Mag-log in「だから私は、それは都から以前貰った物だと言ったわ。今みたいに購入履歴が残っているわけじゃないから証拠と言えるものはなかったけど、都さんが私に胎児に良いと言って色々渡しているのは家の中の人は知っていたから、疑いを持たせることはできたわ」
それに怒ったのは老人。すぐに鳥居家当主を呼びつけ、都を井竜家から追い出したらしい。だが子供が一人だけでは心もとない、と先代当主が譲らなかったため、その時都が身ごもっていた桃子については、出産後に井竜家が引き取ることになったそうだ。「でもこれで、ようやく普通の家庭を築けると安心したわ」そう言う老夫人の表情は、どこか浮かなかった。その理由は優希にも理解できた。鳥居健志の存在。妾を解消したなら、もう子供を作ることもないはずだ。「…私との結婚条件には、私が知らされていないものもあったらしいの」「…都さんが言っていた、鳥居家側の跡取り…」老夫人は頷いた。「…いいの?」エレベーターを待っていると、将生が遠慮がちに聞いた。エントランスには、いまだ立ち尽くしている暁春の姿が見える。「いいのよ。もう彼に振り回されるのはうんざりなの」これが嫌がらせだとしたら、暁春は天才だ。優希はふん、と苛立たしげに息を吐く。その時、エントランスの方から何かが落ちる音が聞こえた。無意識に音の方を向くと、黒い塊が床に落ちていた。すぐにそれが暁春のコートで、暁春が床に倒れたということを認識すると、反射的に体が走り出す。首筋に指を当て、脈を見る。将生は暁春を仰向けにすると、衣服を緩めた。「脈はあるわ」「意識がない。それに衰弱している。一度ちゃんと診た方がいいな。救急車を呼ぼう」将生が手早く暁春の様子を確認すると、携帯を取り出して電話をかける。数分後に到着した救急車には、将生が同乗した。運ばれていく暁春を見送りながら、優希は一瞬だけ迷う。しかし最後は、将生がいれば自分まで付き添う必要はないと、そのまま自宅へ戻った。-目を覚ました暁春は、自分が病室のベッドに寝かされていることを理解した。周りにカーテンが引かれているところを見るに、相部屋なのだろう。同時にエントランスでのやり取りも思い出し、ナイフで滅多刺しにされたような胸の痛みに、目をきつく閉じた。改めて突きつけられた、優希からの愛情を手に入れていなかったという事実は、暁春を容易く打ちのめした。(きっと彼女もこんな気持ちだったんだろうな…)暁春が優希に復讐を告げた時、優希は顔を青ざめ、足元をふらつかせていた。そして暁春も、立ち去る優希の背を追いかけたくても絶望に足元がぐらつき、気づけば冷たい床に倒れていた。暗闇の中で苦笑いを浮かべ、首筋に触れる。そこは優希が脈を測るために触れたところだ。混濁した意識の中でも、優希が触
「せっかくだから夕飯食べていく?」優希は自宅の駐車場で将生の車から降りる時、運転席の将生を振り向いて聞いた。テスト勉強を見てもらって以来、将生との距離が以前より縮まったような気がして、自然と食事に誘うことが増えた。別によりを戻したいというわけではない。どうしても大人の手がほしい時もあり、子供たちも喜ぶので、節度ある距離感を気にしつつも、自分の図々しさに目をつぶっている状態だ。ただ、今日はそれとは別に、将生の車で送ってもらったため、何かお礼をしたい気持ちもあった。「じゃあお邪魔しようかな」将生がシートベルトを外して車から降りる。「最近は子供たちも落ち着いてきて、助かるわ」「おばあさんが意地悪で居なくなったわけじゃないってわかったんじゃないかな」エントランスへ向かう道すがら、二人は取り留めのない会話を楽しむ。優希は気に留めていないが、楽しそうに子供の話をしながら並んで歩く姿は、傍から見れば夫婦のように見えた。突然、優希は嫌な気配を感じ、勢いよく後ろを振り向いた。最近は有美への警戒心も薄れ、以前のように辺りを警戒しながら歩くことは無くなった。しかし今、思わず身震いするほどの強い視線を感じたのだ。将生もすぐに警戒して優希が見つめる先に顔を向けた。不自然な物音がしないか耳をすませるも、それらしいものは何も聞こえない。後ろでドアが開く音がした。優希は視線を外に向けたまま、ゆっくりと、エントランスの開いたドアへ歩いていく。「優希ちゃん!」すると先に前を向いた将生が険しい表情で、優希の名前を呼んだ。それに弾かれたように自分が進んでいる方向へ顔を戻すと、突然視界が真っ暗になり、すぐに何かに腰のあたりを締め付けられた。困惑する間もなく、鼻腔を掠めた、記憶に深く刻まれた香りに、優希は体を捩る。「またあなたなの!?離して!!」力の限り体を動かすと、意外
(あ、暁春を呼んだら面白いことになるかも) 有美は空港で見た見窄らしい姿の暁春を思い出し、愉快そうに口元を歪める。 本人が気づいているかは知らないが、暁春は優希に情を持っていた。 優希は随分将生と親しくしているようだから、それを知った暁春が勝手に暴走して、優希の生きがいごと壊してくれるかもしれない。 (腐ってもまだ井竜家の後継者よ。金も権力もまだあるわ) かつて心の底から欲しかった男は、今や有美にとって優希への嫌がらせに使える駒でしかなかった。 有美は上機嫌に鼻歌を口ずさみ、優希と将生が子供たちを抱いて睦まじく歩く写真を暁春に送った。 - 有美はあの夜以降、姿を見せていない。 それが少し不気味でもあったが、人間慣れるもので、徐々に勉強の方に集中することができた。 