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第485話

作者: フカモリ
玄関先で信行と光雅が部屋に上がると、真琴はあくまで客に対するように、丁寧に二人にお茶を淹れて出した。

差し出された湯呑みを受け取った信行の目は、どこか複雑な色を帯びていた。

今日の午前中に来た時なんか、お茶一杯すら出てこなかったというのに。

今はただ、光雅のついでにおこぼれに預かっているに過ぎない。

真琴の中では、光雅の方が大事なのだ。

いや、もっと言えば、今の真琴にとっては信行以外の誰であっても、彼より重要だということだ。

司がキッチンで腕を振るう中、拓真と良一はリビングで光雅と信行の話し相手を務めていた。

もっとも、話し相手とは名ばかりで、要するにこの二人がいきなり殴り合いを始めないよう見張っているだけだ。

なにしろ、彼らはすでに一度、取っ組み合いの喧嘩を起こした前科があるのだから。

夜になり、食事が済んで拓真たちが帰る段になると、真琴は下まで見送りに降りてきた。

信行は帰りたくなかった。

光雅がまだここに残っているからだ。

しかし、紗友里が今夜は真琴のところに泊まると言い出した手前、渋々拓真たちと一緒に帰ることにした。

マンションのエントランス。

外ま
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    「もちろん、あのバカな兄をかばってるわけじゃないわよ。ただ客観的な事実を言ってるだけ。だって、あいつが真琴を好きだったとしても、真琴がそれに応える義理はないし、無理してよりを戻す必要なんてどこにもないんだから」伏し目がちに紗友里の言葉を聞きながら、真琴はふいに自分が母親にでもなったかのような心境になり、この子もすっかり大人になったのだなとしみじみ感じ入っていた。その後、真琴もシャワーを浴びてから、二人はベッドに寝転がって夜遅くまで語り合った。何もかもが昔に戻ったかのようだった。しかし、それはあくまで真琴と紗友里の間だけの「昔」でしかない。……週末が明け、火曜日になると、興衆、アークライト、そして東央による提携の詳細がついにまとまり、契約書の草案もすでに出来上がっていた。両都市をまたぐ一大プロジェクトであり、これほど大規模な技術提携ともなれば、会場に詰めかけたメディアの数は相当なものだった。国内のみならず海外のメディア、さらには各界のトップや要人たちも顔を揃えていた。壇上では、東都市側を代表して貴博が挨拶に立ち、東央の東都市進出を歓迎するとともに、三社の提携成立に向けて祝辞を述べた。その後、各方面の要人や提携企業の代表者がそれぞれスピーチを終えると、信行、光雅、智昭の三人が報道陣のまばゆいフラッシュを一身に浴びながら、堂々と提携合意書にサインを交わした。スポットライトが華やかに壇上を照らす中、客席の最前列に座っていた真琴は、今日の提携成立に向けて惜しみない拍手を送っていた。峰亜の由美もどうにか入場パスを手に入れて会場に潜り込んでいたが、座席はずっと後方の目立たない場所だった。遠巻きに真琴を見つめ、彼女が今や東央のシニアエンジニアであり、西脇家の令嬢として華々しくのし上がっている姿を目の当たりにして、由美の胸中は嫉妬と焦燥で激しくざわついていた。真琴には元々何もなかったはずだ。両親さえもいない孤児だったのに。どうして今日のような地位まで上り詰めることができたというのか。さらに、スポットライトを浴びてひときわ眩しいオーラを放つ信行の姿に目を向けると、由美はふいに、彼がすっかり手の届かない遠い存在になってしまったように感じた。もっと近づきたい。ほんの少しでもいいから。しかし……今の自分ではどう足掻いても

