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私と赤ちゃんを捨てた家族の、遅すぎる後悔

私と赤ちゃんを捨てた家族の、遅すぎる後悔

By:  涼木Completed
Language: Japanese
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「お腹の子を諦めて、妹に骨髄を提供しろ」――家族はそう私に迫った。私が拒むと、妹は遺書を残し、海に身を投げた。 母は、妹を見殺しにしたと私を憎んだ。 父は、自分のことしか考えていないと私を責めた。 夫は、大切な家族を失う苦しみを思い知れと、私を病院へ連れていき、無理やり中絶させた。 そして家族は結託し、海中に立つ岩柱へ私を縛りつけた。妹と同じように、海に沈む苦しみを味わえと言って。 家族が私を思い出したときには、私の遺体はすでに悪臭を放っていた。

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Chapter 1

第1話

私、篠原紗奈(しのはら さな)の命はとうに尽き、苦しみもようやく終わっていた。冷たい海に沈んだ亡骸は、ところどころ魚に食い荒らされていた。

それなのに、魂だけは、私をこんな目に遭わせた夫、篠原怜司(しのはら れいじ)のそばから離れられなかった。

部屋には暖房がよく効いていた。死ぬ直前、骨まで凍えるようだったあの寒さが、まるで夢のように思えた。

私を見張っていた護衛から電話がかかってきた。怜司は、相手が話すより先に口を開いた。

「あいつ、やっと自分が悪かったと認めたのか?最初から素直に言うことを聞いていれば、こんな目に遭わずに済んだんだ。あいつを玲奈の墓の前でひざまずかせろ。反省するまで、この家に入れるんじゃないぞ!」

怜司は妹の秋山玲奈(あきやま れいな)を死なせたのは私だと、そう信じ切っているようだった。声は冷たく、私への軽蔑を隠そうともしなかった。

罪を認めない私など、ひとりの人間として決して許されないと思っているのだろう。

電話の向こうで、護衛がためらいがちに答えた。

「いえ、そうではありません。奥様が縛られてから、もう丸1日たっています。ボンベの酸素はもう尽きています。救助が必要か、ご指示ください」

一瞬、沈黙が流れた。普段は冷静な怜司だったが、次の瞬間、目の前の酒瓶をつかみ、床にたたきつけた。

瓶が砕ける激しい音が響いた。それでも、怜司の怒りは収まらなかった。

「救助だと?人殺しを助けるというのか?この季節、あの辺りでは潮が満ちるのが遅い。あいつの顔まで水が上がるには、まだ時間がある。海水につかるくらいで、何が危ないんだ!

それに、酸素ボンベなんか誰が渡した?玲奈を死なせておいて、自分だけ楽をするつもりか。今すぐ外せ!

誰も助けるんじゃないぞ。あいつは自分が悪いと思ってない。玲奈と同じように、誰にも助けてもらえず、息もできないまま死を待つ苦しみを味わわせろ。助けるかどうかは、それからだ!」

怜司の冷たい言葉の1つひとつに、胸をえぐられるようだった。

楽をしている?

中絶させられたばかりの体で、2月の凍える海の中に丸1日もつけられることが?

私は下腹の激しい痛みに耐え、血を流し続けながら、自分の体が魚の群れに食いちぎられていくのを見ているしかなかった。

どれほど助けを求めたくても、誰にも救ってもらえない。こんな目に遭って、どこが楽だったというの?

