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夫と、永遠のサヨナラ

夫と、永遠のサヨナラ

By:  黎々 一刀Completed
Language: Japanese
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明け方4時半、夫が元カノからの電話に出て、うっかりスマホのスピーカーを押してしまった。 「景祐、うちの茉美、熱が40度以上もあるのに、タクシーも捕まらなくて……ううっ」 不意を突かれて聞こえてきた嗚咽で、私は一瞬で目が覚めた。 江南景祐(えなみ けいすけ)は慌ててスピーカーをオフにし、声を抑えて言った。「位置情報を送って、すぐ向かうから」 彼は忘れていた。今日は私の初めての妊婦健診の日だということを。

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Chapter 1

第1話

明け方4時半、夫が元カノからの電話に出て、うっかりスマホのスピーカーを押してしまった。

「景祐、うちの茉美(まみ)、熱が40度以上もあるのに、タクシーも捕まらなくて……ううっ」

不意を突かれて聞こえてきた嗚咽で、私は一瞬で目が覚めた。

江南景祐(えなみ けいすけ)は慌ててスピーカーをオフにし、声を抑えて言った。「位置情報を送って、すぐ向かうから」

彼は忘れていた。今日は私の初めての妊婦健診の日だということを。

「糸田果南(いとだ かな)さん?果南さん戻ってきたの?」

私は一瞬で頭が冴え、今にも心臓が口から飛び出しそうな、何とも言いがたい気持ちになった。

私が目を覚ましたことに驚いたのか、景祐は体をこわばらせた。まだ画面オフになっていないスマホの明かりに照らされた彼の顔は一瞬不自然な表情を見せ、「うん」とだけ答えた。

胸が不穏な音を鳴らしたと同時に、私は無意識に景祐の手を引っ張り、か細い声で彼に懇願していた。「他の人に行ってもらえない?一人でいるのが怖いの」

本当は私の潜在意識で不安が生まれていた。恐るべき女の第六感が、事はそんなに単純ではないと私に訴えたのだ。

「果南さんの娘が病気なのに、なぜ旦那さんじゃなくて景祐を呼ぶのよ?それに、果南さんのご両親だってこの街にいるじゃない?」

「もうやめろよ!旦那と別れたばかりなんだぞ。どうやって旦那を呼ぶんだ?!」景祐の顔はみるみる怒りに満ち、力任せに自身の髪を搔きむしりながらこう言い放った。「夜中に年配の両親を起こすほうが良いと思ってんのか?そんな理不尽なことを言うなよ!」

その言葉を聞いた瞬間、私は呆然と立ち尽くした。あり得ない。私は彼をじっと見つめた。

結婚して3年、彼はいつも優しく、私のことをいつも細やかに気遣ってくれていた。

私たちは仲が良く、めったに口論することはなかった。

今回初めて、彼がその優しさの仮面を脱ぎさり、かなり強い口調で私を怒鳴りつけたのだ。それは私が憧れの人の元へ向かうのを邪魔したから?

景祐もまずかったと気づいたようで、一瞬躊躇してから口調を和らげた。「ごめん、驚かせたな。藍子(あいこ)おばさんは俺の家族にずっとよくしてくれてたから。おばさんの顔があるから断りにくいんだ……心配するな、果南たちを最寄りの市民病院まで送ったらすぐ戻る。30分もかからないよ。お腹の赤ちゃんがついてくれてるよ、何かあったら俺に電話して」

深夜にご両親を起こすのはよくないけど、景祐を起こすのはいいわけ?

本当に藍子おばさんのためだけに果南さんに会いに行ったの?

私は残りの言葉を声に出すことなく飲み込んだ。

ここまで言われたら、受け入れる以外に何ができるだろう?

