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仲原
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Novels by 仲原

さよならは、笑顔の後で

さよならは、笑顔の後で

この人生が不幸だなんて思いたくなかった。 これからは幸せになれるんだと信じたかった。 でも、それはただの願望だったのだろうか。 どこから掛け間違っていたのか分からない、運命のぼたん。 もしかしたら……最初から、間違っていたのかも知れない……。 (表紙やあらすじは後日再編集する可能性がありますレーティングは仮のものです。ストーリーの展開次第では、レーティングを引き下げるかもしれません。現時点では見切り発車で書き始めています。更新はなるべく毎日行う予定ですが、タイミングによっては更新ができない事もあります。ご了承ください。)
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Chapter: 99
「そこは難しい問題じゃない?」 先程まで裏切りだ! 離婚だ! と盛り上がっていたはずの上司は、急に真剣な口調でこう続けた。「どうするかを決断するのはその人自身だけど、一時の感情で決めるのか、状況を確認した上で冷静に判断するのかで結果は変わるでしょう?」 小さく音を立てて転がるグラスの中の氷。それをストローで弄びながら、上司はそっと表情を和らげ小さく溜息を吐く。「何がその人にとって最善なのか。それを知るための方法は探せば出て来たりするじゃない?」 そう言われて海亜は思わず固まってしまう。「そ……う……です…かね?」 明らかに震えてしまう声。本音を悟られないように適当に笑って誤魔化すと、上司は少し黙った後ですっと視線を逸らしながらこう続けた。「もしその人が、まだ旦那さんのことを信じたいって思っているのなら、感情的になって終わらせる前に足掻いてみる事も大事なのかもしれないよね」 そこで訪れる休憩時間の終わり。これ以上はこの話題を話すことなく、職場に戻ると作業に取りかかる。手を動かしながら考えるのは先ほど言われたばかりの言葉で、そのことが妙に気になって仕方が無い。 もしかしたら、彼女は気付いていたのかも知れない。 この話が海亜自身の事を語っているのだと言うことに。 だからこそ、敢えて「考えてみなさい」と言葉を残したのだろう。「今までは、色んな事を誤解してた……のよね……」 この数ヶ月の間に、海亜を取り巻く環境は著しく変化を続けている。それは周りの動きが想定外の動きをしているという部分もあるが、何よりも海亜自身の心が変化してきているという部分が大きい。 幼少期の出来事により内側に閉じこもり、何も見ず、何も聞こうとしなかったせいで大きくなっていく蟠り。それは彼女自身の間違った認識と思い込みがそうさせていたもので、もっと広い視野で見れば全く異なる面を見せていたことに気付けたということはかなり大きい。「もしかしたら、昴さんの件も……」 何か誤解していることがあるのかも知れない。 離婚という言葉を伝えた後から感じる変化。今まで、海亜の世界は昴を中心に回っていたのだが、それ以外の部分に目が向き始めたことで彼との距離が遠くなる。少しばかりの開放感と、彼に対しての未練で揺れる心は、実のところ未だ答えが出せないまま放置されている状態だ。 ただ、許せない
Last Updated: 2026-11-06
Chapter: 98
 もっと器用に生きることが出来る人間だと思っていた。 しかし、それ自体が自らの驕りであることを嫌と言うほど思い知らされる。 自分なら大丈夫。自らの行動が自分自身を窮地に立たせていく。そんな考えは早く捨てるべきだったのだと後悔したところでもう遅い。 あの後、久しぶりにあった海亜と言葉を交わす事が出来た。内容なんて明るいものは一切無く、見せられる拒絶に心が抉られてしまう。それは誤解なんだと幾度となく訴えようとしたが、一度拗れたものを訂正することは難しく、旭や陽菜の事もあり、結局誤解は解けないまま解散となってしまった。 海亜から突きつけられたのは離婚についての話し合いについて。