로그인翌日、仁は激しい痛みの中で目を覚ました。背中が引き裂かれそうに痛む。上半身を起こすと、冷や汗で包帯がすぐに濡れてしまった。しかし、佳奈が出かけようとしているのを見つけ、仁は痛みをこらえて彼女を引き止めた。「仁。私たちはもう終わってるんだよ。なのに、あなたは一体何がしたいの?」仁は苦い笑みを浮かべ、佳奈を書斎へ連れて行った。「佳奈、行きたいんだろ?最後に一つだけ頼みを聞いてくれたら、行かせてやるから」「何?」彼は書斎の金庫から黒い拳銃を取り出し、佳奈の手に握らせる。「俺を殺せ」佳奈は思わず手を引っ込め、拳銃を落としそうになった。数秒間、空気が凍りついた。まさか、仁がここまで狂っていたなんて。「私たちはもう関係ないの。手を離して」そして彼女は鼻で笑う。「あなたがしつこくすればするほど、私はあなたのことを嫌いになるだけ」「それでも俺は離さない」顔は真っ青な仁だったが、まっすぐな瞳で佳奈を見つめて言った。「佳奈、お前の両親のこと……あの時、俺にもどうしようもなかった。でも、彼らの命の償いは俺がするべきなんだ。俺の命じゃないと、あの人たちの命に釣り合わない」佳奈は拳銃を机に投げ捨てて、顔をそむけた。声が少し震える。「私は警察よ、人殺しじゃない。それに、あなたの命なんていらないから」そう言って、彼女は仁に背を向けると、振り返ることもなくその場から立ち去った。仁は佳奈の後ろ姿を見つめた。胸にあいた穴がどんどん広がって、冷たい風が吹き込んでくる。彼は突然笑い始めた。その笑い声は、ひどく壊れていた。佳奈は思わず足を止める。こんなになった仁を、佳奈は見たことがなかった。疲れ果てて、やつれて、生きる気力を無くしてしまっている。まるで……生きることへの執着がないようだった。次の瞬間、仁は拳銃を自分のこめかみに突きつけた。指はもうすでに引き金にかかっている。「佳奈。俺は生きてる限り、お前を失うなんて耐えられないんだ。それも、自分で抑えが効かないほどに……」佳奈の心臓が激しく鳴り、頭が真っ白になる。「落ち着いて!銃を下ろして!」「佳奈」仁は息を吸った。「俺だってお前には幸せになってほしいんだ。でも、お前の人生に俺はもういない。俺が死ぬことでしか、お前は解放されないんだよ」そう言って、彼は一歩下が
30分後、身支度を終えた仁は、佳奈の手を引いて部屋を出ようとした。「佳奈、ちょっと会わせたい人がいるんだ」佳奈は眉をひそめる。「誰?」仁はそれには答えず、手下に地下室への通路を開けさせた。廊下はひんやりと湿っぽく、足音に反応して明かりが灯る。その薄黄色い光が、壁のカビをぼんやりと照らし出した。重い鉄の扉が開かれると、血と腐敗が混じったような臭いがつんっと鼻をついた。佳奈の足はぴたりと止まり、瞳がぐっと見開かれる。地下室の真ん中には、錆びた鉄の枠に鎖で繋がれた若葉がいたのだ。かつて自慢だった長い髪は血と汚れでべったりと固まり、顔の半分以上を覆っていた。肌が見えているところは青紫の痣や、まだ塞がらない傷だらけ。それに、左足はありえない角度に折れ曲がり、ハエがぶんぶんと周りを飛び回っている。長年、警察としていろいろな現場を経験してきた佳奈だったが、さすがにこみ上げてくる吐き気をこらえることはできなかった。物音に気づいたのか、若葉がゆっくりと顔を上げる。目は落ちくぼみ、瞳は濁っていた。口の端からはよだれが垂れ、体は骨と皮だけにやせ細っている。まるで地獄から這い出てきた鬼のようだった。佳奈はゾッとした。「まだ生きてる」仁は彼女の手を取ると、弾の込められた拳銃を握らせた。「お前が帰ってくるのを待って、生かしておいたんだ」「仁……」佳奈の声は強張り、指先は無意識に拳を握りしめていた。「こいつのせいで、お前の家族はめちゃくちゃになったし、お前も倉庫で死にかけた」仁の目は氷のように冷たい。「これくらいの苦しみ、当然の報いだろ?」そのとき突然、若葉のかすれた声が聞こえてきた。若葉の濁った目が、きっと光る。「横山?横山なのね!このクソ女!」彼女は激しくもがき、鎖が肉に擦れて耳障りな音を立てる。「お前のせいだ!お前が私のすべてを壊したんだ!殺してやる!」しかし、顔をこわばらせた仁が、若葉の胸を思いきり蹴りつけた。「ごふっ――」若葉は血の混じった泡を吐き出し、体を激しく痙攣させた。そして、悲鳴をあげながらうずくまる。「黙れ!」仁の声には、殺気にも似た険しさがあった。しかし、若葉は狂ったように全身の力を振り絞り、鎖を引きずりながら佳奈の足元まで這ってきた。「殺してやる!死んでもお前を許さない!」