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第1話
明け方4時半、夫が元カノからの電話に出て、うっかりスマホのスピーカーを押してしまった。「景祐、うちの茉美(まみ)、熱が40度以上もあるのに、タクシーも捕まらなくて……ううっ」不意を突かれて聞こえてきた嗚咽で、私は一瞬で目が覚めた。江南景祐(えなみ けいすけ)は慌ててスピーカーをオフにし、声を抑えて言った。「位置情報を送って、すぐ向かうから」彼は忘れていた。今日は私の初めての妊婦健診の日だということを。「糸田果南(いとだ かな)さん?果南さん戻ってきたの?」私は一瞬で頭が冴え、今にも心臓が口から飛び出しそうな、何とも言いがたい気持ちになった。私が目を覚ましたことに驚いたのか、景祐は体をこわばらせた。まだ画面オフになっていないスマホの明かりに照らされた彼の顔は一瞬不自然な表情を見せ、「うん」とだけ答えた。胸が不穏な音を鳴らしたと同時に、私は無意識に景祐の手を引っ張り、か細い声で彼に懇願していた。「他の人に行ってもらえない?一人でいるのが怖いの」本当は私の潜在意識で不安が生まれていた。恐るべき女の第六感が、事はそんなに単純ではないと私に訴えたのだ。「果南さんの娘が病気なのに、なぜ旦那さんじゃなくて景祐を呼ぶのよ?それに、果南さんのご両親だってこの街にいるじゃない?」「もうやめろよ!旦那と別れたばかりなんだぞ。どうやって旦那を呼ぶんだ?!」景祐の顔はみるみる怒りに満ち、力任せに自身の髪を搔きむしりながらこう言い放った。「夜中に年配の両親を起こすほうが良いと思ってんのか?そんな理不尽なことを言うなよ!」その言葉を聞いた瞬間、私は呆然と立ち尽くした。あり得ない。私は彼をじっと見つめた。結婚して3年、彼はいつも優しく、私のことをいつも細やかに気遣ってくれていた。私たちは仲が良く、めったに口論することはなかった。今回初めて、彼がその優しさの仮面を脱ぎさり、かなり強い口調で私を怒鳴りつけたのだ。それは私が憧れの人の元へ向かうのを邪魔したから?景祐もまずかったと気づいたようで、一瞬躊躇してから口調を和らげた。「ごめん、驚かせたな。藍子(あいこ)おばさんは俺の家族にずっとよくしてくれてたから。おばさんの顔があるから断りにくいんだ……心配するな、果南たちを最寄りの市民病院まで送ったらすぐ戻る。30分もかからないよ。お腹の赤ちゃ
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第2話
景祐は上着を羽織り、そっとドアを閉めて出て行った。何事もないように振る舞っていても、彼が心配と焦りに感情に満ちあふれていることを私は見抜いていた。かつての恋人同士が再会する。どんな感動的な場面になるだろう?私はもう眠ることもできず、明かりをつけて天井をぼんやりと見つめた。実に滑稽だ、結婚して3年になるのに、夫に心の憧れの人がいることを知らなかったのだ。1ヶ月前、偶然彼のパソコンの隠しファイルを開いてしまい、2人が若い頃に激しく愛し合った動画と彼女への長文の愛の告白を見つけるまで、景祐が糸田果南というただの幼馴染に、これほど狂おしい愛情を抱いていたことを知らなかった。心が乱れている。ようやく夜が明けた。突然鳴り響いたアラームの音が、私の乱れた思考を断ち切った。時計を見上げると、ちょうど朝7時。景祐が果南に会いに行ってから、すでに数時間が経っていた。その間、景祐から【用事が終わったらすぐ帰るから心配しないで】とLINEが1通届いていた。おそらく彼は忘れていたのだろう、今日が私の初めての妊婦健診だということを。検査項目も多く、病院までの距離も少し遠い。ラッシュアワー以外の時間帯でも車での移動に40分はかかる。だから渋滞を避け、産科がある市立中央病院の待ち時間も少なくなるようにと、私はわざわざ朝8時の予約を取ったのだ。しかし私の計画は狂ってしまった。