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時過ぎて人変わる

時過ぎて人変わる

By:  萱野(かやの)Completed
Language: Japanese
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「先生、志望校を横町大学に変えたいんです」中村花音(なかむらかのん)は受話器を握りしめ、きっぱりとした声で言った。 受話器の向こうから担任の声が聞こえてきた。「花音、その件はもう斉藤先生と相談したの?」 花音は一瞬たじろぎ、唇を噛むと、うそをついた。「はい、相談しました」 電話を切ると、花音はパソコンで志望校変更の手続きを完了させた。 担任の言う斉藤先生は、花音にとって特別な人だった。 中学と高校で数学を教えてくれた先生であり、苦しい生活から救ってくれた恩人でもある。 花音は田舎の小さな村で育った。14歳のとき、大学を卒業したばかりの斉藤拓真(さいとうたくま)と出会った。

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Chapter 1

第1話

「先生、志望校を横町大学に変えたいんです」中村花音(なかむらかのん)は受話器を握りしめ、きっぱりとした声で言った。

受話器の向こうから担任の声が聞こえてきた。「花音、その件はもう斉藤先生と相談したの?」

花音は一瞬たじろぎ、唇を噛むと、うそをついた。「はい、相談しました」

電話を切ると、花音はパソコンで志望校変更の手続きを完了させた。

担任の言う斉藤先生は、花音にとって特別な人だった。

中学と高校で数学を教えてくれた先生であり、苦しい生活から救ってくれた恩人でもある。

花音は田舎の小さな村で育った。14歳のとき、大学を卒業したばかりの斉藤拓真(さいとうたくま)と出会った。

拓真に出会う前、花音の体にはいつもあざが絶えなかった。

ちょうどその時、酔った父親が花音に暴力を振るう場に遭遇した拓真は、ためらわずに彼女をかばい、自分が棒で殴られることを選んだ。

その後、拓真はまるで一筋の光のように、彼女の暗い世界に差し込んできた。彼は花音の前にしゃがみ込み、彼女の頭を撫でながら優しく尋ねた。「花音、俺についてきてくれるか?市内で一緒に暮らそう」

拓真は花音の大学までの資金援助を約束した。

その後、花音は拓真について彼の家にやってきた。

掃除ロボットを初めて見た花音の驚いた顔を、拓真はしっかりと見ていた。

翌日、彼は花音にスマホとパソコンを買ってくれた。都会の珍しい場所へ連れて行ってくれたり、テレビでしか見たことのない遊園地にも行き、可愛い服もたくさん買ってくれた。

自分専用の部屋を見たとき、花音の目には一瞬で涙が浮かんだ。女の子でも自分だけの部屋を持てるんだと、その時初めて知ったのだった。

拓真が優しい人なのだと、彼女はわかっていた。

だから、彼に嫌われまいと、花音はいつも遠慮して言った。「ありがとうございます。斉藤先生、私は床で寝れば大丈夫ですよ」

それを聞いた拓真は、思わず涙をこぼした。

それ以来、拓真はすべてを花音に注いだ。

実家の会社を継ぐことさえ断り、花音のために中学の数学教師として働き続ける道を選んだ。

拓真は花音とこう約束していた。「花音が大学に入ったら、俺は教師の仕事を辞めるよ」

その時初めて、花音は拓真が東浜市で一番大きな企業、斉藤グループの後継者であることを知った。

そんな彼が、花音のために教師でい続けてくれていたのだ。

花音が初めて生理になったとき、古い布を代用しているのを見た拓真は、すぐにスーパーに駆け込み、生理用品を買い揃えてきた。

拓真はおずおずとする花音を見て、涙を浮かべながら抱きしめた。「遠慮しなくていい。これからは、俺がお前を大切にするから」

その後、彼は不器用ながらも花音に生理用品の使い方を優しく教えた。

その夜、花音は生まれて初めて生理用品を使い、自分のベッドで眠った。横漏れの心配のない、夢のような幸せを感じながら、丸くなって静かに涙を流した。目が覚めたら、また元の散らかった部屋に戻っているんじゃないかと怖かったから。

