LOGIN花霞地方裁判所桜都支部。 ごく普通の裁判所――のはずですが。 そこに勤める判事補、司 法子はちょっと変わった人物。 緑色のショートヘアに赤いカラコン。 出勤も退勤もパンクファッション、まるでライブハウス帰りのよう。 けれど、法服をまとって椅子に座るとき―― 彼女は一転、真剣な眼差しで事件と向き合い、証拠を読み、心を見抜き、誰よりも人に寄り添う判決を下す。 そんな“Funky裁判官”のもとに配属されたのが、国内最高峰・東帝大学を主席で卒業した才女、東條 菊乃。 几帳面で真面目なお嬢様は、法子に振り回されっぱなし。 しかし、その奔放さの裏にある“人を救いたい”真摯な心に触れ、少しずつ彼女自身の価値観も揺らいでいく――。
View Moreばさり。
黒法服の裾を鳴らし、裁判官が入廷する。 「令和15年(少コ)第34号、家賃請求事件――開廷しまーす!」 明るすぎる声に、原告も被告も目を丸くした。 書記官・東條菊乃は即座に立ち上がり、裁判長席を振り返った。 「司法の場で“まーす”は不適切ですわ!」「条文に書いてなければノーカンでしょ?」
裁判官――司 法子は涼しい顔。 法廷の空気は、張りつめと苦笑の狭間で揺れた。任官三年目。
まだ“補”の肩書きはあるが、この桜都《おうと》支部では一人前扱いだ。 地方の人手不足ゆえの特例を、法子は楽しんでいるようにも見えた。三時間前。
桜都市の朝。
大衆食堂の引き戸が、がらりと開く。緑のショートヘア、濃いアイライン。
赤いカラコンが鮮やかに映え、革ジャンにジーンズ、足元はごついブーツ。どう見てもロックバンドのボーカル。
「ふんふんふふ〜ん♪」 鼻歌まじりに出勤する彼女の手には、唐揚げ弁当とプリンの袋。すれ違ったサラリーマンが囁く。
「今日ってライブでもあるのか?」 ロッキン女は気にも留めず、軽快に歩いていく。 向かう先は花霞地方裁判所桜都支部《はなかすみちほうさんばんしょおうとしぶ》――彼女のステージ。二時間前。
花霞地方裁判所桜都支部・執務室。
主任書記官の菊乃は、所長判事・桐生《きりゅう》重信から紹介を受けていた。
「今日から司 法子判事補と組んでもらう」 (緑髪ショートに革ジャン、赤い瞳……28歳? しかもわたくしが、この方と組む……?)清廉で厳格な裁判官像は、一瞬で崩れ去った。
菊乃は姿勢を正す。黒髪をまとめた端正なスーツ姿の自分とは正反対。
(本当に、この人と裁判を……?)
冷たい不安と緊張が胸に走る。
それでも表情を整え、小さくうなずいた。 原告はアパートの大家・高橋正雄、56歳。 被告は半年間、家賃24万円を滞納したアルバイトの内藤一哉、26歳。 「仕事が減って、どうしても……」と被告。 大家は腕を組み、きっぱり言う。 「契約は契約です。支払っていただかないと困ります」 菊乃の背後で、大きめのため息が漏れた。(判決は明白――なぜ迷うのです?)
振り返ると、法子は腕を組み、天井を見上げ、机を指でリズムよく叩いている。
「ふむ……これはプリンの例えを適用するとわかりやすいんだよね」「そんな例え話は不要ですわ!」
菊乃の声をよそに法子はにやりと笑う。 「判決――支払い命令。ただしっ!」 ざわめく法廷。 「分割払いの条件付きにしましょう。両者には裁判外で和解を勧める。これが現実的でしょ?」 菊乃は思わず立ち上がる。 「判事! 判決と和解勧告を同時に言い渡すなど聞いたことがありませんわ!」「出た出た。けど、条文に“ダメ”って書いてないよね?」
「……っ」
両者の視線が激しく交わる。 原告と被告は顔を見合わせ、あぜんとした。裁判官と書記官の“法廷協議”が十分近く続いた後、法子は息を吐き、姿勢を戻した。
「では両者に問います。被告は滞納家賃を支払う必要があります。しかし一度に払えない事情もあるなら、今後滞納しないことを条件に一年間の分割支払いを認め、一度も滞ることなく履行するという和解案はいかがですか?」 当事者の視線が交錯し、張りつめた空気がゆるむ。 互いに大きく頷いた。 「では、この和解を持って閉廷します。和解調書は後日郵送します」 菊乃は深くため息をついた。(この判事……大丈夫かしら)
ばさり。 法子は法服の袖を鳴らして法廷を後にした。裁判後、執務室。