時間が迫っているのに、景祐は一向に帰ってこない。心にいわれもない寂しさが込み上げてきた。私は意地になって彼に電話をかけたが、呼び出し音が2回鳴っただけで通話中と表示された。そしてすぐにLINEで【何かあった?】とメッセージが来た。私は腹が立っていたが、何とかこらえて彼に思い出させた。【今日8時から初めての妊婦健診だよ、忘れたの?】向こうからはしばらく返信がなかった。いくら待っても返信は来ず、私の心は一気に谷底に沈んでいった。仕方なく自分でアプリを開き、配車サービスを呼んだ。私がタクシーに乗った途端、スマホが鳴った。「亜里沙(ありさ)、ごめん、少し遅れそう」景祐は疲れ切っているようで、声はひどくかすれていた。「とりあえず結子ちゃんについてもらって。タクシーを手配するから。後で結子ちゃんにお礼として食事をご馳走するからさ」「もうタクシ
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第3話
安宅市立中央病院の産婦人科はこの街で一番有名だ。この街で出産するならこの病院、というほどだ。私が病院に着いた時は既に8時半を過ぎていて、どの診療科の前にも長蛇の列ができていた。周りを見渡すと、多くの男性が列に並び、妻たちは別のところで休んでいたり、他の検査に向かっていた。いいなぁ。時間の節約にもなるし。言葉に言いあらわせないほど羨ましい。私は深いため息をひとつついた後、とりあえず適当に選んだ列の最後尾に並んだ。長時間並んだため、足がだるくなってきた。お腹も空いたし、昨夜はちゃんと休めなかったしで、急に胃が捻じれるような感覚に襲われた。胃酸がこみ上げ、強烈な吐き気を我慢できなくなった。今すぐトイレに駆け込みたい。しかし私の後ろに続く長い列を見たら、一気にトイレに行く気が失せた。必死に吐き気に耐えていると、大きな瞳と男らしいキリっとした眉の若い男性が私に近づいてきて、笑顔を私に向けてこう言った。「僕が代わりに並びますよ。家族が診察中で、僕は今することがないので」まさに願ったり叶ったりだった。私は急いでお礼を言うとトイレに駆け込んだ。私がトイレから戻ってくると、その男性の家族が診察を終えていた。おしゃれでキレイな女性で、実にお似合いのカップルだ。彼女はフルーツキャンディーとクラッカーを私にくれた。本当にありがたかった。私は慌てて彼女にお礼を言った。「大丈夫ですよ。アルカリ性の食べ物は胃酸を抑えられて、胃自体の負担が軽くなるから、つわりがマシになりますよ。ところで、ご主人はどうして一緒じゃないんですか?」彼女は特に他意はなく私に笑いかけている。「夫の友達の子供が熱を出して、朝4時半に病院に連れて行ったきり、まだ戻らないんです」私はちょっとその場にいづらくなった。女性はやや意外そうな面持ちでこう言った。「熱を出して入院しているなら、生理食塩水とブドウ糖の点滴と抗生物質で治療するくらいでしょう?そんな長時間付き添う必要はないんじゃないですか?前にうちの長男が40.5度まで熱が上がった時でも、動態脳波検査をやったくらいでした。他は特に他の検査はしなかったですよ。そんな大勢で付き添う必要ないと思います。どういうお友達なんですかね、自分の子供より他人の子供が大事ってことですか?」男性は軽く咳払いをして彼女の話
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第4話
