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春を迎えぬ冬
春を迎えぬ冬
Author: 冴川

第1話

Author: 冴川
「椿宮さん、本当に全ての身分情報を削除してよろしいのですね?手続きを完了すると、あなたという存在が世の中から完全に消えます。誰もあなたを見つけることはできません」

椿宮千夏(つばきのみや ちなつ)は少し黙り込んだ後、確固たる意志を持ってうなずいた。

「ええ、誰にも私を見つけられないようにしたいんです」

電話の向こう側の声が一瞬驚いたような響きを見せたが、すぐに答えが返ってきた。

「かしこまりました。手続きはおおよそ半月ほどで完了しますので、少々お待ちください」

電話を切ると、千夏はスマホを取り出し、半月後に出発するF国行きのチケットを手配した。

その時、テレビではちょうど蒼月グループの記者会見が再放送されていた。

一週間前のことだ。蒼月グループの社長、蒼月恭一郎(あおつき きょういちろう)が発表したのは、世界で最も希少価値の高いダイヤモンドと宝石を使って制作した、ただ一つの特別なジュエリーだった。その名も――「ユキナツ」。

彼はそのジュエリーに千夏の名前を冠し、全世界に向けて愛を宣言したのだ。

「蒼月恭一郎は永遠に椿宮千夏を愛し続ける」

「ユキナツ」の公開後、瞬く間にネット上で話題をさらい、ランキング上位を独占。どのニュースでも二人の「奇跡の愛」を取り上げていた。

記者会見の映像が終わると、次に流れたのは、街頭インタビューの様子だった。

「こんにちは。この件についてどう思われますか?蒼月社長と奥様の奇跡のような愛についてお話しいただけますか?」

記者がマイクを向けると、花柄のワンピースを着た女性が羨望を込めて答えた。

「知らない人なんているんですか?二人の愛はまるで物語そのものです!以前、蒼月さんがわざわざ奥さんのためにメモ集を出版したんですって。奥さんがさくらんぼ好きだと知ると、彼は邸宅の庭にびっしりさくらんぼの木を植えたそうです。私も主人に真似してって頼んだら、『そんな男にはなれない』って!本当に人を嫉妬で狂わせますよね」

記者はさらに別の人々にも質問を続けた。

今度は若い女子大生がマイクの前で両手を胸に当て、キラキラとした目で興奮気味に話し始める。

「あの二人、現実のロマンチックラブストーリーそのものじゃないですか!蒼月さん、本当に素晴らしい男性ですよね!四年前、奥さんが腎不全で危険な状態になった時、すぐにドナーとして適合した彼が、自分の反対意見を押し切って手術を受けたって話、有名ですよね?彼は『奥様が僕の命。彼女がいなくなったら僕も生きられない』って言ったらしいですよ。こんな完璧な男、他にいます?」

記者は多くの人にインタビューを重ねたが、誰もが恭一郎と千夏の愛を羨む声ばかりだった。

何度も繰り返し流れるそのニュースを、千夏は淡々と眺めていた。ふと、自分の唇を引きつらせるような微笑みを浮かべる。

幼い頃から彼女の美しい容姿は多くの人を惹きつけていた。

けれど、両親が早くに離婚したこともあってか、千夏は恋愛に期待を持てずにいた。告白されるたびに彼女は決まってこう言ったものだ。

「ごめんなさい。恋人なんていりません。恋愛にも興味がないんです」

そんな彼女の人生が変わったのは、蒼月恭一郎に出会った時だった。

他の誰とも違った。恭一郎は千夏を口説き続け、実に三年も粘り強くアプローチを続けた。一度や二度の拒絶では諦めることなく、むしろ挑戦するたびに勢いを増していくようだった。

