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第646話

Author: 夏目八月
さくらは一瞬、きょとんとした。そうだろうか?

別に彼との親密さを拒んでいるわけではない。毎晩二人で親しく過ごすし、抱き合って眠るのだから。一晩中、彼の腕の中か胸元で眠っているというのに。

お珠は、さくらの理解に欠けた様子を見て、なぜか「この鈍感者!」とでも言いたげな気持ちが込み上げてきた。そして率直に尋ねた。「お嬢様、親王様とは礼儀正しい夫婦として距離を保ちたいの?それとも本当に愛し合う夫婦になりたいの?」

「大げさすぎないかしら?」さくらは手を伸ばしてお珠の額に触れた。「どうしたの?熱でもあるの?」

お珠は頬を膨らませ、目を丸くして「お嬢様、答えてください!」

さくらは少し首を傾げた。夕陽に照らされて、押さえきれない髪の毛が跳ねている。「礼儀正しくて愛し合う夫婦、両方でいいじゃない。愛し合えば敬意が失われる、なんてことないでしょう?どちらか一つを選ばなければいけないの?両方じゃいけないの?」

「えっ?」今度はお珠が驚いた。両方?まあ、それも悪くない。少し間を置いて、「でも時々、お嬢様は親王様のお気持ちをあまり考えていないように見えます。親王様はいつもお嬢様のことを考えていらっしゃるのに。こういうことは相互のものじゃありませんか」

「どうして考えていないっていうの?私だって考えているわ」

「なんというか、ちょっと物足りないというか」お珠は首を傾げた。「昔の次男様と次男の奥様、あの方たちこそ本当の愛し合う夫婦でしたよね」

さくらは梅月山から戻るたびに見かけた二番目の兄夫婦の様子を思い出した。二人はいつも寄り添って歩き、座る時も隣同士。人がいないと思えば、兄が妻の頬にそっとキスをし、食事の時は互いにおかずを取り分け合い、時折、見つめ合ったりして。

しばらく黙り込み、その記憶を押し込めると、「分かったわ」とさくらは言った。

お珠は自分の言葉が不適切だったと気づき、そわそわしながら「お嬢様、お腹が空きませんか?お食事をお持ちしましょうか?」

さくらは答えずに大股で部屋に戻った。彼女の勢いのある様子を見て、玄武は「どうした?お珠が何か言ったのか?」と尋ねた。

さくらは真っ直ぐに彼の前に立ち、つま先立ちになった。

玄武は察して、顔を近づけた。また額を弾かれるのだろうと覚悟して。

柔らかな唇が頬に触れた。彼はしばらく呆然として、彼女の頬が薄紅く染まる
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