菊乃が青筋を立てて詰め寄る。
「本件は少額訴訟です。判決だけで十分でしたのに、和解だのプリンだと……!」 法子は椅子にだらりと腰を下ろし、煙草を指で回す。 「プリンだって一気に飲むより、ひと口ずつの方が消化にいいでしょ? 裁判はお仕置きじゃなく、生きるリズムを作る場所なんだよ」 そして、ふっと真顔になる。 「世の中、甘くも苦くも……プリンみたいなもんだよ」 その瞬間、桐生所長が机の引き出しから胃薬を取り出し、水で流し込んだ。 「……はあ、またか」 事務官たちは顔を見合わせ、苦笑する。 支部は慣れと諦めが混ざる空気だった。ただ一人、菊乃だけが真っ赤になり、机を叩かんばかりに叫ぶ。
「プリンに例える必要は、まったくございませんわっ!」 法子はけろりと笑い、机に片肘をついた。 「固すぎても崩れる。ゆらゆらしてるくらいが、ちょうどいいんだよ」「……!」
菊乃の目が大きく見開かれ、目じりが激しく震える。 「じゃあ、和解調書よろしくね。おキクさん」 いたずらっぽく笑い、タバコをくわえると屋上を指さし、鼻歌交じりに去った。 「おキクさんって誰ですかっ! 所内喫煙は規則違反ですっ!」 菊乃の声は裏返っていた。 だが妙に腑に落ちた感覚を抱えていたのは、彼女だけの秘密。(この判事は心配ですが……少しだけ――胸の奥が温かい気もいたします)
(つづく) ―――――― ちょっとFunkyで情に厚い破天荒な裁判官。 その名は、司 法子。そして――完璧主義のお嬢様書記官、東條 菊乃。
水と油のふたりが並び立つ。
甘くて、ちょっと苦い。
まるでプリンみたいな法廷コメディ。ここに――開廷!
休日の桜都市・商店街。 石畳の路地を歩く足取りは、裁判所への道中より軽やかだった。 東條菊乃は白いワンピースに淡いカーディガン。 黒髪をきちんとまとめ、誰が見ても“令嬢のお出かけ”そのものだった。 向かう先は――話題のカフェ「カフェ・ロッソ」。(SNSで毎日のように写真を見ますわ。名物はベリーを宝石のように散りばめたタルト……。優雅な休日にふさわしい場所ですわね) ガラス扉を押して入店。 木目調の家具と観葉植物が並び、落ち着いた空気が漂っていた。「いらっしゃいませ」 迎えたのはバリスタ姿の西園寺慎。 落ち着いた笑顔に、菊乃は小さくうなずく。「ブレンドコーヒーを一つと……“ベリータルト・ロッソ”をお願いいたします」 やがてテーブルに運ばれたのは、苺、ブルーベリー、ラズベリーを宝石のように飾ったタルト。(……まさに宝石。わたくしにふさわしいスイーツですわ) コーヒーを一口。 深い香りに、肩の力が抜けた。(あの裁判から、やっと解放されましたわ……) 思い返すのは、家賃滞納の少額訴訟、隣地境界のトラブル。(司判事は、どうして規則を軽んじて……。けれど、当事者が救われていたのも事実。……理解不能ですわ) ため息をつき、タルトを切り分ける。 カラン、とドアベルが鳴った。 同時に「ふんふんふふーん♪」という鼻歌が流れ込む。 菊乃が振り向くと―― 赤いタータンチェックのスカートに黒いブラウス。 同柄のベレー帽と真っ赤なリボン。 黒タイツにローファー。 奇抜な姿で鼻歌を奏でていたのは――花霞地方裁判所桜都支部判事、司 法子だった。 菊乃は顔をそらし、心臓がどくりと鳴る。(なぜ、この人が……? まさか、同じタルト目当て?) 胸の奥でざわめきが広がる。「やぁ、慎ちゃん! 久しぶり〜!」「……久しぶりだな、ロックスター」「イェーイ☆ 今日もノッてるぜ〜!」 法子は腰を下ろすなり声を上げ、馴れ馴れしく手を振る。 菊乃に気づく様子はない。「おばけプリンと、地獄のコーヒーをセットで!」 一瞬で店内が凍る。 菊乃はフォークを止め、手を握りしめた。 “おばけプリン”――直径二十センチの巨大プリン。 ホイップとチェリーを山盛りにした裏メニュー。 頼む者は法子しかいない。 “地獄のコーヒー”――豆三倍、漆黒の一杯。