しかも、怜司が「楽」と呼んだ酸素ボンベさえ、彼が用意したものではなかった。

怜司にもまだ最後の情が残っていると思ったのに、実際は、あの人の知らないところで誰かが情けをかけてくれただけだった。

あまりに悔しくて、悲しくて、涙がにじんだ。

それでも護衛は、見かねたように訴えた。

「ですが、2月の海は凍えるほど冷たいんです。奥様は中絶の手術を受けたばかりですし、このままでは本当に危険です」

怜司が眉を寄せた。今度こそ、私を哀れに思ってくれたのかもしれない。

けれど、怜司は冷たく笑った。

「自業自得だろう。まだ人の形にもなっていない、ただの肉の塊を守るために、玲奈を見殺しにしたんだぞ。玲奈は海で死んで、遺体すら見つからないんだ。あいつが苦しんでいるから何だ。玲奈は苦しくなかったとでも言うのか?」

それから先の言葉は、ほとんど耳に入らなかった。

ただ、その一言だけが頭の中で何度も響いた。

怜司は……私の赤ちゃんを、ただの肉の塊だと言った。

違う。ただの肉の塊なんかじゃない。

ようやく授かった、私の赤ちゃんだ。

私のお腹に来て、まだ3か月しかたっていない。生まれてくることさえできなかった、私の子なんだ。

涙があふれた。

手術室の前でひざまずき、この子を産ませてほしいと何度も必死に怜司へ頼んだ。あのときのことを、今も覚えている。

お腹の中で小さく丸まった赤ちゃんには、もう手足の形ができていた。あと1か月もすれば、その手や足を動かして、私に挨拶してくれるはずだった。私をお母さんに選んでくれたのだと、確かに感じられるはずだった。