疲れた体に鞭を打って施設内をあちこち移動する。本来なら2時間で終わる検査が、待ち時間がかなりあったせいで、午前中いっぱいかかってしまった。もう一歩も歩けないほど足が痛い。病院の前でタクシーを拾った。車内でうとうとしていた時、LINEが突然鳴り、友達申請が来た。【景祐の元カノ、糸田果南です。少し話せますか?】鼓動が激しくなり、睡魔が一瞬で吹き飛んだ。私は強い不安を抱きながらも友達申請を承認した。するとすぐに、果南から写真が送られてきた。開いてみると、景祐が病院のベッドにいる可愛らしい女の子にご飯を食べさせている写真だった。優しく、愛情に満ちた表情だった。女の子は風船を手に、幸せそうに景祐に笑いかけている。この子、見覚えがある。記憶を辿っていく。去年のとある週末、景祐と私はある観光地を目指して車を走らせた。観光スポットをひととおり見て回って、ランチの時間になったので近くにある義母の家で食事をすることにした。義母の家に着くとに先客がいた。リビングに入ると、清楚で可愛らしい小柄な女性と2歳くらいの女の子が、義母と話していた。先客と目が合った瞬間、景祐はまるで金縛りにでもあった様子でその場に立ち尽くした。呼吸は乱れ、顔色はみるみる青ざめ、明らかに様子がおかしかった。繋いでいた私の手をどんどん強く握りしめる。私が痛みで声を上げると、彼は我に返り、その場を立ち去った。私は申し訳ない気持ちでその場にいた人達に挨拶をして、慌てて景祐を追いかけた。結局その日、私たちは義母の家で食事することなく帰った。景祐は書斎に閉じこもり、ずっとタバコを吸っていた。理解が追い付いていない状況で、また果南からメッセージが届いた。【お願いします。茉美の父親を彼女に返してやってくれませんか?子供の成長には、父親の愛が必要なんです】私は愕然とした。何かの間違いじゃないかと、何度も瞬きをしてはメッセージを見返した。急に、そのメッセージに怒りと笑いがこみ上げた。【送り先間違えてないですか?】スマホのタップする手が震え、相手を思いっきり罵倒したい衝動を抑えながら送った。【すみません、それは私が決めることではありません。そばにいる景祐に聞いてみてください。他人の子供を育てるつもりなのかと】こんな恥知らずで厚かましい
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第5話
景祐は一瞬のためらいもなく、私の目の前で、果南のLINEをブロックした。でも、私の心はそれで納得できなかった。果南がそう簡単には諦めないだろうという予感はしていたのだが、やはりその通りになった。ある日の午後、私は有給休暇を取った。前回の妊婦検診の時に医師から切迫流産の兆候があると言われ、薬を飲み、さらに安静にする必要があったからだ。午前の仕事が終わると、私は私と景祐が好きなオートミールクッキーを買い、軽やかな足取りで家路についた。マンションのエレベーターを降りて玄関まで来ると、ドアが開いていて、中から子供の明るい声が耳に入ってきた。不思議に思った。景祐はまだ帰宅途中なのに、誰が……?嫌な予感が胸をよぎった。リビングに入ると、果南がソファーに寝そべってテレビを見ており、目の前にはスナック菓子の空き袋が散乱していたのだ。そばにいた女の子は、楽しそうにソファーで飛び跳ねていたが、私がリビングに入ってくるとすぐに動きを止め、興味津々な様子で果南に聞いた。「ママ、この人誰ー?」果南はスナック菓子を食べるのをやめ、上から下へと私をガン見してきた。「え?亜里沙なの?前に会った時よりかなり太ってるじゃないの?うわーヤバ、どうしようもないね。景祐がどうしてあんたを好きになったのか、マジで理解できんわぁ」見た目は弱々しくて可愛らしい花のような女性が、こんな汚い言葉を使うなんて。私は驚きと怒りで激しく波打つ鼓動を必死に抑えながら、淡々と言った。「私がどうなろうとあなたに関係ないでしょ。ここは私の家です。出ていってください!不法侵入ですよ。すぐに出ていかないと警察呼びます!」私の冷淡な態度が怖くなったのか、女の子は大声を上げて泣き出し、果南の後ろに隠れた。「うえーん、ママぁ、早く帰ろうよぉ、怖いよぉ!」果南は不満げに私を睨んだが、すぐに気だるげそうに笑った。「どうしてあたしがあんたの家の鍵を持ってるか、気にならないの?ここは景祐があたしのために買ってくれた、二人の家なの!この家から部屋の内装、家具、一つ一つの小物まで、ぜーんぶあたしが選んだの!もう何年も経つのに、家の鍵は当時のままなのよ。あーあ……若気の至りであたしがあんなミスしなければ、あんたがつけ入る隙なんてなかったのにな――あたしに感謝すべきなんじゃないの?」果南が部屋
