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消えていったあの夢

消えていったあの夢

By:  クズ男のサブアカウントCompleted
Language: Japanese
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上流社会では、政略結婚の夫婦はお互いに好きに遊んで良いという不文律がある。 ただし、外で愛人に何かを買い与えた場合は、必ず家にいる相手にも同等のものを贈らなければならない。 江崎律(えざき りつ)は礼儀を重んじる人であったため、後に白野家が破産しても、そのルールを百倍にしてでも白野清子(しらの きよこ)に本来あるべき敬意を示し続けた。 愛人のカードに毎月百万円のお小遣いを振り込むなら、清子のカードには必ず一千万円を振り込む。 愛人に百万円の宝石を贈った直後には、オークションで競り上げて、清子には一億円のエメラルドのアンティークリングを贈るのだ。 男たちの奔放な遊びには慣れている名門の奥様たちでさえ、清子と律が街中を賑わせた恋愛劇には、ため息交じりに心を打たれたのだ。 それでも周囲からは、「満足することを知るべきよ」と諭す声が絶えない。 満足?清子はもちろん満足していた。 だからこそ、律が郊外の価値もないマンションを愛人に公然と贈ったあの時だけは、彼から岸辺一号の別荘の権利証を受け取ると、彼女は何気なくこう言ったのだ。 「なんだか急に飽きちゃった。離婚しない?」

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Chapter 1

第1話

上流社会では、政略結婚の夫婦はお互いに好きに遊んで良いという不文律がある。

ただし、外で愛人に何かを買い与えた場合は、必ず家にいる相手にも同等のものを贈らなければならない。

江崎律(えざき りつ)は礼儀を重んじる人であったため、後に白野家が破産しても、そのルールを百倍にしてでも白野清子(しらの きよこ)に本来あるべき敬意を示し続けた。

愛人のカードに毎月百万円のお小遣いを振り込むなら、清子のカードには必ず一千万円を振り込む。

愛人に百万円の宝石を贈った直後には、オークションで競り上げて、清子には一億円のエメラルドのアンティークリングを贈るのだ。

男たちの奔放な遊びには慣れている名門の奥様たちでさえ、清子と律が街中を賑わせた恋愛劇には、ため息交じりに心を打たれたのだ。

それでも周囲からは、「満足することを知るべきよ」と諭す声が絶えない。

満足?清子はもちろん満足していた。

だからこそ、律が郊外の価値もないマンションを愛人に公然と贈ったあの時だけは、彼から岸辺一号の別荘の権利証を受け取ると、彼女は何気なくこう言ったのだ。

「なんだか急に飽きちゃった。離婚しない?」

……

律はタブレットで朝倉雪菜(あさくら ゆきな)の二十三歳の誕生日プレゼントを選んでいる。

清子の言葉を聞いても、顔を上げることはなかった。

「雪菜ちゃんにあげたマンションは安いものだよ。仲介料だって含めても、全部で千四百万円にもならない。

あの岸辺一号の別荘、街で一番の好立地じゃないか。損はしてないよ」

「清子、俺が一番大切にしているのは、やっぱりお前なんだ」彼の穏やかな声に、清子は思わず目が潤んだ。

律の言う通り、結婚して七年、彼は確かに清子を一番大切にしてきた。

雪菜の口座には毎月百万円のお小遣いが振り込まれ、清子の口座には毎月変わらず一千万円が入っていた。

雪菜に百万元の宝石を贈った直後、彼はオークションで競り上げ、清子に一億元相当のエメラルドアンティークリングを贈った。

しかし、その一千万円は江崎家が毎月ファミリーファンドからの給付金だった。

エメラルドの指輪の競売にも、律は姿を見せず、執事に任せきりだった。

一方で雪菜が雑炊が食べたいと一言つぶやけば、彼は自ら台所に立ち、鍋を二つも焦がしながら作ってくれた。

友人は彼女にこう忠告した。

「清子さん、だって今はお金も地位もあるし、ご主人だって遊んでるだけで、清子さんを大切にしていないわけじゃないんだから。恵まれてるのにそれに気づかないなんて、もったいないよ」

「そうだよ、清子さん。お父さんは亡くなって、お母さんは植物状態になって、今はご主人があなたを受け入れてくれてるんだから、それだけは、ありがたいことだと思わなくちゃね」