日時を設定するから、その時に改めて話合いましょうと切り捨てられた。 勿論、昴の方から彼女に離婚を切り出すつもりも、それに頷くつもりも無い。ただ、妻の表情を見る限り、縋ることで関係が改善出来る見込みは限りなく薄い事に気付いては居る。「覚悟……決めた顔してた」 女性は決断すると早い。その言葉を言っていたのは、一体誰だったのだろう。 女性の忍耐には限界がある、と。酒の席でその人はこう語っていたように思う。『女ってのはな、我慢出来るやつと我慢しないやつが居てな』 普段は滅多に見せない相手の一面。随分と酒に酔ってしまっていたのだろう。その人が語るのは、彼が実際に体験した出来事のようで、その言葉から滲み出ているのは明らかな後悔だった。『我慢しないやつはまだ良い。ぶつかり合えば修復が出来る可能性もあるからな。でもな、一条さん。我慢をしちまうやつはどうしようもない』 そう言って傾けたグラスの中で、氷がぶつかり小さな音を立てる。『我慢してる間は分かんないんだよ。我慢してるってことを隠すから。でも、それが一度でも爆発しちまうと、そういう女は簡単に覚悟を決めちまうんだ。そして決断するんだよ。自分に取って最善が一体なんなのかってことをな』 残っていた中身を一気に煽ると、その人は寂しそうな顔で自らの薬指を撫でる。『絆なんてもんはなぁ……案外脆いものなんだ。自分は大丈夫って思っていても、それは単なる思い上がりでしかなく、相手の取っちゃあ都合の良い言い訳にしか見えねぇらしい』 そこに残るのは確かに、婚姻を示す一つのリング。『こんな分かりやすい形で示しても、それがずっと効果があるって訳じゃ無い。
Last Updated: 2026-11-02
Chapter: 97
「昴義兄……さん……?」 聞き覚えのある声に無意識に肩が跳ねてしまう。「何で、ここに」 ゆっくりと振り返ると、背後には見知った一人の青年が立っていた。「久しぶりだね、旭くん」「あ、どうも」 小さく頭を下げたのは社交辞令みたいなものだろうか。数ヶ月ぶりに会う義兄と義弟。お互い突然の再会に驚きはしたものの、昴の直ぐ傍にる女性の存在に気が付くと、旭は嫌そうに表情を歪めて見せた。「ここで、何をしてるんですか?」 露骨に見せられた嫌悪感から感じるのは拙いという危機感で。咄嗟に繭を引き離し「何も無い」と訴えるのだが、そんなことは逆効果にしかならない。何も出来ずただ黙っていると、相手は呆れたような口調でこう告げる。「まさか、不倫?」 それは明らかな勘違いだ。 ただ、この状況において、そのように見えてしまうことは否定が出来なかった。「最低ですね」 彼が何を言いたいのかは痛い程よく分かっている。「姉さんとまだ離婚していないはずでは?」「…………っ」 そう言われ思わず逸らす視線。こうなると益々誤解が深まることは分かっていたが、どうしてこうなっているのかを説明をするタイミングは、少なくとも四埜杜繭が隣に居る今では無いことも分かっている。 早急に問題を片付け誤解を解かなければ、取り返しの付かない事になってしまう。そんな焦りから口を開こうとした瞬間、旭が真っ直ぐ睨み付けながらこう呟いた。「あなたのことは尊敬していました」 軽蔑を含んだ視線。それがとても痛い。「何があったのかは姉さんから聞いていましたが、正直、信じられませんでした。だって、あなたは姉さんのことをとても大切にしていたから」 今でも大切にしている。そう訴えたいのに、彼は此方に話す機会を与えてはくれず、更に言葉を続けていく。「あなただったら姉さんを幸せにしてくれると思っていた。俺達が出来なかった事を、あなたならできるはずだって思っていたのに、何でそんな風に姉さんを裏切ることが出来たんですか?」 一度だって不幸にしたいと思ったことは無い。ただ、それは、昴の一方的な主張でしかなく、その気持ちが海亜に伝わることは無かったのだから、言い訳にしか聞こえないことだろう。「姉さんの幸せを思うなら、早く彼女を自由にしてあげてください」 まるで恋人を守る騎士のように凛とした態度で、年下の青年からそう
Last Updated: 2026-10-26
Chapter: 96