ギィッ、と音を立ててドアが開いた。そこには仁が立っていた。まるでホームレスのように、無精ひげが伸び放題で青黒く、顎のラインもすっかり隠れてしまっている。それに、彼の目は真っ赤に充血していて、目の下には濃いクマができていた。でも、佳奈の顔を見た瞬間、その瞳にぱっと光が灯る。佳奈は思わず息をのんだ。今の仁は、昔のあの隙のない完璧な姿とはまるで別人だったから。「佳奈」仁の声は、紙やすりでこすったみたいにしゃがれていた。「池田さんからご飯を食べてないって聞いたよ。そんなに怒らないで。体は壊しちゃだめだからね。新しくお味噌汁を作ったんだけど、一口どうかな?」彼はそう言うと、スプーンを佳奈の口もとへ差し出した。その目には、人をうんざりさせるほど狂おしい愛情が浮かんでいる。佳奈は顔をそむけて拒んだ。そして必死にもがいたが、鉄の鎖で肌が擦れ真っ赤になり、血がにじみ始める。彼女は顔を上げて仁をにらみつけた。「仁、あなたは狂ってる!ここから出して!」仁の顔がさっと青ざめる。彼は急いでそばに駆け寄り、恐る恐る佳奈の手首を触る。指の腹でそっと傷口をなで、仁は顔をしかめた。「動かないで」そう言うと、彼はポケットから鍵を取り出して鉄の鎖を外した。「佳奈、お前はきれいだ」仁は病的なほど大事そうに佳奈の手を取り、そこにキスを落とした。赤くなった肌に、彼の唇の熱が伝わる。それは羽のように軽い感触だった。しかし、佳奈の体は固まった。そしてすぐに、まるで熱いものにでも触れたみたいに、彼女は手を引っこめる。「何するの?!」佳奈は心底驚いて、一歩うしろへと下がった。今までの仁だったら、謝るなんてありえないのに。優しく話すことさえ難しかった彼だったのだから。でも今の彼は、自分が罵っても、突き飛ばしても、全てを受け入れている。それどころか、こんなに卑屈に自分の傷へキスまでしてみせた。骨の髄まで愛して、そして心の底から憎んだ男。その男がこんな魂の抜けた姿になってしまって、佳奈は憎めばいいのか、それとも哀れめばいいのか分からなくなっていた。「痛いか?」仁はまだ手を離さず、指の腹で優しく手首をさすっている。その声は、まるで何かを恋焦がれるように低かった。「先生に診てもらおう、な?」「放して!」佳奈は力いっぱい彼の手を振り払う。「今
「動くな!警察だ!」私服警察たちが、会場の両側からなだれ込んできた。まっ黒な銃口が、悪党たちに向けられる。佳奈の反応はとても早かった。とっさに隣にいた正人をテーブルの下に押し込むと、自分も柱の陰に隠れ、銃を抜いて包囲に加わる。激しい銃撃戦のあと、二人ともそれぞれ傷を負った。数分後、悪党は全員制圧された。仁の周りも、数人の特殊警察が固めている。インカムから純一の落ち着いた声が響く。「25364番、逮捕任務完了。悪党は全員確保した!」一瞬で佳奈の目頭が熱くなった。この任務のために、自分と正人は名前を変え、夫婦を装い3ヶ月も潜入捜査を続けてきた。張り詰めていた緊張の糸が、ぷつんと切れそうだった。そして今、やっとすべてが終わった。しかし、続けて切羽詰まった純一の声が聞こえてきた。「正体不明の別グループが会場に向かっているようだ!お前らもすぐに撤退しろ!」別のグループ?まさか、誰かが乱入してくるというのだろうか?「はい!」佳奈はとにかく、急いでその場を離れようとした。だが、立ち上がった瞬間に後ろからものすごい力で後頭部を殴られた。目の前が真っ暗になり、彼女は一瞬で意識を失った。次に目を覚ましたときには、体中がトラックに轢かれたみたいにものすごく痛んだ。手足は太くて重い鎖でベッドに繋がれている。冷たい金属が肌に食い込み、手首が赤くなっていた。少し身じろぎすると、鎖がガチャガチャと音を立てる。静かな部屋に、その音はひどく耳障りだ。まずい、拉致された。佳奈が眉をひそめて顔を上げると、次の瞬間、息が止まった。これは、ただの拉致じゃない。壁紙は見慣れたライトグレー。左側には絵が一枚掛けられてあり、額縁の隅にはかすかなひび割れがある。あれは去年、仁と喧嘩したとき、自分が誤って床に落としてしまった痕だった。それに、ベッドサイドの棚は濃いウォールナット色で、そこには空っぽの銀色の写真立てが置いてある。昔は二人の写真が飾られていたが、別れを切り出した日に自分の手で破り捨てたのだった。ここにあるなにもかも全部が、自分が国内で暮らしていた部屋とそっくりだった。その瞬間、彼女はすべてを察した。仁は本当に人を送り込んで現場を襲い、そして自分を拉致したのだ。「仁!」佳奈は力を振り絞り、彼の名前を呼