それをすべて奪ったのは、私の夫、怜司だった。

自分の子でもあったのに、どうして、あんなに残酷なことができるんだろう。

その答えは、すぐに分かった。

電話を切ると、怜司は魂が抜けたようにソファへ崩れ落ちた。

さっきまでの怒りは消えていた。怜司は目を赤くし、遺影に写る玲奈の頬を、いとおしそうになでた。

「玲奈……あのとき、無理にでもあいつの子を堕ろさせて、お前を助けていれば……今も生きていてくれたのか?どうして先に出会ったのが、お前じゃなかったんだ……」

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第1話
私、篠原紗奈(しのはら さな)の命はとうに尽き、苦しみもようやく終わっていた。冷たい海に沈んだ亡骸は、ところどころ魚に食い荒らされていた。それなのに、魂だけは、私をこんな目に遭わせた夫、篠原怜司(しのはら れいじ)のそばから離れられなかった。部屋には暖房がよく効いていた。死ぬ直前、骨まで凍えるようだったあの寒さが、まるで夢のように思えた。私を見張っていた護衛から電話がかかってきた。怜司は、相手が話すより先に口を開いた。「あいつ、やっと自分が悪かったと認めたのか?最初から素直に言うことを聞いていれば、こんな目に遭わずに済んだんだ。あいつを玲奈の墓の前でひざまずかせろ。反省するまで、この家に入れるんじゃないぞ!」怜司は妹の秋山玲奈(あきやま れいな)を死なせたのは私だと、そう信じ切っているようだった。声は冷たく、私への軽蔑を隠そうともしなかった。罪を認めない私など、ひとりの人間として決して許されないと思っているのだろう。電話の向こうで、護衛がためらいがちに答えた。「いえ、そうではありません。奥様が縛られてから、もう丸1日たっています。ボンベの酸素はもう尽きています。救助が必要か、ご指示ください」一瞬、沈黙が流れた。普段は冷静な怜司だったが、次の瞬間、目の前の酒瓶をつかみ、床にたたきつけた。瓶が砕ける激しい音が響いた。それでも、怜司の怒りは収まらなかった。「救助だと?人殺しを助けるというのか?この季節、あの辺りでは潮が満ちるのが遅い。あいつの顔まで水が上がるには、まだ時間がある。海水につかるくらいで、何が危ないんだ!それに、酸素ボンベなんか誰が渡した?玲奈を死なせておいて、自分だけ楽をするつもりか。今すぐ外せ!誰も助けるんじゃないぞ。あいつは自分が悪いと思ってない。玲奈と同じように、誰にも助けてもらえず、息もできないまま死を待つ苦しみを味わわせろ。助けるかどうかは、それからだ!」怜司の冷たい言葉の1つひとつに、胸をえぐられるようだった。楽をしている?中絶させられたばかりの体で、2月の凍える海の中に丸1日もつけられることが?私は下腹の激しい痛みに耐え、血を流し続けながら、自分の体が魚の群れに食いちぎられていくのを見ているしかなかった。どれほど助けを求めたくても、誰にも救ってもらえない。こんな目に遭って、
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第2話
頭の中が真っ白になった。私に隠し続けていた本音を、怜司はようやく口にしたのだ。これまで、何度も聞かされてきた。「玲奈はお前の妹だろ?俺にとっても家族なんだ」「お前が汚らわしい目で見るから、何もかもそう見えるんだろ」「いい加減、くだらないことで騒ぐな」今となっては、ばかばかしくて笑うしかない。思い返せば、おかしなことはいくらでもあった。それなのに、そのたびに怜司を信じた私が、ばかだった。13年も怜司を愛し続けた私の気持ちが、ただの笑い話だったなんて認めたくなかった。それでも怜司は、たった3日で私に思い知らせた。でも、私と赤ちゃんが、何をしたというの?結婚して3年。子どもは望めないと言われていた私が、ようやく妊娠した。いつも忙しくしていた怜司も、すぐに仕事を切り上げて帰り、私のそばにいてくれた。その翌日、玲奈に白血病の診断が下った。家族全員の前で鼻血が止まらなくなり、そのまま倒れたのだ。検査の結果、骨髄を提供できるのは私だけだと分かった。