ある時、彼女が気に入っていたネックレスを手に入れるため、命を賭けたレースに参加し、大事故で命を落としかけたこともあった。

その時、千夏の心はようやく動いたのだ。

交際が始まった後も、彼の愛情は決して薄れることなく、むしろ彼女を喜ばせるために全力を尽くしていた。徐々に、その真摯な愛が彼女の頑な心を溶かしていった。

求婚に至るまで、恭一郎は実に52回もプロポーズを繰り返した。その執念とも呼べる情熱が、ついに千夏に勇気を与え、彼女は結婚を決意したのだ。

求婚の日、指輪を薬指にはめながら、千夏は涙を浮かべ、彼に言った。

「恭一郎、私、あなたの妻として頑張るよ。生死を共にして、貧しさも分かち合う。だけど、一つだけ約束して。私、嘘だけは絶対に許さない。もし私を騙したら、その時は本当に、あなたの前から消えるから」

二人の輝かしい思い出は、今や残酷な現実に砕かれ、ただの幻となった。

3か月前、千夏は知ってしまったのだ。恭一郎が外に別の女性を囲っていることを。昼間は自分と過ごしながら、夜はその女性の元へ通っていた。彼の心は、とうに二人に分かれてしまっていたのだ。

どうやら「情熱的に燃え上がるほど冷めやすい、ゆっくり熱するほど長く続く」という言葉は本当らしい。千夏は苦々しい笑みを浮かべた。

テレビを消し、準備していた離婚届を取り出すと、静かに名前を書き入れた。彼女はかつての言葉通り、恭一郎の世界から永遠に消え去るつもりだった。

署名を終えると、その離婚届をきれいな箱に入れ、丁寧にラッピングを施した。

1時間後、恭一郎がドアを開けて部屋に入ってきた。

靴も脱がぬまま、彼は急いで千夏の元に駆け寄り、彼女を抱きしめて謝り始めた。

「ごめん、千夏。今日、ジュエリーを取りに行ってたんだ。だから結婚記念日に遅れちゃった。本当に悪かった!怒るなよ、頼むから」

彼は手に「ユキナツ」の入った箱を持っていた。黒いシャツの襟元は微かに開いており、一番上のボタンが外れていた。

恭一郎がふと顔を下げた瞬間、シャツの襟元の隙間から見えた肌には、無数のキスマークと爪痕が刻まれていた。

その光景が千夏の目に突き刺さる。

本当に「ジュエリーを取りに行っていた」だけなのだろうか。それとも、鷺宮梓(さぎのみや あずさ)と夜を共にしていたのだろうか?

おそらく、彼は今まさに梓のベッドを出たばかりなのだろう。

それでも恭一郎は、千夏の様子に気付くことなく、満面の愛情を浮かべながらジュエリーを彼女の首にかけた。

その輝く宝石は彼女の美しい顔立ちをさらに引き立て、眩いばかりの輝きを放っていた。

「千夏、本当に似合ってる」

恭一郎は心からの賛美を口にし、その瞳には驚嘆の色が浮かんでいた。

だが、千夏の表情に喜びの色はなく、ただ目を赤くしながらテーブルの上に置いていた離婚届の入ったギフトボックスを彼に差し出した。

「これ、あなたに」

恭一郎はきょとんとして尋ねる。

「なんだい?」

千夏は唇を引きつらせながら答えた。

「プレゼントよ。結婚記念日にあなたが私に用意したものがあるなら、私もお返しをしないと」

その言葉に、恭一郎の目が一瞬で輝きに満たされ、大切そうにその箱を開けようとした。

だが、千夏がそれを制止する。

「半月後に開けて」

「どうして?」

彼は少し戸惑った様子だ。

千夏はひとつひとつ言葉を選ぶようにして答えた。

「このプレゼントはね、半月後に開けた方が、もっと意味があるの」

その言葉を聞いて恭一郎は一瞬目を丸くしたが、それ以上は何も尋ねず、彼女の手をそっと掴むと優しく口づけをした。

「千夏がそう言うなら、そうするよ。僕、楽しみに待つから」

そう言うと、彼はまるで忠実な子犬のように、ポストイットを一枚取り出して何かを書き込み、それを箱に慎重に貼り付けた。

「半月後に開封」

千夏はその様子を黙って見守っていた。

恭一郎――その時が来たら、本当に「驚き」を感じるといいわね。

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Comments (1)
goodnovel comment avatar
千葉 鮎美
完結しないで途中で終わってます?
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