LOGIN彼女の誕生日。その日を境に全てが変わってしまった。 閉ざされた扉の向こう側では訳の分からないものが蔓延り、まともに外を出歩くことも難しい。 それでも生きる事を諦めないのは、彼女との幸せを取り戻したいと願うからだろう。 ただ、それは本当に叶う願いなのだろうか。 今は、まだ、何も分からないままだ。 (ジャンルの性質上、暴力描写が含まれる可能性があるため、レーティングを18+に設定しています。更新はなるべく毎日行う予定ですが、事情によっては一日、二日ほど止まる場合もあります。ご了承ください。)
View Moreその日は、妻の誕生日だった。
季節のせいか、毎年この時期になると天気は不安定になってくる。いつの間にか空に広がる灰色の薄曇り。日の光が遮られるせいで、辺りは暗く陰鬱とした雰囲気が漂うのも、この時期特有の光景である。
ただ、時折雲の隙間から差し込む光が静かに辺りを照らす様は実に幻想的で、やがて訪れる冬の気配を感じさせてくれる。
そろそろ、雪が降るのかも知れない。
そう考えると、この景色もそう悪いものでは無いように思え、自然と表情は柔らかくなった。
助手席には豪華な花束と大きさのある白い箱。
箱の中身は彼女の好きな雪のように真っ白いケーキで、これは彼女と付き合ってからずっと、変わらず買い続けている物だった。
過去に一度、「味に飽きないのか?」と尋ねたことはあるが、その時の彼女は不満そうに頬を膨らませながら、「一年に一度の特別なものなの! 飽きる訳ないでしょう」と分かりやすく拗ねてしまったのだ。
個人的にはこのケーキの味はとても甘く、私自身、少しだけ苦手だと感じる物ではあった。それでも、一年に一度だからという彼女の言葉に納得し、以降は彼女の喜ぶ顔を見るためにそのケーキを買い続けている。
その他に用意したのはシンプルなデザインのネックレスだ。
値が張るものではないし、デザインも在り来たりかも知れない。それでも、彼女に似合うと選んだものなので、気持ちだけは充分に篭もっているつもりだ。
いつかは高価なアクセサリーを贈ってあげたい。そんな小さな願いを叶えるためにも、日々の仕事を頑張っている。そんな当たり前な日常が割と気に入ってはいた。
いつもと同じ帰宅路。いつもより車の数が少ないのは、きっと天気が悪いせいだろう。
大通りを右折し暫く走ると、最寄りのガソリンスタンドが見えてくる。フューエルゲージの残量がそろそろゼロに近づきつつあるため、ウィンカーを入れ少しばかり寄り道をすることを決める。ガソリンを給油する時間なんてせいぜい十分にも満たないのだから、帰宅が多少遅れたところで文句は言われないだろう。
運転席のドアを開け鍵を持って外に出ると、財布から取り出したのは一枚のクレジットカードである。
機械を動かすためにカードを読ませたのに、どうやらカードリーダーの調子が悪いようで。エラーを吐き出されてしまったため、仕方なく店舗へ向かい手続きをして貰うことにする。
店内にはラジオから流れる音楽番組。騒がしい声でディスクジョッキーが曲名を告げた後、最近流行の楽曲が流れ始める。それに耳を傾け身体でリズムを刻んでいるのは若い店員だ。雇われたスタッフであることは一目見て分かるため、カウンターを叩いて自らの存在をアピールする。
「何?」
「給油だよ」
「ああ」
何番? そう尋ねてくる彼女に、停車しているポンプの番号を伝え、満タンにする事を告げる。先ほどエラーを弾き出されたカードは、今度は素直に情報世読み取って貰えたらしい。
「はい」
差し出されたカードを受け取ると、彼女はもう邪魔をするなと言いたげに手を振って向こうへ行けとアピールしてくる。
「…………何?」
直ぐに立ち去らなかったことが気に入らなかったのだろうか。未だにカウンターの前に立ち続けているのが不満だと彼女は此方を睨み付ける。
「まだ、用でもあんの?」
「あ、いや……」
単純に立ち去るタイミングがずれただけだったのだが、何でも無いと言い出せない雰囲気に、咄嗟に目が留まった商品を指さし財布を開く。
「これを一つ貰おうか」
「ふうん」