けれど、私を診ていた医師からは、この体で妊娠できただけでも奇跡だと言われた。骨髄を採る手術を受ければ、赤ちゃんが危険なだけでなく、私自身の体にも異常が起こる可能性が高いという。医師に言われたとおりに伝えると、父と母はたちまち冷たい顔になった。母が駆け寄り、私の頬をたたいた。「妊娠してる身で、よくそんな嘘がつけるわね!おなかのその肉の塊に罰が当たっても知らないわよ!骨髄を提供するくらいで死ぬわけないでしょう。ほかの人は平気なのに、あんただけ大げさなのよ!玲奈がねたましくて、死んでほしいんでしょう!」頬を押さえ、母を見た。泣きそうになるのをこらえ、検査結果の書類を取り出した。「これが私の診断書なの。私、嘘なんて……」言い終える前に、母が書類をひったくった。読んでくれれば、父も母も信じてくれる。そう思ったのに、ふたりは書類へ目を通そうともしなかった。母はその場で紙を細かく破いた。私は驚きと怒りで目を見開いた。どうして。何も言えずにいると、母は破いた紙を私の顔へたたきつけた。紙の端が頬を切り、細く血がにじんだ。「紗奈、ずいぶん用意がいいじゃない。そこまでして、実の妹を見殺しにしたいの?」父まで、母に加勢した。「骨髄を出したくな
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第3話
意識を取り戻した私を、怜司は強く抱きしめた。「これからは一生、俺が守る。もう二度と、こんな目には遭わせない」そう誓ってくれた。あのとき私に命を救われたことを思い出させれば、怜司も少しは心を動かすかもしれない。そう思って、あのときのことを持ち出した。けれど怜司は、私と目を合わせず、うつむいたまま、黙って同じ言葉を繰り返した。「紗奈、産んでも誰もその子を愛さない。その子は最初から、いらない子なんだ」私は扉の枠にしがみつき、どうにか体を支えた。苦しかったのは、赤ちゃんを「誰にも愛されない、いらない子」と切り捨てられたことだけではない。私が家族から「いらない子」として扱われてきたことを知る怜司が、ためらいもなく同じ言葉を口にしたことだった。私は小さい頃から、この家にはいらない子だった。愛してくれたのは、祖母だけだった。父も母も、周りの人も、明るくて人懐っこい玲奈ばかりかわいがった。そんな私の傷を、怜司は出会ってから13年かけて癒やしてくれた。「紗奈は、いらない子なんかじゃない。世界で一番大切な宝物だよ」そう言ってくれたのは、怜司だった。幼いころから、私は無視され、叱られ、置き去りにされてきた。それでも、そんな自分を少しずつ受け入れられるようになり、つらかったことも忘れかけていた。私を一番よく知る人の言葉が、いちばん深く私を傷つける。そのことを、忘れていた。怜司は、私がどれほど傷ついてきたか知っていたはずなのに。守ると約束してくれたのに。怜司も父や母と一緒になり、昔から抱えていた傷をひとつずつえぐった。もう、生きているのがつらいほどだった。玲奈はいつものように、みんなの前で、絶望してる私をかばうふりをした。けれど、人目がなくなると、私をあざ笑った。「妊娠したから何?誰もお姉ちゃんなんか愛さないよ。知らなかった?怜司さんが忙しいって言うときは、いつも私と一緒にいたの。お姉ちゃんも、おなかの汚らわしいガキも、いらないんだよ。ほら、私がちょっとその気になれば、みんなお姉ちゃんを捨てて、私を選ぶの」玲奈は私の目を見たまま、言葉をひとつずつ区切って言った。「私、病気なんかじゃないよ。ただ、お姉ちゃんを幸せになんかさせたくないの」玲奈は腕で私のおなかを強く突いた。私はとっさに玲奈を押し返したが、下
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第4話
