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第1456話

Author: 夏目八月
さくらは涙をこらえ、必死に感情を抑えようとした。「ずっとアタム山で戦っているの?この間の軍糧なんて、とっくに底をついているでしょう。兵たちは何を食べているのよ」

「それは心配いらない。草原の民は口では援助しないと言いながら、干し肉を全て贈ってくれた。それに持参した軍糧や焼き餅もある。しばらくは持ちこたえられるし、アタム山は深い山々が連なっていて氷湖もある。武器があれば獲物も狩れる。腹半分の状態でなんとか耐えているのよ」

そう言いながらも、清湖は小さくため息をついた。「でも…もうそう長くは持たないでしょうね」

さくらが顔を上げた。「羅刹国だって、もう限界のはずよ」

両国の窮状はほぼ同じ。邪馬台軍の方がまだ多少はましな状況だが、ビクターに兵糧の補給がなければ、必ず正面から邪馬台軍とぶつからざるを得ない。

勝負は決着をつけねばならない。

しかし今は部隊が散り散りになり、集結できずにいる。これでは羅刹国の主力と真正面から戦うのは困難だろう。

どうして待ち伏せに遭ったのか。玄武はそんな軽率な人ではないはずなのに。

ふと何かが閃き、さくらの瞳に鋭い光が宿った。すぐに問いかける。「邪馬台軍が待ち伏せに遭った時、死傷者は多かったの?」

清湖は首を振った。「さほどの犠牲は出ていない。ただ、散り散りになっただけのようだ」

さくらはアタム山周辺の地形と、両軍が直面している困窮ぶりを頭の中で整理した。

羅刹国軍はとうに限界を超えている。追撃されて逃げ延びた末、苦境に追い込まれて、窮鼠猫を噛むような心境で待ち伏せを仕掛けたのだろう。

もしかすると玄武は故意に罠にかかったのではないか。羅刹国軍を油断させ、慢心させてから、散開して包囲する作戦なのでは。

この推測を師姉に話すと、清湖はしばし考え込んでから答えた。「楽観的に考えるのも、玄武を信じるのも良いことだけれど…アタム山は過酷な土地よ。人の心も荒んで、焦りも生まれる。玄武だって判断を誤ることがあるかもしれない」

清湖は元々、さくらを慰めるつもりだった。昔なら必ずそうしていただろう。

けれど今は違う。この妹弟子はもう大人になった。違う意見にも耳を傾けられるし、もちろんさくらの推測が正しい可能性も否定できない。

密偵が言うには、アタム山の環境は想像を絶する過酷さで、数日間の偵察でさえ耐え難く、自分でも気持ちが荒んで
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