Share

第4話

Author: クズ男のサブアカウント
救急隊員がすぐに駆けつけた。

簡単な応急処置の後、清子はすぐに母親の病室へ向かった。

病室に入るや否や、看護師長が清子の母親の酸素チューブを外そうとしているのが目に入った。

「やめて!止めてくれ!

私は律の妻よ。ここは私たち江崎家の病院よ。誰が外していいって言ったの?」

清子は、唇が血ばむほど強く噛みしめた。その声には明らかな怒りが込められていた。

看護師長は困惑した様子で口を開いた。

「奥様、これは江崎様直々のご指示ですので、私たちも逆らうことができません。

差し支えなければ、もう一度江崎様とご相談されてはいかがでしょうか?」

電話はすぐにつながり、律のうんざりした声が真っ先に聞こえてきた。

「今度は何だ?」

清子は鼻をすすり、震える声で言った。

「律、ひざまずけば母を助けるって言ったじゃない……今、母の酸素チューブを外そうとしてるの。お願い、どうか……」

「無理だ」

律は冷たく彼女の言葉を遮った。

「今回は雪菜ちゃんにケガはなかったが、お前の態度には本当に腹が立った。安心しろ、確認したんだ。チューブを外すだけで、お前の母親はそう簡単には死なない」

「でも、母はもう脳死状態で、お医者さんが……」

律は眉をひそめ、聞く気すらなかった。

「医者が何と言おうと、今は雪菜ちゃんを寝かせることが最優先だ。それじゃ」

電話が一方的に切られた。看護師長は困り果てたように肩をすくめると、清子の母親の人工呼吸器を外した。たちまち、母親の心拍数を示すモニターが、苦しげな警告音を激しく響かせた。

脳死状態の患者は人工呼吸器によってしか生命を維持できない。

「だめ、やめて!」

清子は病院のスタッフに必死に制止され、目の前で母親が病床で震え、痙攣し、そして静かに息を引き取るのをただ見ていることしかできなかった。

医師が死亡を確認するまで、わずか三分しかかからなかった。

たった三分で、清子はこの世で最後の肉親を失った。

そして、その元凶は、かつて「一生面倒を見る」と言っていた律だった。

ちょうどその頃、雪菜のSNSには妊娠検査の報告書が投稿されていた。

【おめでとう!パパになるんだってね!】

律の母親が真っ先に「いいね!」を押した。

【やっぱり雪菜ちゃんは違うわね。すぐに妊娠できて本当に良かったよ。あの人とは大違いだね……】

【来週、律と一緒に家に来てね。ご馳走するよ】

雪菜は照れた顔のスタンプで返信した。

清子は口元を引きつらせた。自分よりも、彼女たちのほうがよほど嫁と姑らしい関係に見えた。

母の死亡証明書が涙で濡れ、清子は一人で霊安室に夜明けまで座っていた。

その後の数日間、清子は一人で母の葬儀を取り仕切った。

納棺、火葬、埋葬。

一連の流れに、7日間がかかった。

その7日間、律は一度も家に戻ってこなかった。

一方で、雪菜のSNSは決まった時間に更新され続けていた。

律は彼女の妊婦健診に付き添い、一緒にベビーベッドを選び、彼女と子どものためにお守りをもらってきた……

清子と律がかつて一緒に思い描いていたことを、律はすべて雪菜と実現していた。

離婚届に署名してから9日目。

律は珍しく何通ものメッセージを送ってきた。どれもが詰問の言葉だった。

【いったいお前は母親をどこに連れて行ったんだ!?冗談で言っただけなのに、本気でお前の母親を隠すなんて、そんなことするつもりか!?】

【母さんの言う通りだよ。お前を甘やかしすぎた結果がこれか。すぐにお義母さんを病院に戻しなさい。俺と喧嘩することで、お前の母親を苦しむな】

……

だが、清子が返したのは、たった一言だった。

【必要ない】

その言葉を見た律は、夜中に別荘へ駆け戻り、清子の手を強く握りしめて、歯を食いしばりながら言った。

「どういう意味だ?必要ないってどういうことだ?まさか、俺と縁を切るつもりか?

清子、警告するぞ……」

「おめでとう」

清子は彼の言葉をさえぎり、嘲るような目で言った。

「あなた、父親になるのよ」律は彼女の手を放し、ばつが悪そうにソファに腰を下ろした。

だがすぐに何かを思い出したようで、表情が緩んだ。

「お前、雪菜ちゃんが妊娠したから、お義母さんを連れて出て行ったのか?