「おとなしく子どもを堕ろして、玲奈を助けてくれないか?」13年も一緒に過ごしてきた人なのに。そのとき、目の前の夫が何を考えているのか、まるで分からなくなった。私は震える声で、怜司に尋ねた。「もし私が、玲奈は病気なんかじゃなくて、全部芝居だって言ったら?」怜司は、まるで私のほうが信じられないとでも言いたげに、失望した目を向けた。「紗奈、玲奈はお前とは違う。嘘なんかつかない。お前が嫉妬して、あれだけひどいことをしても、あの子は責めようともしなかったんだぞ。少しはあの優しさを見習って、一度くらい助けてやれないのか?」胸に鈍い痛みが走った。私は袖をまくり、腕に残る古い傷痕を怜司に見せた。どうしても、声の震えを止められなかった。「私じゃなくて……玲奈を信じるの?この傷、誰につけられたか分からないの?怜司、知ってるでしょう?」そこへ父と母が入ってきた。母はいきなり、私の頬を平手で打った。「あんた、どこまで性根が腐ってるの!その傷だって、玲奈を陥れるために自分でつけたんでしょう!今度は怜司さんまでだまして、何もしてない玲奈を悪者にするつもり?」普段から口数の少ない父は、今回も見て見ぬふりをして、何も言わなかった。怜司も黙ったまま、まるで「もうお前の嘘は終わりだ」とでも言うように、私を見ていた。父と母も、怜司も、玲奈を救うためなら私を奈落の底へ突き落としても構わないとでもいうようだった。昔から、玲奈には何度も同じような目に遭わされてきた。仲間を引き連れて私をいじめ、「お父さんもお母さんも、ほかのものも全部私のもの。お姉ちゃんは何も取らないで」と脅してきた。そうか。世の中には、何もしなくても、みんなに愛される人がいるんだ。絶望の中で、誰かに「お母さん」と呼ばれた気がした。そうだ。私には、まだ赤ちゃんがいる。追い詰められた私は、とっさに果物ナイフをつかんで振り回した。母は悲鳴を上げ、その場にへたり込むと、私をののしり始めた。「何するのよ、この恩知らず!私たちがどんな思いでここまで育てたと思ってるの?それなのに、親に刃物を向けるなんて……私たちを殺すつもり?あんたなんか、産むんじゃなかった!」病室の入口には、少しずつ人が集まってきていた。周囲から非難の目を向けられているのは分かっていた。けれど今は、赤ちゃ
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第5話
玲奈が自殺した。遺書を残し、海に身を投げたのだ。遺書には、私が妊娠していることに触れ、自分のことで家族がもめるのは望んでいないと書かれていた。一見すると、私をかばっているように読めた。表向きは、私を気遣う遺書だった。だが、その内容は、玲奈を家族思いの優しい妹に、私を身勝手で薄情な姉に見せるものだった。私をかばうふりをしながら、実際には私を責め、おとしめていた。父も母も、怜司まで、あの遺書を疑いもせず鵜呑みにした。3人は私に無理やり中絶手術を受けさせると、そのまま玲奈の葬儀会場へ連れていき、遺影の前で土下座させた。痛みで気を失っても、3人は冷水を浴びせて無理やり目を覚まさせ、罵った。「玲奈を死なせておいて、倒れて済むと思ってるの!まるで反省してないじゃない!」母は私につかみかかり、力任せに殴り続けた。どうして死んだのがあんたじゃないのかと、何度も何度も私を責め立てた。父は、母に殴られる私を止めようともせず、呆れたようにため息をついた。「お前が生まれたとき、そのまま首を絞めておけばよかった」最後に、怜司は私の傷に包帯を巻きながら、いい加減、自分が悪かったと認めろと言った。さらに、玲奈の遺影の前で正座して心から謝れば、今回のことは水に流して、また夫婦としてやり直してもいいと言った。もう、何もかもに疲れ切っていた。まるで自分だけが私を許す立場にいるかのように話す怜司が、吐き気がするほど嫌だった。怜司は何度も私を置き去りにし、家族と一緒になって私を傷つけ、最後には赤ちゃんまで死なせた。その時点で、私たち夫婦はもう終わっていた。私は怜司を見て、はっきりと告げた。「もう終わりよ、怜司。この先、一生あなたと関わるつもりはない。離婚しましょう」怜司はあっけに取られ、しばらく私を見つめていた。やがて、私の手首を強くつかんだ。「紗奈、お前は俺のためなら命だって惜しくないと言ってただろ。それなのに、俺と別れるだと?まさか本当に、ほかに好きな男が……いや、違う。離婚を持ち出せば、俺が折れて、お前を許すとでも思ったのか?」怜司は、さらに手に力を込めた。「そこまで自分の罪を認めたくないなら、玲奈と同じ苦しみを味わえ。お前が自分の罪を認めるまで、絶対に許さない!」その後、私は海辺へ連れていかれた。海から突き出た岩に