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第6話
その後も、果南は諦めず、景祐が電話番号を変えてからもなおしつこく付きまとった。しかし警告を受けて、ようやく静かになった。彼女の今の状況がだんだんと分かってきた。彼女の会社の社長は強い後ろ盾を持つ妻に敵わず、果南に金を渡してきっぱりと縁を切った。そして果南はその金を受け取って安宅市に戻り、まさかの景祐に社長のおさがりを受け取れとせがんだ。あまりにも自意識過剰ではないか……?果南の干渉がなくなってから、ここ数日は楽しく過ごしている。景祐は私が嫌なことを忘れられるよう気遣ってくれ、私も赤ちゃんのために前向きに生きる決心をした。地元で有名な名づけの先生を二人で訪ねて、赤ちゃんの命名の鑑定をしてもらった。そして、一緒にベビー用品店で妊婦用のグッズなどを買い、新しくオープンしたカフェで食事した。「景祐、今年のクリスマスは私たちが付き合って4年の記念日だね!ドリームリゾートのイルミネーションを見に行こう!」私は旅行雑誌を抱えてキッチンへ行った。景祐は料理の準備で忙しそうにしていた。彼はマッサージだけでなく、料理のレベルもかなり高い。彼の美味しい料理も私が彼に好きになった理由の一つだった。彼は鍋の火を弱め、にっこり笑って私の頬をつねった。「おーいいじゃん。俺もイルミネーションや、クリスマスマーケットを巡りたいな」「じゃあ決まりだね!」私は嬉しくなってつま先立ちになり、彼の頬にチュッとキスをした。そこは私がずっと行きたかったテーマパークリゾートだ。テーマパーク以外にも、私が好きな時代劇風の街並みを再現したエリアがあったり、美しい海岸を望む公園もある。有名ドラマや映画のロケ地として何度も登場したことがある場所だ。ずっと行きたいと思っていた場所に、ようやく行ける!その後数日間、私の気分は最高に良かった。航空券の手配、天気予報の確認、旅行プランの作成、ホテルの予約、着ていく服の準備、旅行中のおやつの準備……年越し前に出張から戻ってきた結子から電話があり、うらやましそうに言った。「え~、家族3人でハネムーンだなんていいなー、私はぼっちか~」私はにんまりした。「ははは、留守番しっかりしといてね。私は温泉に浸かりながら海を眺めてくるから。あ、お土産買って帰るから楽しみにしてて」あっという間に12月24日を迎えた。
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第7話
結局、クリスマスの日、私と結子はどこにも行かず、家でおしゃべりをしたり、SNS眺めたりたりしていた。私は結子を旅行に連れていくことはしなかった。妊婦の私を気遣うことになり、結子が心から楽しめないと思ったからだ。結子も私をどこかに連れて行くことには消極的だった。人混みでお腹の子に何かあるといけないと思ったからだ。果南のSNS投稿がふいに目に入った。彼女がアップした写真はシンプルで、背の高い男性の後ろ姿、その肩には二つのおさげ髪の小さな女の子がまたがっていた。キャプションはこうだった。【人生ってこういうもんだよね。大きく回り道をして、紆余曲折を経て、結局は一番最初が一番良かったって気づく。パパに感謝、私と茉美に楽しい時間を作ってくれてありがとね!明日は、東山公園に行こうね!】私はギクッとした。あの写真、ぼんやりとした後ろ姿だったが、どこか見覚えが気がする。何かがおかしい。我慢できず、景祐に電話をかけた。「亜里沙、どうした?今日は楽しめた?海辺は寒い?」電話の呼び出し音がかなり長い間鳴り続け、ようやく景祐が電話に出た。声だけでかなり疲れている様子だと分かった。