 特に何かを思っていったわけではなく、無意識に出た言葉。「そっ、それは、良いけど……」 ただ、こんな反応をされるのは予想外で海亜は戸惑ってしまう。「迷惑だったら無理をしなくても良いんだけど」 だからこそついこう言ってしまったのだろう。するとどうだろうか。先ほどまで俯き視線を合わせようとしなかった旭が、傷ついた表情を浮かべながら唇を噛んだ。「え?」 一体どういうことだろう。訳が分からず言葉を探していると、隣から上がる楽しそうな笑い声。「違うよ、お姉ちゃん」 陽菜の方へと視線を移すと、笑いが堪えられないとでも言うように口元を押さえながらも、眼を細めながらこう続ける。「旭はただ照れてるだけ。ホントは一緒に行きたいんだよ〜」「陽菜っっっ!!」 大きな音を立てて倒れる椅子。素早く伸びた腕が妹の手を掴もうと動く。「わーっっ! 暴力反対ー!」 慌てて席を立った陽菜がすんでの所でそれを交わす。「逃げるな!」 突然始まる追いかけっこ。取り残された海亜はその光景をぼんやりと眺めていたが、次第に面白くなり声を出して笑ってしまう。「あははっ」 海亜の笑い声を聞いた二人の動きがピタリと止まる。「二人とも、喧嘩をしちゃ駄目じゃない」 一通り笑ったところで涙を拭うと、海亜は改めて二人に向き合いこう提案を出した。「今週末、二人とも私に付き合いなさい」「え?」「陽菜はその時に靴を買うの。旭はそうね……本でも買おうか?」 数日前に千明から聞いていた旭の欲しいものを思い出し、どうかなと問いかける。「そ、そりゃあ、欲しいけど」 欲しいものを買おうかという提案に旭の心が揺らぐ。それを見逃すことはせず、海亜は一気に畳み掛ける。「それじゃあ、それを買いに行こう! そして、昼ご飯はみんなで外で食べる。良い?」 そう言われて陽菜は分かりやすく賛成の声を上げる。旭の方も悩むそぶりは見せたものの、最終的には分かったと頷き頭を掻いた。「あっ。旭、本当は嬉しいんだ〜」「うるさいっ!」 陽菜の言葉通り不機嫌そうに見えるのは表だけで、口元だけは満更でもないように緩んでいるのだからなんだか可愛く思えて仕方が無い。「じゃあ、決まりね! 二人とも、よろしく」◆ これで何度目の呼び出しになるのだろうか。「…………はぁ」 朝から続く頭痛と倦怠感。隣に陣取るのは扱いに
Last Updated: 2026-10-23
Chapter: 95
『あの人が戻ってくることは考えなかったのですか?』 以前、千々石にそう言われたことがある。「考えなかった訳じゃねぇよ」 確かに四埜杜繭という女性が、再び現れる可能性を考えなかった訳では無い。ただ、何故彼女が忽然と姿を消したのかという理由を調べて得た情報と、国外で成功して順調であるという報告が届いて居たため、直接関わることがないと高を括っていたのだ。「気の緩みがあったんだろうな」 自らの選択で首が絞まっていく。一度捕まると逃げ出すことに苦労をする事など分かっていたはずなのに、あの頃とは状況が違うと信じたかったのかも知れない。「待っていてくれ、海亜……」 一階のロビーに着くと、不機嫌そうに受付の女性へと八つ当たりを繰り返す繭の姿が見え気が重くなる。「あっ! 昴!」 待ち望んでいた人物が現れたことで彼女の表情は一瞬にして喜びで満ちる。それを見て感じるのは非常に複雑な思いだった。「この人達ってば、最初から約束してるって言ってるのに、コチラでお待ち下さいって言って全然通してくれないんだよ! ヒドくない?」 素早く伸びる白い腕が昴の左腕に絡みつく。明らかにおかしい距離感に無意識に身体を離し距離を取ろうと動くが、それを許さないと言わんばかりに密着され、彼女の身に纏う香りに顔が歪んだ。「でもいいや。こうやって直ぐに降りてきてくれたしぃ。繭ってばほんっと昴に愛されてるんだね」 このポジティヴさは一体どこから出てくるものなのだろうか。何も答えず黙っていても、彼女は勝手に話し続け昴のことなど見ても居ない。「ほら〜、早く行こうよぉ〜」 そして極めつけの甘えるような猫撫で声。上目遣いでねだるようにアピールしてくる彼女をちらりと見たが、表情を変える事無く昴は直ぐに視線を別の場所へと移した。「買い物には付き合う約束はしていたが、こちらにも予定というものがあるんだ。スケジュールが押してるし、早く済ませてくれないか?」 契約上無碍には出来ない。だからこそ妥協出来る部分の付き合いは行う。しかし、それ以上に付き合いを一切するつもりはないと態度に出すと繭の表情が凍り付いた。「……へぇ。そんなこと言うんだぁ」 ほんの僅かな間に漂う不穏な空気。「まぁ、いいや」 しかし、そんなことは気にしないと言いたげに満面の笑みを浮かべると、繭は早く行こうと昴をせっつく。「時間無