まさか、雪菜ちゃんが妊娠したからって、お前のことを構ってやれなくなると思い、わざと俺の気を引こうとしたのか?

清子、そんなことする必要はない。たとえ雪菜ちゃんが子どもを産んだとしても、お前は永遠に俺のただ一人の妻だ。この気持ちは死ぬまで変わらない」

律は得意げに口元を緩め、施すように懐から赤いトルマリンのブレスレットを取り出した。

このブレスレットを、清子は以前雪菜のSNSで見たことがあった。

オークションに出された一点物で、世界に一つしかない品だ。

雪菜はそれをダサいと言って、ごみ箱に捨てちゃった。

【こんなの、年増の女しか好まないわ】とSNSで投稿していた。

清子がぼんやりしているのを見て、律は彼女が驚きすぎて固まっているのだと思い、笑いながら言葉を続けた。

「そこまで必死に媚びを売ってくるなら、明日、実家で集まるんだけど、一緒に来いよ」

清子は眉をひそめ、断ろうとした。

すると律が不思議そうに尋ねた。

「この前俺に署名させた書類、何を買ったんだ?なんで支払い通知が来てないんだ?」

胸がドキリとし、清子は思わず両手を強く握りしめた。

彼は、自分が署名したのが離婚届だとは知らなかったのだ。

それならそれでいい。少なくとも別れるときに、もう彼と揉めずに済む。

そう思うと、清子はこれまでの感情をしまい込み、そっけなく答えた。

「たいしたことじゃないの。あとでやっぱりいらないと思って」

律は深く考えず、地味な服装の清子を見て、胸が痛んだ。何かを言おうとしたその時、雪菜から電話がかかってきた。

「律さん、また赤ちゃんが暴れてて辛いの。早く来て、一人にしないで」

律は反射的に清子を見た。

以前なら、雪菜の言葉を聞いた清子は必ず怒りを爆発させて、彼が出て行くのを許さなかった。

あるいは、彼を別荘から無理やり追い出して、勢いよくドアを閉めて不満をぶつけていたかもしれない。

でも今回は、清子は何もしなかった。

彼女は無言で背を向け、階段を上がっていく。律の目に残ったのは、ただ彼女の細い背中だけだった。

「清子!」

律は彼女を呼び止めた。どこか苛立ちを含んだ声だった。

「聞こえなかったのか?雪菜ちゃんが俺を呼んでる。赤ちゃんに付き添ってほしいって」

清子はうなずいたが、足を止めなかった。

「行ってらっしゃい。気をつけてね」

律は一瞬立ち尽くし、ぼんやりとした。

最後に雪菜の怒った声で我に返り、慌てて返事をした。

「すぐに行く!」
Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 消えていったあの夢   第17話

    拘留、証拠収集、判決……一連の手続きは予想通りに進められた。清子は律の顔から徐々に血の気が引いていくのをこの目で見届けた。かつてあれほど高慢だった菫が、今は髪を乱し、罵声をあげる無様な姿で連行されていく。その変わり果てた姿を、彼女は見ていた。七年もの間、自分を抑えつけてきた江崎家という巨大な存在が、自らの手によってあっけなく、そして劇的に崩れ落ちるのを、彼女は目の当たりにした。そして雪菜。彼女が医者を買収して清子の母親を死に追いやった証拠を雄太が集めたことで、雪菜も連行され、死刑の執行猶予付き判決を受けた。法廷での律は、まるで魂が抜けたかのように生気を失っていた。一晩で二十歳も老け込んだかのようだった。菫は江崎グループの業務に直接関与していなかったため、全財産を没収されるにとどまった。十日後、彼女は自らが優雅な生活を失い、最も軽蔑していた底辺の人間になったという現実を受け入れられずにいた。江崎グループのビルから飛び降り自殺した。その知らせが届いた時、律はちょうど懲役二十年の判決を受けたばかりで、その話を聞いた瞬間に錯乱状態に陥った。「ごめんなさい」、「後悔してる」といった言葉を繰り返し口にしていた。だが、狂った人間の言葉を気に留める者などいなかった。三年後、京西市。清子が自ら立ち上げたジュエリーブランドが正式に上場を果たした。その同じ日、律は精神の崩壊により、刑務所内で自ら命を絶った。その知らせを聞いた清子は、生まれて初めて泥酔し、バルコニーにもたれながら泣き笑いした。そうしている間、彼女はふと気づいた。律の顔がもう思い出せない。そして、かつて自分の心を引き裂いたあの感情が、今では記憶の流れの中で取るに足らない一場面へと変わりつつある。かつてあれほど激しく愛した人も、年月が経って思い返してみれば、ただ懐かしくて、どこかよそよそしい名前のひとつに過ぎない。あれほど心を引き裂かれるような思いをした七年間は、実のところ、本当に、何の価値もなかった。彼女はただひたすらに笑い続けた。翌朝、目を覚ますと、優しい朝日が部屋に差し込んでいた。玄関には、朝露に濡れた百合の花束が一輪。そよ風が通り過ぎ、彼女の忌まわしい過去の記憶を静かに消し去っていく。「さあ、そろそろ本当の意味で、新

