Share

第1131話

Author: 夏目八月
西平大名家は、まさに混乱の渦中にあった。

珠季の説明では不十分だったが、三姫子が帰邸して詳細を聞くと、事態の深刻さが明らかになった。

村松の妻は夕美の頬を何度も平手打ちにし、薬王堂の患者たちだけでなく、通りがかりの人々までもが中を覗き込んでいたという。

夕美付きの侍女・お紅の話では、混乱の中で誰かが「王妃様がお見えです、無礼があってはなりません」と叫ぶ声が聞こえたという。

三姫子は一瞬驚いたが、すぐにその王妃が上原さくらであろうと察した。薬王堂は彼女がよく訪れる場所だったからだ。

だが、どの王妃が目撃していようと、事は既に広まってしまった。西平大名家の面目は、今や完全に失墜してしまったのだ。

三姫子はまず外の間で一息つき、茶を啜りながらしばらく腰を落ち着けてから、老夫人の元へ向かった。

「どうすればいいの……」老夫人は三姫子の手を握りしめ、涙ながらに訴えた。「何とか隠せないかしら。村松の奥方に会って……何なりと要求を飲むから、誤解だったと言ってもらえないかしら。そうすれば、この騒ぎも収まるでしょう」

三姫子は老夫人の言葉に、怒りと悲しみの中にあってなお、あらゆる手立てを考え抜いた末の結論を感じ取った。確かに、今はそれしか方法がないのかもしれない。

蒼月を見やると、彼女は黙したまま傍らに座っていた。表情は凍りついたように無感情だった。

夫婦円満な蒼月とはいえ、子どもたちのことを考えれば……一族の栄辱は共にある。まして不義密通となれば……そんな話題さえ、口にするのも憚られる重大事だった。

蒼月にも打つ手がない。すべては嫡男の妻である三姫子の采配にかかっていた。

「確かに今はそれしかありませんね」三姫子は静かに答えた。「私が彼女に会ってまいります」

心の中では怒りが渦巻いていた。子どもたちの縁談に影響がなければ、夕美の評判など地に落ちようと知ったことではなかった。

「ただし……」三姫子の声は冷たく響いた。「覚悟はしておいていただきたいのです。もし北條様がこの件を知れば……和解離縁などという穏やかな話ではすまないかもしれません。実家に追い返されることになれば、村松の奥方が何を言おうと……もはや挽回の余地もございません」

「誤解を解けば、事は収まるでしょう」老夫人は涙を拭った。長男の嫁の手腕を信頼していた。必ずや上手く収めてくれるはずだと。

Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 桜華、戦場に舞う   第1493話

    近頃、皇子たちのことは何でも玄武に話している。特に玄武が夜に授業をした後、針治療に付き添ってくれる時などに。兄弟で語り合う時間が増えるにつれ、わだかまりも疑いも薄れていった。もちろんこれは相手によるもので、玄武はさくらのこと以外なら包み隠さず真っ直ぐに話してくれる。間近で見ていれば分かることだ。何か問題があれば兄弟で直接話し合える。以前のように憶測だけに頼ることもない。ただ、清和天皇は自分がこう変われたのは、さくらに叱られて目が覚めたからだと思っていた。玄武を臣下としてではなく、兄として見ることができるようになったのも。丹治先生が針治療を終えて休息のために下がると、玄武は天皇の手を取って歩かせた。後ろから吉田内侍がそっと付いてくる。夜の御苑に八角灯籠がゆらめいて、やわらかな光が二人の顔を優しく照らしていた。玄武は話を聞き終えても特に意見は述べなかった。陛下の胸の内は分かっている。余計な口出しは無用だろう。案の定、清和天皇は皮肉っぽく笑った。「あの女も馬鹿ではないからな。なんといっても嫡長子だ。まだ望みはあると思っているのだろう」「そうですね」玄武は相槌を打ちながらゆっくりと歩を進めた。「大皇子の様子はどうだ?」天皇は毎日必ずこう尋ねる。「生まれ変わったとまでは言えませんが、以前よりずっと励んでおります」嘘偽りのない言葉だった。春の狩りの後、大皇子はまるで別人になった。急に目覚めたように、自分の才能の乏しさを悟って努力するようになったのだ。それも日に日に熱心になっている。さくらの言葉を本当に心に刻んだのだろう。昨日の自分より今日の自分が、と毎日励んでいる。天皇は満足そうに頷いた。毎日同じ答えを聞いているのに、いつも嬉しそうだ。「潤くんとはうまくやっているか?」「ええ、お互い助け合っています」天皇の目が遠くを見つめた。この子たちの代で、自分と上原次郎の友情を取り戻してほしいと願っているのだ。「下の二人とは?」玄武の口元に笑みが浮かんだ。「弟たちを可愛がるようになりました。今日も三皇子が馬から落ちそうになった時、飛び込んで受け止めてやったんです」清和天皇は少しほっとした様子で言った。「皇室の兄弟は、せめて幼いうちは助け合い、愛し合わねばならん。年を重ねるにつれ情も薄れるのだから、今のうちに

