明け方4時半、夫が元カノからの電話に出て、うっかりスマホのスピーカーを押してしまった。 「景祐、うちの茉美、熱が40度以上もあるのに、タクシーも捕まらなくて……ううっ」 不意を突かれて聞こえてきた嗚咽で、私は一瞬で目が覚めた。 江南景祐(えなみ けいすけ)は慌ててスピーカーをオフにし、声を抑えて言った。「位置情報を送って、すぐ向かうから」 彼は忘れていた。今日は私の初めての妊婦健診の日だということを。
View Moreそして、茉美を連れて家にも来たが、俺は二人を追い出した。亜里沙が本当に気の毒だ。彼女に言われて、ドアの鍵を交換すべきだと気づいた。俺は即座に果南のLINEをブロックした。ドリームリゾートは俺たち二人がずっと憧れていた場所だった。俺は亜里沙に、クリスマスの前日にここへ旅行に連れて行くと約束した。しかし24日の昼、藍子おばさんから電話があった。藍子おばさんは泣きながら、果南の相手をしてやってほしいと頼んだ。果南は今とても情緒不安定な状態だという。果南は医師からIgA腎症と診断され、あと数年しか生きられないかもしれないという。青天の霹靂だった。心痛、憐憫、自責、憂い、様々な感情が入り混じり、息が詰まるほどだった。他のことは考えらなくなり、一刻も早く果南に会いたいと思った。出会ってから初めて亜里沙に嘘をつき、その夜のうちに果南のアパートに着いた。自分に言い聞かせた。幼馴染として接するだけだと。クリスマスが終わったら二度と連絡を取らないと。クリスマスイブの夜、果南は茉美が寝たのを見計らって、ワインを数本出してきて一緒に飲もうと言ってきた。最初は断ったが、彼女の涙ながらのしつこい誘いに心が折れた。少しだけと自分に言い聞かせた。だがグラスで数杯飲んだ後、手足の力が異様に抜け、唇が痺れてきた。飲み過ぎたと思い、よろめきながらなんとかベッドルームにたどり着いた。体は熱を帯び、干からびた魚が水を求めるようにうずいていた。その時、後ろからついてきた果南が俺の上に跨がり、俺は一瞬で体が硬直した。彼女は身をかがめ、耳元で優しく息を吹きかけ、熱い思いを俺の体に降り注いだ。俺の理性はこの瞬間、完全に崩れ去った……翌朝目覚めた時、俺はぼんやりしていた。激しい後悔と自己嫌悪が、怒涛のように押し寄せていた。思い切り自分をビンタしてやりたい気分だった!一ヶ月以上も我慢してたから抑えきれなかったのか、それとも薬のせいなのか?あるいは捨てられた無念さが潜在意識の中で暴れたのか?答えはわからないが、ひとつだけ確かなのは、これは愛ではないということだ。上着を羽織って帰ろうとすると、果南はベッドの前で跪き、涙ながらに訴えた——あと一日だけ付き合ってくれれば、二度と迷惑はかけないと誓う、と。亜里沙のこ
番外編――景祐亜里沙とお見合いした時、初めて会った瞬間から彼女が好きになった。果南ほど甘いルックスではないが、可愛らしくて見飽きない顔立ちで、笑うと口元に小さなえくぼが浮かぶ。当時、果南に振られてから1年あまり、失恋の傷からようやく一歩踏み出したばかりだったが、家族からの勧めを無下にできず、しぶしぶお見合いに行った。本当は、形式的にだけ済ませて、家族に納得させるつもりだった。ところが亜里沙と初めて会った瞬間、心を奪われてしまった。彼女は笑顔を絶やさず、おしゃべりで、透き通った瞳には無数の星々が輝いていた。彼女は俺が愛読する小説を読み、俺が推してるドラマや映画を観て、俺と同じ肉じゃがが大好物、俺が行きたいと思っていたドラマや映画の聖地、ドリームリゾートのほか、観光名所に憧れていた。歴史から地理経済まで、彼女はあらゆる物事に強い興味を持っているようで、長らく埃を被っていた俺の心を照らす一筋の光になった。俺は彼女の情熱に引き込まれ、二人で未来の青写真に思いを馳せた。その瞬間、俺は過去に別れを告げ、目の前にいる女性と共に明るい未来を築くという決意を固めた。彼女もまた「二人の出会いが遅すぎた」と感じたようで、婚活会社の事務所が閉まるまで話し込んだ。その後は順調に交際を重ね、結婚。妊娠が判明し……結婚は愛情の墓場だと言われる。だが俺はそうは思わなかった。結婚後も、俺たちはピッタリ寄り添っていた。彼女は退社時によく興奮気味に電話をくれ、「絶対にあなたが気に入る映画が公開されたよ」と教えてくれた。