LOGIN本を読む姿に惹かれて思わず立ち止まると、向こうも優希を見てきた。
話しかけられると胸は高鳴り、全身の血を沸き上がらせる。数年ぶりに生を感じた優希は将生を拒絶することができなかった。 しかし将生の周りは温かくて居心地が良かったが、その分襲ってくる罪悪感は苦しくて辛く、耐えきれずに将生にそれを吐露してしまう。 すると突然優希は抱きしめられた。 服越しにじんわりと伝わってくる将生の体温と清潔な匂い。 背中に回された腕は強く、くっついた胸から心臓の鼓動が分かるほどだった。 優希が最後に抱きしめられたのは12歳の誕生日の3日前、本邸のリビングで美緒と老夫人と泣きながら抱きしめあった時だ。 舞は優しく抱きしめるどころか痛めつけ、英二に至っては優希がそのような接触を望んでいなかった。 孤児院では人と関わ気づけば孤独だと言っていた男の痕跡は、病室からすっかり消えていた。暁春は空になったベッドを見て、若い頃に好き勝手した男なのだろうが、せめてお墓に花を添えてくれる人間がいることを願った。–都が雇った探偵からの報告に、有美は顔を歪ませた。「何、呑気に入院してんのよ…!」暁春が優希の元へ向かったと聞いた時は、面白いことになると期待していたのに。蓋を開ければ優希の元に行った直後に倒れて入院したという。入院後も、ある意味優希を困らせているようだが、しかしそれは有美が願っていたようなものではなかった。(あんな日和った男に任せておけない…!)このままでは優希がのうのうと過ごしてしまう。有美は歯軋りをしながら、探偵へ指示のメールを送った。–優希は最近、周りからの視線が以前と変わったことに気づいていた。担当看護師は変わらず接してくれているが、あまり接点のない看護師や同じ実習生は、優希を見ては口元を隠して何か話しているのを何度か目撃している。背中を突き刺すような視線は嫌な記憶を思い出させ、優希を疲弊させていった。「私、何かしてしまったんでしょうか?」耐えきれず、優希は担当看護師に相談した。「あー…」担当看護師は目を泳がせる。しかし観念したように携帯を差しだした。「実は数日前から、学校や病院にあなたの過去についての書き込みが寄せられているの。SNSにも広まっているみたいで……。校長先生たちが対応を検討しているところなんだけど」不穏な前置きに緊張しながら、優希は差し出された携帯の画面を覗く。まっさきに目に入ってきたのは、過去何度も見た美緒の転落事件の記事と、かつて優希がSNSに投稿した、リビングに火を放つ動画の一場面の画像だった。「妊婦を突き落としたとか、ヒステリックを起こして放火したとか…あとは子供の頃に売春していたとか。そういう内容がいく
「…俺は彼女の夫だ」暁春が苛立たしげに吐き捨てると、男の小さな目が僅かに開いた。そして皺だらけの顔で意味深に笑う。無愛想だと思ったが、意外にも親しみやすさを感じる笑顔だった。「なら儂は大企業の社長の父親だ」揶揄われていると気づき、暁春の眉間に深い皺ができた。「あなたがどう思おうと、俺たちは法的に認められた夫婦だ」「ああ、出て行った妻を追いかけて入院しているのか」事実、その通りなだけに、暁春は何も言い返せず口を引き結んだ。「不倫でもしたか?それとも借金か?」面白がる男に、暁春は無言で立ち上がる。それを慌てて男が杖で止めた。「まあ待て。見舞客なんて来ない寂しい老いぼれと、少し話をしてくれ」男は穏やかに微笑んでいたが、その瞳には少し寂しさも見えた。暁春はその顔に自分の顔が重なって見え、迷った後、ゆっくり元の場所に戻った。「うちの病室に、よく見舞いがくる患者がいるだろう?楽しそうに話す声を聞いていると少し寂しくなるんだよ」暁春が座り直すと男は杖を引っ込め、苦笑いを浮かべながら話した。確かに、同じ病室に妻や子供と思われる見舞客が頻繁に来ている患者がいる。暁春自身は寂しいと思うつもりはないが、優希から無視や他人行儀な態度を取られた後に彼らの楽しげな声を聞くと、とても胸がざわめくことはあった。「儂にも昔は、見舞いに来てくれるような家族がいたんだがな」男は小さく息を吐いた。「浮気を繰り返していたら、愛想を尽かされて出て行ってしまったよ」「……なぜ浮気を?」気づけば、暁春はそんなことを聞いていた。「好きな人がいたんだが、親に反対されてな。別の女と結婚させられたんだ。妻との結婚が嫌で、毎日のように外で愛人と遊んでいたよ」男は地面に目を落とした。「夫は帰ってこない。でも跡取りはせっつかれる。追い詰められた妻は睡眠薬を儂に
