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Chapter1:02

Author: 仲原
last update publish date: 2026-10-08 17:43:15

「お? 終わったか」

 給油が終わったのならば、このノズルはもう用済みだ。給油口からノズルを引き出しポンプへと戻している途中で出た欠伸。

「クゥ、クゥ」

 その間シェパードはというと、直ぐ傍に腰を下ろした状態で大人しくしている。どうやら思い切り撫でて貰うことを期待している様子。しかし、その期待にはどうやら応えてやることが出来無いだろう。

「そろそろ行かねぇと」

 日が落ちることで風の流れが変わり始める。

 肌に触れる冷たさにより感じた寒気。両腕を抱えて身体を震わせると、待期していたシェパードの頭を軽く撫でてから別れを告げ、運転席へと乗り込んでしまう。

「急ぐか」

 キーを回し掛けたエンジンの音は思ったよりも大きかった。それに驚いたシェパードが尻尾を巻いて、急いで愛車から離れていく。バックミラー越しにその事に気づき、充分に距離が開いたことを確認してからブレーキに乗せていた足を離すと、静かにタイヤが転がり始める。制御を失ったゴムの輪が緩やかに前へと進んで行く。背後からは何かを訴えるように吠える犬の声が聞こえてきたが、その音も少しずつ小さくなっていくことだろう。

「じゃあな」

 犬がどれだけ必死に引き留めようとしていたとしても、車を止めて戻ることを選択はしない。

 開けた窓から左手だけを出し、軽く振ってもう一度告げる別れ。もしかしたら、この犬とは二度と会うことは無いかもしれない。そんな相手の姿が視界から完全に消えてしまえば、後は愛しい妻が待つ家へと急ぐだけだ。

 外を流れる景色を傍目に、続いていく一人きりのドライブ。それが終わるまでの時間はおおよそ、二十分程だろうか。

 ふと、無音の状態が寂しく感じ適当に合わせる周波数。スピーカーを通して、最新のヒット曲を中心に選曲をすることで有名な番組が流れ始める。この番組は久し振りに聞くが、相変わらず司会者の軽快なトークは割と耳障りが良いと感じる。退屈が緩和したことで無意識に緩むのは強張っていたはずの表情である。そのうち、どこかで聞いた事のあるメロディが耳に届き、思わず鼻歌が零れてしまった。

 耳に馴染む音は、随分と前に流行ったポップスをサンプリングしたものだろうか。ロック調に編曲されたベースラインに、聞いたことの無いボーカルの声。それにより全く新しい音楽となっていたものの、歌詞自体は依然と同じフレーズも含まれているようだ。さびの部分はリスペクトの意味を込めてか、ほぼ原曲に近い状態で使用されている。意外にも忘れていると思っていた詩の殆どは、忘れてなどいなかったらしい。耳が音を拾う度、自然と湧き出るフレーズたち。鼻歌だけだったものはいつの間にか言葉が重なり、気が付けばボーカルの声に合わせて歌という形を作り始める。ハンドルを指で叩きリズムを取りながら、気持ちよく音を奏で車を走らせていると、漸く我が家のある街の名が書かれた看板が見えてきた。

「ははっ」

 ここまで来ればあと少しだ。逸る気持ちを抑えながら慣れた手つきでハンドルを操作する。

 ワンブロック、ツーブロック。隣家までの距離は中心街に比べて多少遠く感じる距離感。それでも、数件分の建物の前を通り過ぎれば、漸く見えてきたのは愛する妻が待っている白い建物の外観だった。

「もう少しだな」

 車内に流れ始めたメロウな音楽。丁度サビが始まるところで家に着くと、ガレージに向かい愛車を停める。

「フッ」

 完全にエンジンを切った愛車の隣には、妻の使っている車が停まっている。車種の異なる二台のそれが寄り添うように在るのを見る度、なんだかむず痒く嬉しい気持ちになってしまうのは誰にも言ったことがない秘密である。家に妻が居る。その事が分かるこの瞬間が、地味に好きだと感じて心が弾む。

 助手席から取り出す妻へのプレゼントを形が崩れないように慎重に持ちながら、足を使ってドアを閉める。鍵が閉まったことを確認した後で建物の中へと入れば、家の中に充満する食欲をそそる良い匂いが鼻を擽った。

「ただいま」

 奥に向かって声を掛けると、キッチンからは小さな悲鳴が聞こえてきた。

「あ、お帰り!」

 少し遅れて、愛しい妻がひょっこりと顔を出す。妙に慌てた様子はあるが、直ぐにぱっと表情が明るくなり、小走りで此方へと駆け寄ってくる。

「ただいま」

 触れた唇の感触は柔らかくて温かくて。それでいて離れがたかったが、彼女への愛は夜が更けてからたっぷりと、時間を掛けて示せば良いだけの話。今は触れるだけの短いキスだけで我慢することにし、改めて彼女と向き合うと、大げさに聞こえるくらいの咳払いをしてからこう伝えた。

「誕生日、おめでとう」

 言い終わると同時にそっと差し出した花束。すると、彼女は驚きで目を見開いた後に、嬉しそうに笑いながら抱きついてくれた。

「愛してる!」

 弾んで高くなった声は彼女がご機嫌なことを知らせるバロメーターだ。そしてこの感謝の伝え方は、毎年の恒例のことでもある。

「今年の花束も素敵ね」

 離れていく彼女の温もりを寂しいと感じながらも、未だに荷物を抱えたままなので仕方ないと口元を緩める。彼女はと言うと貰った花束を眺めながら鼻歌を口ずさんでいた。

「んー。良い香り」

 彼女のためだけに作られた世界に一つだけの花束。

 花の種類はそのときによって変わる。だから毎年違う物が出来る。その度に彼女は感極まり、大きなアーモンド型の瞳を潤ませながら喜んでくれるのだから、本当に愛おしくて仕方が無い。

「君の好きな花は入荷が無かったんだ。だから……」

 ただ、残念なのは、今年は彼女が一番好きだと言っていた花の入荷は未定だと言われてしまった。そのため、彼女のために作った花束の中には、彼女が好きな花が一輪も見当たらないのだ。

「別に良いの」

 それでも彼女は笑顔を崩さない。

「こういうのは気持ちの問題。あなたが選んで用意してくれたって事が嬉しいから良いのよ」

 そう言ってキッチンへと戻っていく彼女の足取りは実に軽い。そんな彼女の後を追いかけるように廊下を歩く。

 灯りはあるが人気の無いリビングの前を通る度、思い描くのは未来の時間で。今は未だ二人だけしか居ないこの場所に、いつかは新しい家族が加わり賑やかになる。それがいつになるのかは未だ分からないのだが、そう遠くは無いのかも知れない。どうせならいっそのこと、今夜辺りにでもその話を出してみるのも有りなのかも知れないな。そんなことを考えながらダイニングへと移動しテーブルに白い箱をそっと乗せた。

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