  • 消えていったあの夢   第16話

    彼のその一言はまさに衝撃的で、その場にいた全員が、一瞬にして凍りついた。特に雪菜の親友たちは、ほとんど反射的に彼女を支えていた手を離し、音もなくそっと後ずさりしようとした。菫も呆然として言った。「そんなはずないわ!雪菜の妊婦健診の結果は全部私が確認したのよ、江崎家の……」「雪菜は産婦人科の医者を買収していた。すでに突き止めた」律の声は重く、アシスタントが今届けたばかりのファイルを取り出した。「雪菜は妊娠を偽っただけではなく、清子が私を助けてくれた恩すら横取りし、外ではずっと江崎家の名をかたって勝手な振る舞いを続けていた。ここに、そのすべてを証明する証拠がある」雪菜の青ざめた顔色を無視して、菫は素早くファイルを奪い取った。するとすぐに、何枚もの書類が雪菜に向かって勢いよく投げつけられた。鋭い紙の縁が雪菜の頬に細長い傷をつけた。しかし彼女は血を拭うこともできず、慌てて書類に目を通すと、その場にひざまずき、必死に許しを乞うた。「おばさま、申し訳ありません。ただ律さんのことが好きすぎただけで、騙すつもりはなかったんです。律さん、お願いです、何か言ってください。私のことが一番好きだったじゃないですか?」律は目を閉じ、さらに一束の写真を取り出した。彼が何も言わずとも、菫はすぐさまそれを奪い取った。写真を一目見ただけで、菫は気を失いそうになった。そしてすぐに、両手で交互に雪菜の頬を十数回も平手打ちにした。「このあばずれが!」写真の中で、雪菜はセクシーなミニスカートを身に着け、さまざまな男の胸に身を寄せていた。そこには五十を過ぎた富豪や、悪名高い放蕩息子の姿もあった。中でも特に目を引いたのは、彼女がつま先立ちで既婚の大物実業家の頬にキスしている写真だった。その瞳には計算高い光がにじんでいた。「あんたは少しばかりずる賢いだけで、身体だけは清らかだと思っていた。まさか、裏でここまで乱れているとはな!ふん、下劣な女め!誰か!こいつの服を全て脱がせろ。江崎家の物を着る資格などない!」ボディーガードたちはすぐさま命令に従い、手際よく雪菜のドレスをすべて脱がせた。彼女は恥ずかしそうに地面に身を縮め、必死に自分の体を隠そうとした。彼女の親友たちに対しても、菫は容赦せず、同じように縛り上げて、ボディーガードに外