  • 桜華、戦場に舞う   第1492話

    長春宮に戻った皇后がそれほど長く不安に浸る暇もなく、清和天皇が現れた。玄鉄衛を連れての来訪で、春長殿全体が封鎖され、吉備蘭子だけが殿内に留まることを許された。吉田内侍が手にしていたのは二つの品。その一つが、あの日大皇子に飲ませた虫除けの毒粉だった。机の上に置かれたそれを見た瞬間、皇后は金縛りにあったように立ち尽くした。心の奥まで凍りつくような寒さが襲い、全身が止まらずに震える。その様子を見た蘭子は、どさりと膝をついて泣き崩れた。「陛下、お許しください!これは全て私一人の仕業でございます。皇后様は何もご存知ありませんでした!」天皇は蘭子の言葉など聞こえないかのように椅子に腰を下ろし、吉田内侍に告げた。「詔を皇后に見せよ。読み上げる必要はない」「はい」吉田内侍が二つ目の品を広げる。それは勅書だった。皇后の前に差し出された勅書に目を落とした瞬間、わずか二行を読んだだけで、まるで化け物でも見たかのように悲鳴を上げた。「いやあああ!」床に崩れ落ち、涙が止めどなく溢れ出す。口からは混乱した声が漏れ続けた。「だめ、だめよ……」蘭子は勅書の内容が分からず、見ることも許されず、ただひたすら頭を床に打ちつけて血を流していた。天皇の瞳が氷のように冷たく光る。「毒を使ってまで息子の面目を保とうとしたのは、あの子を皇太子にするためだろう?息子の命を賭けてまで皇太子の座を狙うなら、朕が望みを叶えてやろう。あの子を皇太子に册封する。その代わり、お前の命と引き換えだ。公平だろう?」「いえ、あの子は嫡長子です。皇太子になるべき身分なのです!陛下、私に過ちがあったとしても、死罪に値するほどでは……」皇后は這いつくばって天皇の足にすがりついた。顔中を涙が伝い、絶望に染まった瞳が覗く。「陛下、あの子は私が産んだ子です。本当に害するつもりなどありませんでした。全てあの子のためを思って……」「あの子のためか。望み通りになったではないか。皇太子になったのだから、お前の願いは叶ったのだろう?」清和天皇の声が高くなり、抑えきれない怒りが滲み出る。「息子の命を名誉のために使えるなら、お前の命で皇太子の座を勝ち取ればよかろう。これ以上策を巡らせる苦労もいらぬ」皇后は全身を震わせながら、何と言い訳していいか分からずにいた。自分の望んだことが、本当に叶ったというのか。「違

  • 桜華、戦場に舞う   第1491話

    皇后は気が気でない二日間を過ごしたが、特に何事も起こらなかった。蘭子がこっそり典薬寮を訪ねて金森御典医を探したものの、家庭の事情で数日休暇を取っているとのこと。陛下の前で何を話したのかは結局分からずじまいだった。それでも禁足の沙汰が下らないことで、皇后の不安は随分と和らいだ。さらに数日が過ぎても何の動きもなく、ついに安堵の息をついた。きっと金森御典医は陛下に何も話していないのだろう。一度の呼び出しで口を閉ざしたなら、今後も蒸し返すまい。何しろあの男、金子をしっかり受け取っているのだから。ところが日を重ねるうち、妙なことに気づいた。毎日蘭子に持たせる大皇子の食事に、息子が全く手をつけないのだ。最初は「まだお腹の調子が悪い」「皇祖母様が薄味にするよう仰った」と言っていたので、当然だと思った。だがもうこれほど日が経ち、体調も回復したというのに、なぜまだ口にしないのだろう?漠然とした不安が胸をよぎる。今夜太后への挨拶のついでに、息子に食べ物を届けて話をしてみよう。酉の刻の終わり頃、皇后は慈安殿を訪れた。この時分なら大皇子は夕飯を済ませ、学習の準備をしている頃のはず。慈安殿の門前で内藤勘解由に出会うと、大皇子は練馬場で馬術の稽古をしていると教えられた。内藤の話では、最近は毎日授業が終わると馬の練習をし、それから戻って食事を取るのが習慣になっているという。皇后は驚いた。「練習の後で食事なの?体を壊してしまうのでは?」「ご心配には及びません」内藤が答える。「太后様が申の刻に菓子と湯を届けるよう仰いますので、空腹で倒れるようなことはございません」皇后は眉をひそめた。自分も申の刻に菓子を届けさせているのだが、息子は胃の調子が悪いと言って断っているのだ。「それでは練馬場へ参りましょう」「皇后様」内藤が静かに制止する。「太后様のお言いつけで、大皇子様が書斎におられる時も、練馬場におられる時も、どなたもお邪魔してはならないとのこと。皇后様も例外ではございません」「どうしてよ?」皇后の眉間がぴくりと動き、声が一気に鋭くなる。「太后様のご命令でございます。私はお伝えするだけで」内藤は相変わらず落ち着いている。「理由をお知りになりたければ、お入りになって太后様に直接お尋ねください」せっかく来たのだから、挨拶はしていこ