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第6話
部屋を飛び出そうとしていた怜司の足が、そのひと言で止まった。怜司は、電話の向こうで焦る護衛の声を鼻で笑った。「放っておけ。どうせ自分で傷ついて、同情を引こうとしてるだけだ。まだそんな気味の悪いまねをするなんて、本当に懲りない女だな。数日は何も食わせるな。今度こそ、しっかり思い知らせろ!」怜司はためらいもなく電話を切ると、すぐに秘書へ向き直り、玲奈がどこにいるのか詳しく尋ねた。怜司が私ではなく玲奈を選ぶことは、とっくに分かっていた。それでも、実際に私を切り捨てる姿を見ると、胸が痛くてたまらなかった。昔の怜司は、私がほんの少し擦りむいただけでも、涙を流して自分を責めていた。それが今では、私が傷つこうが死のうが、平気で見捨てられる人になっていた。私の身に何かあったと聞いても座ったままだった父と母が、玲奈の名前を聞いた途端、勢いよく立ち上がった。ふたりは秘書へ駆け寄り、矢継ぎ早に問いかけた。私のことでは、誰ひとり動こうとしなかった。それが玲奈のこととなると、部屋はたちまち騒がしくなった。「お父さん、お母さん、怜司さん」秘書が答えるより先に、身なりをきちんと整えた玲奈が入口に姿を見せた。顔色もよく、元気そうに立っていた。少なくとも、命に関わるような様子には見えなかった。その姿を見るなり、母は泣き声を上げて駆け寄った。玲奈を力いっぱい抱きしめ、その肩へ顔を埋めて泣き続けた。「玲奈!無事に帰ってきてくれてよかった。無事で、本当によかった!お母さん、怖くてたまらなかったのよ!」父も玲奈に数歩近づき、目を赤くして言った。「ああ、帰ってきてくれてよかった。帰ってきてくれてよかったよ」玲奈は目を赤くしながら両親をなだめると、今度は怜司の胸へ飛び込み、か細い声ですすり泣いた。怜司は玲奈の背中を優しくさすりながら尋ねた。「みんな、玲奈に何かあったんじゃないかと心配してたんだぞ。この数日、どこにいた?」玲奈は怜司の胸に顔を埋めたまま、泣きながら謝った。「ごめんなさい。お姉ちゃんに迷惑をかけたくなくて、本当に死ぬつもりで海へ飛び込んだの。でも、助けられたあとに高熱が出てしまって……わざと黙っていたわけじゃないの」「高熱まで出たのか?ただでさえ病気なのに、そんな体で無理をしたら危ないだろ。すぐ病院へ連れていく」怜司
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第7話
母は涙を流しながら玲奈を見た。「かわいそうな玲奈。こんなときまで、あんな薄情な姉のことを気遣うなんて……怜司さん、この子の願いはたったひとつなの。どうか、かなえてやってくれない?」父も怜司を説得し始めた。「怜司さん、玲奈にはもう時間がない。この子が望んでいるのは、それだけなんだ。父親として、俺からも頼む。かなえてやってくれないか」ふたりは、人としての道理も恥も忘れていた。私も、ふたりの実の娘だ。怜司は私の夫であり、玲奈にとっては実の姉の夫なのに。何もかも、あまりにもばかげていた。怜司は何と答えるのだろう。私はその顔を見つめた。考えるまでもない。玲奈のためなら、私も赤ちゃんも捨てられる人だ。そのうえ怜司にとっては、望みどおり私を捨て、玲奈と一緒になれる機会でもあった。少し迷った末、怜司は予想どおりうなずいた。答えは最初から分かっていた。それでも、13年も愛し続けて、最後に突きつけられた答えがこれだと思うと、あまりにもばかばかしかった。怜司の行動は早かった。弁護士に離婚協議書の作成を頼む一方で、玲奈との結婚式の準備を進めた。……結婚式の当日、怜司は私を見張っている護衛へ、わざわざ電話をかけた。「離婚協議書をそちらへ届けさせる。紗奈に、骨髄提供に同意して書類へ署名すれば、財産の半分を渡すと伝えろ」怜司はしばらく黙ったあと、言い訳するように付け加えた。