていた。

白いシャツの袖を無造作にまくり上げ、冷たく白い精巧な手首には、白い数珠を通した赤い紐がさりげなく結ばれている。

そのアクセサリーは、彼の落ち着いた雰囲気とは少し不釣り合いだった。けれど、それを大切にしていることだけは、見て取れた。

――と、その時。彼が顔を上げ、私と視線が交わった。そして、笑みを浮かべた。

彼は立ち上がり、穏やかに言った。

「久しぶりだね」

「山田先輩!」

私は、思わず笑みがこぼれた。

「本当に、久しぶりですね。留学するとき、突然いなくなっちゃったから驚きましたよ」

江川宏の友人グループは、ほとんどが幼馴染のような間柄で、私や来依とも同じ大学の出身だった。

でも、私が彼らと親しくなったのは、結婚してからのことだった。

けれど――

その中で唯一、山田時雄だけは私と同じ学部の先輩で、大学時代からそれなりに親しくしていた。

伊賀が、軽口を叩いた。

「なあ、うちの時雄は、どこの女に傷つけられて、何も言わずに海外逃亡したんだ?宏さんの結婚式にも来なかったしよ」

時雄は、鼻をかきながら軽く笑った。

「くだらないこと言うなよ。さ、座ろう」

「そうそう、早く座って」

来依は、私をソファへ押し込み、時雄の隣に座らせた。

「あんたと山田先輩、仲良かったでしょ?話も合うだろうし」

そう言い残し、彼女は伊賀たちのグループに合流した。お酒の席は、あっという間に賑やかになる。

時雄が、自然に声をかけた。

「ジュース、飲む?」

「……ありがとう、いただきます」

私は笑いながら、グラスを受け取った。

「それにしても、先輩は海外にいても、よくニュースになってましたね。賞を取りまくってるって聞きましたよ」

「俺のこと、そんなにチェックしてたの?」彼は、少し驚いたように、琥珀色の瞳を細めた。

「……そうじゃないですけど」私は、少し恥ずかしくなり、言い訳した。「うちのアシスタントが、先輩のファンなんです。今度紹介しましょうか?」

「……それはいいね」

彼は、微笑みながらも、どこか目の奥が曇った。そして、少し声を落として、問いかけた。

「宏とは、幸せ?ネットでは、愛妻家って評判だけど」

私は、一瞬固まった。

――そうだった。

宏は、いつも愛妻家としてのイメージを作りたがる。世間の誰もが、彼を「理想の夫」だと思っている。かつての私は、その幻想に飲み込まれ、抜け出せなくなっていた。

「……ネットの話は、誇張されがちですから」さらりと流そうとした。

すると、時雄は、真剣な眼差しで見つめてきた。

「でも、南は幸せなの?」

来依を除けば、こんな風に聞いてくれたのは、彼が初めてだった。

私は、少し目を伏せて、かすかに微笑んだ。

「……よく分からない」

彼は、それ以上は聞かなかった。

ただ、静かに微笑んだ。

「じゃあ、無理に言わなくていいよ」

かつて私は、時雄と宏にはどこか共通点があると思っていた。

どちらも穏やかで、内向的で、冷静沈着――まるで同じ種類の人間のように見えた。

でも今になってようやく気づく。彼らは、似て非なる存在だった。

時雄の落ち着きは、生まれ持った本質そのもの。それに対して、宏の穏やかさは、あくまで表向きに繕われた仮面に過ぎない。

たとえば今、時雄がこれ以上問い詰めないのは、他人のプライバシーに踏み込みすぎないという品性の表れだ。

だが、もし宏だったなら――そもそも他人の感情に興味がないから、最初から問いすらしないだろう。

宏には、「心」というものが決定的に欠けている。

飲み会は、深夜まで続いた。伊賀は、二次会を開こうと騒ぎ立てる。

来依は、私が妊娠していることを考え、早く帰らせようとする。すると、伊賀が提案した。

「時雄に送ってもらえば?こいつ、夜更かし嫌いだし」

来依も、賛成した。

私は、彼女のことが心配で、少し躊躇った。

「ほら、早く乗って!」

来依は、私の躊躇を見抜いて、強引に車に押し込んだ。

「大丈夫。私が損することはない」

彼女は、にやりと笑った。