人は暗いところにいると、光を必死で掴もうとする。

いつの間にか、花音の拓真への想いは、感謝から少しずつ変わり始めていた。

多分、それは思春期の恋心だったのだろう。拓真がご飯をよそってくれた時、牛乳を注いでくれた時、数学を教えてくれた時、花音の胸は高鳴り、彼の目を見れなくなった。

クラスメイトの話から、その気持ちが「好き」という感情だと知った。

花音は拓真のことが好きだと確信した。

けれど、二人には10歳の年齢差があり、何より拓真は彼女の先生だった。だから、この想いは胸の奥にしまっておくしかなかった。

花音が18歳の誕生日を迎えた日、拓真は海外から戻り、誕生日を祝ってくれた。

花音はもう我慢できず、告白を決意した。

ろうそくを消す前、花音は大声で願い事を言った。「拓真先生の彼女になりたいです!」

拓真の返事を待たず、すぐにろうそくを吹き消した。

暗闇の中、長年好きだった人が目の前にいた。花音は月明かりに浮かぶ拓真の横顔と深い瞳を見つめ、自分の鼓動が耳の中で響いた。拓真の温かな息を感じた瞬間、彼女は思わず唇を重ねようとした。

しかしその瞬間、拓真は花音を強く押しのけ、誕生日ケーキを床に落としてしまった。

明かりがつくと、拓真は険しい顔で言った。

「花音!何をするんだ!」

その夜、拓真は激怒したが、花音はどうしても謝らなかった。

「どうしてダメなんですか?」

拓真はこめかみを押さえ、疲れたように言った。「俺はお前の先生だ」

「先生だからどうなんですか?法律は禁じてないじゃないですか!」

拓真は拗ねる花音に、強い口調で言った。「お前はまだ子どもだ。好きだの愛だの、何も分かっていない!」

でもその言葉は、花音には別の意味に聞こえた。彼女は涙ながらに反論した。「もう大人です。私は全部わかってます......」

そう言うと、花音はコートのボタンを外し始めた。拓真は慌てて彼女の服を整え、思わず彼女の頬を打ってしまう。「正気か!」

頬を打たれた花音はソファに倒れ、去って行く拓真の背中を見つめたまま、涙が止まらなかった。

それ以来、拓真はわざと花音を避け、必要なことだけしか口をきかなくなった。

彼はまるで別人のように冷たくなった。

しばらくして、拓真は一人の女性を家に連れてきた。

彼は花音にこう紹介した。「花音、この人が俺の結婚相手だ。挨拶して」

受け入れられない花音は、初めて拓真に逆らい、部屋に駆け込んで泣き続けた。

その夜、女性が帰った後、花音は泣きながら拓真にすがり、抑えていた想いをすべて打ち明けた。けれど、どれだけ泣き叫んでも、拓真の態度は変わらない。

拓真は冷たく花音を押しのけ、眉をひそめて言い放った。「俺とお前が付き合うなんて絶対にありえない。俺が助けたのは、そんなためじゃない!」

その瞬間、元々自信のなかった花音の心は、完全に凍りついた。優秀で大人の拓真を見上げて、彼女はうつむき、ただ謝った。「すみませんでした......」

その時、花音は、二人の関係は決して実らないものだということをようやく悟ったのだ。

一夜ですべてが元通りなのに、すべてが変わってしまった。

センター試験が終わると、拓真は花音に言った。「東浜大学に出願するんだぞ。入学後も、この家で暮らせばいい」

表面は同意した花音だったが、こっそりと志望校を変更した。

拓真がずっと彼女を生徒としてしか見ていないと知り、花音は自分の想いを諦めた。

もう、拓真のことは好きじゃない。

彼から遠く離れて生きていこう。

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第1話