ベッドから降りた時とは反対に重たく感じる体をベッドに寝かせながら、有美と一緒に妊娠中の優希を無視したことを思い出す。あの時は、これは優希への復讐なのだと自分に言い聞かせていた。しかし今思うと、無意識に優希の様子を気にしていたような気がする。優希の暗く沈んだ目や顔色の悪い姿、一番端のゲストルームへ俯き加減に入っていく様子を見ては駆け寄りたくなった。(こんなにあからさまなのに気づかなかったとは…)否。薄々気づいていたものの、優希との関係がすでに取り返しがつかない段階にあっただけに、認めることができなかったのだ。(考えれば考えるほど、クズな男だな、俺は…)不倫のことといい、優希を夫婦という言葉で縛りつけようとするところといい、優希が自分をもう一度選ぶ可能性の無さに、暁春は自嘲する。同室の患者が見舞客と仲良く話す声が余計辛く感じ、暁春は音を遮断するかのように布団に包まった。「優希」翌日。今日ははっきり名前を呼べた。優希の足が一瞬止まり、期待に暁春の胸が跳ねたのも束の間、結局彼女は振り返ることなく、そのまま担当の看護師と病室を出ていった。それでも暁春は懲りなかった。どうしても、もう一度ゆっくりと話をしたかった。最初は偶然を装ってカーテンから顔を出していたが、最近はカーテンを常に開けておくようになった。優希が病室に来れば目で追い、近くを通れば声をかけた。「今日は何時まで実習なんだ?」「試験はどうだった?」「ちゃんと寝てるのか?」何度か声をかけるも、優希からの返事はない。しかし愛想笑いを顔に貼り付けた会釈はその都度返ってきた。反対に、向かいの患者に向ける優希の声は柔らかかった。薬を飲むよう促し、体調を尋ね、返事の少ない相手にも根気強く話しかける。時にはどこかの見舞客から声をかけられ、笑うこともあった。「……露骨だな」
暁春が社長職を退き、桃子も鳥居コーポレーションへの過度な利益供与を問題視した老人によって社長代理を解任されたため、今は老人が三度目の社長業務についている。そして現在、実子であることを理由に次の社長を主張している健志に、業務の引き継ぎを行なっていた。意外にも、井竜側の幹部たちは健志が社長となることに賛成している。健志が老人の実子だと公になった以上、血筋については彼らも文句をつけにくいのだろう。(あとは、鳥居側から何か美味しい話を持ちかけられた可能性もあるわね)美緒から見て、井竜家の人間の中でまともな感性を持っているのは老夫婦くらいに思える。他の親族たちは、自分たちの血筋に誇りを持っているものの、それ以上に自分たちの利益には敏感だった。悟の内部調査で、実際に鳥居側から話を持ちかけられて、株の一部を譲渡した者もいた。老夫人の会見で下落が落ち着いたとはいえ、以前と比べると株価は数分の一にまで落ち込んでいる。誇りと利益を天秤にかけて、利益の方が上回ったのだろう。「失礼します」社長室のドアをノックした美緒は、中からの返事を聞いてから足を踏み入れた。すると奥にある休憩室から大きないびきが聞こえ、美緒の眉が僅かに寄る。健志は自分から社長になると主張したくせに、彼が老人から学んでいる姿を、少なくとも美緒は見たことがなかった。英二はそれほど真面目ではなかったが、老人や暁春は大企業の社長として、日々忙しくしていたらしい。井竜グループの社長という立場を、単なる億万長者の肩書き程度に考えているらしい健志には、英二同様冷めた目を向けてしまう。(おじいさんはどうして、あの男に次の社長を任せるのかしら)老人はいまだに言葉が少なく、美緒はその意図を測りかねていた。「こちらが、社員から寄せられた嘆願書です。そしてこちらが、指示されたリストです」奥の休憩室を一瞥した後、美緒は洗練された動作でいくつかの書類を差し出す。それを受け取った老人は、静かに目を通す
