Masukステージ上の二人を照らすスポットライトが、まるで決闘場のそれのように見えた。司会者が掲げた一本のポッキー。それを、天王寺先輩がおもむろに口にくわえる。その仕草だけで、会場から「キャアアア!」という悲鳴に近い歓声が上がった。
「さあ、氷室くん! いけるのかー!?」
司会者の煽りに、氷室くんは何も答えなかった。ただ静かに、けれど燃えるような灰色の瞳で天王寺先輩を見据えながら、ゆっくりと歩み寄る。そして、寸分の躊躇もなく、ポッキーのもう片方の端を、そっと唇に挟んだ。
「……っ!」
会場のあちこちから、息を呑む音が聞こえる。私も、心臓を鷲掴みにされたような衝撃に、声も出せずに固まっていた。
(すごい……! 私が書いた脚本通り……いや、それ以上……!)
私の脚本では、ここで二人は一度、恥ずかしそうに視線を逸らすはずだった。初々しい戸惑いと、それでも抑えきれない恋心。そんな甘酸っぱい葛藤を描くはずだったのだ。
だが、目の前の二人はどうだ。視線は逸らされるどころか、火花が散りそうなほど激しく絡み合ったまま。天王寺先輩の口元には、獲物を前にした獅子のような不敵な笑み。対する氷室くんの瞳には、決して一歩も引かないという強い意志の光が宿っている。
甘酸っぱさなんて、どこにもない。そこにあるのは、圧倒的な緊張感。まるで、お互いのすべてを喰らい尽くそうとするかのような、剥き出しの闘争心だった。
「それでは皆様、カウントダウンをお願いします! 3、2、1……スタート!」
合図と共に、二人はゆっくりと、しかし着実にポッキーを食べ進め始めた。カリ、カリ、とチョコレートが砕ける小さな音が、マイクを通して会場全体に響き渡る。静まり返った客席は、固唾を飲んでその光景を見守っていた。
(あれ……? なんだか、おかしい……)
その時だった。私の脳内に、かすかな違和感が芽生え始めたのは。
私の脚本では、二人はお互いの熱に浮かされたように、少しずつ距離を縮めていくはずだった。触れるか触れないかの唇にドキドキしながら、最後はどちらともなく顔を離し、照れ笑いを浮かべて終わる。そんな、王道にして至高の「寸止め」芸
「どれ、見せてみなよ」「えっ、まだ恥ずかしいよ……!」「何言ってんだ。俺は栞の一番のファンだって言っただろ」 彼は立ち上がると、テーブルを回って私の隣に腰を下ろした。 肩と肩が触れ合う距離。シャツ越しに彼の高い体温が伝わってくる。 彼は私のノートを覗き込み、真剣な目で並んだ文字を追い始めた。「……なるほど。『ユーザーがキャラに干渉するのではなく、見守ることに特化したシステム』か」「う、うん……やっぱり、変かな? 乙女ゲームなのに、自分から恋愛しにいかないなんて」「いや、面白いよ。栞らしい着眼点だ」 彼はまず肯定した上で、胸ポケットから赤ペンを取り出し、さらさらと要点を書き込んでいく。「ただ、これだとターゲット層が少し狭すぎるかもしれないな……『見守る』ことでキャラがどう成長するか、そのカタルシスをもっと具体的にアピールした方がいい」「あ……そっか」「あと、ここの収益モデル……推しへの課金動線を、もっと感情に訴える流れにした方が説得力が増すはずだ」 的確すぎるアドバイスに、思わず唸る。 それもそのはず、彼は今や海千山千の投資家たちを相手に、自分のビジネスプランを売り込んできた「プロ」なのだ。 その彼が、私の拙い企画書を本気でコンサルティングしてくれている。「……輝くん、スパダリすぎる」「ん? 何か言ったか」「ううん! ありがとう、すごく参考になる」 私はペンを握り直し、彼がこぼした言葉を逃さないよう必死にメモを取った。 隣にいる彼が、時折私の髪をすくように撫でたり、煮詰まった時に新しいコーヒーを淹れてくれたりする。 そのさりげない優しさが、不安で押しつぶされそうな私の背中を、何度支えてくれたことか。「栞なら、絶対に大丈夫だ」 不意に、彼の手が私の手を包み込んだ。 大きくて、温かい手。