  • 消えていったあの夢   第15話

    雪菜の親友たちはすぐに駆け寄り、青ざめた顔で叫んだ。「誰か来て!清子が雪菜ちゃんを東屋から突き落としたの!」菫と招待客たちはすぐに駆けつけた。またしても、似たような光景だった。菫の姿を見ると、雪菜はすぐに目を潤ませ、お腹を押さえながらか弱い声で訴えた。「おばさん、私はただ清子さんに、身の程をわきまえて、律さんを怒らせるために自分を傷つけたり、素性の怪しい人と付き合ったりしないようにって忠告したかっただけなんです。でも、まさかあんなに怒るなんて……それに、もう律さんのことなんてとっくに好きじゃないって言って、私を東屋から突き落として、江崎家の血筋を絶やしてやるなんて……おばさん、私、本当に怖かったんです、ううう……」雪菜の親友たちも泣いているふりをしていた。「そうなんですよ、おばさん、私たちみんな自分の目で見たんです。雪菜ちゃんはあんなに優しい子なのに、白野さんにひどく罵られていました」「白野さん、雪菜さんのお腹の子について、不幸を招く子だ、生まれてきても社会の負担になるだけだから、中絶させるべきだって言ってたんです!」「おばさん、雪菜ちゃんが本当に可哀そうで……あの加害者を絶対に許さないでください」周囲の招待客たちも次々と首を振っていた。「この人、本当にひどすぎる。前回は江崎社長の赤ちゃんを傷つけかけたのに、今回はそれ以上だなんて」「そりゃあ江崎社長が離婚したくなるのも当然だよ。こんな悪意に満ちた女を妻にしたら、不幸が何代にもわたって続くよ」「まったくだよ。前回の罰じゃ甘すぎた。もっと厳しく罰を与えないと」「でも彼女も可哀想よ。愛人が子供を身ごもったんだって」「可哀想な人にはそれなりの理由があるのよ。彼女が本当にいい人だったら、江崎社長が浮気なんてするはずないでしょ?」……皆が口々に話し、全員が雪菜の味方だった。菫は怒りをあらわにし、手を挙げて殴ろうとした。「やめて!」「母さん、手を出しちゃダメだ!」人混みの外から、二人の男の緊迫した声が同時に響いた。だが、それよりも早く動いたのは清子だった。彼女は菫の手をつかみ、力強く押し返した。「私と律はもう離婚しました。おばさん、あなたに私を叩く資格はありません」皆が清子は正気を失ったと思った。相手は律の母親、京西でも名

  • 消えていったあの夢   第14話

    世界がこの瞬間、止まったかのようだ。律は何かを言おうと口を開いたが、突然血を吐いた。「お義母さんが……なくなった?そ、そんなわけないだろ?清子、冗談はやめて。全然笑えないよ。お義母さんが亡くなるなんて、ありえない……絶対に亡くなるはずがない、そんなことあるわけない」律は必死に首を振った。だが脳裏には、彼が初めて清子の母に会ったときの光景が自然と浮かんできた。彼は菫の束縛に耐えきれず、家を飛び出した。その日、京西市には激しい雨が降っており、17歳の彼は泣きながら雨の中を走っていた。そんな彼に最初に気づいたのが清子の母親で、彼を家に連れて帰ってくれた。彼は今でも覚えている。清子の母親は温かいミルクを差し出し、彼の髪を拭いてくれて、優しくこう言った。「怖がらなくていいわ。ゆっくり休みなさい」それは、彼が初めて家族の温もりを感じた瞬間だった。だから後に、白野家が破産し、清子の母親と清子が行き場を失ったと聞いたとき。彼は家族と激しく衝突してまで、清子を探しに行くと決めた。清子と結婚したあの日のことを思い出した。彼は清子の手を握りしめ、心からこう呼んだ。「お義母さん」あんなにも優しく、あんなにも温もりのある清子の母親を、自分の手で……死なせてしまったのか?律の目は血のように真っ赤に染まり、心臓が押し潰されそうなほど痛んだ。彼はようやく理解した。清子がなぜ離婚を望んだのか。なぜ、彼女がもう自分に会おうとしないのか。彼はわかった。自分と清子が、もう二度と元に戻ることはないと。彼はまさに、自分の手で清子を失ってしまったのだった。「ぷっ!」律は再び血を吐き、地面に倒れ込んだ。清子はその様子を静かに見つめ、静かに口を開いた。「律さん、もし人生をやり直せるなら、あなたとは出会わないように願うわ」そう言い残し、彼女は背を向けてその場を去った。まるでこれまで律が幾度となく彼女に見せてきた背中そのもののように。庭を出ると、雄太がすでに長く待っていた。「ちゃんと話せた?」雄太は手を伸ばし、彼女の目尻に残る涙をそっと拭った。清子は鼻をすんとすすり、軽やかに笑った。「うん、ちゃんと話した。もう律も、私にしつこく絡む顔はないはずよ。ありがとう、雄太さん。調査チームの人たちは