清子だって、現状に満足したいと思っている。

しかし彼女の心には、付き合い始めた頃のあの夜のことが、今でも鮮明に焼きついていた。律が街の半分を照らすほどの花火を、ただ彼女のために打ち上げてくれた、あの夜が。

白野家が破産し、律を巻き込みたくなくて、彼女が無理に別れを切り出したときのことも忘れられない。

あの男は土砂降りの中、ずぶ濡れになりながら待っていた。目は真っ赤に染まっていた。

彼は言った。「清子、お前は俺の命なんだ。お前がいなきゃ、生きていけない」

あれから七年が過ぎ、清子は離婚を切り出した。

律はまるで何でもないかのように、淡々と一言だけ言い残した。

「雪菜の誕生日が近いんだ。分別を持てよ。こんな時に余計な騒ぎを起こすんじゃない」

鼻の奥がツンとして、涙がこみ上げるのを感じた。清子は、事前に準備していた離婚届を取り出し、平静を装って軽い口調で言った。

「署名して。署名してくれたら、もう騒がないから」

彼女は、律が激怒するだろうと思っていた。奪い取っては離婚届をビリビリに破り、怒声をあげる。「清子、夢を見るな。お前をどこにも行かせないぞ」

しかし予想に反して、律は彼女を一瞥しただけで、書類を最後のページまでめくった。

そして署名しながら言った。

「言ったこと、ちゃんと覚えておけよ。俺が署名したら、もう騒がないってな」

清子はうなずくと、風に消えそうな、かすかな声で答えた。

「分かった。もう騒がない」

今、二人の間には、財産分与が終わるまで、後30日しか残されていない。
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松坂 美枝
なかなか面白かった クズどもがきっちり制裁された 主人公は雄太とはこれからかしら 立派に自立していて応援したくなった
2025-10-14 09:51:19
1
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KuKP
クズが因果応報で落ちぶれる話だけど クズ女の裏の顔を知った時に勢いで突入しない・「〇〇の理由で元鞘は無い」と言われた時にそれを理解する、の2点、クズ男の行動として初めて見た 知性があった――!
2025-10-14 17:31:04
2
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第1話
上流社会では、政略結婚の夫婦はお互いに好きに遊んで良いという不文律がある。ただし、外で愛人に何かを買い与えた場合は、必ず家にいる相手にも同等のものを贈らなければならない。江崎律(えざき りつ)は礼儀を重んじる人であったため、後に白野家が破産しても、そのルールを百倍にしてでも白野清子(しらの きよこ)に本来あるべき敬意を示し続けた。愛人のカードに毎月百万円のお小遣いを振り込むなら、清子のカードには必ず一千万円を振り込む。愛人に百万円の宝石を贈った直後には、オークションで競り上げて、清子には一億円のエメラルドのアンティークリングを贈るのだ。男たちの奔放な遊びには慣れている名門の奥様たちでさえ、清子と律が街中を賑わせた恋愛劇には、ため息交じりに心を打たれたのだ。それでも周囲からは、「満足することを知るべきよ」と諭す声が絶えない。満足?清子はもちろん満足していた。だからこそ、律が郊外の価値もないマンションを愛人に公然と贈ったあの時だけは、彼から岸辺一号の別荘の権利証を受け取ると、彼女は何気なくこう言ったのだ。「なんだか急に飽きちゃった。離婚しない?」……律はタブレットで朝倉雪菜(あさくら ゆきな)の二十三歳の誕生日プレゼントを選んでいる。清子の言葉を聞いても、顔を上げることはなかった。「雪菜ちゃんにあげたマンションは安いものだよ。仲介料だって含めても、全部で千四百万円にもならない。あの岸辺一号の別荘、街で一番の好立地じゃないか。損はしてないよ」「清子、俺が一番大切にしているのは、やっぱりお前なんだ」彼の穏やかな声に、清子は思わず目が潤んだ。律の言う通り、結婚して七年、彼は確かに清子を一番大切にしてきた。雪菜の口座には毎月百万円のお小遣いが振り込まれ、清子の口座には毎月変わらず一千万円が入っていた。雪菜に百万元の宝石を贈った直後、彼はオークションで競り上げ、清子に一億元相当のエメラルドアンティークリングを贈った。しかし、その一千万円は江崎家が毎月ファミリーファンドからの給付金だった。エメラルドの指輪の競売にも、律は姿を見せず、執事に任せきりだった。一方で雪菜が雑炊が食べたいと一言つぶやけば、彼は自ら台所に立ち、鍋を二つも焦がしながら作ってくれた。友人は彼女にこう忠告した。「清子さん、だ
