LOGIN「帰れ」遥真は視線を逸らすと、突然、ひどく冷たい態度を取った。「あなたは?」柚香は尋ねた。「俺のことに、君みたいな元妻が口を出す必要はない」遥真は初めて、柚香に対してきつい言葉を口にした。さっきの問いかけで、柚香が自分を選ぶとはっきり言わなかったことが、引っかかっていた。「こんなときまで意地張るの?」柚香は遥真のことをよく分かっている。だから、今の言葉がただの意地だということも分かっていた。遥真の目が、まるで知らない人を見るように冷たくなる。「自分を買いかぶりすぎじゃないか?」「本当にそんな言い方をするつもり?」「どう言えばいい?」柚香は真剣な顔で言った。「私はあなたと一緒に問題を解決するために来たの。それなのに、これ以上そんな嫌味な言い方をするなら、私は迷わず帰る。あなたが私を遠ざけようとしたことに、何か理由があったとしても」遥真はまた黙り込んだ。真っ黒な瞳が柚香に向けられ、唇がきゅっと結ばれる。「私がどんな性格か、あなたなら分かってるでしょ」柚香の言葉には迷いがなかった。いつもより、経営者としての強さが滲んでいる。「あなたが私を突き放すなら、私は本当に帰るよ」「帰りたければ帰れ」遥真の目には、少しの感情も浮かんでいなかった。「誰も止めない」柚香は立ち上がった。「本当に?」「本当だ」「後悔しない?」遥真の手が無意識に強く握りしめられる。それでも口から出るのは、彼女を追い返す言葉だった。「そんなに言うってことは、本当に俺と復縁したいのか?」柚香はもう遥真を見なかった。スマホを手に取ると、そのまま部屋を出ていった。すれ違った瞬間、遥真は反射的に手を伸ばして彼女を引き止めようとした。けれど指を開いたところで、思い直したように手を引っ込めた。カチャ――ドアが勢いよく開く。そしてすぐに、「バタン」と閉じる音が響いた。柚香はあっさりと出ていった。遥真にも、柚香が怒っていることは分かっていた。それでも今回は、彼女を追いかけて機嫌を取るわけにはいかなかった。雅人の件では証拠が見つからない。彼を罪に問う唯一の方法は、本人が警察に出頭することだ。だが、相手は雅人だ。何よりも面子と権力を重んじる雅人が罪を認めに行くはずがない。だから雅人が出頭しない以上、自分が千景の家族のためにけ
その言葉を聞いて、柚香はようやく、遥真が本気で決意を固めているのだと分かった。「このあと、君は蒼海市に帰れ。俺は京原市にいる」遥真は柚香との間に一線を引くように言った。「必要がなければ、もう会わなくていい」「あなたがどうしてもそうするなら、私も一緒にいる」柚香は自分の意思をはっきり伝えた。これまで、いろんなことを遥真が自分に付き添ってきた。だから今回は、自分が遥真に付き添いたいと思った。「必要ない」遥真は迷うことなく拒んだ。表情一つ変わらない。「俺のことは俺が片をつける。千景のことにも、他の人間が関わる必要はない」「じゃあ、最後の一線を越えないって約束してくれるなら、あなたと復縁するって言ったら?」柚香はふと、一つの答えを知りたくなった。それは、自分の決断を左右するかもしれない答えだった。「それでも断る?」遥真が考えている最後の一手。それは、雅人を千景の家族のもとへ送ることだった。雅人が憎むべき人間なのは確かだ。けれど、遥真のやり方はあまりにも過激で、極端すぎる。遥真の瞳が揺れた。唇が、きゅっと一文字に結ばれる。彼は長いこと黙っていた。外が少しずつ暗くなっていくほど、長い沈黙だった。普段の遥真なら、たとえ柚香が本気で復縁を望んでいるわけではないと分かっていても、迷わず受け入れていただろう。柚香がその言葉を口にしたということは、これまでのすべてを手放し、自分によって抱えた恐怖や不安を乗り越えて、もう一度自分を受け入れようとしているということだから。でも、今は……このすべてを、手放すことができなかった。水沢家と千景が雅人のせいであんなことになったと知った以上、彼らのために必ずけじめをつけなければならない。それに、水沢がいなくても柚香は幸せになれる。今は母親と昭彦がそばにいて、陽翔もいる。「もう決めた?」柚香は、彼に考える時間を十分に与えた。「これを言うのは、これが最後。そして、これっきりだから」「君は本心から俺と復縁したいわけじゃない」遥真はようやく口を開いた。自分の気持ちを優先して、答えを直接口にすることはしなかった。「俺は君の同情なんていらない。哀れまれるのも御免だ」「いつもそればっかり言うけど、結局あなたも受け入れてたじゃない」柚香は容赦なく言い返した。いくら優しく言っても聞く耳を