季節の移ろいというのは、いつも足音を忍ばせてやってくる。 窓の外で唸り声を上げていた木枯らしは、いつの間にかどこかへ鳴りを潜め、代わりに柔らかな日差しが、冬の間に固く閉ざされていた蕾を、指先で優しく叩くようにノックし始めていた。 三月。 別れと出会い、そして何かが始まろうとする気配に満ちた季節だ。「……よし。これで、理屈は全部通ったかな」 パタン、とノートパソコンを閉じる乾いた音が、静まり返ったワンルームに響く。 ローテーブルを挟んで向かい合っていた天王寺輝くんが、凝り固まった背中をほぐすように大きく伸びをして、天井を仰いだ。 その横顔には、ここ数ヶ月、薄皮のように張り付いていた焦りの色はもうない。あるのは、長い坂道を登り切った後にだけ見せるような、清々しい達成感だった。「お疲れ様、輝くん……契約書、全部見終わった?」「ああ。弁護士のチェックも済んだし、あとはハンコを押すだけだよ」 彼は少年のようにニカッと笑うと、テーブルの上に積み上げられた分厚い書類の束を、愛おしそうにポンと手のひらで叩いた。 そこには、彼がゼロから立ち上げた新しい会社の登記書類や、投資家と交わす契約書が収められている。 天王寺家という巨大な後ろ盾も、親の威光も、コネさえも使わずに。 彼が自分の足で街を歩き回り、頭を下げ、ただ情熱だけを燃料にして勝ち取った「未来」への設計図だ。「すごいね……本当に、社長さんになっちゃうんだ」「まだスタートラインに立っただけさ。……でも、ようやく形になった」 輝くんが、冷めかけたコーヒーカップを手に取り、一口飲む。 立ち上る湯気の向こう、緩められたネクタイと、第一ボタンを外したワイシャツの首元が目に入る。仕事モードからふっと素の自分に戻る瞬間の、無防備な色気とでも言うべきもの。 付き合い始めて半年以上経つというのに、私の心臓はいまだに学習能力がないらしく、肋骨の裏側でトクンと大きく跳ねた。(……か
翌朝。 目が覚めると、輝くんはまだ隣で眠っていた。 昨夜の情熱的な彼とは打って変わって、子供のように無防備な寝顔だ。 その頬をつんと指でつつくと、「ん……」と唸って、私を抱き枕のように腕の中に引き寄せた。(……重いけど、幸せ) 時計を見ると、いつもより少し遅い時間だ。 今日は日曜日。二人とも、久しぶりの完全オフだ。「……ん、おはよ」 しばらくして、輝くんがもぞもぞと起き出した。 寝癖がついた髪が可愛い。「おはよう、輝くん。……よく眠れた?」「ああ。……泥のように眠った。こんなに深く寝たの、いつぶりだろう」 彼は大きく伸びをし、私を見てふにゃりと笑った。「……栞がいると、やっぱり違うな。充電完了って感じ」「ふふ、私もだよ」 二人で布団の中でまどろんでいると、不意に私のスマホが鳴った。 メッセージの着信音だ。 画面を見ると、『氷室 奏』の名前。『おはよう、月詠。昨日はすまなかった。少し強引だったかもしれない。天王寺とは、ちゃんと話せたか?』 短い文面に込められた、彼らしい気遣い。 そして、追伸があった。『P.S.アルカディア・ワークスの件だが。二次募集があるらしい。企画職の枠で、欠員が出たとかで。詳細は公式サイトには出ていないが、教授の伝手で聞いた。……諦めるなよ』「……っ!」 ガバッと布団から起き上がる。 隣で輝くんが「どしたの?」と目を丸くしている。「か、輝くん! チャンス! まだチャンスあるかも!」「え?」 私は奏くんからのメッセージを見せた。 輝くんはそれを読み、少しだけ複雑そうな、でもすぐに力強い笑顔を見せた。「&hel
いつぞやの黒歴史(BLプレゼン)を思い出して顔が赤くなるけれど、今の彼の言葉は茶化しているわけじゃなかった。「場所が変わっても、形が変わっても……栞がその『好き』を持ち続けている限り、夢は終わらない。俺はそう思う」「……っ」「それに、俺は栞の最初のファンだから」 彼は悪戯っぽく片目を瞑り、私の額にコツンと自分の額を押し当てた。「俺に『愛』の尊さを教えてくれたのは、栞だろ? ……その感性は、絶対に誰かの心を動かす武器になる」 涙腺が、決壊した。 ボロボロとこぼれ落ちる涙を、彼は親指で優しく拭ってくれる。 否定されたと思っていた。