ログイン個室の重いドアを押し開けた瞬間、桜庭美夕(さくらば みゆ)の目に最初に飛び込んできたのは、激しくキスを交わす一組の男女の姿だった。 一人は、彼女の恋人。 そしてもう一人は、彼女の最も親しい親友だった。 黒川凛(くろかわ りん)は有無を言わさぬ強引な身振りで藤崎玲奈(ふじさき れいな)をその腕の中に押さえ込み、どこか野性味を帯びた仕草で彼女の唇を塞ぎ、熱い吐息を絡ませ合っている。 その光景を目の当たりにした瞬間、美夕は全身の血の気がざわっと引き、得体の知れない冷気が波のように押し寄せてきた。爪が手のひらに深く食い込み、血が滲むほどの傷ができているというのに、少しの痛みすら感じない。 周囲には耳をつんざくような音楽が鳴り響き、集まった大勢の人間が狂ったように囃し立てていた。
もっと見る正門の外、凛はロールスロイス・ファントムから降り立った。仕立ての良い新郎用のタキシードに身を包み、髪はすべて後ろに撫でつけられ、冷たくも浮世離れした美しい目元を露わにしている。彼は車を降りると、抱えていた大きな箱を地面に置き、ゆっくりと蓋を開けた。中に入っていたのは、金銀財宝などではない。何通ものラブレターと、何冊もの日記帳だった。「美夕、今更こんなことを言っても遅いのは分かっている。俺は本当に、お前を傷つけるような真似をしたんだからな。だが、今回の謝罪と反省は心からのものだ。お前と結婚したいという気持ちも、本心だ。この五年間、俺は毎晩寝返りを打ちながら、頭の中はお前のことでいっぱいだった。俺ははっきりと自覚したよ。お前を愛していると。初めて出会ったあの瞬間から、ずっとだ。この五年間、お前への愛がすり減ることは一度もなかった。むしろ、お前を想うたびに、より深く刻み込まれていったんだ……」凛は誠心誠意謝罪し、この五年間に書き綴ったすべてのラブレターを、一通また一通と読み上げていった。かつて二人が付き合い始めた翌日、美夕も全く同じことをした。彼に向けて、これまでに書いたすべてのラブレターを読み上げ、自身のあふれんばかりの愛を彼に伝えたのだ。そして今、それと同じことを凛がしている。しかし、美夕はそれを聞きながらも、微塵の感動も覚えていなかった。心の中にあるのは、ただ一面の冷ややかな無関心だけだった。五年という歳月は、多くを変えるのに十分すぎる時間だ。ましてや、美夕は自ら離れることを決意したあの時、すでに凛への想いを完全に断ち切っていたのだから。今更になって、再び彼の言葉に心を動かされることなどあり得ない。もう二度と、同じ過ちを繰り返したくはなかった。凛がラブレターを読み終えるよりも早く、美夕はきっぱりと声を上げて彼を遮った。「もう私を解放して、凛。私はもうあなたのことを愛していない。あなたも、前を向いて歩き出すべきよ」彼女が淡々とそう口にした直後、配達員が再び新たな機密保持契約書を届けてきた。美夕は一切の躊躇なくサインをした。「これからの余生は、すべて私の愛するキャリアに捧げるわ。私はあなたのものじゃないし、もうあなたに縛られたくもない。私を自由にして。そしてあなた自身も、解放してあげて、凛」凛は
蓮はどこから取り出したのか、一本のロープで手際よく凛を縛り上げると、親切にも凛をそのまま彼自身の車へと押し込んだ。車のドアを閉めた後、蓮は窓ガラスを軽く叩き、まるで気にも留めない様子で言い放った。「黒川、美夕は言っていた。あんたとは行きたくないと。俺は彼女の望み通りにするだけだ。俺は彼女のすべての意思を尊重する。あんたに出番はない」蓮はふっと笑みをこぼすと、大股で美夕のもとへと歩み寄っていった。その足取りは意気揚々としていた。その光景を目の当たりにして、美夕はその場に呆然と立ち尽くしていた。かつてはどれほど抗っても敵わなかった男が、蓮の手にかかればいとも簡単に片付けられてしまった。なんだか、凛がそれほど強大な存在ではないようにさえ思えてくる。凛は顔を黒く沈ませ、背後に縛り上げられた腕で絶え間なくもがいていた。この五年間、彼はまともに休息をとった日など一日としてなかった。美夕の行方を少しでも掴もうと、毎日各地を奔走し続けていたのだ。彼の肉体は、とうの昔に以前のような健康を失っていた。「美夕!」凛は鋭い声で吠え猛ったが、彼の目に映るのは、蓮と肩を並べて遠ざかっていく美夕の背中だけだった。身長の違う二つの影が寄り添って歩く姿は、なぜかひどくお似合いに見えた。だが凛にとって、それはこの上なく目を刺す光景だった。奥歯を噛み砕かんばかりに食いしばり、目尻が裂けるほどに目をひん剥いて睨みつける。「美夕、お前は他の奴を好きになっちゃいけない。俺だけを好きでいるって言ったじゃないか。約束を破るな……」しかし、どれだけ叫ぼうとも無駄だった。防音性の高い車の窓ガラスは、彼の声を外へ届けることを完全に遮断していた。美夕はやはり、自分のもとから去ってしまったのだ。凛の抵抗は次第に弱々しくなっていった。彼女の背中が完全に視界から消え去る頃には、彼にはもう最後の一筋の力すら残されていなかった。彼を愛してくれた唯一の人が、ついに彼を完全に切り捨てたのだ。常に冷淡で孤高を保っていた凛だったが、この時ばかりは極限の悲しみを帯びた一筋の涙をこぼした。その心は、とうに千々に引き裂かれ、穴だらけになっていた。なぜだ?まだ俺の愛が足りなかったというのか?俺のすべての愛をあいつに捧げ、俺の人生には美夕一人しかいないというのに、どうして彼