「先生、志望校を横町大学に変えたいんです」中村花音(なかむらかのん)は受話器を握りしめ、きっぱりとした声で言った。受話器の向こうから担任の声が聞こえてきた。「花音、その件はもう斉藤先生と相談したの?」花音は一瞬たじろぎ、唇を噛むと、うそをついた。「はい、相談しました」電話を切ると、花音はパソコンで志望校変更の手続きを完了させた。担任の言う斉藤先生は、花音にとって特別な人だった。 中学と高校で数学を教えてくれた先生であり、苦しい生活から救ってくれた恩人でもある。花音は田舎の小さな村で育った。14歳のとき、大学を卒業したばかりの斉藤拓真(さいとうたくま)と出会った。拓真に出会う前、花音の体にはいつもあざが絶えなかった。 ちょうどその時、酔った父親が花音に暴力を振るう場に遭遇した拓真は、ためらわずに彼女をかばい、自分が棒で殴られることを選んだ。その後、拓真はまるで一筋の光のように、彼女の暗い世界に差し込んできた。彼は花音の前にしゃがみ込み、彼女の頭を撫でながら優しく尋ねた。「花音、俺についてきてくれるか?市内で一緒に暮らそう」拓真は花音の大学までの資金援助を約束した。その後、花音は拓真について彼の家にやってきた。 掃除ロボットを初めて見た花音の驚いた顔を、拓真はしっかりと見ていた。翌日、彼は花音にスマホとパソコンを買ってくれた。都会の珍しい場所へ連れて行ってくれたり、テレビでしか見たことのない遊園地にも行き、可愛い服もたくさん買ってくれた。自分専用の部屋を見たとき、花音の目には一瞬で涙が浮かんだ。女の子でも自分だけの部屋を持てるんだと、その時初めて知ったのだった。拓真が優しい人なのだと、彼女はわかっていた。 だから、彼に嫌われまいと、花音はいつも遠慮して言った。「ありがとうございます。斉藤先生、私は床で寝れば大丈夫ですよ」それを聞いた拓真は、思わず涙をこぼした。それ以来、拓真はすべてを花音に注いだ。 実家の会社を継ぐことさえ断り、花音のために中学の数学教師として働き続ける道を選んだ。拓真は花音とこう約束していた。「花音が大学に入ったら、俺は教師の仕事を辞めるよ」その時初めて、花音は拓真が東浜市で一番大きな企業、斉藤グループの後継者であることを知った。 そんな彼が、花音のため
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第2話
拓真は花音の部屋のドアをノックした。返事を待ってからそっと開けた。「花音、志望校は決まったか?」花音は俯きながらも、こっくりとうなずいた。「はい、決めました......斉藤先生」ドア際に立つ拓真ははっとした。あの告白の夜以来、花音は「拓真兄さん」と呼んでいた。 「先生」と呼ばれるのは、ずいぶん久しぶりだ。 なぜか胸の奥が、かすかにきりりと痛くなった。彼はそんな感情を押し殺し、無理に穏やかな笑顔を作って言った。「よかった。東浜大学なら家からも近い。これからもずっと、ここに住めばいい」高校二年のとき、二人は近くの大学を受けるという約束を交わしていた。 だが今、花音はその約束を破る選択をしていた――恩ある拓真への恋心を優先させて。たとえ彼に恋人ができようとも、拓真は根本的に、花音が自分から離れていくとは思っていなかった。花音は一瞬表情を強ばらせたが、すぐにかすかに笑ってうなずいた。そのとき、拓真は一枚のカードを差し出した。「夏休みのうちに、服でも買って気分を変えておいで」「大丈夫です、斉藤先生。クローゼットにはまだたくさん服がありますから」 だが拓真は強引にカードを机に置いた。ふと目を上げたその瞬間、パソコンの画面に「横町大学」の文字がちらりと映る。花音はあわてて画面を消した。「横町大学?お前は横町大学に出願するっていうのか?」拓真の声は低く、冷たくなった。花音は拳を握りしめ、無理に明るい声を張り上げた。「違います!私が選んだのは東浜大学です。寒い横町大学なんて行きません。東浜大学に行くのが一番だと思ってます」流れるようなその言葉に、疑念を抱きつつも拓真は少し安心した。 だが、もとより疑り深い彼は、花音にパソコンを再起動させ、志望校の画面を自分に見せるよう強く要求した。それを聞いた花音が一気に強張った。そのとき、拓真の携帯が鳴った。受話器の向こうから、優しい女の声が聞こえた。「拓真、ちょっと事故に遭っちゃった......」高橋葵(たかはしあおい)からの電話だった。 その後、かすかに葵の泣き声が続いた。花音は拓真の顔に浮かんだ心配そうな表情を見逃さなかった。彼はそのまま彼女を置き、部屋を急いで出て行った。その瞬間、花音の胸には安堵と言いようのない苦さが入り混じった。拓