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    だからこそ、光雅に言われるまでもなく、自ら口を開いて釈明した。その言葉を聞き、光雅は淡々とした声で返した。「あいつの件については、常に冷静でいてくれ。仕事上の付き合いを除いては、片桐家やあいつと一切関わりを持たないでほしい」真琴が口を挟む前に、光雅はさらに念を押した。「二年前のように傷つくお前は、もう二度と見たくないんだ」そう言ってから、こう付け加える。「ただし、あいつの妹は例外だ。彼女と付き合う分には構わない」何度か顔を合わせるうちに、紗友里が裏表のない性格で、決して真琴を傷つけないどころか、全力で守ろうとすらしていることが光雅にもわかっていた。だからこそ、親しくすることには反対しなかった。光雅という男には、確かに少しばかり独断的で強引なところがある。昔からずっとそうだ。だが、これほどまでに口うるさく干渉してくるのは、真琴に対してだけだった。それもすべて、真琴を誰よりも大切に想っているからに他ならない。その忠告に、真琴はこくりと頷いた。「わかってる。同じ間違いは二度と繰り返さないから」その瞳に宿る確固たる意志を見て、目の前に立つ光雅はズボンのポケットから右手を出し、真琴の頭をポンと軽く叩いた。今の光雅は、真琴に対するあらゆる感情や行動を自制し、適度な距離を保つことで、彼女に余計な気を遣わせたり、重荷になったりしないよう努めている。その深く静かな瞳を見つめ返し、真琴は微笑んで言った。「安心して。もう二度と、自分をあんな惨めな状況に追い込んだりはしないから」その言葉を聞き、光雅は手をポケットに戻して頷いた。「わかった」そして続ける。「じゃあ、二人とも早く休め。俺はホテルに戻る」「ええ、下まで送るわ」「いい、一人で降りる。お前がまた上に戻ってくるのも面倒だろ」そう言って、玄関のドアで見送らせただけで、光雅は真琴に早く中へ戻るよう促した。固辞されたため、真琴もそれ以上は食い下がらず、ドアを閉めて部屋に戻った。エレベーターホールで背後のドアが閉まる音を聞きながら、光雅は振り返って真琴の部屋のドアをじっと見つめた。このまま真琴を浜野へ連れ帰ることはできないかもしれない。そう思い至ると、光雅の瞳は次第に暗く沈んでいった。もし彼女が過去を忘れ、自分を受け入れてく

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    玄関先で信行と光雅が部屋に上がると、真琴はあくまで客に対するように、丁寧に二人にお茶を淹れて出した。差し出された湯呑みを受け取った信行の目は、どこか複雑な色を帯びていた。今日の午前中に来た時なんか、お茶一杯すら出てこなかったというのに。今はただ、光雅のついでにおこぼれに預かっているに過ぎない。真琴の中では、光雅の方が大事なのだ。いや、もっと言えば、今の真琴にとっては信行以外の誰であっても、彼より重要だということだ。司がキッチンで腕を振るう中、拓真と良一はリビングで光雅と信行の話し相手を務めていた。もっとも、話し相手とは名ばかりで、要するにこの二人がいきなり殴り合いを始めないよう見張っているだけだ。なにしろ、彼らはすでに一度、取っ組み合いの喧嘩を起こした前科があるのだから。夜になり、食事が済んで拓真たちが帰る段になると、真琴は下まで見送りに降りてきた。信行は帰りたくなかった。光雅がまだここに残っているからだ。しかし、紗友里が今夜は真琴のところに泊まると言い出した手前、渋々拓真たちと一緒に帰ることにした。マンションのエントランス。外まで見送った真琴は、彼らに向かってにこやかに声をかけた。「拓真さんに良一さん、それに司さんも、今日はお祝いに来てくれてありがとう。また時間がある時に集まりましょうね」その傍らで、信行はいつもの癖でズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、自分以外の全員に丁寧にお礼を言う真琴の横顔を、ただじっと見つめていた。自分には一切声がかからず、まるで拓真たちのただの「おまけ」か何かであるかのように。拓真たちが「気にするなって」、「またな」と応じた後、真琴はようやく振り返り、信行に視線を向けた。「片桐社長も、今日はわざわざどうも」自分の方を向いてお礼を言われ、信行の機嫌は一瞬だけ上向いた。しかし、すぐに不満げな声が漏れる。「……そんなに他人行儀にする必要があるのか?どうしても『片桐社長』って呼ばなきゃ気が済まないのかよ」両腕を軽く胸の前で組み、真琴は信行を見上げて何食わぬ顔で言い返した。「みんなのことも、ちゃんと敬称をつけて呼んでるじゃない。拓真さんや司さんは何も言わないのに、どうしてあなただけそんなに文句が多いの?」口調こそ柔らかかったが、そこに滲む冷淡さは