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第2話
署名した初日。清子は病院へ向かう途中、雪菜のSNSの投稿を目にした。写真は一枚の賃貸アパートの室内写真だった。淡い緑色のソファの上で、雪菜は素足を律の膝に乗せ、カメラに向かって悪びれずにピースしていた。キャプション:【あなたの過去にも関わりたい】白野家が破産した年、清子は大学3年生だった。父は現実を受け入れられず、飛び降り自殺した。母は取り立て屋に階段から突き落とされ、植物状態となった。一夜にして、清子は世界から見捨てられ、わずかな荷物を持って街をさまよう羽目になった。病院の廊下で三晩目を迎えたあの夜のことだ。律は家族と決別すると、持ち物の一切を売り払い、三十六万円をかき集めると、彼女の行方を追った。彼は言った。「清子、俺もお前と同じ、ホームレスになった。せめてお前だけは、俺の道連れになってくれないか?」清子は呆然とし、律の胸に顔をうずめて声を上げて泣いた。そして彼のことを、世界一の大バカだと罵った。律は慌てて彼女の涙を拭いながら、笑って言った。「うん、律は清子の前では、いつだってバカでいいんだ」二人は十六万円で六畳くらいの小さな部屋を半年間借りた。さらに六万円をかけて、やっとその部屋を「家」と呼べる場所にした。清子は不器用ながらも包丁を握り、律の大好物であるオムライスを作った。律は、怒っているのかそうではないのか、清子をぎゅっと抱きしめると、「寒いだろう、靴下を履きなよ」と、裸足の足を温めながら優しく言った。そんな彼のプロポーズも、この同じ部屋での出来事だった。江崎家の跡取りとしての身分を取り戻した律は、清子の手を取り、部屋の中をぐるぐると回りながら誓った。「この部屋は永遠に清子だけのものにする」それなのに今では、雪菜が「参加したい」と一言言っただけで、彼はすべてを忘れてしまった。涙が頬を伝い落ちるかと思うと、さっと手で拭われた。清子は深く息を吸い込み、雪菜の投稿に「いいね」とコメントを残した。【私がいらないもの、あなたにはちょうどいい】もう一度更新したら、投稿が消えていた。その直後、律から怒鳴り声のような電話がかかってきた。「清子、昼間から何をしてるんだ?雪菜を泣かすんだぞ。今どこにいるか知らないけど、すぐに来て雪菜に謝れ。じゃなきゃ、お前の母親の治療費は打ち切る
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第3話
電話を切ると、清子も病院に到着した。エレベーターを出た瞬間、母親の主治医が慌ただしく病室に向かって走っていくのが目に入った。嫌な予感がして、清子はすぐにその後を追った。すると院長が彼女を呼び止め、険しい表情で言った。「江崎夫人、ご主人からの指示で、江崎グループ傘下のすべての病院でお母様の治療が禁止されました……一時間以内にご主人の考えを変えられなければ、お母様を退院させるしかありません」「何ですって?」清子の顔色がさっと青ざめ、急いで律に電話をかけたが、応答はなかった。メッセージを送っても、返事がない。仕方なく彼女は苦笑いを浮かべながら階段を下り、律と雪菜の新居へ向かった。玄関に入る前、中から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。「律さん、この方法って本当にうまくいくの?もし清子さんがおばさんを別の病院に移しちゃったら、どうするの?そうなったら、清子さんにはもう手出しできなくなるんじゃない?」雪菜は瞬きしながら、愛らしく言った。律は気だりげな口調で答えた。「できっこないよ。江崎家であのくたばり損ないに一番執着してるのが彼女って、みんなわかってるからな。彼女の母親が俺の手の中にいるからこそ、俺はこんなに堂々とお前と一緒にいられるんだ。彼女は絶対に折れるさ」それが律が心変わりした理由なのか?弱みを握っているからこそ、遠慮なく振る舞えるのか。雪菜はくすっと笑うと、何かを思い出したように探るような口調で言った。