一瞬の沈黙。私はやはりこれを聞かずにはいられなかった。「今どこ?どうしてそんなに静かなの?」「俺は……今、城田市にいる。会議中だよ。電話に出るためにトイレに来た。亜里沙、ビデオ通話しないか?」気のせいだろうか。景祐の声色に一瞬緊張が走った気がした。でもその後はふざけ合ったり他愛もない話をした。張りつめていた私の心もふっと緩み、思わず吹き出してしまった。「もう何なの!景祐ったら!早く会議に戻った方がいいよ。いいかげん怒られちゃうよ!また後で話そうね」電話を切ったあと、私はふいに言った。「資本家は本当にあくどいよね。休みの日ぐらい休ませてあげてよね」結子は肯定も否定もせず、口を尖らせながらつぶやいた。「あんな会社滅多にないって。マジでヤバいわ」次の日、家にいても退屈だったので、結子を外に連れ出した。結子は困った顔をして、「亜里沙にはかなわないね。じゃあ、人が少なくて静かな所に行こ。どこがいい?」私の頭の中に果南のSNS投稿がふと思い浮かんだ。そして思わず口をついて出た。「じゃあ、東山公園にしよう!」
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第8話
東山公園は広さこそないものの、こぢんまりとしていて美しく、景色も良い。知る人ぞ知る『隠れた映えスポット』だ。しかし、祝日だったせいか、今日は普段より観光客が多かった。私は結子と公園内をぶらぶらしていたが、すぐに喉が渇いてきた。結子は少し先にあるドリンクショップを指さし、軽やかな口調で言った。「亜里沙夫人、向こうの日陰のあたりは人が少ないから、あそこで座って待っててくださいな。わたくしめがお坊ちゃまにホットミルクを買って差し上げますわ」「結子おばちゃま、ナイス!ははは。景祐が出張から帰ってきたら、二人でご飯おごるよ!」「うーん……まあそれで良しとするかー、ははは」私たちは歩きながら談笑していたが、ふと景祐がお休みなのに出張してることを思い出した。「景祐ホントにかわいそう、あの会社本当にブラックだわ!帰ってきたら転職を考えた方がよさそう」その瞬間、どこか耳馴染みのある低い声が聞こえてきた。「ホットチョコレート2杯と、あと、ホットミルク1杯。以上です」私が慌てて振り向くと、サングラスとマスク、キャップで顔を隠した細身の男性が、店員から渡されたホットミルクを隣の女の子に手渡していた。女の子は満面の笑顔で嬉しそうに言った。「パパ、ありがとう!」その男性は一瞬戸惑っていたが、すぐに気を取り直し、愛情あふれる笑顔を携えて、彼女の頭を撫でた。隣にいる母親はその光景を見て幸せそうに微笑んでいた。その母娘はまさしく果南とその娘だった。一瞬にして、全身の血が凍りついた。ぼんやりと、その温かな光景を見つめていた。喉の奥が何かで塞がれたように言葉が出てこなかった。耳元のざわめきも、だんだんと遠のいていく――。「なぜ——景祐は、私を騙したの?彼女のためなの?」その問いだけが、波のように胸の内側を打ち続けていた。「え、亜里沙?なんで泣いてるの?大丈夫!?」隣にいた結子の甲高い声が現実に引き戻してくれた。気づいたら、いつの間にか涙が頬を伝っていた。道行く人々が好奇の目を向け、こちらを見ている。景祐もこちらに視線を向けると、一瞬にして彼の顔面が蒼白し、立ち尽くしていた。「あ、亜里沙……聞いてくれ……」景祐が必死の表情で私の前に歩み寄る。彼の口を開いたと同時に、彼の目からは涙がこぼれ落ちていた。「一昨日の昼、藍子お
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第9話