買ったのは一本のロリポップ。
「おじさんもこう言うの食べるんだ」
なんか意外。そう言いたげに此方を見ながら、彼女は代金と引き換えにロリポップをすっと差し出した。
「ルートビア。結構美味しいよね」
「そうなのか?」
「うん」
正直に言えば、飴玉なんて食べるのは随分と久し振りだ。味を選んで買ったわけでは無いため、美味しいかどうかは分からない。どう返そうかと悩んだ結果、素直に食べたことが無いと伝えると、彼女は眼を大きく見開いてからニッと歯を見せて笑いこう言った。
「それなら憑いてるじゃん! それ、アタシのお気に入り。始めは癖あるけどさぁ、結構その味が段々病みつきになんの。絶対損はさせないから、嘘だと思って食べてみてよ」
自信満々にそう勧めてくる彼女の言葉に曖昧に笑い、それじゃあ食べてみるよと返して封を開ける。
「うっ……」
味はまぁ、何というか。彼女の言う通り癖が強く思わず顔を顰めてしまった。
「あんまりって感じ?」
「うーん……」
食べ慣れない味は慣れるまで時間がかかる。
「ああ。でも」
意外と悪くないな。そう彼女に伝えると、女性は嬉しそうに親指を立てた後で、「また買いに来なよ」と言って手を振ってくれた。
店を出ると停めていた愛車の元へと急ぐ。店員と話をしていたせいで少しだけ発生したロスタイム。それでもまだ、完全に日が落ちている訳では無いため、帰宅が遅いと怒られることは無いと思う。
蓋を開けた給油口。ポンプから伸びる黒いチューブに手を伸ばすと、レギュラーを選びノズルを差し込む。レバーを引きストッパーを掛けた後で口の中の飴を一度引き抜いてみる。じんわりと残る甘ったるい味は少しだけ薬草の匂いがする。炭酸が無い分いつも以上に諄い香りが、いつまでも鼻の奥にこびり付いて離れない。
「クゥン」
いつの間にそこに居たのだろうか。一匹のジャーマン・シェパードが、大きな目を潤ませながら此方を見ていた。
「何だ。迷子にでもなったのか?」
その場にしゃがんで手を伸ばせば、一瞬警戒をみせたものの、シェパードは素直に近付き身体をすり寄せてくる。
「人懐こいな、お前」
首輪を付けているところを見ると、どうやらこのガソリンスタンドで飼われている犬らしい。撫でて貰えたことが嬉しかったのか、シェパードは嬉しそうに笑いながら力強く尻尾を振って喜んでいる姿を見せてくれた。
「可愛い奴だ」
遊んで欲しいのだろうか。前足を持ち上げ強請るように靴を引っ掻く。
「でも、悪いな。俺も急いでいるんだ」
時間に余裕があれば、もう少しだけこの可愛らしい来訪者との時間を楽しんでいられたかも知れない。
「今日は、大事な用事がある日なんだよ」
しかし、今は何よりも優先すべきことがあるのだと犬に告げる。
「また立ち寄った時にはジャーキーでも買ってやるから」
そう言ってもう一度首回りを撫でてやると、丁度給油が終わったらしい。小さな音を立ててチューブの間を移動しているガソリンの流れは完全に止まったようだ。
「喜んで」 彼女の手から抜き取ったプラチナのチェーン。留め金を外し首元から回すと、髪の毛に引っかからないよう注意しながら指を動かし着けてあげる。細かい金属の輪が連なるアクセサリーが彼女の肌に触れた瞬間、少しだけ湧き上がるのは支配欲と愛おしさである。自らが贈った物で着飾る彼女。それを見ていると、この人が自分の伴侶なのだという事が分かって嬉しくなっていく。 愛おしげに項に口づけを落とし頬をすり寄せると、「擽ったい」と笑いながら彼女が小さく藻掻いた。ただそれは完全な拒絶ではなく、じゃれ合いの延長のようなものだ。「食事にしましょう」 胸元で光るシトリンの輝きは、揺れるキャンドルの炎を受けてプリズムを作り出す。たった一つの小さな宝石ではあるがその美しさは絶大で、彼女の魅力をより一層引き立てる事が出来たような気がして気持ちが満たされ嬉しい。「そうしようか、エイヴァ」 もう一度。今度は柔らかな頬へと口づけを落とすと、向かいの席に戻り手を伸ばすカトラリー。「ねぇ、今日は……」 食器の重なる小さな音と、鈴を転がすように耳心地の良い彼女の声。