結果として、将生がテスト勉強を見てくれた先日のテストで良い点数を取ることができた。 優希が通う学校では、実習は月替わりで各科を周る。 今の実習先は内科病棟で、そこで優希は新しく転科してきた入院患者につくことになった。 「実はその人、飛び降り自殺を図った人らしいの」 優希に説明していた看護師は、声をひそめてそう言う。 飛び降りたビルに遺書があったらしい。 「三滝さん、成績も良いし患者さんからの評判も良いでしょう?今回は少し対応の難しい患者さんについてもらおうと思ってるんだけど…どう?大丈夫そう?」 断る理由などない優希は「はい」と頷いた。 「精神科とも連携を取っているし、今のところ強い興奮状態なんかは見られていないわ。基本的に私も一緒にいるから安心して。それから――」 そのほかにもいくつか注意点を説明され、優希がいつもより多い注意点を頭に留めている間に、担当看護師が扉を開けた。 四つあるベッドのうち、三つはカーテンが閉まっている。 そのうちの一つのベッドには見舞客が来ているようで、楽しげな声が聞こえる。 「ここよ」 優希が担当する患者はその隣のベッドで、窓際だった。 カーテンを開けると、一瞬死体かと思うような男が横たわっていた。 金髪が窓からの光に輝き、ぼんやりと開いた瞳は青い。 やつれているが、高い鼻梁やくっきりとした二重、髪と同じ金色のまつ毛に縁取られた目元が、本来はとても魅力的な容貌をしていることを教
「優希ちゃんは、何回言っても前髪を留めないでノートに書いてたよね。だから目が悪くなったんじゃない?」優希が眼鏡をかけ始めたのは、自分に向けられる周囲の目が怖くて視界をわざとぼやけさせるためだった。目を覆い隠すほどの前髪も、同じ理由で。将生に心を許し始めてもそれは変わらず、あまり顔を曝け出すことはしなかった。しかし将生に勉強を見てもらう時には、また少し違う理由も含んでいた。「だって、本を読むあなたの顔が好きだったの。今だから白状するけど、たまに前髪の隙間から覗いていたのよ」「変態みたいよね」と優希は自分自身に笑ってしまう。それほど当時の将生は、優希にとって理想の男性そのものだった。しかし甘酸っぱい懐かしさに口元が緩む優希とは反対に、将生の笑顔が少し固く感じた。「あ…ごめんなさい。デリカシーがなかったわね…」将生との交際は、優希からの一方的な別れの言葉で終わった。それを勝手に良き思い出として話すのは良くなかったか、と優希は思わず視線を落とす。嫌いになって別れたわけではなく、再会後は将生の穏やかな空気のおかげで変に気負うことなくこれまで過ごしてきたが、交際していた期間のことを、こうもはっきり話したのは初めてだった。「謝ることはないよ。少し驚いただけ」将生はいつもと変わらない声でそう言うも、優希は居た堪れず、リビングには若干気まずい空気が流れた。(どうしよう…これから気まずくなるかしら…)将生は優希が心から大切に思う友人だ。変に誤解を与えてギクシャクするのは寂しい。「…そろそろ寝ましょうか」どうにも落ち着かなくなり、優希はノートを片付けながらぎこちなく笑う。「優希ちゃんは…」しかし将生は動かず、優希が椅子から立ち上がった時、ぽつりと声を出した。「優希ちゃんは…今、僕といると気まずい?」「え?」「お互い付き合っていた頃の話って、なんとなく避けてたじ
たしかに本人も言っていた通り、老夫人はこの会見で何かを訴えることはしなかった。「きっと、おばあさんはそれが狙いなんでしょうね」 正妻の座を譲れ、という都への、老夫人なりの牽制。しかもただ真実を言っているだけなのに、それが都の不都合を晒しているもの
将生の訪問に、子供たちは当然大喜びして周りを飛び回った。短い時間ではあるが、仮眠を取れた将生も少し元気を取り戻し、子供たちの一生懸命な話に、笑顔で相槌を打っている。それでも早く休ませてあげたいと思った優希は、手早く夕食を盛りつける。その時、携帯が電子音を鳴らした。美緒からのメッセージで、そこにはいつかのようにリンクが貼られていた。"おばあさんが、これから会見をするわ"グループチャットに来ていたメッセージを将生も確認し「都さんのことかな?」と言う。「そうだと思うわ。最近ますます都さんに同情を寄せる声が増えてきた気がするもの」優希はテーブルに盛り付けたお皿を置き、美緒に返信する。「テレビに繋げようか?きちんと見よう」「そうね…」優希は頷きながらも、にこにこしながら椅子に座る子供たちに心配の目を向けた。きっと楽しい話じゃないが、不安にならないだろうか。「まだ難しい話は理解できないから大丈夫だと思うよ。もし飽きてきたり、怖がるようなら消そう」「わかった」優希が頷くのを見ると、将生はリモコンを操作して携帯の画面をテレビに映す。そこにはマイクが置かれた机の真ん中に、老夫人が一人で座っている姿が映し出された。背筋を伸ばして静かに座る姿は凛としていて、気品がある。「ばば!」テレビに気づいた子供たちが、嬉しそうに指をさす。しかしいつもの朗らかなおばあちゃんとは異なる雰囲気に、怪訝そうな表情になった。「ばば?」「おばあさんは今から大事なお話をしてくれるみたい。静かに見れる?」怖がらせないように、優希が優しく言うと、神妙な顔つきで頷いた。食卓に沈黙が流れる間もなく、司会者の挨拶とともに会見が始まった。「以前、鳥居都さんが井竜会長との関係を公表いたしましたが、それは事実でございます」その言葉に、会場の報道陣からど