社会からも、世界からも、必要とされていないと。 でも、一番大切な人が、こんなにも私を肯定してくれている。「武器になる」と言ってくれている。 それだけで、十分だった。 落ちたことの悔しさは消えないけれど、前を向く勇気が、体の底から湧いてくる。「……うん。うん……!」「いい顔になった」 輝くんは満足そうに微笑むと、そのまま顔を寄せてきた。 触れ合う唇。 プリンの甘い味と、しょっぱい涙の味が混ざり合う。「……ごちそうさま」 唇を離し、彼が艶っぽく囁く。 その瞳の色が、先ほどまでの優しいものから、少しだけ熱を帯びた「男」の色に変わっていることに気づいて、ドキリとした。「プリン、食べたし。……元気、出た?」「う、うん。おかげさまで……」「そっか。……じゃあ」 彼の手が、私の腰に回る。 ぐいっ、と引き寄せられ、ソファ代わりのベッドに押し倒される形になった。「ひゃっ!?」「次は、俺が元気を貰う番でもいいかな?」 覆いかぶさる彼の影。 逆光になった表情は見えないけれど、低く響
その指先が首筋に触れ、ドキリとする。「栞。……話してもいいか?」「うん?」「俺がこの数日、何をしていたか」 輝くんの表情が、スッと真面目なものに変わる。 ビジネスモードの「天王寺輝」の顔だ。でも、以前のような孤高の冷たさはない。パートナーである私に向けられた、信頼の眼差し。「今日……投資家との最終プレゼンがあったんだ」「えっ……最終?」「ああ。これまでの交渉の総仕上げだ。……もしこれがダメなら、立ち上げようとしていたプロジェクトは白紙に戻るところだった」 息を呑む。 そんな瀬戸際の戦いを、彼はたった一人で、私に心配かけまいと黙って戦っていたのか。「結果は……?」「……取れたよ」 ふっ、と彼が息を吐き、破顔した。 それは、自信と安堵が入り混じった、最高の笑顔だった。「満額回答だ。……『君の描く未来に賭けてみたい』って言われたよ」「……っ!!」 スプーンを取り落としそうになる。 すごい。すごすぎる。 天王寺の名前も、親のコネも使わずに。彼自身の力だけで、大人たちを認めさせたんだ。「輝くん……! おめでとう……!」「ありがとう。……でも、俺が頑張れたのは、栞のおかげだよ」「私?」「ああ。プレゼンの最中、厳しい質問攻めに遭って心が折れそうになった時……栞の顔が浮かんだんだ」 彼は私の手を取り、自分の頬に寄せた。 伸びかけの髭が少しチクチクして、男の人なんだな、と改めて思う。「あの雨の日、『ここが輝くんの家だよ』って言ってくれた時の顔。……あの笑顔を守るためなら、俺は何だってできると思った」「
「ごめん……ごめんなさい、輝くん……!」 私は彼の背中に腕を回し、泣きじゃくりながら謝った。 マナーモードにしていたスマホ。勝手な思い込みで部屋を飛び出した自分。彼をこんなに心配させてしまった罪悪感で、胸が押し潰されそうだ。「もう……消えたかと思った……。俺が構ってやれないから、愛想尽かして出て行ったんじゃないかって……」「そんなことない! 絶対にないよ!」 私は彼の胸から顔を上げ、必死に首を横に振った。「私が……私が弱かっただけなの。就活に落ちて、自信なくして……輝くんに合わせる顔がないって、勝手に落ち込んでただけで……!」「……就活?」「うん……第一志望、落ちちゃった……」 情けない理由を告白すると、輝くんの瞳からふっと力が抜けた。 彼は安堵したように大きく息を吐き、へなヘなと座り込みそうになって、私に体重を預けてきた。「なんだ……そんなことか……」「そんなことって……私にとっては大問題だよ……!」「大問題だけど……栞がいなくなることに比べたら、些細なことだよ」 彼は私の頬を両手で包み、額を押し当ててきた。 熱いおでこと、潤んだ瞳。「よかった……。本当によかった……」 彼が泣きそうな声で繰り返す。 その姿を見て、私はようやく気づいた。 私が不安だったように、彼もまた、不安だったのだ。全てを捨てて私を選んだ彼にとって、私が居なくなることは、世界そのものを失うことと同じなのだと。「……ごめんね、寂しい思