おかしいな、どうして女の子の笑い声がするんだろう。澄んだ、心地よい、まるで風に揺れる風鈴の音みたい。すると、黄色の花柄ワンピースを着た、見覚えのある顔をした女の子が、可愛らしく笑いながら私の前に現れた。不思議に思っていると、女の子は嬉しそうに腕を伸ばして私に抱っこを求め、甘えた声で主張した。「ママ、私、ママの娘だよ!」私の心はその瞬間、とろけるように柔らかくなった。喜びと驚きがいっきに込み上げてきて、彼女をぎゅっと抱き上げると、色とりどりの花が咲き乱れ、鳥たちがさえずる草原の上を、夢中で回り続けた。私たち二人の楽しげな笑い声は天まで届き、遠くへ飛んでいった。しかし、私の腕の中の小さな体はだんだん軽く、透明になっていくので、私は思わず叫んだ。「ああ!私のかわいい子!」「ママ、私はとっても遠いところへ行くんだ」子どもは透き通った羽根をパタパタとさせながら、ゆっくりと羽ばたいていった。「悲しまないで、ママ。私に会いたくなったら、空に浮かぶ雲を見てね。それか、海の音に耳を傾けて。私はそよ風になる、流れる雲になる、ママの周りにある美しいもの、全部私だから。バイバイ、ママ!」「待って!──」私の悲痛な叫びと共に、世界は急に色を失い、雷鳴が轟き、雨つぶがポタポタと顔に当たった。私は目を覚ました。本当に雨が降っていたのか?手のひらが濡れている。「亜里沙……やっと目が覚めたんだね!心配したよお!」結子は気まずそうに涙を拭い、続けて言ってくれた。「さっきおばさんから電話があって亜里沙はそばにいるのかって聞かれちゃった。心配させたくないと思ってちょっと嘘ついちゃった」「結子……ありがとう」私は結子に心から感謝した。その不自然な表情には触れなかった。「景祐を呼んできてくれる?」「亜里沙、大丈夫だよ。私たちまだ若いんだし、また子供を授かれるよ」結子は心配そうな目をしながらも、怒りをあらわにして言った。「景祐が何度も亜里沙のそばにいたいって言ってきたけど、全部追い返した。帰れって言っても、入口に居座って全然帰らないんだよ!あいつの芝居がかった優しさ、もう通じないから!」景祐はふらふらしながら入ってきて、ドアを閉めると、まっすぐに私のベッドの前に来て跪いた。鼻声で、声がかすれていた。「亜里沙、亜里沙、俺が悪かったよ。これからは、果南や藍
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第10話
「ねえ!亜里沙ー、旦那さんが待ってるよ!」「わあ、超イケメン、スタイルいいねー!素敵~いいなぁ~」仕事が終わりエレベーターを降りると、遠くから景祐がオフィスビルの入り口で大きなバラの花束を抱えて待っているのが見えた。夕陽の残光が彼の顔を照らし、その姿はまるで水分を失った枯れ草のように、打ちひしれ、色を失って見えた。その腕に抱かれた、今にも滴りそうな真紅のバラとの対比が、なおさら彼の哀れさを際立たせていた。私は冷たく笑って、彼を避けて通ろうとしたが、彼は目を輝かせてまっすぐ近寄ってきて、片膝をつき、バラを差し出しながら言った。「亜里沙、俺が悪かった!どうか許してくれないか?愛してるよ!」周りの同僚や野次馬たちは事の成り行きを知らず、感動して彼の肩を持ち、あちこちで噂が広がった。「江南さん、夫婦喧嘩は犬も食わないって言うじゃない?」「そうよ、このイケメン君、1週間も花束持って立ち続けてるんだよ!」「女は多少わがままでもいいけど、行き過ぎたらダメだよ……」ふん、果南と幼なじみだけあって、見事な競演ぶりだわ。私は景祐の手から赤いバラを奪い取り、野次馬が見ている目の前で、サッとゴミ箱に投げ捨てた。景祐の目の光がだんだんと消えていった。私はスッキリしたと言わんばかりに手を叩き、仲裁に入った同僚に笑いかけた。「もしあなたの夫が浮気して、そのせいでお腹の赤ちゃんを失ったとしてもまだ許せる?」そう言い残し、背後で沸き起こっている騒ぎは放置して、急いでその場を離れた。どうせあと少しで退職するし、新しい環境でやり直せばいい。何も恐れることはない。今夜、私はもう一つの戦いに臨まなければならない。これからゲームが始まる。
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