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第3話
拓真は一晩中、帰ってこなかった。花音はベッドの傍らに座り、季節ごとの服を丁寧に畳んでいた。ときどき壁の時計を見上げては、ほんの少し寂しげな表情を浮かべた。荷物を整理しているうちに、東浜市は一年中春のように暖かく、冬用のコートはほとんど必要ないことに気づいた。横町市の冬は、よく氷点下まで冷え込むというのに。少し考えた後、花音は拓真からもらったカードを持ち、東浜市で一番大きいショッピングモールへと足を向けた。店内には軽やかな音楽が流れ、人々の話し声と重なり、活気にあふれていた。拓真が毎年、季節が変わる度に連れて来てくれたあの洋服店に、彼女は一人で入った。なんだか少し、寂しかった。「中村様、いらっしゃいませ!昨日ちょうど新しいドレスが入ったばかりで......」店員が笑顔で花音を中に案内した。花音はドレスが掛けられたラックを見て、高校の試験が終わった日、拓真が試着室の外で待っていてくれたことを思い出した。あの時、どのドレスを着ても、彼はいつだって「似合ってる」と褒めてくれた。無理に笑顔を作ると、花音は心の疼きを押し殺すように、ダウンジャケットや暖かい服を選んだ。ぶらぶらと店内を歩いていると、宝石店のショーウィンドウに並んだ指輪が目に入った。花音はぱっと目を輝かせ、そちらへ歩み寄った。「その指輪、見せてください!」花音と、もう一つの声が、同時に重なった。花音が顔を上げると、ちょうど葵と目が合った。その横には、大きな買い物袋を提げた拓真が立っていた。「お二人様、こちら一点ものの商品で、東浜市ではこちら一点のみとなっております」店員は拓真を見ながら、遠慮がちに言った。店員はどちらにも嫌われたくなく、拓真の判断を仰いでいた。花音が言いかけたその時、冷たい影がさっと前に立ちはだかった。葵はわざと曇った顔をして、甘えた声で言った。「拓真、花音に譲ってあげて......ただの指輪だし、気に入ってくれたならいいよ。私は別のでもいいから」葵は拓真の袖を引っぱりながら、花音を見下すような視線を投げかけた。その言葉や動作は、花音の胸に深く刺さった。「花音、お前はまだ若い。指輪なんて、早いだろう」拓真のその一言で、花音は拓真の選択を悟った。悔しさと悲しみが一瞬で表情をゆるがせたが、花音はすぐに
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第4話
半月後、花音は気持ちを整え、以前約束していた同窓会に参加した。人付き合いに気を使うのが苦手な花音は、隅の方で静かに時間を過ごしていた。「まさか花音にここで会えるなんて!このパーティー、ほんとに色々な人が来るのね」高橋鈴蘭(たかはしすずらん)がわざと花音のスカートを踏み、酒をこぼした。花音は冷たい視線で鈴蘭を一瞥すると、スカートを整えてその場から離れようとした。鈴蘭が葵の妹だということは、つい昨日、友人の花崎千雪(はなさきちゆき)から聞いたばかりだった。鈴蘭と千雪の仲は最初から良くなかった。花音は騒ぎを大きくしたくなく、背を向けた。しかし鈴蘭は強く彼女の手首をつかみ、からかうように言う。「どこに行くの?斉藤先生が何年も教えてくれてたのに、まだマナーも覚えられないの?それとも田舎者はやっぱり頭が悪いの?」「いい加減にして!」花音は鈴蘭の手を振りほどき、声を張り上げた。周囲の人々がざわめきだす中、千雪は遮られており、すぐには助けに入れなかった。