「でもさ律さん、いくら何でも清子さんのお母さんだよ?ちょっとやりすぎじゃない?」律は眉をつり上げると、灯りに照らされた金属製のブレスレットが冷徹な光を放った。「生ける屍にひれ伏せしたなんて……思い出すだけで吐き気がする」清子はドアの外に立ち尽くし、全身の血の気が一瞬で引いていくのを感じた。律が言う「ひれ伏せした」のは、あの結婚式の日のことだった。周囲は皆、清子の母親の危篤状態を「縁起が悪い」と口にし、婚礼の日にまで暗い影を落とすと非難していた。しかし律だけが反対を押し切り、白無垢姿の清子の手を取って病院へ直行し、意識のない母親の病床前で正座――深々と頭を下げた。「お義母さん、どうか安心してください。必ず清子を大切にして、世界一幸せな女性にしてみせます。お義母さん、どうか生
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第4話
救急隊員がすぐに駆けつけた。簡単な応急処置の後、清子はすぐに母親の病室へ向かった。病室に入るや否や、看護師長が清子の母親の酸素チューブを外そうとしているのが目に入った。「やめて!止めてくれ!私は律の妻よ。ここは私たち江崎家の病院よ。誰が外していいって言ったの?」清子は、唇が血ばむほど強く噛みしめた。その声には明らかな怒りが込められていた。看護師長は困惑した様子で口を開いた。「奥様、これは江崎様直々のご指示ですので、私たちも逆らうことができません。差し支えなければ、もう一度江崎様とご相談されてはいかがでしょうか?」電話はすぐにつながり、律のうんざりした声が真っ先に聞こえてきた。「今度は何だ?」清子は鼻をすすり、震える声で言った。「律、ひざまずけば母を助けるって言ったじゃない……今、母の酸素チューブを外そうとしてるの。お願い、どうか……」「無理だ」律は冷たく彼女の言葉を遮った。「今回は雪菜ちゃんにケガはなかったが、お前の態度には本当に腹が立った。安心しろ、確認したんだ。チューブを外すだけで、お前の母親はそう簡単には死なない」「でも、母はもう脳死状態で、お医者さんが……」律は眉をひそめ、聞く気すらなかった。「医者が何と言おうと、今は雪菜ちゃんを寝かせることが最優先だ。それじゃ」電話が一方的に切られた。看護師長は困り果てたように肩をすくめると、清子の母親の人工呼吸器を外した。たちまち、母親の心拍数を示すモニターが、苦しげな警告音を激しく響かせた。脳死状態の患者は人工呼吸器によってしか生命を維持できない。「だめ、やめて!」清子は病院のスタッフに必死に制止され、目の前で母親が病床で震え、痙攣し、そして静かに息を引き取るのをただ見ていることしかできなかった。医師が死亡を確認するまで、わずか三分しかかからなかった。たった三分で、清子はこの世で最後の肉親を失った。そして、その元凶は、かつて「一生面倒を見る」と言っていた律だった。ちょうどその頃、雪菜のSNSには妊娠検査の報告書が投稿されていた。【おめでとう!パパになるんだってね!】律の母親が真っ先に「いいね!」を押した。【やっぱり雪菜ちゃんは違うわね。すぐに妊娠できて本当に良かったよ。あの人とは大違いだね……】【来週
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第5話
離婚届に署名した10日目、清子は大使館でビザの手続きを済ませた。夜7時、彼女は時間通りに江崎家の本家に到着した。誕生会は非常に華やかで、出入りしているのは名家ばかりだ。かつて白野家もその一つだった。律の母、菫(すみれ)はよくこう言っていた。「京西市には女の子がたくさんいるけれど、清子だけがうちの律にふさわしい。将来清子がうちに嫁いでくるなら、絶対に実の娘のように大切にするわ」白野家が破産した後、その態度を一変させたのも菫だった。清子の父親の葬儀では、清子の目の前に二百万円の小切手を叩きつけ、律の将来を台無しにするなと警告し、金を受け取って身を引くよう迫った。気持ちを整え、清子は本家の中へと足を踏み入れた。中に入った瞬間、周囲から異様な視線を感じた。それは嘲笑や軽蔑、あるいは好奇の目だった。人だかりの中で、菫は雪菜の手を取り、周囲の客たちに愛想よく挨拶していた。「そうよ、こちらはうちの律の恋人――雪菜、今妊娠三ヶ月なの」誰かがわざと挑発するように言った。「あなたたちの息子のお嫁さんって、姓は白野じゃなかった?