Last Updated: 2026-10-21
Chapter: 94
「ねぇ……これって、本当に大丈夫なのかなぁ……?」 その言葉を放ったのは確かに女性の声だった。 慌てて周囲を確認してみても声の主を特定することは難しく、一体誰がその言葉を口にしたのかが分からない。ただ、その内容から考えるに、どうやら起こった事故は偶然などでは無いという可能性が浮上してくる。「そんな……まさか」 何となく思い当たる節はある。しかし、実際にそうだという確証は得られない。事故なのか事件なのか分からないまま数日が過ぎていく。 学生服では無い制服を見る度に焦燥感に駆られるのだが、子どもの力など出来る事に限界があるのも事実で。 結局、昴自身がこの事件について捜査できることは無く、いつの間にか事故という形で収束が付いてしまった騒動は、真実は有耶無耶になって終わってしまった。 あの日以来、明らかに変わったことがあるとすれば、あれほど仲が良かった後輩がいつの間にか学校から居なくなってしまったと言う事だろう。理由が分かっている分、何も言えないもどかしさだけが残るが、こればかりはどうしよもない問題だ。 守ってあげられなかったという現実は重く、昴の中に大きな痼りを残す。 この頃になると不機嫌だった繭の機嫌は直り、再び昴の周りをうろつき始めたのだが、後輩を突き落とした真犯人が彼女だという疑惑がある以上、あからさまな突き放しは次なる悲劇を引き起こす引き金になるかも知れない。その恐怖から表立って波風を立てることはせず、昴は繭に必要以上に関わらないようにすることで己を保ち日々を過ごす。 その間、後輩の事故のことは出来る範囲で調査を続けてはいたのだが、思ったような結果を出すことが出来ず完全に行き詰まってしまっていた。  一方、繭の方はと言うと、昴の傍から女子生徒の影が消えたことに上機嫌だった。自らが唯一の彼女であると吹聴し、家名を出して家柄の差を周囲に見せる。一条と釣り合うのは四埜杜だとでも言うように。  その努力の甲斐があってか、昴に必要以上に近づこうとする女生徒は現れず、必ず繭の同席が無い蹴れば会話をする事が出来ない。例外として女性教師はその条件に当てはまらないものの、それでも四埜杜とう名前に怯えたのだろうか。連絡事項や重要な報告以外は言葉を交わすこと無く、それ以外は男性教師を間に挟んで言葉を交わす始末。こうやって徹底的に女という存在を排除する事により、
Last Updated: 2026-10-19
滅びゆく君のスケッチ

滅びゆく君のスケッチ

彼女の誕生日。その日を境に全てが変わり始める。 閉ざされた扉の向こう側では訳の分からないものが蔓延り、まともに外を出歩くことも難しい。 それでも生きる事を諦めないのは、彼女との幸せを取り戻したいと願うからだろう。 ただ、それは本当に叶う願いなのだろうか。 今は、まだ、何も分からないままだ。 (ジャンルの性質上、暴力描写が含まれる可能性があるため、レーティングを18+に設定しています。更新はなるべく毎日行う予定ですが、事情によっては一日、二日ほど止まる場合もあります。ご了承ください。)
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Chapter: Chapter2:08