「斉藤先生があなたのような田舎者が好きなわけない。でも安心して、あなたはもうすぐあの家から出ていかなくちゃいけないんだから。だって斉藤先生は今、私の姉が大好きなんだからね」鈴蘭は花音に顔を近づけ、自信満々に囁いた。「引っ越すかどうかは斉藤先生が決めること。あなたが口を出すことじゃない」花音の中にあった悔しさが一気に溢れ、拓真の言葉を思い出しながら、憤慨して言い返した。「成り上がりってもんは、ほんとに調子に乗るのねえ」鈴蘭は執ように花音の肩を指でつつき、見下すように見ていた。千雪が花音の前に割って入ろうとした瞬間、鈴蘭に押され、パーティー会場の水槽に倒れこんでしまった。鈴蘭の態度は我慢の限界を超えていた。「千雪なんか、私の前に立つ資格なんてない......」鈴蘭は嫌そうに手を拭い、目には軽蔑の色があふれていた。花音は冷たく鈴蘭を見つめると、突然その髪をつかみ、水槽の方へぐいと引っ張りながら低い声で言った。「あんたがそんなえらそうにできる資格がどこにあるの?何がそんなに偉いの?」鈴蘭は髪を引っ張られ、痛さと驚きで目を見開いた。その後、二人はもみ合いになった。周囲は誰も止められず、ただ見守るしかなかった。「花音、ついに本性出したね!
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第5話
葵は慌てて鈴蘭のそばに駆け寄り、抱きしめて涙声で言った。「鈴蘭、ごめん。来るのが遅くなって。花音に意地悪されたの?でもあなたも悪いんだから!」二人の遣り取りを見ている拓真は、どう反応すべきか少し困惑していた。周囲の人々は拓真の次の動きを期待しているようだった。「花音、俺はお前を十年以上も育てて、礼儀作法も教えてきたはずだ。それなのに、人を殴るなんて......どういうつもりだ!」拓真は首を赤くして怒り、花音を大声で叱りつけた。花音は信じられないという目で彼を見つめ、声を詰まらせながら言った。「何が起こったとも聞かずに、そう言うんですか?」拓真は鈴蘭を抱えると、葵とともに病院へ急いだ。拓真の激しい言葉に、花音の抑えていた感情が一気にあふれ、涙が止まらなくなった。山本陽翔(やまもとしようと)が到着したとき、パーティ会場は荒れ果て、花音が床に座り込んで泣いているしか見えなかった。千雪から事情を聞いた陽翔の目には心配の色が浮かぶ。三人はすっかり酔いつぶれてしまった。陽翔は優しく花音を自宅まで送り届けた。花音は体がだるく、陽翔の腕にもたれかかって泣き叫んだ。「どうして彼まで私のことを信じてくれないの?」陽翔はそっと彼女の涙を拭い、苦しむ彼女を見て思わず髪にキスをし、ささやくように言った。「俺は信じてるよ」二階の書斎の窓から拓真がその様子を見下ろしていた。彼は拳を無意識に握りしめ、目を赤くして、酒杯を地面にたたきつけた。「あの男は誰だ?夜中に酔っぱらって、知らない男に送られてくるとは。花音、いったい何を覚えてきたんだ?」花音は彼の言葉を無視し、真っ直ぐ部屋に入るとベッドに倒れ込んだ。拓真は立ち尽くし、彼女の背中を見ながら以前とは何かが違うと感じていた......夜中の1時、花音は喉の渇きで目が覚め、リビングへ水を飲みに行った。すると、拓真がソファに座り、酒を一瓶また一瓶と空けている姿が見えた。彼女は声をかけようとしたが、気まずさからやめた。振り返ろうとした瞬間、花音の腰に力強い腕が回り、ぎゅっと抱きしめられた。拓真は彼女の肩に顔を埋め、じっとりした熱いキスを肩に落とした。酒の香りと温かな息が彼女を包み、花音は顔を赤らめ、体の力が抜け、振り返ることさえできなかった。拓真はさらに
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第6話