「玲奈の願いをかなえるだけだ。病状が良くなったら、玲奈とは離婚する。それも紗奈に伝えておけ」自分の不倫さえ美談にすり替える。実現する気もない約束だけは、いくらでも大きくできるらしい。今さら言い訳なんて、笑わせる。どうせ私はもう死んでいる。誰と結婚しようと、好きにすればいい。怜司のそばを離れられるなら、それだけでよかった。もう二度と、顔も見たくなかった。結婚式は盛大だった。広い会場は参列者で埋め尽くされ、あちこちから祝福の声が上がっていた。怜司と結婚した日のことが、ふとよみがえった。私たちが結婚した頃、怜司にはすでに両親がおらず、私も両親がいてもいないようなものだった。盛大な結婚式は挙げなかった。友人を数人だけ家に招き、ささやかな食事会を開いた。それが、私たちの結婚式代わりだった。あのころの怜司は、婚姻届受理証明書を何度も手に取り
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第8話
祖母は怜司につかまれた杖をぐいと引き戻し、目をつり上げて怜司をにらんだ。「私があんたに紗奈を任せたとき、あんたは何て言った?一生大切にするって約束したじゃないか。それなのに、紗奈が妊娠した途端に捨てて、実の妹と結婚するのかい?それが、あんたの言う『大切にする』ってことなのか!」会場がざわめき始めると、父と母は慌てて壇上へ駆け上がり、祖母の両腕をつかんで外へ連れ出そうとした。「母さん、もうやめてくれ。そんなことを言われたら、玲奈はこれからどうやって生きていくんだ!」祖母は父の頬を平手で打ち、怒鳴った。「人に知られて困るようなことなら、最初からするんじゃないよ!あんたたちは昔から玲奈ばかりひいきして、私の大事な紗奈をあんたたちのもとへ帰したら、こんな目に遭わせるなんて!どうりで、このところ何度連絡しても出ないはずだ。あんたたち、よくも寄ってたかって、あの子を苦しめたね!私は年を取っただけで、まだ死んじゃいないよ!あんたたちに紗奈がいらなくても、私には大切な孫だ。あんたたちが愛さないなら、私が愛す!紗奈はどこにいるの!私が連れて帰る。この年寄りに大したことはできなくても、紗奈とひ孫くらい、私が養ってみせる!」おばあちゃん……私は祖母のそばにしゃがみ込み、幼い頃のように、石けんの匂いがする服の裾へ手を伸ばした。けれど、指先は布に触れることなく、すり抜けた。手を下ろしかけたとき、土で汚れた祖母の靴が目に入った。靴底の縁は、少し剥がれかけていた。私はもう、涙をこらえられなかった。祖母は田舎から長距離バスに揺られ、何時間もかけてここまで来たのだ。いったい、どれほど大変な道のりだったのだろう。父は顔をこわばらせ、祖母に言い返した。「母さん、もういい加減にしてくれ。体も悪いんだから、田舎へ帰って休んでいればいい。何も知らないくせに、余計な口を出すな」祖母は杖で床を何度も打ち鳴らし、父をにらみつけた。「よくもそんなことが言えるね!妹が姉の夫を奪うのを、親がふたりして後押しするなんて、恥知らずにもほどがある!妻を捨てて、その妹と結婚する男も同じだ。自分たちがこんな汚い真似をしておいて、まだ紗奈を悪者にするつもりかい。私はだまされないよ」玲奈は一瞬、憎しみのこもった目を祖母へ向けた。「おばあちゃん、私のことは悪く言
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第9話
次の瞬間、祖母が父の頬を平手で打った。「あの人は、あんたの姉さんの息子だよ!紗奈の従兄、藤原悠真(ふじわら ゆうま)じゃないか!自分から姉さん一家と縁を切って、実の甥の顔も分からないくせに、よくも紗奈にあんな濡れ衣を着せたね!紗奈はどこにいるの。答えなさい!」祖母の言葉を聞き、参列者たちは次々と口をつぐんだ。父は言葉を失い、写真に目を凝らした。そこに写っているのが悠真だと気づいた瞬間、顔色を変えて玲奈を振り返った。「あれが……姉さんの息子なのか?玲奈、お前、あの男はろくでもないチンピラだって言ってたじゃないか」父は姉一家と縁を切っていたため、成長した悠真の顔を知らなかった。