LOGIN本を読む姿に惹かれて思わず立ち止まると、向こうも優希を見てきた。
話しかけられると胸は高鳴り、全身の血を沸き上がらせる。数年ぶりに生を感じた優希は将生を拒絶することができなかった。 しかし将生の周りは温かくて居心地が良かったが、その分襲ってくる罪悪感は苦しくて辛く、耐えきれずに将生にそれを吐露してしまう。 すると突然優希は抱きしめられた。 服越しにじんわりと伝わってくる将生の体温と清潔な匂い。 背中に回された腕は強く、くっついた胸から心臓の鼓動が分かるほどだった。 優希が最後に抱きしめられたのは12歳の誕生日の3日前、本邸のリビングで美緒と老夫人と泣きながら抱きしめあった時だ。 舞は優しく抱きしめるどころか痛めつけ、英二に至っては優希がそのような接触を望んでいなかった。 孤児院では人と関わ電話を切っても、怒りで激しく打つ鼓動は収まらない。優希はキッチンに行って水を一気に飲み干した。昔から好きだったという話は、暁春と交際が始まる前に言われていた。だがそれは優希を手懐けるための嘘だったはずだ。それを今改めて真実だと言われて嬉しかったか?(ちっとも嬉しくないわ)優希が死を選ぶ前なら、もしかしたらすぐに暁春の胸に飛び込んでいっただろう。だが今は鳥肌が立つほどの拒否感に包まれている。二度と暁春の手を取りたくない。「あら!!ゆうちゃん、どうしたの!?顔が真っ青よ!?」優希がキッチンに両手をついて俯いていると、老夫人たちが帰ってきた。子供たちをベビーシッターにお願いした老夫人は、心配そうな顔で駆け寄ると、優しく優希の背中をさする。老夫人の顔を見て、ようやく優希の体から力が抜けた。「……なんでもないです。暁春と電話をしたら、少し気持ち悪くなっただけです」老夫人には、なんとなく言えなかった。口に出すのも抵抗があったからだ。優希の言葉に「そう…」と納得していない声を出すも、老夫人はそれ以上聞いてこなかった。そしてすぐに笑うと、優希の耳元に顔を寄せる。「おじいさんがね、暁春を連れ戻しに来るそうよ」それは今の優希にとって、飛び跳ねたいほど嬉しいニュースだった。暁春のことは美緒たちに伝えていたが、暁春がおもちゃで接触を図ろうとしていることを受け、本格的に動いてくれるのだろう。(これで静かになるわね…)優希は小さく息を吐いた。-暁春は暗い部屋の中で、酒の入ったグラスを手に、ソファに座って壁を見ている。ソファの前に置かれたローテーブルには、酒の空き瓶が何本も転がっており、彼が長い時間こうしているのがわかる。ぼんやりと眺める壁の向こうは、優希たちが生活している部屋。この部屋に引っ越してから、暁春
「私はもうあなたから罰を受けたわ。妻として、女として、自分がとても惨めに思えるほど苦しんだ。子供だって失った。それなのにまだ私を苦しめようとする。その原因は何なの?本当におば様のことだけなの?」暁春からの返事はない。「もしそうなら、はっきり言うわ。おば様が、私を自由にしてくれたの。私はもう孤独じゃない。孤独を誤魔化すためにあなたに縋って、あなたの手の上であなたの愛を欲しがっていた私は、もういないのよ」-(孤独を誤魔化すため…)優希の言葉が頭を殴りつけた。それはつまり、優希は心の全てを暁春に渡していたわけではないということ。ただ寂しい心を差し出して、暁春に慰めてもらっていただけ。そこに愛はあったのか。(彼女は、俺を愛していなかった)優希の孤独感につけ込んだのは確かだ。自分だけが、優希が安心して傍にいられる存在だと思わせた。そうやって手に入れた初恋の女性。暁春は彼女への愛を認められずにいながらも、向けられる温かい愛に夢中だった。だから復讐のための結婚と言いつつ、四年という長い時間、優希との生活を壊せなかった。しかしそこにあったのは暁春が求めているような情熱的な愛ではなく、孤独を埋めてくれる相手に流されて生まれた情だったのだ。自分が愛している人には同じだけ愛されたいもの。そもそも自分が優希に愛されていた過去が無かったと思うと、暁春は世界が崩壊したように感じた。「あなたは有美ちゃんのことを愛しているんでしょう?なら、憎い女に付きまとっていないで、それこそずっと一緒にいれば良いじゃない」電話口では優希の声が続いている。しかし今の暁春は、全身の血の気が引いて、座っていることも辛かった。-(まただんまりなのね…)以前、老夫人が愚痴をこぼしていたことがある。「おじいさんも暁春も、都合が悪くなるとすぐだんまり!」
