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第921話

Author: 金招き
だが、山本は譲らなかった。

彼には、どうしても由美の気持ちが理解できなかった。

二人の間には、言葉では埋められない溝ができていた。

そのとき——

女性警官がふと思いついたように、ポケットから携帯を取り出し、わざとらしく耳にあてた。

「もしもし——」

間を置いて、明るい声で続けた。

「え?手術が終わった?……無事なの?……それは、本当に良かった……!」

山本はぱっと顔を上げた。

「隊長の手術、終わったのか!?」

女性警官は静かにうなずいた。

「うん。成功したと!」

その瞬間——

由美の手から、力が抜け落ちた。

そして、ゆっくりと微笑んだ。

目尻には、またしても涙が浮かんだ。

ひび割れた唇で、小さく言った。

「……よかった」

「これで帝王切開を受けられますね?」

山本が言うと、由美は黙って頷いた。

こうして、由美は静かに手術室へと運ばれていった。

山本はそれを見届けると、踵を返して歩き出した。

「山本さん!」

女性警官が呼び止めた。

「実は……私、嘘をつきました」

山本は驚きの表情で彼女を見つめ、次第に眉をひそめていった。

明らかに彼は、彼女の言わんとすることを理解した。

「さっきの電話……」

「誰からもかかってきていません」

山本はしばらく黙っていたが、やがて言った。

「……そうか。なら良かった」

この嘘がなければ、由美は手術を受け入れなかっただろう。

このまま母子共に危険に晒すわけにはいかない。

彼は待合室の長椅子に腰を下ろし、ため息をついた。

そして心の中で、ただ祈った。

——隊長と奥さんが、どうか無事でありますように。

「……二人とも、本当に大変な一日でしたね」

女性警官は言った。

「まったくだよ……」

山本は言った。

「隊長と奥さんの絆がこんなに深いとは……」

由美が「明雄が死んだら私も」と言った時、彼は胸を打たれた。

これほど深く愛し合っていたなんて、思いもしなかった。

——どうか、二人とも無事でいてくれ。

彼の祈りは、静かに心の中で繰り返された。

——それから一時間あまりが過ぎた頃。

由美は、無事に一人の女の子を帝王切開で出産した。

だが、胎内に長くとどまっていたためか、生まれてきた赤ん坊の身体には、紫色の痕がいくつも残っていた。

新生児室へと運ばれ、検査が行わ
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