がっかりした仁がその場を離れると、別荘の中の二人はすぐに離れた。そして、スマホが震える。上司の純一からの電話だった。「25364番、任務の進捗を報告しろ」ノイズ混じりの純一の声が、受話器から聞こえてくる。「報告します。偽の身分で組織の中枢への潜入に成功しました」声をひそめる佳奈の目つきは鋭かった。「ターゲットは私たちを疑っておらず、結婚式の招待も受けました」「よし」純一の声が低くなる。「明日の結婚式で、あの悪党どもを一網打尽にするぞ」「はい!」返事をした佳奈は、きゅっと指先に力を込める。電話を切ると、彼女は窓の外の夜景を眺めた。両親の笑顔に、兄が爆弾の炎に飲み込まれた時の光景。それらが目の前で交互にちらつく。明日、ようやくみんなの仇を討てる。結婚式当日。海浜ホテルは、目がくらむほど豪華な装飾がされていた。シャンデリアからの黄金の光が降り注ぐ。入り口から舞台の中央まで続くレッドカーペットは、バラの花びらで埋め尽くされていた。招待客は資産家や名士ばかり。ここにいる誰もが、南区でひと騒動起こせるほどの大物だった。びしっとスーツを着こなした男たちと、きらびやかな宝石を身につけた女たちが、シャンパンを片手に談笑している。舞台中央のスクリーンには、「新郎・中村啓太(なかむら けいた)、新婦・横山美希(よこやま みき)」と、二人の名前がはっきりと映し出されていた。これは、佳奈と正人の偽の身分だった。控え室では、佳奈が純白のウェディングドレスを身にまとっていた。ドレスの裾が床に流れ、引き締まったウエストラインを際立たせている。ドレッサーを無意識に指先でなぞる。心臓の鼓動が少し速くなっていた。結婚式がもうすぐ始まるっていうのに、仁はまだ姿を現さない。まさか、自分たちの計画に気づいた?これが最後のチャンスなのに。もし、ここで失敗したら……佳奈は、珍しく少し焦っていた。「緊張してるのか?」正人がドアを開けて入ってきた。彼は仕立ての良い黒いスーツを、すらりと着こなしている。正人は佳奈の手を取り、手のひらで包み込んだ。「怖がらなくていい。俺がついてる。それに、外には完璧な包囲網が敷いてある。必ずこの作戦を成功させて、あなたの家族の仇を討とう!」彼の手のひらはとても温かく、佳奈の指先の震えは次第
しかし、仁は佳奈の手首をつかんだまま、苦しそうに低い声で叫ぶ。「信じない!じゃあ、俺たちのこれまでは全部嘘だったっていうのか?俺を愛したことなんて一度もなかったって、そう言いきれるのか?佳奈、俺は全てを償うから。若葉が、そして松尾家がお前にしたことのすべてを、俺に一生かけて償わせてくれ!な?だから、俺と一緒に帰ろう」その場の空気が静まり返り、二人が見つめ合う時間が永遠に続くように感じられた。しかし、佳奈は彼の手を振りほどく。そして仁に対する口調は、まるで他人に対するように落ち着き払ったものだった。「昔の私なら、心が動いたかもしれない」彼女は表情ひとつ変えずに仁を見つめる。「でも、今はもうあなたのこと、これっぽっちも好きじゃないの。岩崎って女のところに戻ったら?あんなおかしい人、あなたにお似合いだよ」仁は一瞬言葉を失い、さらに深く眉をひそめた。「あいつの話はするな!佳奈、わざと俺を怒らせようとしてるんだろ?」彼は一歩近づき、確信したように言う。「怒りにまかせて間違った判断をするな。俺たち、あんなに愛し合っていただろ?なのに、俺から離れるなんて、お前は本当に平気なのか?」佳奈はふっと鼻で笑うと、その唇に冷たい笑みを浮かべた。「確かに、昔はあなたのこと本当に愛してた。あなたが憎い仇の甥だって分かってても、つい甘くなってしまうくらいにはね!」彼女の声はがだんだんと大きくなっていく。その一言一句が、氷の錐のように仁の心を突き刺した。「でも、私の両親が松尾家の人間に殺された時、あなたはどこにいた?私があの女の的にされて、体中が傷だらけになっていた時、あなたは何してた?兄さんが倉庫で爆死して、骨も残らなかった時、あなたはどこで何してた?!」仁を見上げるその赤くなった瞳には、すべてを吹っ切ったような光が宿っていた。「だからね、仁。私の傷にずっと塩を塗ってたのは、他の誰でもない。あなただったんだよ?」彼女が言葉を紡ぐたび、仁の体はみるみるうちに強張っていく。仁の顔は真っ青になった。心臓を鷲掴みにされたような痛みが全身に走り、立っていることさえおぼつかない。「お、俺はただ……佳奈、すまない……」何か説明したかったが、一言も言葉が出てこなかった。「仁。人の心は、そんなに強くないんだよ」佳奈の声が沈む。