将生の話では、隣のマンションの一階には深夜まで営業しているスーパーが入り、備え付けの家具や家電も充実。共有スペースにはワーキングエリアや大きなジム、サウナなど、単身者が好むような設備が完備され、そして引越し費用はオーナーが全て負担するのだそうだ。「優希ちゃんの隣の部屋の住人って、男性だったよね。あまり見ないけど、一人暮らしだったはず」「…確か在宅勤務って言っていた気がするわ。最近凛たちを家で見ていたから、もしかしたら仕事に支障が出ていたのかも…」そのタイミングで引っ越しの打診があり、応じたのかもしれない。そう思うと、優希は天を仰ぎたくなった。「このマンション、そんなに音が響くことは無いと思うよ。もともと引っ越しを考えていたんじゃない?」「何にせよ、暁春も住むとなると、あなたに迷惑をかけそうね」暁春が異常なほど将生を敵視しているのは、二人の最初の出会いの時から感じていた。将生ははっきりとは言わなかったが、その後の彼の怪我や解雇、先日の再会の態度を思い返せば、暁春が近くにいるとどんな形で暴走するかわからない。(この引っ越しの件も、将生を追い出す目的の可能性が高いわね…)「僕は大丈夫だけど、優希ちゃんへの縛りがきつくなりそうだよ…」どうしてこうも無関係な人たちを振り回すのか…。優希は大きなため息をつかずにはいられなかった。「もし良ければ、将生は引っ越してちょうだい。少し暁春と距離を置いた方がいいと思うわ」「でも、君は大丈夫?」「大丈夫よ。おばあさんもいるし、陽もいる。連れ去りは警戒しておくけど、陽の前で私に危害を加えるようなことまではしないはずよ」暁春は陽を大切にしていた。きっとあの子を悲しませることはしないだろう。「一応警察にも違約金のことと、付きまといで相談しておくわ」暁春が扉を開けたことで、優希は足を捻っていた。それも含めて相談するつもりだった。「おば様とおじいさんに
「俺の元に戻らないなら、他の誰のとこへも行かせない」暁春は静かな目で優希を見ている。怒りも悲しみも、もちろん愉しさも感じられない、完全な無の瞳。優希の背筋に冷たい汗が流れる。「…あなたに指図されるいわれはないわ」「お前は一生俺に属するんだ。俺の妻として俺の子を育て、俺と同じ墓に入るんだ。離れることはあり得ない。だから他の男と一緒になろうなんて考えるな」声を荒げているわけではないのに恐怖を感じるのは、痩けた顔の中で死んでいるかのようなその瞳が、真っ直ぐ見てくるからか。老夫人もその異様な雰囲気に黙ってしまった。「ママ…」その時、腕の中の子供たちが震えていることに気づく。小さな手で優希の服を握りしめ、不安げに眉を寄せている。「……子供たちが怖がっているわ。今日は帰って」優希がそういうと、暁春の視線は子供たちに移った。その時わずかに暁春の目に光が戻ったように見えたが、暁春はそれ以上近づくこともせず、掠れた声で「…わかった」と言うとゆっくりと玄関扉を閉めた。完全に扉が閉まると、優希はすぐに鍵とチェーンをかけた。そして急いで、先ほど見ることのできなかった手紙を確認する。そこには暁春が言ったことと同じ内容が記されていた。「すぐに引っ越したほうがいいわね。あんな違約金払う必要ないわよ」一緒に覗き込んだ老夫人が真剣な表情で言った。しかしここを出た後のことを考えると、優希はすぐに返事ができなかった。「…ここを出ても、そもそも学校が知られているのですぐに見つかるでしょう」学校卒業まではあと1年以上ある。その間暁春から逃げるために住居を転々とするのは、金銭的にも精神的にも負担が重い。そして何より、暁春に振り回されるのはもう嫌だった。「私はここに住み続けます。設備を充実させるというなら、堂々と使ってやります。そしていつか、この人なら、と思える男性に出会えても、暁春のために諦めるつもり