  • 桜華、戦場に舞う   第1490話

    皇后がちょうど外に出てきて、この光景を目にした。瞳の奥に暗い影が宿り、胸の内には何とも言えない苦い思いが広がる。大臣たちが揃っているこの機会を逃すまいと、皇后は前に進み出た。「大皇子の今日の失態、まことに面目次第もございません。ただ、朝から腹痛を訴え、体に力が入らない様子でしたので、御典医に診せて薬も頂いております」清和天皇の眉がひそめられる。「御典医は何と申したか」「お腹を壊したとのことで、薬を飲ませましたところ、だいぶ楽になったようでございます」皇后が慌てて答える。清和天皇はあっさりと言った。「そうか。よく看病してやるがよい」「はい」皇后はそっと周りの顔色を窺った。皆の表情は読み取れなかったが、陛下もさほど怒っている様子は見えない。これで一件落着だろうか?微笑みを浮かべ、陛下が山猪を仕留められたことをお祝い申し上げようとした時、再び天皇の声が響いた。「今日の失態は、体調の良し悪しとは関係ない。的を外そうが外すまいが構わぬ。今後励めばよいことだ。だが、矢が当たらぬからといって泣きわめくとは、何事か」皇后の笑顔が唇の上で凍りついた。陛下があの子を森から追い出したのは、泣きじゃくったからなのか?今日はわざわざ皇子たちに腕前を競わせるためのものではなかったのか?皇后はしばらく呆然としていたが、陛下が疑っておられるのかと思い、振り返って人を呼んだ。大皇子を連れてくるようにと。大皇子は潤と蘭子に支えられながら姿を現した。潤は戻ってくるとすぐに大皇子の体調不良を聞いて見舞いに駆けつけていた。大皇子の学友として、二人の間に確執があった時期もあったが、毎日顔を合わせているうちに情も湧いていたのだ。大皇子の容態はだいぶ良くなっていたが、顔色はまだ青白く、体に力が入らない様子だった。父である天皇の姿を見ると、やはり瞳に怯えの色が浮かんだ。しかし叔母と外祖母の言葉を思い出すと、突然勇気が湧いてきた。前に進み出ると、父の前にどさりと膝をついた。「父上、これまで怠けて手を抜き、叔父上の弓の指導をおろそかにしておりました。そのため今日このような恥をかき、父上にもご迷惑をおかけしました。自分の過ちがよく分かりました。これからは左大臣様のお教えを真面目に受け、叔父上の武芸の稽古にも励み、二度と父上をがっかりさせるようなことはいたしません