また彼女を連れて車を飛ばし、穴場の観光スポットを探しに出かけたりもした。父親になると分かった時、俺の幸福感は頂点に達した。何をしていてもニヤニヤしてしまうほどだった。俺たちはこのまま幸せな日々を送っていけると思っていた。しかし果南が現れてから、平穏な生活が完全に打ち砕かれた。これは認めざるを得ないが、亜里沙と出会う前まで、俺はずっと果南のことを愛していた。子供の頃、父は常に県外でビジネスをしており、隣に住む藍子おばさん一家が俺たち母子の面倒を見てくれていた。藍子おばさんにはキレイでしかも可愛らしい一人娘の果南がいた。俺たちは同い年で、小さい頃から一緒に遊んで、一緒に学校へ通った。周りから見たら俺
半月後、結子が涙を浮かべながら私を空港まで送ってくれた。一ヶ月後、私は楽しみにしていたドリームリゾートへの旅行を終え、スーツケースを引きながらながら故郷である桜市に戻った。二ヶ月後、私は不安な気持ちを抱えながら、社長室のドアを叩いた。「崎田社長、お呼びでしょうか?」その声にを聞いて、ノートパソコンから顔を上げたのは見目麗しい若い男性だった。大きな目にきりっとした眉毛、スーツ姿が凛としている。目元に笑みを浮かべると、春風のように優しい。「こんにちは、亜里沙さん。僕は崎田社長の息子で、新任の専務です。またお会いできて嬉しいです」聞き覚えのある声と顔に私は驚いてその場に立ち尽くした。あの日病院で出会った親切な男性だった。私は感謝の気持ちを込めて微笑みながら言った。「崎田専務、ご挨拶が遅れました。この度はご縁があり入社できましたこと、本当に嬉しいです。奥様はお元気ですか?」「ああ、あれは姉ですよ」崎田専務は朗らかに笑いながらさらに続けた。「実は僕たち、会ったのはあの1回じゃないですよ。東山公園でも……」何かを思い出したのか、崎田専務はふいに話題を変え、情熱のこもったまなざしで口元に笑みを浮かべながらこう言った。「安宅市の支社で出会い、桜市の本社でも再会するとは、僕たちは縁があるようですね」私は穏やかに微笑んだ。「一葉の浮き草も大海に帰る。人生どこで再会するかわからないものです」心の中で納得した。あの時階段に注意するよう声をかけてくれたのは、崎田専務だったのか。声に聞き覚えがあったわけだ。マンションに戻ると、花壇に座る見慣れた人影が遠くからでも目に入った。数日ぶりに見る景祐は疲れ切っており、頬はこけ、灰色がかった顔色はまるで幽霊のようだった。私の姿を見るや、彼は慌ててタバコを消し、そそくさと私に近寄るとベルベットの箱を取り出した。充血した目をビクビクと瞬かせ、枯れきった声で必死に訴える。「亜里沙、愛してる!君なしでは生きていけないんだよ。俺を助けて……」私は冷ややかに笑い、素早く遮った。「私があなたを助ける?じゃあ誰が私の赤ちゃんを助けてくれるの?失った命が戻してくれるの?」景祐は全身を震わせ、手首に血管が浮き出るほど力んで、苦悶の表情で目を閉じた。私は彼の横を通り過ぎ、そそくさと階段を上った。帰宅すると
市役所に行った日は、どんよりとした空で、小雨が降っていた。景祐は市役所の前でぼんやりと立ち尽くしていた。目の下にはくっきりとクマが浮かび、乱れた髪とやつれた表情は、どれだけ隠そうとしても滲み出るものだった。「亜里沙、果南の件、お前が仕組んだことなのか?」私は驚いた。別れたくないという言葉を期待していたのに、いきなり尋問されて、心に残っていた最後の未練も消え去った。もう、私の心は二度と彼のために揺れることはない。「ああ、私があの社長とヤラせたの。あんたたちが寝るように仕向けたのも私!どう?信じる?うん、私が撮るなら絶対にモザイクなんてかけないわね!赤ちゃんにもあんたのすごい戦闘力を見せつけてやらなきゃだもんねー!」私はなんとも言えない苛立ちを感じてつぶやいた。「朝っぱらからウザいわね……ハエでもたかってるの?」「そういう意味じゃないんだ……」景祐は慌てて私の服の袖を掴み、声を詰まらせた。「亜里沙、俺はただ……」私は振り向きもせず、歩き出した。後ろから景祐が泣き叫ぶ声が聞こえた。「俺たち、本当にここまでしなきゃいけないのか?結婚した時は永遠に別れないって約束したのに、どうしてこうなったんだよ?」私は冷静に彼をやり過ごし、そのまま市役所の中へ入っていった。景祐、私はあなたにチャンスを与えた。それを棒に振ったのはあなた。私の愛情を裏切り、あなたと私の子供も永遠に失った。もうこれ以上、あなたに愛を注ぐ価値はない。