「——体調はどうですか?」翌朝、微睡んだ耳に愛しい声が入り、暁春の口元に笑みが広がった。(ああ…全部夢だった)全てが悪い夢。でもまだ間に合うのだ。有美との関係を清算し、優希ときちんとした夫婦になりたい。(謝って許してくれるだろうか…)かつてのように、横に腕を伸ばす。しかしそこに温かい温度はなく、冷えたシーツの感触しかなかった。ぼんやりと目を開けると、見慣れない天井と病室らしい景色が目に入り、暁春の頭は一瞬固まる。(病院…?)「顔色は良さそうですね——」思い描いていた景色とは違うのに、耳には変わらず優希の優しい声が聞こえてくる。夢だと思っていた方が現実だと気づいた瞬間に胸が嫌な音を立てて痛むが、それでも優希の声を確かめたくて、のそのそと体を起こした。そしてカーテンを少し開けて、隙間から覗く。向かいのベッドのカーテンが揺れ、中で人が動いているのがわかる。その間も当たり障りのない会話は続いており、しかし相手からの返事は聞こえない。「――では、朝食の時間になったらお持ちしますね」やがてその言葉と共にカーテンが開けられると、実習着に身を包んだ優希が出てきた。以前も見たことのあるその姿は凛としていて眩しい。暁春が目を離せずにいる中、優希は一緒に出てきた先輩とおぼしき看護師と何かを話しながら、暁春の方を見ることもなく病室を出ていった。それを寂しく思うも、優希が同室の患者の担当だと知れたことに胸は高揚する。本当はさっさと退院してあのマンションに帰るつもりだった。しかしここにいた方が優希のそばにいることができる。もしかしたら同室だから、優希が担当になるかもしれない。暁春はそんな淡い期待に胸を弾ませた。その後、あらためて暁春の体を検査した結果、体の衰弱が著しいとの診断を受け、このまま数日間入院することになった。担当看護師は優希ではなかった
「…いいの?」エレベーターを待っていると、将生が遠慮がちに聞いた。エントランスには、いまだ立ち尽くしている暁春の姿が見える。「いいのよ。もう彼に振り回されるのはうんざりなの」これが嫌がらせだとしたら、暁春は天才だ。優希はふん、と苛立たしげに息を吐く。その時、エントランスの方から何かが落ちる音が聞こえた。無意識に音の方を向くと、黒い塊が床に落ちていた。すぐにそれが暁春のコートで、暁春が床に倒れたということを認識すると、反射的に体が走り出す。首筋に指を当て、脈を見る。将生は暁春を仰向けにすると、衣服を緩めた。「脈はあるわ」「意識がない。それに衰弱している。一度ちゃんと診た方がいいな。救急車を呼ぼう」将生が手早く暁春の様子を確認すると、携帯を取り出して電話をかける。数分後に到着した救急車には、将生が同乗した。運ばれていく暁春を見送りながら、優希は一瞬だけ迷う。しかし最後は、将生がいれば自分まで付き添う必要はないと、そのまま自宅へ戻った。-目を覚ました暁春は、自分が病室のベッドに寝かされていることを理解した。周りにカーテンが引かれているところを見るに、相部屋なのだろう。同時にエントランスでのやり取りも思い出し、ナイフで滅多刺しにされたような胸の痛みに、目をきつく閉じた。改めて突きつけられた、優希からの愛情を手に入れていなかったという事実は、暁春を容易く打ちのめした。(きっと彼女もこんな気持ちだったんだろうな…)暁春が優希に復讐を告げた時、優希は顔を青ざめ、足元をふらつかせていた。そして暁春も、立ち去る優希の背を追いかけたくても絶望に足元がぐらつき、気づけば冷たい床に倒れていた。暗闇の中で苦笑いを浮かべ、首筋に触れる。そこは優希が脈を測るために触れたところだ。混濁した意識の中でも、優希が触