ただ、姉の息子が県内の大学病院に勤め、最年少で診療科長になったという話は人づてに聞いていた。玲奈が言うような男であるはずがなかった。参列者たちは、いっせいに玲奈を見た。祖母と父のやり取りで、写真の男が誰なのかは、もう疑いようがなかった。「じゃあ、紗奈さんのお腹の子は、不倫相手の子じゃなかったのか?本当に怜司さんの子だったのか?」誰かが、そんなことをつぶやいた。怜司がぶつかったマイクスタンドが倒れ、スピーカーから耳をつんざくような音が会場に響いた。怜司は身を翻して壇上を下り、会場の出口へ駆け出した。玲奈は慌てて後を追い、怜司の腕にしがみついた。「こんなことになるなんて思わなかったの。お願い、行かないで。私を置いていかないで。私、もう長くないのよ……」怜司は玲奈の手を乱暴に振りほどき、怒鳴った。「放せ!あの写真で3年間も俺をだましやがって!俺と紗奈の3年間をめちゃくちゃにしたのは、お前だ!玲奈、これ以上邪魔をするなら、ただじゃおかないぞ!」結婚してからの3年間、怜司が私を冷たく扱った原因は、あのばかげた写真だった。その瞬間、結婚したばかりだった3年前の記憶がよみがえった。玲奈はスマホを軽く振り、私へ笑いかけていた。「お姉ちゃんが、あの男と浮気してるって怜司さんに言ったら、どうなるかな。それでも今までどおり、お姉ちゃんを愛してくれると思う?」あのときは、玲奈はどうかしていると思っただけだった。やってもいないことを言い立てられても、誰も信じるはずがない。何より、怜司の気持ちは絶対に変わらないと信じていた。振り返れば、怜
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第10話
怜司は秘書の胸ぐらをつかみ、問い詰めた。「今、誰が死んだって言った?紗奈じゃない。紗奈じゃないんだろ?」「紗奈!」悲鳴を上げた祖母は、その場で意識を失い、倒れた。会場は騒然となった。私は祖母のもとへ行こうとした。けれど、どれほど離れようとしても、魂は怜司のそばから動かなかった。祖母の身を案じながら、取り乱す怜司を見ていることしかできなかった。秘書はおびえながら、護衛から聞いた言葉を繰り返した。「社長、奥様は亡くなりました」怜司は秘書の胸ぐらをつかんだまま、声を張り上げた。「嘘をつくな!紗奈のところへ連れていけ!今すぐ連れていけ!」怜司を乗せた車は速度を上げ、海岸へ向かった。海岸に着くと、砂浜には白い布をかけられた私の遺体が横たわっていた。秘書に支えられて車を降りた怜司は、よろめきながら遺体へ近づいた。だが、数歩進んだところで足を止め、それ以上近づけなくなった。怜司はようやく遺体を覆う白い布から目をそらし、そばにいた護衛へ顔を向けた。「あれは紗奈じゃないよな?紗奈が俺に腹を立てて、誰かを身代わりにしたんだろ?俺をだましてるだけだよな?」護衛は何も答えず、私の顔を覆っていた白い布をめくった。冷たい海水に長くつかっていたとはいえ、私の顔はぞっとするほど青白くなっていたが、ひどく膨れてはいなかった。怜司は私の顔を見つめたまま、長いあいだ動かなかった。唇を動かしても、声は喉につかえ、ひと言も出てこなかった。やがて怜司が一歩踏み出した途端、その体が膝から崩れ落ちた。秘書が支えようと手を伸ばしたが、怜司は振り払い、四つんばいになって私の遺体へ這い寄った。私のそばまで来ると、怜司はどうにか笑みを作った。私を起こしてしまわないように、声を落として話しかけた。「紗奈、俺に怒って、みんなに嘘をつかせたんだろ?どんな罰でも受ける。だから、こんな冷たいところに寝てないでくれ。俺と家へ帰ろう。な?紗奈、家に帰ろうって言うと、いつも笑って俺に抱きついてくれたよな。もう一度だけ、俺を抱きしめて、笑ってくれないか?」怜司は無理に笑っていたが、今にも泣き出しそうだった。「いいんだ、紗奈。今度は俺から抱きしめればいいよな」怜司は私へ手を伸ばしかけ、自分の指にはまったダイヤの結婚指輪に気づいた。はっと顔
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