ばさり。 法服の裾を鳴らし、判事・司 法子が裁判長席に腰を下ろした。「令和15年(ワ)第102号、境界確認等《きょうかいかくにんとう》請求事件――開廷しまーす!」 法子の明るすぎる声に、当事者と代理人が目を丸くする。 書記官・東條菊乃が条件反射のように後方の法子を振り返った。「司法の場で“しまーす”は不適切ですわっ!」 法子は菊乃にウインクを飛ばし、ファイルを開いた。 菊乃の胸に冷たい汗がにじむ。──一週間前。桜都簡易裁判所・調停室。 令和15年(ノ)第58号、境界確認等調停申立事件。 午前10時。 法子は昭和レトロなチェック柄ジャケットに太いネクタイ姿で現れた。「……は、判事。タイムスリップしてこられたのですか?」「昭和レトロは今アツいんだよ。プリンだって固めが人気なんだからね」 菊乃は、呆れたように深いため息をつき、吐き捨てるようにつぶやく。「……プリンを引き合いに出さないでくださいませ」 当事者と調停委員がぽかんと口を開く。「はいはい、調停はじめましょっか!」 申立人は農家の田嶋美佐子、52歳。 相手方は建設会社勤務の片桐孝志、48歳。 争点は畑と自宅を隔てるコンクリ塀の境界線だった。「塀の半分が私の土地に入り込んでいます!」「測量結果を見れば、そっちこそ主張がズレてる!」 声が大きくなり、空気が熱を帯びる。 それぞれの主張を法子はしばらく眺め、ぱん、と手を叩いた。「はい、ストップ! ……塀をシェアするってことでどう?」「「「そんなことできませんっ!」」」 三人の声が揃った。 菊乃は眼を見開いて立ち上がっている。「……え? ダメ?」「当然ですわ! 境界を“シェア”などあり得ません!」 法子は少し頬を膨らませる。「でも、プリンだって――」「あなたのプリンは規律違反ですっ!」 凍りつく調停室。 当事者と調停委員があぜんと見つめる。 沈黙の後、法子は肩をすくめ、小声でつぶやいた。「……やっぱ固めプリンのほうが良かったかなぁ――昭和レトロ……」「――ですから! プリンを持ち出すのをおやめくださいませっ!」 菊乃が机を叩く。 当事者たちは呆れ顔で、ついに片桐が立ち上がった。「これじゃ話にならん! 調停は決裂だ!」「わたしも、もう譲れません!」 険悪な空気。 法子は腕を組み、ため息
ばさり。 黒法服の裾を鳴らし、裁判官が入廷する。「令和15年(少コ)第34号、家賃請求事件――開廷しまーす!」 明るすぎる声に、原告も被告も目を丸くした。 書記官・東條菊乃は即座に立ち上がり、裁判長席を振り返った。「司法の場で“まーす”は不適切ですわ!」「条文に書いてなければノーカンでしょ?」 裁判官――司 法子は涼しい顔。 法廷の空気は、張りつめと苦笑の狭間で揺れた。 任官三年目。 まだ“補”の肩書きはあるが、この桜都《おうと》支部では一人前扱いだ。 地方の人手不足ゆえの特例を、法子は楽しんでいるようにも見えた。 三時間前。 桜都市の朝。 大衆食堂の引き戸が、がらりと開く。 緑のショートヘア、濃いアイライン。 赤いカラコンが鮮やかに映え、革ジャンにジーンズ、足元はごついブーツ。 どう見てもロックバンドのボーカル。「ふんふんふふ〜ん♪」 鼻歌まじりに出勤する彼女の手には、唐揚げ弁当とプリンの袋。 すれ違ったサラリーマンが囁く。「今日ってライブでもあるのか?」 ロッキン女は気にも留めず、軽快に歩いていく。 向かう先は花霞地方裁判所桜都支部《はなかすみちほうさんばんしょおうとしぶ》――彼女のステージ。 二時間前。 花霞地方裁判所桜都支部・執務室。 主任書記官の菊乃は、所長判事・桐生《きりゅう》重信から紹介を受けていた。「今日から司 法子判事補と組んでもらう」(緑髪ショートに革ジャン、赤い瞳……28歳? しかもわたくしが、この方と組む……?) 清廉で厳格な裁判官像は、一瞬で崩れ去った。 菊乃は姿勢を正す。黒髪をまとめた端正なスーツ姿の自分とは正反対。(本当に、この人と裁判を……?) 冷たい不安と緊張が胸に走る。 それでも表情を整え、小さくうなずいた。 原告はアパートの大家・高橋正雄、56歳。 被告は半年間、家賃24万円を滞納したアルバイトの内藤一哉、26歳。「仕事が減って、どうしても……」と被告。 大家は腕を組み、きっぱり言う。「契約は契約です。支払っていただかないと困ります」 菊乃の背後で、大きめのため息が漏れた。(判決は明白――なぜ迷うのです?) 振り返ると、法子は腕を組み、天井を見上げ、机を指でリズムよく叩いている。「ふむ……これはプリンの例えを適用するとわかりやすいんだよね」