 その後は、特に何かが起こるでもなく、ただ時間だけが過ぎていく。 残りの業務を片付け、一段落付いて所でかかる上司の言葉。事務所内の空気が重いことが気になったのだろう。作業の切りが良いのなら上がって良いという指示に、一人、また一人と人が消えていく。気が付いたら残っている人間は、自分を含めて三人だけ。人気の無くなったオフィスは、随分と寂しく感じられた。 何かがおかしい。 その事に改めて気付かされたのは、この日から三日経ってからのことだった。 営業に連れられて病院へと向かった経理の女性だが、結局入院することになってしまったようで、ここ数日姿を見ていない。 同僚も随分と顔色が悪く、出社しても長く作業を続ける事が難しいようで。最終的には有給を消化する形で一週間ほど休むことになってしまっていた。 そうなってくると気になるのは空席の数だ。 いつもならば賑やかなはずの室内は、電源の入らないモニターの数の方が多くなってしまっている。これは何も外勤のメンバーが多いからではなく、その殆どは体調不良を訴える病欠によるものらしい。 そう言えば、と、思い出したのは妻との会話で。帰宅して早々、彼女はこんなことを漏らしていた。『最近、変に忙しいのよね』 その言葉通り、彼女の帰宅時間は日に日に遅くなってきている。その事には随分前から気が付いてはいた。その上、職場に泊まり込みになったという連絡も以前に比べて頻度が高く、運良く帰宅出来たとしてもすれ違いになる事も少なくは無い。彼女が仕事に生きがいを感じている事は知っていたため、それについて理解はしてるのだが、疲労が溜まりやつれていく彼女の姿を見ると大丈夫なのかと心配になってしまうのは仕方が無い。『休むことは出来ないのか?』 そう尋ねても、彼女は緩く首を振り『それは無理だ』と返してしまう。『院内でも体調を崩すスタッフがいて、手が足りてない状態なの。ここで倒れると、もっと悪い状況になってしまうから頑張らないと』 どうか無理だけはしないで欲しい。そう言って抱きしめた彼女の身体は、ほんの数週間で随分と細くなってしまっていた。『体調に気をつけるのは、あなたも一緒よ。ジェイソン』 それでも気丈に振る舞い、優しく頬を撫でてくれる彼女が柔らかい笑みを浮かべる。『落ち着いたら、どこか旅行へ行こうか』 何もしてあげられない代わりに口に出
Last Updated: 2026-11-04
Chapter: Chapter2:07
「……はぁ……はぁ……」 汚れが無くなったからからといって、不安が完全に無くなる訳では無いらしい。目の前からあの色が消えたというのに、まだどこかに痕が残っているような気がして仕方が無い。 それでも、ここに留まっている訳にはいかず、もう一度水で洗い流してからトイレを出る。事務所に戻るべく廊下を歩いていると、清掃スタッフが床に広がった血を片付けている姿が目に止まった。「お疲れ様です」 擦れ違い様、何となくかけてしまった声。掃除を進めて居る男性は怪訝そうに此方を見た後、何も言わずに頭を下げる。彼にしてみればとんでもない仕事を押しつけられたのだから不愉快になるのも当たり前だろう。これが例え仕事だと分かっていても、大量に広がった他人の血液を綺麗にするのはやはり抵抗を感じてしまう。「壁にまで血が飛んでやがる」 言われて視線を動かすと、確かに彼の言うとおり汚れは床の上だけに留まらず、壁の一部にも付着していた。 このこと自体は、不可抗力と言う事は間違い無い。だからこそ、誰にもぶつけられない怒りが堪り、吐き出せないもどかしさで鬱屈としてしまう。 事務所の中も廊下と同様に、重たい空気が漂っていた。 此処に居る人達は偶然居合わせて巻き込まれて締まっただけなのだ。まさかあのような光景を見せられるとは思っていなかったことだろう。だからこそ、口は重くなり、どういう言葉を選べば良いのか迷っている。そんな雰囲気を感じてしまう。「……立て続けに変な事が起こると、気が滅入るよなぁ」 同僚もあの光景を見ていたのだろうか。弱々しい声でそう呟く彼は、数時間前よりも随分と顔色が悪い。「精神的に来るよな」「……ああ」 誰が悪い訳では無い。本当に不運が重なっただけ。それでも日常と乖離していく感覚は、確かに精神を抉り、気力を削いでいく。「気分が悪いぜ」 力なく笑う同僚の姿が不安定に見え思わず声を掛ける。「お前、本当に大丈夫か?」 そう問えば、彼は暫し考えてから緩く首を振って見せた。「もしかしたら、明日は休むかもしれん」 ただでさえ技術者が足りていないのだ。仕事の量を考えれば休まれるのは正直困る。それでも、状況が状況なだけに、我慢して出社してくれとは言えずただ俯くしかない。「早く、忘れられると良いな。お互いに」「そうだな」 こういうとき、長期で休みが取れる学生が羨ましい
