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第17話

Auteur: ジンジャーピーチ
海外では願いが叶い喜ぶ者がいる一方で、国内では深い憂鬱に囚われ、抜け出せずにいる者もいた。

晴香が神崎家を訪れると、庭のブランコに腰かけ、うつむきながら手にした木片を一心不乱に彫刻する駿の姿が目に入った。

帝都は初雪の後で、雲間から差し込む陽光が庭を照らすが、駿の周りだけは冷たく沈んだ陰影に包まれているようだった。

彫刻刀が指先をかすめても、駿は気づかず、血が木片に滲んで初めて慌てて手を引っ込めた。

晴香がカバンから絆創膏を取り出すと、駿は唇を引き結び、何かを避けるかのように目をそらした。

その瞬間、晴香の胸に怒りが湧き上がった。

彼女は駿の手から木片を奪い、遠くの雪の中へ投げつけた。

駿の険しい視線を受け、晴香の胸は締め付けられるように痛んだが、口元には皮肉な笑みを浮かべた。

「記憶を失った時は、桜庭さんに冷たく振る舞っていたくせに、今度は私に顔色をうかがうの?

駿さん、昔は桜庭さんの忠犬だと思ってたけど、やっと気づいたわ。あなたは過ちを犯すと、しっぽを巻いて隠れるしか脳がない野良犬だったのね!

彼女を傷つけたのなら、許しを乞いに行くべきよ。彼女の前で跪いて、一生かけて償うのよ!

桜庭さんは不治の病を抱えながらも、なお私たちを成就させようと選び、私の命まで救ってくれた。そんな勇敢な彼女に比べ、あなたは家に籠もり、何も試さず臆病者のままじゃない!」

駿は一瞬呆然とし、目にわずかな当惑が走った。

「でも俺は不貞を働いたから、彼女からきっと汚らわしいと思われるだろう……」

「本当に私を愛してたと思ってるの?」

晴香は笑いながらも、涙を流した。

「もし本当に愛してたのなら、私がこんなに不安になるはずないじゃない。

私はあなたを病院から連れ出し、彼女の服装や仕草まで真似たのに、あなたの目にはいつも彼女への未練が映ってた。

あなたから愛されてると自分に言い聞かせたけど、偽物は所詮偽物なのよ。私と彼女が落水した時も、記憶喪失のあなたは無意識に彼女を先に救っていたじゃない。

それでも、私を本当に愛してたと言える?」

その言葉に、駿の目の前にかかっていた霧が切り裂かれたかのように、彼は一瞬で我に返った。

そして勢いよく立ち上がり、目にはかつてないほどの決意が宿っていた。

「君の言う通りだ。一生かけて彼女の許しを乞うよ。たとえ許してもらえな
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