落ち着いた空間に漂う暖かな雰囲気が堪らず、彼女に釣られて自然に笑顔に変わっていく穏やかな空気。「私の方はね……」 会話は主に彼女の言葉が多めで。自分は聞き役に徹するのがいつものことだが、聞かれれば素直に答え、終わると此方から質問を返す。そうやって続く言葉のキャッチボールも、腹が満たされてくると段々言葉数は少なくなっていくらしい。「それでね……」 アルコールが回ったせいでほんのりと赤く染まる頬。潤んだ瞳は熱を帯び、舌足らずな口調が実に甘い。さらに揺らめく炎の作る演出のせいで、普段の照明とはことなる雰囲気が空気を彩る。一年に一度の特別な日だからか、どうやら彼女もいつも以上に隙だらけだ。「そろそろ片付けようか?」 このままでは彼女の意識が落ちるのも時間の問題だろう。「ここは俺が片付けるから」 だから君は先に休んで。そう促すと、彼女はグラスの中に残っていた紅い液体を一気に飲み干し満足そうに微笑む。「分かった。それじゃあ、宜しくね」 就寝の準備をするべく歩き出した彼女の後ろ姿。珍しく速いペースで飲んでいたらしく、千鳥足で見ていて不安になる。先に彼女を寝室に連れて行こうかと思ったが、大丈夫だと止められ大人しく片付けに徹する
「未だ準備が出来ていないのよね」 花束を邪魔にならない場所へと移動させてから、彼女は再びキッチンへの奥へと引っ込んでしまう。 彼女の作業が終わるまでは、完全に手持ち無沙汰の状態で。それならばと一度寝室へ向かい、部屋着に着替えて吐く一息。身体への締め付けが減ったお陰か、強張っていた身体から自然と力が抜け始めた。 階下に降りると賑やかな彼女の悲鳴が響く。せっかちな相方はいつもこうやって、何かしらのハプニングを起こしてくれるのだが、今日は一体何をやらかしたのだろうか。それを思うと無意識に出る笑い。「よし!」 整えられた豪華な食卓は、二人分にしては量が随分と多いものだった。「こんなに沢山は食べられないんじゃないか?」 丁度メインの肉料理をテーブルの上に置いたところで彼女の傍に移動すると、軽く頬に口付けた後で背後から彼女を抱き締める。「何を言ってるのよ」 それを嫌がること無く自らの身体を素直に預けると、彼女は腕の中で楽しそうにクスクスと笑う。「余ったら明日も食べれば良いだけじゃない」「確かに」 パーティーの残り物が翌日の朝食になることなんて、結構ある話だろう。今はこれ程の量だと感じて居ても、この先家族が増えてくると、もしかしたら全然足りないと感じるようになるのかも知れない。「それじゃあ、始めましょうか」 自らの記念日を祝うことの宣言を、彼女自身が告げるのも何だか妙な話ではあるが、彼女は全く気にしていない様子。促されるまま席に着くと、向かいの席に腰を下ろす前に彼女がすっと、白い手を差し伸べてきた。「どうした?」 ダンスでもしたいのか? だ、なんて。冗談交じりにそう尋ねれば、「違うわよ!」と彼女は頬を膨らませて見せる。「ライター」「え?」「ライターを貸して」 そう言って指を指した先にあるものは、雰囲気作りにセッティングされていたキャンドルだ。「火を点けたいの」「ああ」 残念ながら、ダンスの誘いでは無かったことに態とらしく肩を落として見せるものの、彼女は全く気にしてない様子で。その事に不満を抱いてもそれを口に出すことはせず曖昧に誤魔化す。 その代わり、探すのは貸して欲しいと言われた銀色のアイテムだ。喫煙の頻度は以前に比べて、随分と減ってはきているものの、やはり完全に辞める事は難しい。そのため、日々手入れを欠かすこと無く使い続けている