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    玄関先。信行の姿を見た瞬間、光雅の表情はスッと険しいものに変わった。だが、思い直してみれば、拓真や司たちがここにいる以上、信行が姿を現すのも無理からぬことだ。たとえ真琴が呼んでいなくとも、拓真たちが声をかけているに違いないからだ。室内をちらりと一瞥し、視線を再び信行へと戻す。値踏みするように上から下までジロリと眺め回した後、光雅はようやく冷ややかな薄笑いを浮かべて口を開いた。「奇遇だな。片桐社長もいらしていたとは」敵意もあらわなその視線を受けながらも、信行はドアをいっぱいに開け放ち、どこか気だるげに応じた。「西脇社長とは珍客だな。まあ、上がってくれ」光雅が淡々とした視線を向けながらゆっくりと足を踏み入れたその時、信行は家主気取りで言葉を畳み掛けた。「ただ、夕飯はあり合わせの物しか用意してないからな。西脇社長も適当につまんでいってくれ」いかにもこの家の主人といったその振る舞いに、光雅は立ち止まり、ナイフのように鋭い視線を突き刺した。しばらく無言で信行を睨み据えた後、光雅は落ち着き払った声で言い放った。「真琴の家は俺の家も同然だ。身内なのだから『あり合わせ』だろうが構わない。ただ、片桐社長は少々ご自身の立場を勘違いされているようだな。真琴が片桐社長を歓迎しているとは到底思えないが」光雅がどういう男か。拓真や司、良一とはわけが違う。信行に殴りかからず、真琴の家から即座に叩き出さなかっただけでも、ギリギリの理性を保って最大限の礼儀を尽くしている方なのだ。だが、そうしなかったのは、決して信行の顔を立てたからではない。単に真琴を板挟みにして困らせたくなかったからだ。光雅の容赦のない言葉に、ソファに座っていた紗友里は顔を上げ、入り口で睨み合う二人を見遣った。その目はキラキラと輝いていた。さすがは西脇家の長男、真琴の後ろ盾になっているだけのことはある。言うことが痛快極まりないし、ぐうの音も出ないほど的を射ている。視線が激しく火花を散らす。光雅の容赦のない鋭い物言いに、信行は不快感を露わにした。ふんと鼻で笑って言い返す。「西脇社長、俺と真琴が一緒にいた頃、あんたらはただの赤の他人だっただろ?」信行がかつての情を持ち出すと、光雅は冷酷に吐き捨てるように言った。「付き合いが長ければ

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    少し離れた場所から、そのどこ吹く風といった真琴の態度を眺め、信行は呆れるやら可笑しいやらで思わず息を吐いた。始末に負えないのは、自分ばかりがすっかりのめり込み、四六時中彼女の一挙手一投足に感情を振り回されていることだ。じっと見つめていたが、真琴は一向にこちらに見向きもせず、ひたすら仕事に没頭している。それを見て、信行はズボンのポケットに両手を突っ込んだままふと顔を逸らし、そんな己の滑稽さに自嘲気味な笑みをこぼした。だが、よく考えてみれば、真琴は戻ってきた。こうして顔を合わせ、憎まれ口を叩き合い、言い争うことだってできる。今の信行にとっては、それだけでたまらなく満たされた気分だった。生きて、こうして目の前にいてくれる。それだけで何よりの救いだった。だから、何気ないふりをしてデスクのそばへ歩み寄ると、ポケットから出した右手で彼女の髪をくしゃっと撫でて言った。「……戻ってきてよかった。無事で本当によかった」思いがけず素直なその言葉に、真琴はキーボードを叩く手を一瞬止め、やがて顔を上げて信行を見遣った。今回戻ってきてからというもの、信行が以前のような刺々しさをすっかり潜め、事あるごとにこちらに折れてくれていることには気づいていた。実のところ、真琴自身も彼にむやみに突っかかったり、わざと怒らせたりしたいわけではない。ただ、信行が求めているものを、もう与えることはできないし、与えようとも思わないだけなのだ。そもそも二人の見据える未来が、決定的に違ってしまっている。真琴が何も言わないのを見て、信行はそっと手を引っ込めた。「じゃあ、仕事続けてくれ。俺はリビングに行ってるから」その言葉に、真琴は軽く頷き、穏やかな声で返した。「ええ」信行が過去の感情を持ち出さず、妙な駆け引きさえしてこなければ、真琴だってわざわざ棘のある態度をとって、居心地悪くさせるつもりなどない。……リビングに戻り、ローテーブルの前に腰を下ろすと、拓真が口を開いた。「せっかく真琴ちゃんが戻ってきたんだ、お前も少しは大人になって譲ってやれよ。いちいち突っかかったり、嫌がるようなことばっかり言うなって」拓真の的外れな忠告に、信行は呆れたようにジロリと睨み返した。「俺のどこに喧嘩をふっかける度胸があるって言うんだ?これ以上な

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