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第3話

Author: 東流水木
ねえ、遼。縁起が悪いって……本気で言っているの?

その白い布の下にいるのは、あんたの妻と、あんたの子供なのに!

今すぐ飛び出していって、その胸倉を掴んで怒鳴りつけてやりたい。

けれど、実体のない私には、ただ見つめることしかできない哀れな傍観者でしかなかった。

ストレッチャーを押す医師が遼を引き止め、火葬の費用を支払うよう求めた。

すると、真っ先に激昂したのは義母だった。

「みなさん、聞いてくださいよ!この悪徳病院、また適当な名目で金を巻き上げようとしてるわ!善良な市民からぼったくる気よ!」

そのみっともない金切り声に、遼の眉間がわずかにピクリと動いた。

付き合いの長い私には痛いほど分かる。あれは、心底うんざりした時に見せる表情だ。

まさか、身内を庇い続けてきた遼が、自分の母親を鬱陶しく思う日が来るなんて。

今の遼にとって、火葬代程度の額は端した金でしかない。

ただ面倒事を早く片付けたい一心で、ろくに相手の顔も見ず、財布から適当に紙幣を抜き出して医師に押し付けた。

誰の火葬代か、なんて気に留めもしないまま。

「黒井さん、お待ちください。葵さんが――」

当然のように、遼はまたしても医師の言葉を遮った。

「あの女のくだらないかまってちゃんアピールに付き合っている暇はない。いい加減にしろと伝えておけ」

そう吐き捨てて立ち去ろうとした瞬間。遼の視線が、ストレッチャーのシーツからはみ出した遺体の手に止まった。

青ざめた細い指には、結婚した時に遼が買ってくれた、四万円にも満たない安物の指輪が光っていた。

私の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。

どうしようもなく惨めなことだと分かっているのに、心のどこかで卑しい期待が膨らんでしまったのだ。

もしかして……あの指輪を見て、私だって気づいてくれるんじゃないか!?

だが。

「……安っぽい指輪だ」

鼻で笑うようなその一言が、私の魂ごとズタズタに切り裂いた。

……

遼の会社が、創業以来二度目となる大規模な財務危機に陥ったらしい。

ちなみに、一度目の絶体絶命の危機をもたらしたのは、他でもない私の父・沢木健一郎(さわき けんいちろう)だった。

当時の遼は清花にこっぴどく振られた直後で、私はすかさずその隙に入り込み、プライドも何もかも捨ててホステスとして働き始めた。

そんな私の転落ぶりに、実の父は激怒した。

娘への怒りから正気を失った父は、あろうことか報道陣の前で大立ち回りを演じ、遼の会社に多大な迷惑をかけたのだ。

その一件で義母から「うちの息子に災いをもたらす疫病神」とひどく憎まれ、遼自身も、しばらく私に対して氷のように冷たかった。

「お前のせいで、俺の血と汗の結晶が台無しになったじゃないか!

葵、お前みたいな女が誰からも愛されないのは、自業自得なんだよ!」

あの日、遼は私を冷酷に見下し、そう罵ったのだ。

けれど、彼ら親子は知る由もない。

その後、私が自分の首に刃物を当てて「死んでやる」と狂ったように父を脅しつけ、しがないサラリーマンだった父から、二千万円近い大金を引き出して遼の起業資金に充てたことなんて。

清花がめそめそと泣きながら社長室に入ってくると、いきなり飛んできた弁当箱にビクッと肩を揺らした。

「こんな豚の餌みたいなもん、よく俺に出せたな!いつもの店の飯に変えろ!」

小間使いの若いアシスタントは青ざめてオロオロするばかりで、とてもじゃないが真実を口にできる空気ではなかった。

遼は昔から胃が弱かった。

だから私は毎日毎日、少しでも食べてもらえるように、胃に優しいレシピを必死に研究し続けてきたのだ。

生きていた頃はあの男の心を微塵も繋ぎ止められなかったのに、死んでから胃袋だけを掴んでいたなんて。なんの冗談だろう。

「遼さん……っ。これからは、私がご飯を作ってあげるわ」

目尻に涙を浮かべた清花は、いかにも清楚ぶった悲劇のヒロイン気取りだ。

遼は清花の白魚のような両手を大事そうに包み込み、痛ましげに目を細めた。

「駄目だ。清花の綺麗な手は、台所仕事なんかで荒らしていいものじゃない」

幽霊の私は、思わず鼻で笑ってしまった。

へえ、じゃあ何?

私の手は生まれつき、飯炊きババアになるためにあるってわけ?

会社のトラブルで多忙を極める遼が、ようやく息をつく暇ができたのか、久しぶりに家に帰ってきた。

家の中は、何も変わっていなかった。

ダイニングテーブルには私が死ぬ直前に生けた花が飾られ、ベランダには私が干した洗濯物がそのまま揺れていて、冷蔵庫には作り置きしたタッパーがいくつも並んでいる。

悲しいことに、遼は普段から私をまともに見ようともしなかった。

私が丹精込めて作った弁当でさえ、アシスタントに「いつも頼んでる料亭からの仕出しです」と嘘をつかせて、ようやく口に運んでくれていたくらいだ。

こうして振り返ってみると、やっぱり私は最初から、これっぽっちも愛されていなかったんだと思い知らされる。

「葵。意地を張ってないで、さっさと頭を下げて出てこい」

誰もいないリビングの空気にむかって、偉そうに声を張り上げる。当然、なんの返事もない。

ずっと私に甘やかされて、何でも思い通りになってきた男だ。

私に無視されるなんていう理不尽な仕打ちに、耐えられるはずがない。

逆上した遼は、私に関連するものを手当たり次第にぶち壊し始めた。

大切に育てていた花は無残に引っこ抜かれ、綺麗に洗った服は床に叩きつけられ、冷蔵庫の中の作り置きもすべてゴミ箱にぶち撒けられた。

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