こんなに堂々としてて、怒られないの?」菫は目をむき、鼻で笑うように言い放った。「何が怖いっていうの?うちの息子がいなきゃ生きていけない落ちぶれ女に、何を遠慮する必要があるのよ!うちの息子がお人好しだから引き取ったのですよ。そうでなかったら、とっくに路地裏で野垂れ死になったでしょうね。それにさ、子どもも産めない、こんな女ですからね」清子は三年前に妊娠したことがある。律が車で彼女を海に連れて行く途中、ブレーキが故障し、玉突き事故が発生した。危機一髪の瞬間、清子は咄嗟に律の前に身を投げ出した。窓ガラスが砕けて飛び散り、清子の肌に深く突き刺さった。彼女はその場で意識を失った。次に目を覚ましたのは病院の病床の上だった。医者からは、妊娠していたが流産してしまい、今後はもう母親になれない可能性が高いと告げられた。その知らせを聞いた清子は、一晩中泣き続けた。そんな彼女に執事はこう告げた――律はある女性に助けられ、その恩に報いるため、彼女をアシスタントとして会社に迎え入れるつもりだと。その女性こそが雪菜だった。清子の目には皮肉な色が浮かび、群れから離れて一人裏庭へと向かい、心
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第6話
あの日以来、清子は家に戻らなかった。代わりにホテルで十数日を過ごしていた。その間、律は彼女への当てつけのように、毎日SNSで雪菜に関する投稿を更新し続けた。雪菜の誕生日を祝って、プレゼントには清子が欲しがっていた宝石のブローチを贈った。雪菜を自宅に住まわせ、シーツや布団カバーは清子が自ら選んだデザインのものだった。雪菜との結婚式を約束し、その場所は清子と結婚式を挙げた教会だった。業界の友人たちはこぞって祝福し、二人はまさにお似合いのカップルだと口をそろえた。律もようやく目が覚めた、清子のようなブス女はとっくに捨てるべきだった、と言う者もいた。中には、どうせなら徹底的にやればいい、結婚式どころか清子と離婚して雪菜と結婚してしまえ、という声まであった。そのコメントは最上位に表示されていた。律は返信しなかった。翌日見返すと、それはすでに誰かに削除されていた。清子はそんな些細なことには気を留めず、星野雄太(ほしの ゆうた)との取引に全力を注いでいた。離婚届に署名した29日目。清子は律との家に戻った。案の定、家の中はすっかり雪菜の好みに変えられていた。清子の写真や衣類はすべて切り裂かれていた。幸い、クローゼットに隠しておいた免許や離婚協議書は、無事に見つからずに済んだ。免許を手に取り、清子が出て行こうとしたその時、雪菜が大きなお腹を抱えてドアの前に立ちふさがった。「清子、まさかそこまで我慢強いとは思わなかったわ。私にあれだけ辱められて、上流階級の笑い者にまでなって、それでもまだ江崎家にしがみついて出て行こうとしないなんて。でも、そうよね。お父さんは飛び降り自殺して、お母さんも亡くなったばかり。そりゃあ、江崎家っていう大きな船にしがみつくしかないわよね?だって、京西市であんたを相手にしてくれるのは、律さん以外に誰もいないんだから」そう言ったあと、雪菜はふと何か面白いことを思い出したように、清子に無邪気な笑みを浮かべた。「ねえ、どうして律さんがあんなに私のこと好きか、知ってる?だって私、彼に言ってあげたんだもの。あの日あなたたちが一緒に交通事故に遭った時、あなたは逃げるために彼を置き去りにしたって。彼を車から救い出したのは私だよと。律さんを病院に連れて行った時、あなたはまだ助手席に閉じ
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第7話
清子が再び目を覚ましたのは、病院の集中治療室だった。医師は彼女の傷口を診察しながら、安堵の表情を浮かべて言った。「非常に危険な状態でした。あと1ミリでも深ければ大動脈を傷つけるところで、不幸中の幸いです。すぐに救急搬送されたおかげです。そうでなければ、脚の機能はおろか、命自体が危険に晒される状況でしたよ」清子はかすかに笑みを浮かべた。しかし、意識が朦朧としていた時に耳にした会話が、頭の中で繰り返されていた。「患者が緊急で輸血が必要なのに、なぜ血液バンクが使えないんです?」「実情を話すとね……江崎社長の彼女が腹痛を訴えられて、社長の指示で血液バンクが使用禁止になったんです。