「国家の重要プロジェクトの研究員を監禁しようというのなら、自分にそれだけの力があるのか、よく考えることね。もうあなたとこれ以上関わりたくないの。あの時の別れの言葉でまだ足りないというのなら、今ここではっきり言うわ。あなたと一緒にいたこの数年間、私は本当に疲れ果てた。愛を知らないあなたに、人を愛する方法を教えることなんて私にはできない。それに、私に嫉妬させて気を引くためだけに、何度も私を弄んだことだって、もう二度と耐えられない。私は、もうあなたのことを愛していない」美夕の言葉は、最も鋭い刃物のように凛の心臓を貫き、容赦なく抉り回した。彼の顔は紙のように青ざめ、その長身は今にも崩れ落ちそうに揺らいでいた。その瞳は信じられないという驚愕と、深い未練で満ちている。「美夕、冗談はやめてくれ。お前が俺と他の女との関わりに嫉妬して嫌がるなら、あんな真似はもう二度としない。俺の独占欲が強すぎるのが気に入らないなら直す。俺はただ、お前を愛しすぎているだけなんだ。だから、許してくれないか。俺のどこが気に入らないのか言ってくれれば、全部直すから。頼む、俺にもう一度だけチャンスをくれ」凛は何度も何度も許しを乞い、今にも地面に跪いてすがりつきそうな勢いだった。目尻からは、極限の悲しみを帯びた一筋の涙が滑り落ちる。しかし、そんな彼の懇願や哀れを誘うような振る舞いも、もはや美夕の心に波風を立てることはなかった。彼女はこの手の謝罪や誓いを、これまでにもう何度も聞かされてきたのだ。三つ子の魂百までと言うように、人間の本性などそう簡単に変わるものではない。凛が変わることなど、絶対にあり得ない。そして美夕自身も、とっくに彼への愛を失っていた。美夕は彼の言葉を完全に無視し、蓮の元へと真っ直ぐに歩み寄った。「蓮さん、あなたは今日、私を護衛しに来てくれたのよね。凛に連れ去られたりしないように守ってくれるわよね」彼女は無意識にスカートの裾を固く握りしめ、その指先は緊張で白く色を失っていた。そう口にはしたものの、彼女の心にも確証はなく、城間家に迷惑をかけてしまうのではないかと怯えていた。蓮は冷峻な顔に珍しく優しい笑みを浮かべた。「安心しろ。俺がいる。何も起こらない」その時、警察が駆けつけ、彼の足元で押さえつけられていた男を連行
気の向くままに土産物屋へ足を踏み入れると、ちょうど近くで祭りでも開かれているのか、店内は多くの人でごった返し、身動きが取りづらいほどの混雑ぶりだった。それでも、美夕はまったく気にする様子を見せなかった。こうして人の波に身を委ねている時だけ、自分が確かに生きているのだと実感できる。人の温もりも、街の喧騒も、すべてが愛おしく感じられた。蓮は、そんな彼女が楽しそうにしているのを見て、ごく自然に一歩前へ出ると、自分の身体で人の流れを遮り、彼女のための小さな空間を作ってやっていた。「蓮さん、この置物、可愛いと思わない?」美夕は、頭をゆらゆらと揺らす子猫の置物を持ち上げ、嬉しそうに彼へ見せる。そのきらきらと輝く瞳を見つめながら、蓮の胸に浮かんだのはただ一つ。――そんなありふれた置物より、目の前の彼女のほうが、ずっと可愛い。もちろん、そんなことを口にできるはずもなく、蓮は静かに頷いた。「ああ、可愛いな。気に入ったなら買えばいい。ベッドサイドに飾るのも悪くない」だが、美夕はくすりと笑って首を横に振ると、蓮の手を取り、その置物をそっと彼の手のひらへ乗せた。「私、これあなたにすごく似合ってると思うの。ちょっと似てるし」胸を張って堂々と立つ姿が、どこかそっくりだった。蓮は、自分の手に残る彼女の温もりに気づき、耳まで熱くなるのを誤魔化すように慌てて頷くと、そのままレジへ向かって会計を済ませた。土産物屋を出る頃には、二人の間に流れる空気は、いつの間にか以前よりずっと柔らかくなっていた。そのまま並んで通りを歩き続ける美夕の顔には、自然と満面の笑みが広がっていた。しかし、その穏やかな時間は、突然終わりを告げる。突如、一人の男が包丁を握り締めたまま狂ったように叫びながら、二人へ向かって突進してきたのだ。「借金が返せなくて家族もバラバラになったってのに、なんでお前らみたいな奴らが幸せそうにしてやがる!全員死ね!俺と一緒に地獄へ落ちろ!」悲鳴が上がり、群衆は一瞬で大混乱に陥る。押し寄せる人波によって、美夕と蓮はあっという間に引き離されてしまった。しかも最悪なことに、その男は美夕を標的に定め、鈍く光る刃をまっすぐ彼女へ突き出してきた。「美夕!」五年間、一度も耳にすることのなかった声が突然響き、美夕は一瞬、その
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