Last Updated: 2026-11-02
Chapter: Chapter2:06
 一体、何が起こっているのだろう。 無意識に己の手を見るが、彼女の顔にや身体に触れた覚えは一切無い。誤って接触をした訳では無いのに、みるみるうちに彼女が着けているいたマスクは真っ赤に染まり、受け止められなかった血液が衣服に垂れ染みを作っていくのだ。「お、おい!」 この状況が異常だと気が付いた瞬間、彼女の膝が曲がり地面に崩れ落ちる。「危ねぇ!!」 すんでの所で彼女の身体を抱き留めるのだが、状況は先ほど寄りも悪化しているようで、どんどん体温が高くなっていることに不安を感じてしまう。「拙い気がする」 血で濡れて張り付いたマスクを剥ぎ取りながら救急車を呼ぶように指示を出す。その間にも腕の中の彼女の顔はどんどん真っ赤に染まっていき、口元を覆う布が無くなったはずなのに呼吸は徐々に弱まっていくのだ。彼女が大量の血を流して倒れたのか。その理由は分からない。ただ、マスクを取った時点で顔に傷がなかったことを考えると、どうやら鼻の血管が傷ついたことで流れ出したものなのだろう。 背後から救急車を手配したと伝える上司が差し出すのはペーパータオルで。それをひったくるようにして受け取ると、彼女の顔がこれ以上汚れないようにと血を拭いながら声をかけ続ける。それでも荒い呼吸を繰り返す彼女がその声に応える気配は感じられない。 額を触れば焼けるような熱さが手に伝わる。ここまで熱いのは明らかな異常事態で、生死に関わる危険を孕んでいる可能性が高いだろう。 頼むから死なないでくれ! そう願う事しか出来ず、気持ちばかりが焦ってしまう。救急車両が到着するまでの時間。それがものすごくもどかしい。「患者はどこですか!?」 そう言って救急隊員が駆け込んできたのは通報をしてから三十分以上経った頃のこと。その頃には熱で真っ赤に染まっていた彼女の顔は真っ青になっており、大量の血で気道が塞がるためなのか弱々しく咳を繰り返す度口元から赤い色が溢れ出し床を汚していた。「…………風邪……なん、だよな?」 言いながら自らの言葉に対して感じる違和感に混乱してしまう。「本当に……風邪……なのか……?」 ストレッチャーに乗せられ病院に搬送されていく女性を目で追いかけながらそう呟けば、風邪ではなく別の病気ではという誰かの声が聞こえた気がして思わず振り返っしまった。「誰だ!?」  廊下に響く大きな声。その場に
Last Updated: 2026-10-31
Chapter: Chapter2:05
 あれから数日経つが、未だにあの時の記憶が消える気配がない。「なぁ……」 それは現場に居合わせた同僚も同じ様で、双方ともここ数日は疲れが取れず、憂鬱な状態が続いていた。 「お前さぁ、飯、ちゃんと食えてる?」 目の前には二人分の食事。成人男性が食べる量としては随分少ない量ではあるが、食欲をそそる良い匂いを漂わせている。「…………」 それなのに何も魅力を感じないのだから問題だ。 身体を動かすためにはエネルギーの補充が必要だと頭では分かっているはずなのに、目の前の食べ物にどうしても興味が湧かず吐いた溜息。「いいや。余りねぇな……」 身体が資本の仕事のため、体力を付けないと倒れてしまう。だからこそ無理にでも食べ物を口に押し込むのだが、【食べる】という行為に強い嫌悪感が込み上げ、胃が食べ物を受け入れる事を嫌がってしまうのだ。それが続くと食べ物自体に手が伸びなくなり、益々気分は重くなっていくだけ。「当分は肉は食いたく無いよなぁ」 フィクションとノンフィクションでは全く感覚は異なるものだと言うことを、今回の一件で嫌と言うほど思い知らされた。 娯楽として楽しめる悲惨な光景は、それがフェイクだと分かっているからこそ一時の感情だけで片付ける事が出来るのだろう。「警察とか医療関係者の人間ってすげぇよな」 普段なら殆ど手に取ることはしないサラダカップに手を伸ばすと、ドレッシングの掛かった生野菜を口に入れていく。「ああいうのを見ても普通通り生活が出来るんだからさぁ」 経験の差とでも言うべきなのだろうか。