万が一に備えて、全血液をそちらで確保とのことですよ」「そんな……ありえません!これで我々はどうしろと?」「もう……自然治癒を待つしかない状況です」やっぱり律は、本気で彼女の死を望んでいたのか?極限の痛みに、心までもが麻痺してしまったのか、この瞬間、清子の目からは一滴の涙もこぼれなかった。ただ、彼らはあと数時間で財産分与が終わり、離婚が成立することだけが、唯一の救いだ。夜、律が彼女を見舞いに来た。包帯で覆われた彼女の太ももに視線を落とし、しばらく呆然としたまま、ようやく口を開いた。「雪菜は俺の命を救ってくれた。だから、彼女に対して責任を果たさなければならない」清子は何も言わず、ただ目の前にいる、この七年間を捧げた男をじっと見つめていた。彼女は尋ねたかった。かつて自分をどれほど愛していたのか、覚えているのかと。そして、あの交通事故で、自分も彼のために一人の子どもを失ったことを、覚えているのかと。彼に聞いてみたかった。もし本当に彼女が死んだら、どうするつもりだったのかと。清子は何度も考えた。でも、口から出たのはたった一言だけだった。「わかったわ」彼女は知っていた。彼が自分を愛していないことを。あの赤ちゃんのことも、最初から気にかけたことがなかったことを。自分が死んでも、律は微塵も気に留めないことを。そして何より、今日が終われば、自分と律との関係は完全に終わるということを。深く息を吸い込み、清子は静かに口を開いた。「律、私たち、離……」そのとき突然、スマホの着信音が鳴り響き、雪菜の甘える声が聞こえてきた。「律
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第8話
スマホがバシッという音を立てて床に落ち、隣で楽しげにしていた菫と雪菜を驚かせた。「律、どうしたの?どうしてスマホもちゃんと持てないの?」「律さん、カメラマンさんがまだ待ってるよ。スマホはあとで拾えばいいよ」律はまるで何も聞こえなかったかのように、ほとんど取り乱した様子でスマホを拾い上げ、弁護士から届いたメッセージを何度も何度も確認した。【江崎様、ご通知申し上げます。あなたと白野様の財産分与が終わり、離婚が本日正式に成立いたしました】【本日をもちまして、あなたと白野様の婚姻関係は解消され、双方とも法的に再婚が可能となります。今後一切の法律的関係はなくなります】一切の……関係がなくなる?律はその言葉を呆然と繰り返し、目に涙が溢れた。彼は突然、あの時のことを思い出した。彼と清子が一緒にアパートのソファで身を寄せ合いながら、未来について夢中で語り合っていた。清子が彼に尋ねた。「律、私たち、将来別れたりするのかな?」律は自信満々に答えた。「もちろんしないさ!俺は絶対に清子と離れたりしない!」「私も、絶対に律を置いていったりしない!」あの日の言葉が今も耳に残っているようだ。しかし、現実は律に容赦なく突きつけられた。彼はスマホを強く握りしめ、すぐに外へ出ようとした。すると雪菜が不安そうな表情で彼の服の裾をつかんだ。「律さん、これから家族写真を撮るんだよ。どこに行くの?」律は唇をぎゅっと結ぶと、力を込めて服の裾を引き抜いた。「ごめん、家族写真はまた今度にしよう。清子を探しに行かなきゃ」「行かせないよ!」菫は怒りに満ちて律の前に立ちはだかった。「あの女のところへ行かせるわけにはいかない!忘れたの?あの女が嫉妬に狂って、雪菜ちゃんを無理やり連れて道路でスピードを出したから、雪菜ちゃんが事故に遭ったのよ!」律ははっとして、思わず反論した。「でも清子も怪我をしたんだ。医者は、もう少しで彼女は……」「だから何なの?」菫は彼の言葉を遮り、声は氷のように冷たかった。「忘れないで。あの時、危険を顧みずあなたを車から助け出したのは雪菜ちゃんであって、清子じゃないのよ。もし雪菜ちゃんが間に合わなかったら、あなたはとっくに死んでいたわ。それに、今彼女はあなたの子を身ごもっているのよ。私の大事な
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第9話