まるまる半月、拓真は家に戻って来なかった。しかしその夜、花音は彼からのメッセージを受け取った。【部屋にドレスを用意しておいた。着替えて、サンシャインカラオケまで来て......】花音は信じられないという顔で、思わず携帯を強く握りしめた。戸惑いながらも、彼女はその指示に従うことにした。ドアを開けると、そこにはセクシーな赤のミニドレスと、ウサギ耳のついたデニムのドレスがかけられていた。彼女はベッドの端に座り、震える手でシーツを握りしめ、勇気を振り絞ってひとことメッセージを送った。しかし、返事はまったく返って来ない。数分間ぼうぜんとしていた花音はやがて覚悟を決めて赤いミニドレスに着替えた。彼女は指定された場所に着いた。そのドレスは背中が大きく開いたデザインで、短くてかろうじて隠せる程度だった。花音は片手で胸元を押さえ、もう片方でドレスの裾を引っ張りながら、とても不自然な姿で人前に現れた。「本当にお利口さんね。もっと早くこうしてれば、拓真ももっとあなたをかわいがってくれたかもしれないのに」葵は冷ややかに笑いながら花音の前に立ち、自分が首に巻いていたスカーフを外した。葵の首にはいくつもキスマークがあり、花音の目にそのまま映り込み、彼女の心を刺すように痛ませた。その瞬間、葵は花音の手を掴み、個室のドアの前まで引きずっていき、強くその頭をドアに押し付けた。すると、花音は中の拓真と鈴蘭の会話をはっきりと聞いた。「鈴蘭、花音は田舎から出てきた子だ。今回のことは全部彼女の責任だ。俺が代わりに謝罪する。だからもう一度彼女にやり直させるチャンスをくれないか?」花音は唇を噛みしめ、涙を必死にこらえた。「彼の目には、あなたはただの支援を受ける学生でしかない。問題を起こしては彼に後始末をさせる、もう不相応な望みなんて持たないで」そう言い終えると、葵は花音を個室の中に押し入れた。「新人か?このスタイル、この顔......なかなかいいじゃないか!」個室の中の人々は転がり込んできた花音に注目し、はだけた胸元と悔しい表情が却って彼らの欲望を掻き立てた。拓真の目に一瞬怒りの色が走り、拳を握りしめて冷たく言った。「これは俺が助けた学生だ」周囲の視線が拓真の険しい顔に集まり、誰も声が出せない。花音は驚きながら立ち上がり
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第7話
その時、拓真の目には失望の色があふれていた。花音を守りたい衝動を必死に押さえ、拳を握りしめ、爪が手のひらに食い込んだ。葵は花音の耳元で囁いた。「なんて恥ずかしい」花音は苦笑いを浮かべたが、何も言わずその場から離れようとした。「花音、待ちなさいよ。私の顔にまだ傷が残ってるのに、謝りもしないなんて、ひどすぎない?」鈴蘭が立ち上がり、花音に近づきながら歪んだ笑みを浮かべた。「悪いことしてないから、謝る必要ないと思う」花音は足を止め、鈴蘭をまっすぐ見上げて静かに言い返した。葵が口を開こうとしたその時、拓真が先に声を荒げた。「花音、いつまでそんな態度を続けるつもりだ?俺がお前に教えたのは、派手な格好で男を惑わせることや、過ちを認めないことだったのか?人に手を出したことは、明らかにお前が悪いだろう!花音、ちゃんと謝れ」拓真の声はわずかに震え、額に汗がにじんでいた。彼は目をぎゅっと閉じ、心の痛みと無力感を必死に隠そうとしているようだった。花音は胸が締めつけられるような痛みを感じながら、鈴蘭の前に進み出て冷たい声で言った。「ごめんなさい」鈴蘭は上から見下すように花音を見て、からかうような口調で言った。「田舎育ちの花音なら、ものを大切にすることの大切さをよく分かってるんでしょ?さっきあなたが倒したバナナを食べたら許してあげる......」拓真はその言葉に驚き、一歩踏み出そうとしたが、葵に腕をつかまれた。葵は拓真の耳元でささやいた。「拓真、みんなが見てるから」その言葉に、拓真は足を止め、苦しげな表情で無力な花音を見つめるしかなかった。鈴蘭はバナナを踏みつけ、ぐちゃぐちゃになった果肉が床に広がった。