暁春との話し合いから二週間が経つ頃。いまだ暁春からは何の動きもなく、妙な不安を感じつつも、優希は忙しくも平和な日々を過ごしていた。「ママ!」いつも通り実習を終えて帰宅すると、子供たちが転がるように出迎えてきた。その後ろからはベビーシッターの女性が微笑みながらついてくる。「さっきまでお昼寝をしていたから、元気いっぱいですよ」「まぁ、朝より元気だわ」優希はくすくす笑いながら「抱っこ」と手を伸ばしてくる陽を抱き上げ、柔らかい頬にキスをする。疲れも吹き飛ぶような愛おしさに、思わず頬擦りもしてしまう。凛にも同じようにキスをして、帰るベビーシッターを一緒に見送った後、リビングに向かった。キッチンでは老夫人がスープを混ぜている。「お帰りなさい。今ちょうどスープができたのよ」「いつもご飯の用意をしてもらってすみません…」老夫人の存在は優希にとって心強い反面、こうして家事をやってもらうたびに申し訳なさも感じていた。「良いのよ。動かないと呆けちゃう」眉を下げる優希に、老夫人は朗らかに笑う。(せめてお手伝いさんを一人雇おうかしら)それでも、異国の地で心臓が悪い老夫人をこき使うことが忍びなく、密かにそう考えた。「ああ、そういえば、このマンションのオーナーが変わったとお知らせが来てたわ」お腹が空いたと騒ぐ子供たちを椅子に座らせていると、老夫人が思い出したように一枚の手紙を差し出してきた。「オーナーが?」オーナーが変わればマンションの規定が変わる可能性もあるため、優希は少し身構える。(家賃が上がるとかだったらどうしましょう…)その時、呼び鈴が鳴った。「ああ、こっちで手に入りにくい調味料とか食材を、美代子さんにお願いしていたの。届いたのかもしれないわ」老夫人がそう言うので、優希は「私が出ますね」と言って玄関へ向かう。
「遅れてごめんなさい」「いや…大丈夫だ」優希が店員に紅茶を注文すると、二人の間には重たい沈黙が流れる。「昨日の話だけど」最初に口を開いたのは優希だった。カップを持つ暁春の手が僅かに動いたのが見えた。「どこまで本気だったのかはわからないけれど、私はあなたと戻る気はないわ」「……あの男と一緒になるためか」「将生は関係ないわ。私が、看護師になるチャンスを逃したくないの」真っ直ぐ暁春に視線を向ける優希とは反対に、暁春は俯き、カップを置く。「二十年前のことはもう忘れたか」「……忘れてない。でもおば様が、私自身の人生を生きることを望んでくれたの。そして私も、子供たちが不安にならないように前を向きたい」暁春は何を思うのか、眉根をきつく寄せて、口を引き結んでいる。「だから、もう私に関わらないで。私はやっと、自分で選んだ人生を歩けるようになったの。あなたの都合で、それをまた奪われるつもりはないわ。将生のことも困らせないで。私は投資のことはわからない。でも、そこに私や将生への個人的な感情を持ち込まないで」「……あの男とは、本当に何もないのか?」優希はため息をついて首を振る。「あなたと一緒にしないで。とにかく、今日はそれを言いたかったの。次に脅してきたら、私は自分のできる限りで抵抗する。あなたもその意味を理解しているでしょう?」不倫の暴露。偽装死。暁春もそれを思い出したのか、体が強張った。優希は運ばれてきた紅茶に口をつけると「それじゃ」と席を立つ。「あいつの近くにいるのは認めない」背を向けた優希に、暁春の声がかかる。優希は顔をしかめて振り返った。「あなたにそれを決める権利はないわ」「陽の母親なら、少しは異性との付き合い方を考えろ」 「それもあなたに言われることじゃない」 「……なら、陽を返せ