言い終えると、誰からの返事もなかった。律は病室を見渡し、トイレへと向かった。「清子、いるか?謝りに来たんだ」「昨日のことは俺が悪かった。雪菜ちゃんのためにお前を置いていくべきじゃなかった」「もう怒らないでくれ。明日は時間があるから、やり直そう。再婚しよう」固く閉ざされたガラス扉を見つめながら、律の目にかすかな苦笑が浮かんだ。「清子、お前がまだ怒っているのはわかってる。俺が間違ってた。雪菜ちゃんを妊娠させたことも、お前にあんなに辛い思いをさせたことも、本当に悪かった。お義母さんの病室はずっと掃除させてる。出てきてくれ、一緒にお義母さんを病院に連れて行こう」返事はなかった。律は眉をひそめ、口調が次第に険しくなった。「清子、もういい加減にしろ。これ以上意地を張るなら、さっきの話はなかったことにするぞ!清子?」律がドアをノックする。ドンドン――「清子?返事がないなら入るよ?」ドンドン!「清子、本当に入るからね……」「江崎社長?奥様はもう退院されたのではないでしょうか?」看護師長が物音を聞いて入ってきて、律の言葉を遮った。律は動揺し、心臓が一瞬止まったように感じた。「何ですって?清子が退院した?いつのこと?」「ちょうど30分ほど前です。奥様は歩行が困難なため、院長が自ら手続きを手伝われました。病院の匂いが苦手で、別の場所で療養したいとおっしゃっていました。あ、それからこれをお渡しするようにと。ご覧になればお分かりになるそうです」看護師長は書類の入った封筒を律に手渡した。開けると、中には一枚のキャッシュカードと、署名済みの離婚届が入っていた。キャッシュカードの裏には、はっきりとこう書かれていた。【治療代】律はすぐに察した。清子が自分との関係を完全に断ち切ろうとしているのだ。考える間もなく、彼は看護師長を押しのけて病室を飛び出した。清子を探しに行かなければ。清子が本当にそこまで冷酷になれるとは信じられなかった。あんなに仲が良かったのに、あんなに幸せだったのに、清子はどうして彼をこんなふうに見捨てられるのか!そう思うと、律の胸の中には怒りがどんどん込み上げてきた。診察室の前を通りかかったとき、白野清子という名前が耳に入った。彼は思わず足を止め、耳を澄ませた。
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第10話
スマホを持つ手に力が入り、律は己の歯ぎしりをはっきりと耳にした。「誰が清子のスマホを使っていいって言った?あれは俺の妻だぞ。星野、お前、少しは恥を知れ!」男は冷たく笑い、落ち着いた口調で言った。「申し訳ありませんが、江崎社長、それはお受けできません。それと、親切心から一言申し上げておきますが、あなたと白野さんは一時間前に正式に離婚しました。法的には、あなた方は今、まったくの他人です」そう言い残して、電話はすぐに切られた。かけ直しても、すでにブロックされていた。律は罵声を吐き、危うくスマホを握り潰しそうになった。だがすぐに気を取り直し、アシスタントに電話をかけて、清子と雄太のすべての関係を至急調べるように指示した。彼は清子が自分を裏切るとは信じていなかった。あり得るとすれば、彼女が本当に心の底から傷ついたということだけだ。だからこそ、雄太と芝居を打って、わざと彼を刺激しようとしたのだ。そう考えた時、律はさらに言い添えた。「南城のあの別荘を買い取れ。名義は奥さんのものにしておけ」アシスタントは少し戸惑いながら、小声で尋ねた。「どちらの奥さんでしょうか?」律は一瞬言葉を失い、すぐに怒りかけたが、その直後、アシスタントが続けた。「社長、以前のご指示で、私たちは私的には朝倉さんを奥さんと呼ぶようにと言われました。南城の別荘は白野さんにお渡しするのですか?それとも朝倉さんに?」律は固まった。自分がそんな指示を出した記憶はまったくなかった。だが、ふいに昨年のバレンタインデーのことを思い出した。雪菜がピンク色を好むと知り、彼は特別に高級オーダーメイドのドレスを競り落としてプレゼントしようとした。ところが、贈り物はいつまで経っても届かず、代わりに翌日の晩餐会で清子が、まさにあのピンクのドレスを着て現れた。彼は、あの日雪菜がとても悲しそうに泣いていたのを覚えている。「もし清子さんが気に入ったのなら、私は全部譲ってもいい」と言っていた。彼は激怒し、場にいた全員の面前で清子の顔に赤ワインを浴びせかけ、「身の程をわきまえろ、分不相応にも雪菜と張り合おうとするな」と言い放った。清子は呆然と彼を見つめ、泣くよりも辛そうな笑みを浮かべていた。彼女はこう言った。「律、このドレスには、江崎夫人へって書いてあった
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