「あら、ごめん!見えてなかったわ......」花音は今日という日から逃れられないことを悟った。早く終わらせるため、無表情にひざまずき、ぐちゃぐちゃになったバナナを手でつかんで口へ運んだ。涙の塩辛さと腐ったバナナの味が口中に広がり、胃が激しく収縮した。吐き気を必死にこらえた。この瞬間、彼女のわずかな自尊心は周囲の嘲笑とともに塵と消えた。「吐いたらダメだからね!」鈴蘭は軽く言い放った。花音はむせび泣きをこらえ、口の中のものを飲み込み、涙をぬぐいながら言った。「斉藤先生、葵さん、鈴蘭さん、これで満足ですか
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第8話
拓真が家に戻ったのは、それから三日後の朝のことだった。帰り道、予約しておいたブレスレットを宝石店で受け取った。「花音!花音!」拓真は玄関を開けながら、いつものように彼女の名前を呼んだ。しかし、返事はなかった。次第に不安な表情が彼の顔に浮かび、何かが起きるのではないかという予感が胸を締め付けた。宝石箱を握ったまま、拓真は大股で花音の部屋へ向かい、ドアを開けた。部屋は空で、人が住んでいた気配さえ感じられなかった。彼は慌てて携帯を取り出し電話をかけると、冷たい機械音が返ってきただけだった。「おかけになった電話は、現在使われておりません......」怒りが込み上げてきた拓真は、宝石箱を床にたたきつけた。彼は低い声で唸るように言った。 「家出か?大人になったつもりで、好き勝手やれると思っているのか!」彼は怒りに任せて車に乗り込み、ハンドルを握る手に力が入り、関節が白く浮かび上がった。拓真は真っ直ぐに東浜大学の校長室へ向かった。「花音はどのクラスだ?今どこに住んでいる?」彼は感情を抑えた冷たい声で問いただした。校長は拓真の剣幕に気圧されながらも、おずおずと答えた。「斉藤様、学生のプライバシーに関わることですので、申し訳ございませんが......」拓真は校長の言外の意味を察し、図書館一棟の寄付と引き換えに花音の情報を得ようとした。しかし2時間かけて資料を探しても、花音の名前は見つからなかった。校長は手を揉みながら、首を振り、慎重に切り出した。「斉藤様、花音という学生の記録は一切ございません......もしかして、本校への出願自体されてないのかもしれません......」拓真は陰のある目で校長を見つめた。この一ヶ月の間に花音の部屋に溜まっていた荷物や、彼女が買い集めていた厚手の服を思い出し、彼は思わず眉をひそめた。「斉藤様、他にご用件はございませんか?」校長の声に我に返った拓真は、無表情に手を振り、部屋を後にした。茫然自失のまま帰宅した拓真は、両手で額を押さえながら、秘書の佐野真也(さのしんや)に電話をかけた。「どんな手を使ってでも花音の居場所を突き止めろ!すぐにだ!」拓真は落ち着かない様子で居間を行ったり来たりし、手を揉みながら、携帯の画面から目を離さなかった。「社長.....
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第9話
事態は進展せず、拓真はリビングのソファーに一晩中座り込んだまま、ぼんやりと両手で額を押さえていた。彼はイライラしながら床に落ちた携帯を拾い上げ、再び真也に電話をかけた。感情を押し殺した冷たい口調で言い放つ。「全員に、後で会議があることを通知しろ。俺が会社に着くまでに納得のいく報告がなければ、お前は即座に退社しろ」電話の向こうでは、真也がパソコンの前で一瞬も休む暇なく、必死に目をこすりながら対応していた。拓真は服を着替えると、アクセルを踏み込み、車を猛スピードで走らせた。真也は葵を見るなり、藁にもすがる思いで彼女の腕をつかみ、泣きそうな顔で訴えた。「葵、何とかして!社長が来るまでに花音が見つからないと、俺は本当にクビになってしまう!」葵は眉をひそめつつも、余裕のある態度で真也を慰めた。