康平はきっぱりと言った。「俺は心配しないよ」恭介と健太は、そろって康平を見る。どうしてそこまで言い切れるのか分からない、といった様子だった。「喧嘩になろうがなるまいが、本当に困るのは遥真さんのほうだけだ」康平は事情をよく分かっていた。「お嬢様がここへ来たのだって、昔の情と、陽翔の父親だからって理由で、少し説得してみようと思っただけだ。もし説得できなかったとしても、お嬢様には何の損もない」何しろ、お嬢様は今、幸せで穏やかな生活を送っている。本当に話がまとまらなかったのなら、それはただ、遥真にはまだ乗り越えなければならない試練が残っているということだ。その頃、二階では沈黙が続いていた。ドアが閉まってから、二人は長いこと何も話さず、そこに座っていた。一人はさっきのこともあって、今は口を開きたくない。もう一人は、口を開けばきっと言い争いになると分かっている。時間だけが、少しずつ過ぎていく。十分経ったようにも、まだ数十秒しか経っていないようにも感じられた。重苦しい空気の中、遥真は柚香に視線を向け、よそよそしく淡々と言った。「俺を探しに来るなって言っただろ?」「あなたが、どうでもいい人のために自分を犠牲にするのを見たくないの」柚香は、自分がここへ来た理由を伝えた。「俺のことは放っておけ。今の生活を大切にしていればいい」遥真は柚香を見つめた。「ほかに用がないなら、恭介に送らせる」柚香は尋ねた。「雅人さんをどうするつもり?」遥真は答えなかった。「まず問い詰めて、もし認めたら法に従って裁かせる。認めなかったら、自分のやり方で友達の仇を取るつもり?」柚香は、遥真の考えを口にした。「そして、あなた自身のやり方っていうのは、雅人さんを自分の手で友達の家族のところへ送ることなんでしょ?」遥真の表情は変わらなかった。「もう話は終わった?」柚香は遥真を見つめた。「そんなことをして、本当に意味があるの?」「意味があるかどうかじゃない」遥真の口調は冷静で、淡々としていた。「誰だって、自分が犯した過ちの代償は払わなきゃいけない。法律で裁けないなら、俺がやる」「そうする自分を、義理堅くて格好いいと思ってる?」柚香は、普段は冷静で落ち着いている遥真の中に、こんなにも子供っぽい一面があるとは思わなかった。「千景が今のあなたを
柚香が顔を上げた。ちょうど二人の視線がぶつかった。その瞬間、空気が静まり返った。恭介は二人に話があるのだと察し、康平と健太に目配せして、そっとその場を離れようとした。「誰が君たちに、彼女を中へ入れろと言った?」一瞬呆気に取られた遥真だったが、すぐにいつもの淡々とした態度に戻った。「誰かに入れてもらったんじゃない。私が自分で入ってきたの」柚香は遥真の視線をまっすぐ受け止め、よそよそしい態度に気づいた。「あなたが会いに来てくれないなら、私から来るしかないでしょ」遥真の心が、わずかに揺れた。柚香は彼をまっすぐ見て言った。「話したいことがあるの」「俺たちの間に、話すことなんてない」遥真は全身から、人を寄せつけない冷たい空気を漂わせていた。柚香はそのまま彼のほうへ歩いていった。遥真の横を通り過ぎるときも何も言わず、そのまま階段を上っていった。残された者たちは、息をするのもためらうほど緊張していた。しばらくして。遥真は振り返り、柚香のあとを追って階段を上っていった。やがて二階からドアの閉まる音が聞こえると、恭介と健太はようやく張りつめていた気持ちを緩めた。「元夫婦が会って話してるだけだろ。なんでそんなにビクビクしてるんだ?」康平は何事にも動じない性格で、半分冗談めかして言った。「遥真だって、まさか本気で君たちに何かするわけじゃないだろ」「それはそうだけど……社長が怒ったときは、やっぱり怖いんだよ」健太はまだ気が抜けない様子だった。「でも、どうして社長がここにいるって分かったんだ?」恭介は少し不思議そうに尋ねた。雅人は人知れずここへ移された。そのため遥真は、わざと別の場所に、かなり細かく調べなければ見つからないような手がかりを残していた。他の人間の注意をそちらへ向け、ここに辿り着かせないためだ。「ここが一番、人を隠すのに向いてるからな。万が一バレても、すぐに別の場所へ移せる」康平は答えた。周辺の道路には監視カメラがなく、分かれ道も多い。自分が同じことをするなら、ここを選ぶ。「でも、さっきは水沢家の本宅のほうへ向かってたんじゃないか?」恭介は部下から入ってきた情報をもとに言った。「十分前までは、あの車はずっとそっちへ向かってたはずなんだけど……」そこまで言ったところで、恭介はふと
