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第2話

Author: 出会い
真冬の最中、夜の気温は急激に下がっていた。

都市の街角を吹き抜ける寒風は、刃物のように私の頬を削る。

私はまずコンビニに立ち寄り、解熱剤とペットボトルの水を買って、乱暴に喉へ流し込んだ。

薬を飲まなければ、きっと知哉の前まで持ちこたえられないと分かっていたからだ。

……はぁ、はぁ、寒い。

空き瓶をゴミ箱に投げ捨て、足を踏み鳴らしながら手に息を吹きかける。

空からは細かい雪が舞い始めていた。

私は車を運転できないし、知哉から車の鍵を預かってもいない。だから今行くには配車アプリで呼ぶしかなかった。

電話で聞いた騒ぎを思い出すと、胸が焦りで焼けつくようだった。

もし本当に何事もないのなら、どうして彼は私に無事だと電話してくれないのか。

きっと何かが起きているに違いない。

唇を強く噛みしめ、焦りで目の縁が熱くなる。

やがて数分の苦しい待ち時間のあと、配車のドライバーがやっと目の前に現れた。

車に乗り込むと、吹きつける暖気に思わず身を震わせる。

「青鳥クラブまでお願い」

運転手は手際よく、十分もかからずに目的地へと私を運んでくれた。

慌てて料金を払い、車を降りる。

青鳥クラブの外観は控えめだが、シンプルな高級感が漂っていた。

私はすぐにホールのスタッフを捕まえ、知哉の個室まで案内させた。

ドアの隙間から漏れる眩しい光に、思わず目を細める。

「知哉、どうして……」

次の瞬間、私は勢いよくドアを押し開けた。

帰国してから、まだ一度も知哉と会っていなかった。

それでも、人混みの中から彼を見つけるのに一瞬もかからなかった。

無事だった。

一瞬、騙された怒りよりも先に、安堵と喜びがこみ上げた。

――無事だったんだ。よかった。

けれども、この茶番には付き合わねばならない。

私は棒立ちになり、声を震わせた。

「なぜ……あなたは……」

知哉は淡々と私を見返した。

軽くうつむき、唇に挟んだタバコの火が暗がりで揺れる。

捲り上げた袖口からは、鍛え上げた小腕が覗いていた。そして、彼の腕の中には、気品ある女が寄り添っている。

物音に気付き、二人は揃って私を見上げた

熱に浮かされた頭で混乱し、言葉にならない声を絞り出す。

「あなた、電話では……ちが……」

言葉が途切れた瞬間、個室のあちこちから忍び笑いが漏れた。

空気が一瞬凍りつく。

次の瞬間、場内の全員が爆笑を浴びせかけた。

「はははは!犬のしつけ指南でも頼むのか、知哉さん!」

「やっぱり澪は知哉さんを忘れられないんだな!」

「惨めだな、七原澪(ななはら みお)。昔あんなことしなきゃよかったのに。今じゃみんな、お前の正体知ってるんだから」

……

私は無表情で、哄笑する男女を見つめた。

握り締めた拳の爪が掌に食い込み、細い血の筋が走っている。暗い個室では、誰にも気付かれない。

――世の中はそういうものだ。強者にすがり、弱者を踏みつける。

今の知哉は、ここ数年で帝京でもっとも影響力を持つ若手実業家だ。

過去のことを、本人が直接私に仕返しするわけにはいかない。

その代わりに、彼らは喜んでその矛先となる。

彼を持ち上げ、私を踏みつける。

それが知哉の前で顔を売る最も簡単な方法だからだ。

彼らにとって、やらない理由などなかった。
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