「お? 終わったか」 給油が終わったのならば、このノズルはもう用済みだ。給油口からノズルを引き出しポンプへと戻している途中で出た欠伸。「クゥ、クゥ」 その間シェパードはというと、直ぐ傍に腰を下ろした状態で大人しくしている。どうやら思い切り撫でて貰うことを期待している様子。しかし、その期待にはどうやら応えてやることが出来無いだろう。「そろそろ行かねぇと」 日が落ちることで風の流れが変わり始める。 肌に触れる冷たさにより感じた寒気。両腕を抱えて身体を震わせると、待期していたシェパードの頭を軽く撫でてから別れを告げ、運転席へと乗り込んでしまう。「急ぐか」 キーを回し掛けたエンジンの音は思ったよりも大きかった。それに驚いたシェパードが尻尾を巻いて、急いで愛車から離れていく。バックミラー越しにその事に気づき、充分に距離が開いたことを確認してからブレーキに乗せていた足を離すと、静かにタイヤが転がり始める。制御を失ったゴムの輪が緩やかに前へと進んで行く。背後からは何かを訴えるように吠える犬の声が聞こえてきたが、その音も少しずつ小さくなっていくことだろう。「じゃあな」 犬がどれだけ必死に引き留めようとしていたとしても、車を止めて戻ることを選択はしない。 開けた窓から左手だけを出し、軽く振ってもう一度告げる別れ。もしかしたら、この犬とは二度と会うことは無いかもしれない。そんな相手の姿が視界から完全に消えてしまえば、後は愛しい妻が待つ家へと急ぐだけだ。 外を流れる景色を傍目に、続いていく一人きりのドライブ。それが終わるまでの時間はおおよそ、二十分程だろうか。 ふと、無音の状態が寂しく感じ適当に合わせる周波数。スピーカーを通して、最新のヒット曲を中心に選曲をすることで有名な番組が流れ始める。この番組は久し振りに聞くが、相変わらず司会者の軽快なトークは割と耳障りが良いと感じる。退屈が緩和したことで無意識に緩むのは強張っていたはずの表情である。そのうち、どこかで聞いた事のあるメロディが耳に届き、思わず鼻歌が零れてしまった。 耳に馴染む音は、随分と前に流行ったポップスをサンプリングしたものだろうか。ロック調に編曲されたベースラインに、聞いたことの無いボーカルの声。それにより全く新しい音楽となっていたものの、歌詞自体は依然と同じフレーズも含まれているようだ。さびの部
その日は、妻の誕生日だった。 季節のせいか、毎年この時期になると天気は不安定になってくる。 いつの間にか空に広がる灰色の薄曇り。日の光が遮られるせいで、辺りは暗く陰鬱とした雰囲気が漂うのも、この時期特有の光景である。 ただ、時折雲の隙間から差し込む光が静かに辺りを照らす様は実に幻想的で、やがて訪れる冬の気配を感じさせてくれる。 そろそろ、雪が降るのかも知れない。 そう考えると、この景色もそう悪いものでは無いように思え、自然と表情は柔らかくなった。 助手席には豪華な花束と大きさのある白い箱。 箱の中身は彼女の好きな雪のように真っ白いケーキで、これは彼女と付き合ってからずっと、変わらず買い続けている物だった。 過去に一度、「味に飽きないのか?」と尋ねたことはあるが、その時の彼女は不満そうに頬を膨らませながら、「一年に一度の特別なものなの! 飽きる訳ないでしょう」と分かりやすく拗ねてしまったのだ。 個人的にはこのケーキの味はとても甘く、私自身、少しだけ苦手だと感じる物ではあった。それでも、一年に一度だからという彼女の言葉に納得し、以降は彼女の喜ぶ顔を見るためにそのケーキを買い続けている。 その他に用意したのはシンプルなデザインのネックレスだ。 値が張るものではないし、デザインも在り来たりかも知れない。それでも、彼女に似合うと選んだものなので、気持ちだけは充分に篭もっているつもりだ。 いつかは高価なアクセサリーを贈ってあげたい。そんな小さな願いを叶えるためにも、日々の仕事を頑張っている。そんな当たり前な日常が割と気に入ってはいた。 いつもと同じ帰宅路。いつもより車の数が少ないのは、きっと天気が悪いせいだろう。 大通りを右折し暫く走ると、最寄りのガソリンスタンドが見えてくる。フューエルゲージの残量がそろそろゼロに近づきつつあるため、ウィンカーを入れ少しばかり寄り道をすることを決める。ガソリンを給油する時間なんてせいぜい十分にも満たないのだから、帰宅が多少遅れたところで文句は言われないだろう。 運転席のドアを開け鍵を持って外に出ると、財布から取り出したのは一枚のクレジットカードである。 機械を動かすためにカードを読ませたのに、どうやらカードリーダーの調子が悪いようで。エラーを吐き出されてしまったため、仕方なく店舗へ向かい手続きをして貰うこ