「どうやって説得しろっていうんだよ」恭介はさっきのことを思い出し、複雑そうに言った。「今の社長は、親友のためにけじめをつけさせることしか頭にない。それ以外のことなんて、もう何も入らないんだ」健太はさらに問いかけた。「じゃあ、柚香さんのことも、もう放っておくってこと?」恭介はしばらく黙ってから、口を開いた。「そう」「柚香さん!?」地下から上がってきた大輔の声が、突然響いた。驚きを隠せない様子で、「どうしてここにいるんですか!?」と声を上げる。恭介「!!!」健太「!!!」二人の体が一瞬固まった。反射的に玄関のほうを見ると、そこにはコートを羽織った柚香と、黒いカジュアルウェア姿の康平が立っていた。「ゆ、柚香さん?」恭介は本人だとわかった瞬間、頭の中が真っ白になった。そして、さっき健太と話していた内容を思い出す。「その……私たち、さっき……」何と言えばいいのか、分からなかった。どうしてここにいるのかと聞いても、探してここまで来たのは明らかだ。さっきの話を取り繕おうにも、今の社長がこれ以上関わるつもりがないのも事実だった。「おかしいなあ」大輔は正直者で、柚香と康平の周りを何度もぐるぐる回った。「別荘の周りには社長が見張りを配置してるんですよ。中に入ってきたら、絶対に気づかれるはずなのに」「康平が連れてきてくれたの」柚香がそう説明すると、全員の視線が康平に集まった。彼の素性は彼らもある程度知っている。よく考えれば、康平が柚香を連れて見張りの目をかいくぐってきたとしても、別に不思議ではなかった。「遥真は?」柚香は彼らを見つめて尋ねた。「ここにいるの?」ここへ来る前は、正直そこまで期待していなかった。もし誰もいなければ、次の場所を探せばいいと思っていた。けれど中に入ってから、何か所も隠れて見張っている人間を見つけたことで、柚香と康平はここで間違いないと確信した。ただ、遥真も雅人も姿を見せない。それだけが、柚香にはどうしても気がかりだった。「社長は……」恭介と健太は顔を見合わせ、言うべきかどうか迷った。話せば社長の命令に背くことになる。かといって、何も言わないのも後味が悪い。「雅人さんもここにいるの?」柚香がさらに尋ねた。「柚香さん、ここで起きていることはあなたには関係ありません」恭介は散々迷
柚香「ここだと思う」康平「ここだと思います」二人は声を揃えて言った途端、動きを止め、思わず顔を見合わせた。まさか、二人とも同じ場所を選ぶとは思わなかった。「せっかく息ぴったりで同じ場所を選んだんですから、最初はここから行きましょう」康平は相変わらず軽い口調で、場の空気を重くしない。「遥真さんの性格を考えれば、もし本当にここにいるなら、周辺にはきっと見張りを置いてるはずです」柚香は頷いた。その意見には納得できた。遥真は何をするにも用心深い。「お嬢様」康平の視線が柚香の履いているハイヒールに向く。「このあと、少し歩いてもらうことになるかもしれません」柚香が気にしているのは、ただ一つだった。「遥真の見張りを避けられる?」「俺だって、何年も隊長についてきたんですよ」自分が甘く見られたと思ったのか、康平は少し不満そうだった。「こっそり入り込むくらい、どうってことないです」「分かった」柚香は安心した。二人はすぐに出発した。二十分後、監視カメラもなく、人通りの少ない場所に車を停めた。少し離れたところに建つ別荘を見ながら、柚香は自信が持てずにいた。遥真が本当にここにいるのかは分からない。ここを選んだのも、ただ直感に頼っただけだった。同じ頃。遥真は部屋に座り、目の前に並べられた大量の調査資料に目を通していた。「社長」恭介がドアを開けて入ってくると、いつものように柚香について分かっていることをすべて報告した。「慎吾と康平は柚苑に戻りました。それから、柚香さんを連れて水沢家の本宅のほうへ向かっています」遥真は眉をわずかに寄せた。恭介は途中の道路で撮影された映像を何本か差し出した。「修司さんの人間が、ずっと二人を尾行しています」「修司は?」遥真の目が少し険しくなる。「一時間ほど前に柚苑を出て家に戻ってから、今まで一歩も外に出ていません」恭介は答えた。遥真は手の中のスマホを指先で弄びながら、重い空気をまとっていた。数秒ほど経ってから、ようやく口を開く。「千尋のほうはどうなってる?」恭介は答えた。「すべて準備できています」「そうか」恭介「……?」それだけ?柚香は修司の人間に尾行されている。もし修司が柚香に手を出したら、社長だって板挟みになるんじゃないのか?「ほかに何かあるか?」遥