「社長はただ脅しているだけよ。そんなに緊張しないで。社長が来たら、私がなんとかするから」真也は彼女の自信に満ちた様子を見て、ようやく少し安堵の表情を浮かべた。周囲の同僚たちが小声で噂し合った。「さすが葵、社長のことをよくわかってる......」葵は周囲の称賛に浸っていた。その時、拓真は既に彼女の背後に立っており、厳しい声で問いただした。「任された仕事は終わったのか?」葵は驚いて体を震わせ、手にしていた書類を床に散らしてしまった。「社長......」彼女は慎重に拓真の後について社長室に入り、何か言おうとしたが、彼に割り込まれた。「俺をごまかそうってか?いい度胸してるね。花音の居場所がわからなければ、お前もクビだ」拓真は冷たい笑みを浮かべて彼女を見つめ、書類の束を彼女の足元に投げつけた。葵は何度も頭を下げながら、みじめな様子で退出した。ドアの外に出るやいなや、彼女は危ない表情に変わり、軽蔑するように呟いた。「一生探してなさいよ......見つかるわけないんだから」階段室に向かった彼女は、鈴蘭に電話をかけた。「葵姉さん、私は今日ほんと頭にきた!学校であの花音に会っちゃったの!」「黙りなさい!」葵はすぐに鈴蘭のこれ以上の発言を遮り、花音の行方を秘密にするよう改めて念を押そうとした。しかし突然、葵は背筋が寒くなる感覚に襲われ、誰かに見られているような気がした。彼女は不安げに振り返った。そ
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第10話
横町市に着いたのは、朝の7時だった。拓真はホテルを手配させる余裕もなく、直接横町大学へ向かった。車中、運転手を何度も急かしながら、拓真は一刻も早く花音に会い、なぜ勝手に志望校を変えたのか、なぜ彼から離れて行ったのかを問いただしたかった。車を降りると、大学の入口ですでに案内役が待っていた。その案内で、スムーズに校長室へ通された。校長は拓真を見るなり、頭を下げて笑顔で丁寧に手を差し出した。「斉藤社長、ご来訪ありがとうございます。どのようなご用件でしょう?」拓真は学生寮一棟の寄付と引き換えに、花音の寮とクラスの情報を手に入れた。さらに、花音を最高のクラスと寮に入れるよう要求した。斉藤グループが建てるその寮は、言うまでもなく花音のために用意するものだ。朝8時、授業開始の時間になった。拓真は教室棟の前で待ち構え、入って行く学生一人一人をじっと見つめた。学生たちは彼を見てあれこれ噂話を始め、中には周りに集まってくる者もいた。「新しい先生?すごく格好いい......」「大人の男性って魅力的だわ。立ち姿だけでも惹かれるわ」花音はまだ眠そうに、千雪に引っ張られるようにふらふら歩いていた。千雪は好奇心いっぱいの表情で花音を前に引っ張り、目を大きく見開いて驚きの声をあげた。「花音、見て!斉藤先生だよ!わざわざあなたに会いに来てくれたんだ!」その名前を聞いた瞬間、花音は目を覚まし、必死で千雪の口を押さえた。逃げ出そうとしたその瞬間、足音や話し声に気づいた拓真は彼女を見つけ、怒りを込めた声で呼び止めた。「花音、どこへ行くつもりだ?」周囲の学生たちは口を押さえ、何か秘密を察したようにざわめき始めた。拓真は人々の視線も気にせず、花音の手を取って隅へと連れて行った。彼女は拓真の手を振りほどき、その場に立ったまま、諦めたように言った。「斉藤先生」拓真は怒りで首筋を赤くし、息を荒くして必死に言葉を絞り出した。「一緒に帰るぞ」再び彼女の腕をつかもうとしたが、花音はそれをかわした。彼は不快そうに、戸惑いの表情で彼女を見つめ尋ねた。「なぜ勝手に志望校を変えた?」花音は彼の目を見つめ返し、質問には答えず淡々と言った。「斉藤先生、長い間お世話になりました。家族の温かみも感じさせていただき、今はまだ返せ
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