その日の夜10時半、私がちょうどお風呂から上がったところに、結子から電話がかかってきた。「亜里沙!すごいニュースがあるの!」結子は向こうで話ができないほど笑っていて、大金でも拾ったんじゃないかと思わせるほどだった。「ねえ知ってる?糸田果南がネットで有名人になってるよ!炎上してみんなに叩かれまくってる!早くSNSのリンク見てみて!果南が殴られてるの!不倫相手の奥さんが友達を連れてカフェに行って、愛人をボコボコにした動画、アップして1時間も経たないうちに再生回数100万超え!超バズってるよ、亜里沙!全SNSでトレンド1位!それだけじゃないよ。果南は殴られた後そそくさを店を出ていったんだけど、その時自分のスマホを忘れてったの!なんとそのスマホにはエッチな動画いくつも入ってたんだって。しかも相手は全く別の男2人!それが、誰かの悪意でネットやSNSに晒されちゃったのよ!衝撃的すぎるわ……!糸田果南、さすがにやりすぎでしょ。彼女、身バレして全部晒されたらしいよ。結婚前に社長と浮気して、金もらって捨てられて、最近その時の浮気動画で脅して金せびろうとしたら逆にボコられたって……いやもう『自業自得』でしょ!!果南の恋愛遍歴が晒されちゃって、景祐もすぐに終わりじゃない?ははは……」私は声を出さずに口元を緩めた。連絡帳を開き、雇った探偵へ報酬の残額を振り込んだ。まさか果南がスマホを落とし、中の動画が流出するなんて。思いがけないハプニングだった。「因果応報、天に唾する者は己に返る」とはまさにこのことだ。
午後7時の駅前広場、人通りが絶えず、車の流れが途切れない。私はコーヒーカップを軽く揺らしながら、満足気に言った。「ここのカフェシャケラート、本当に美味しいわ。香り豊かで、泡がクリーミー……」「ちょっと!私の話聞いてた?!」果南の顔は真っ赤に染まり、怒りに目をギラギラ光らせながら、机の上に手紙の束を机の上にバンっと叩きつけた。私はようやく窓の外を眺めていた視線を引き戻し、カップを置いてにっこりと彼女に向き直った。果南は自慢げな表情で、憐れみと軽蔑を込めて言った。「あんたの旦那が私に書いたラブレターよ。早く見たら?十何年も変わらない愛情って、本当に感動的よね。あんたに一通でも書いてくれたの?」私はできるだけ平静を装ったが、心はまだ少しずつ痛みが走る。果南はさらに得意げになった。「景祐はこれからも私のもの。私が少しでも弱みを見せれば、結局彼は私のもとに走ってくるの。彼はいつだって私に合わせてくれて、我慢もしてくれた。私がゆっくり化粧するのを文句も言わず寮の下で待ってくれた。お腹が痛い時は一晩中寝ずに看病してくれた。機嫌が悪くて泣きつけば、旅行先からすぐに帰ってきて、疲れきった様子でも私のところに来てくれた。毎朝朝食を買ってくれたり、料理や下着の洗濯までしてくれたことだって……あんたも見たでしょ。私は彼を4年もほったらかしにしたけど、あの日の夜、私たちまた寝たの。あんた、愛されていない男にしがみついてて何が楽しいの?早く離婚手続きしなさいよ。何を待ってるの?……人間、そこまで自分を安く売っちゃ終わりだよね」ふと目を上げると、窓の外を忙しそうに歩く何人かが店へ入ってきた。彼らは店内をぐるりと見回し、何かを探しているようだった。そして皮肉たっぷりに言った。「卑怯者ってやっぱりわがままね。彼がそんなにあなたに尽くしてくれたなら、なんであの時不倫したの?愛人になったのに捨てられたから、今度は彼に拾ってもらおうって?あなた恥ってもんがないの!?」「黙れっ!」果南は怒りにまかせて叫び声を上げ、勢いよく立ち上がって私を殴ろうとした。しかし手を伸ばす間もなく、物音に気づいて駆けつけた3人の中年の女性に突き飛ばされ、地面に倒れ込むと、馬乗りになったその女性たちから殴打、蹴り、平手打ちの嵐に遭った。「糸田果南っ、この恥知らず!若さと色
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