「男の心は海の底の針って言うけど――私は、針なんか探さない。海そのものを手に入れるのよ」

「……」

私は、彼女の頬を軽くつねった。「分かった。でも、何かあったら連絡して」

時雄も車に乗った。

私は少し気まずさを感じながら、隣の時雄に視線を向けた。

「先輩、私、若松町に住んでるんですが……遠回りになりませんか?道が違うなら、タクシーを呼びます」

すると、時雄は笑いながら首を横に振る。

「そんなに他人行儀にならなくてもいいよ」

そう言って、スマホを私に差し出した。「それより、ナビを設定してくれる?鹿児島は久しぶりで、道があまり分からなくてさ」

「……分かりました」

私は、スマホを受け取り、目的地を入力した。

今夜は賑やかだった。この時間でも、街のネオンは煌めき、人の流れも絶えなかった。

当初、久しぶりに会った時雄との間に、少し気まずい空気が流れるかと思っていた。でも、彼は、まるでそれを察したかのように、適度に話題を振ってくれる。

不思議と居心地がいい。

話していると、気持ちが落ち着いていく。そのうち、私はふと口を開いていた。

「先輩なら、もし人生で大きな壁にぶつかったら、どうしますか?」

彼はわずかに眉を寄せ、赤信号で車を止めると、静かに私を見つめながら言った。

「なら、山があれば道を作り、水があれば橋をかけるだけだ」

その言葉に、私の胸の奥で張り詰めていたものが、ふっと緩んだ。

およそ20分後。

車は、私の住む別荘の前でゆっくりと停まった。

彼は車を降りる私を見送りながら、そっと小さな紙袋を手渡した。

「ちょっとしたお土産。気に入ってくれるといいけど」

「ありがとうございます、先輩!」

気持ちが少し軽くなり、私は笑顔でそれを受け取った。

「お礼に、今度ご飯でも奢らせてください」

時雄も微笑んだ。「約束だね」

彼は、優しく目を細めた。

「ちゃんと食事を取るんだよ、すごく痩せた気がするから。もう栄養不足になるなよ」

私は、深く考えることなく、軽く笑いながら頷いた。

「はい、気をつけます」

彼が去ってから屋敷に入ろうと思っていたが、先に彼の方から声をかけた。

「家の中に入るまで、ちゃんと見届けるよ。伊賀に安全に送り届けるって言われてるからね」

私は、仕方なく玄関の方へ向かった。

こんな時間、佐藤さんはすでに寝ていて、玄関のライトだけがぼんやりと灯っていた。家の中は静だった。

シャワーを浴びたあと、ベッドに横になりながらスマホを手に取った。

未読のメッセージは山ほどある。

だが、その中に宏からのものは一通もなかった。

――最悪でも、夫が一晩帰ってこない程度のことだと思っていた。

まさか、それ以上の「サプライズ」が待っているとは。

頭の中がモヤモヤとしたまま眠りについたものの、どうにも寝つきが悪く、目を覚ますとすでに昼近くだった。

ひどく空腹を感じながら階下へ降りると、まず目に飛び込んできたのは、見覚えのないスーツケース。そして、廊下の奥から微かに聞こえてくる、佐藤さん以外の誰かの声――どこか聞き覚えのある声だった。

眉をひそめながら室内を見渡し、視線が最後に行き着いたのは、キッチンだった。

そこではエプロンを身に着けた宏が、料理をしていた。

そして、その隣には――アナが、まるで当たり前のように彼の手伝いをしている。

彼が手を伸ばせば、アナは迷いなく塩を手渡し、彼がもう一度手を伸ばせば、すかさずキッチンペーパーを差し出す。

まるで息の合ったコンビのようだった。

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Comentários (2)
goodnovel comment avatar
yas
なんでいるの? 昨日あんなことがあってなんで連れてくるの?
goodnovel comment avatar
かほる
宏はデリカシーが無いとみた。 アナも同じく
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