  • 桜華、戦場に舞う   第1489話

    皇室のことに、わざわざ深く詮索する人などいない。まして大皇子はまだ幼い。たとえ今日失敗したとしても、大したことではないのだ。皇后の息子なのだから、将来どれほど高貴な身分になることか。たった一度の小さな出来事で勝敗が決まるわけでもあるまい。今は苦しんでいる皇子を見て、皆それぞれに薬の提案をする。塗り薬を持参していた者は取り出して、お腹を揉んでみてはと勧めた。定子妃や德妃までもが見舞いにやって来た。皇子や皇女を連れての外出なのだから、当然薬も用意している。大皇子の辛そうな様子を見て、皆それぞれに薬を差し出した。皇后がそれらを使うつもりなど、もちろんない。大切なのは、皆がここに来て大皇子の現状を目にすることだった。帰れば自然と家の主人にも話すだろう。とにかく今日の失敗には理屈付けが必要だった。皆に知らしめるのだ――息子は無能なのではない、ただ体調が悪かっただけなのだと。一通りの見舞いが済むと、皆外に出て行く。斎藤夫人だけは自分で看病したいと申し出たが、皇后に丁重に退けられた。蘭子は痛がる大皇子のお腹を優しく撫でながら、もう一方の手でこっそり涙を拭った。大皇子に差し出したあの茶には、微量の毒粉が入っていた。本来は虫除けに使う毒粉で、大量に服用すれば命に関わるが、少量なら腹痛と嘔吐を引き起こすだけだ。金森御典医なら気づいたはずだが、小心者でお金に目がない彼が口を開くはずもない。皇后が咄嗟に思いついた手立てだった。「すぐ良くなるからね」皇后は複雑な面持ちで傍らに座っていた。息子がこれほど苦しむ姿を見るのは胸が痛んだが、他に手立てもなかったのだ。蘭子は何も言わず、しばらく大皇子のお腹を撫でてから、薬を煎じに向かった。やがて日が傾き、狩りの一行が意気揚々と戻ってきた。皆、北冥親王が最も多く獲物を仕留めるものと思っていたのに、まさか手ぶらで帰ってくるとは。一番の収穫を上げたのは、なんと天方十一郎だった。鹿が捕れなかったと聞いて、定子妃は笑いながら首を振る。「これでは、せっかく用意した褒美を渡せませんね」鹿の皮で三皇子に靴を作ってやるつもりだったが、狐が捕れたと聞けば、小さな毛皮の羽織も悪くないと思い直した。清和天皇は明らかに上機嫌で、大皇子の失敗などまったく気に留めていない様子だった。むしろもう忘れ去ってしまった

  • 桜華、戦場に舞う   第1488話

    しばらくして、村松碧が姿を現した。さくらと大皇子が一緒にいるのを見て、ようやく安堵の表情を浮かべる。「上原殿、大皇子殿下をすぐにお連れ戻しいただかねば。皇后様がお案じになって、もう人を遣わして探しておられます。侍従たちは柵の中に入る度胸がなく、外から呼びかけているだけなのです」大皇子は明らかに嫌そうな顔をした。戻りたくない気持ちが顔に出ている。「母上はあなたを愛しておられるから心配なさるのよ。帰りましょう」さくらが優しく諭すと、大皇子は口を尖らせた。「叱るくせに!本当に僕を愛してなんかいない。母上は意地悪だ」さくらは少し驚いた目で大皇子を見つめる。皇后は息子を愛し、時には甘やかしすぎるほどだ。普通なら子供にもそれが伝わるはずなのに。たった二言三言叱られただけで、悪者扱いとは?だが万華宗にいた頃の自分を思い出して、さくらは合点がいった。あの頃、師叔にどれほど叱られ罰せられても、文句一つ言えなかった。それなのに師匠が少しでも厳しい言葉をかけようものなら、涙目になって「師匠は意地悪だ」と訴えたものだ。師叔は師匠に向かって、皮肉たっぷりに言ったっけ。「これぞ恩を仇で返すというもの。甘やかした結果、自分の立場と威厳を失墜させましたね」ただし、師匠の寵愛と皇后の溺愛には決定的な違いがあった。師匠はどれほど可愛がってくれても、学ぶべき時は学び、武芸を磨くべき時は磨く。心を痛めつつも、心を鬼にして厳しく指導してくれた。ところが皇后は……さくらは思った。皇后は幼い頃の勉学が辛かったのだろう。今は皇后の地位にあり、大皇子は嫡長子という立場を得ている。だから息子には自分が味わった苦労をさせたくないのだ。親は往々にして、子供に自分の幼少期を重ね合わせてしまうものだ。さくらがもう少し慰めの言葉をかけると、村松に大皇子を連れ戻すよう頼んだ。不承不承ながらも、大皇子は叔母の言葉に逆らう勇気はなかった。小さな頭をうなだれながら村松について歩いていく。その後ろ姿を見送りながら、さくらは皇子が潤をいじめていた時のことを思い出した。確かにあの子は変わりつつある。太后直々の教育には効果があったのだ。皇后のもとへ大皇子を送り届けた村松は、皇后には柵の中に忍び込んだことは告げず、ただ上原殿が見つけたとだけ報告した。皇后は息子の着物が泥

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status