  • 消えていったあの夢   第13話

    星野家の車が入り口に停まったとき、律はほとんど駆け下りるように階段を降りて行った。「頭、気をつけて」雄太は優しく車のドアを開け、清子が降りるのをそっと手助けした。彼女は今日は特に着飾っておらず、軽くメイクを施しただけで、ドレスもシンプルな白だった。それでも、長年の恵まれた暮らしが自然と身についているため、清子はやはりパーティーでひときわ目を引く存在だ。「清子、き、来てくれたんだね」思い焦がれていた人が目の前に現れ、律は思わず言葉に詰まった。それとは対照的に、清子は落ち着いて堂々としていた。「うん、おめでとう」その一言に、律は指先に持っていたタバコの火で思わず手を火傷しそうになった。「清子、誤解しないでくれ、この誕生日は実は俺が……」「律さん!」雪菜が彼の言葉を遮り、小鳥のように軽やかに駆け寄ってきた。まるで自分の存在を誇示するかのように、律の腕にしっかりとしがみついた。「清子さん、お久しぶり。この方、あなたの彼氏なの?」スーツをきっちり着こなし、律よりもはるかに気品にあふれた雄太を目にして、雪菜の目に明らかな嫉妬の色が浮かび上がった。彼女はわざと声を張り上げて言った。「清子さん、親友として言わせてもらうけど、あなたと律さんが離婚して、まだ半月も経ってないのに、もう次の相手がいるなんて早すぎない?知らない人が聞いたら、結婚前から関係があったって思っちゃうかもね……」そこで言葉を切り、自分の発言がまずかったことに気づいたように、しおらしい表情で雄太を見つめた。「ごめんね、このお兄さん。私、口べただから……私のせいで、あなたと清子さんの関係にひびが入ったりしたら大変なので」雄太は眉をひそめ、顔色が青ざめたり白くなったりしている律を一瞥すると、薄く唇を開いた。「こういうのが好みか?」その言葉が落ちると、律と雪菜の表情は一瞬凍りついた。清子は思わず吹き出し、雄太の腕を引いてホールへと入っていった。本番は、まだこれからだ。彼女が入ってくると、場にいた全員の表情が一変した。きっと誰も予想していなかったのだろう。本来なら捨てられた女として、毎日涙に暮れているはずの清子が、今日こんなにも晴れやかに江崎家に姿を現すなんて。しかもその隣には、律よりもさらに優秀な星野家の御曹司が付き

  • 消えていったあの夢   第12話

    「清子がいつまでも江崎夫人の座にしがみついてるのが悪いのよ。私がちょっと刺激を与えなきゃ、自分から諦めて出ていくわけないでしょ?それに、律の母さんったら、もうほんとにぼけちゃってさ。私がわざと罪を着せて、ちょっとお腹が痛いって言っただけなのに、あの老いぼれ、我先にって私の味方しようとするんだから。マジで笑えるよね」その一言一言が、まるで鋭い刃のように、律の記憶の中にある優しくて健気な純真な少女の姿を、無残に切り裂いていく。ボディーガードがおずおずと尋ねた。「社長、私たち、まだ中に入りますか?」律はそっと目を閉じ、背を向けて立ち去った。「彼女には、俺が来たことを伝えるな」本家で、律は酒を次々とあおっていた。彼の脳裏には、先ほどの雪菜の言葉がよみがえっていた。彼女は清子の命の恩人を装い、ひたすら名門に嫁ぐことだけを願っていた。妊娠中の清子を道端に置き去りにし、彼女から母になる機会を奪った。さらに妊娠を偽って清子に罪を着せ、彼女を江崎家から追い出した。酔いが回る中、律の脳裏に浮かんだのは、本家での集まりの夜だった。皆から非難を浴びていた清子の、かすかに震える体。いつも美しかった彼女の瞳が、あの時は失望に満ちていた。この数年、彼女がこんなにも多くの苦しみを背負っていたとは。酒が喉を通るたびに、ただ苦味だけが残った。律は衝動的に携帯を取り出し、清子に電話をかけようとした。たとえ罵られてもいい、彼女の声が聞きたかった。しかし、アンロックした瞬間、雪菜から電話がかかってきた。「もしもし?律さん、明日は私の誕生日だよ。どんなプレゼントをくれるの?」電話の向こうで、雪菜はいつも通り無邪気で愛らしい声をしていた。律の目が冷たく鋭く輝いた。彼女の偽りの笑顔の奥に潜む憎悪を暴きたてようとした。すると、雪菜がさらに続けた。「さっきおばさんから電話があってね、私が江崎家の初孫を妊娠したって。だから特別に大切にしなきゃいけないって言ってたの。それで、明日の夜に本家で誕生日パーティーを開きたいんだって。律さん、清子さんを招待してもいい?」律は手にしていたグラスを置くのをふと止めた。「清子?」「うん、清子さんと律さんは離婚したけど、彼女は私にとっても先輩だし、きっと来てくれると思うの」雪菜

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status