本当に誰かの死に触れることに何の感情も動かないと言うわけではないだろうが、それでも気持ちを切り替える術をしっている部分は素直に羨ましいと感じてしまう。「そうしなければ仕事として成り立たないからだろう?」 同僚はコーヒーに口を付けただけで食べ物を一切、口にする気配がない。「それはそうだろうけど」 馴れたくはねぇよな。その言葉を最後に会話は途切れる。後はひたすら、黙々と目の前の食べ物を処理していく単純作業。吐き気を強く感じたが無理に飲み込みなんとか胃の中に収めると、ゴミを片付けて業務に戻る。 仕事をしている間は良い。作業に集中していれば余計なことを考えずに済むからだ。そうやって黙々と手を動かしていると、あっという間に就業時間が訪れる。「ジェイソン!」 後
Last Updated: 2026-10-28
Chapter: Chapter2:04
 買ってきた食材のうち冷蔵や冷凍が必要なものは片付けたが、それ以外は机の上に出したまま。昼飯で買ったテイクアウトを一口、二口は口に運んでもやはり食欲は湧かず、胃がむかつきを訴える。結局、殆ど手を付けられずに昼食は冷蔵庫へ。そこからはただぼんやりと、ソファに腰掛け天井を眺めていた。 刻、一刻と過ぎていく時間と、変わっていく周りの景色。太陽の位置が変わる度、部屋の中に差し込む光の帯が変化していく。耳に届く音の種類も緩やかに変化していくのに、どうしても気持ちだけが追いつかないまま。気が付いた頃にはすっかり陽が落ち、部屋の中は真っ暗に変わってしまっていた。「ジェイソン?」 玄関が開いた事に気が付き、ゆっくりと廊下へと移していく視線。「ど、どうしたの!?」 小さな音を立ててスイッチが切り替わると、一瞬にして視界が真っ白に染まる。眩しさを遮るようにして腕で顔を庇うと、軽い頭痛に襲われ呻き声が漏れた。「ジェイソン!!」 妻が駆け寄ってくる気配を感じ瞼を開けば、心配そうに顔を覗き込む彼女と目が合った。「エイ……ヴァ……っっ」 手を伸ばせば、確かに触れられる温かさ。情けないことに涙が頬を伝うが、そんなことを気にしてはいられない。「会いたかったっっっ」 彼女の腕を取り引き寄せると、その柔らかな身体をしっかりと抱き締め腕の中に閉じ込める。「……ジェイ……ソン……?」 当然そのようにされたことで、彼女は驚き戸惑いを見せる。ただ、抱き締められた腕を無理に解くようなことはせず、代わりに彼女の方からも抱き締められ、そっと耳元で囁かれた。「何かあったの?」 ぽつり、ぽつりと。今日あったことを彼女に話していく。適当な所で相槌は入るが、彼女から話を遮られることは一切無い。いつもは頼りになる夫が見せる弱さにどう声を掛けて良いのかという迷いは在る様だったが、それでも妻は茶化すことなく最後まで話を聞いてくれた。「そう」 俄には信じられない。声の調子からそう思っている事だけは伝わってくる。「大変な目にあったのね」
Last Updated: 2026-10-26
Chapter: Chapter2:03
 あれからどれくらい経ったのだろうか。 目の前で動く人の多くは、専門的に仕事を行う人間だと分かる動きをしているもので、起こったばかりの不可解な現象が明らかに異常だという事を示している。 数分前まで拘束されていた事情聴取。それから開放された人間は何も、自分だけでは無い。ただ、共に昼食を買いに出ていた同僚はというと、まだ警察の人間に捕まったままで。そんな彼のことを待ちながら考えることと言えば、目撃したばかりの事故のことである。「…………」 見てしまった光景が忘れられない。 瞼を伏せると直ぐにでも蘇ってしまう鮮明な記憶。それは、余りにも非現実で、思考を停止させるには十分過ぎる程衝撃的なものだった。 【死】というものを目の当たりにしてしまった。 そう自覚した瞬間、強烈な吐き気を覚え、思わず嘔吐いてしまう。「…………うぐっ……」 ああいう光景は、普通に生きていれば見る事が殆ど無いものだろう。だからこそ、余りにも現実離れをしたことに理解が追いつかず、あの時は感情が動かなかったのかも知れない。「…………はぁ」 今になって全身が震えしまうのは、あれを【怖い】と感じたからだ。「…………あ」 元々、落ちてきたものは確かに【人】という形をしていたのだろう。 しかし、駆けつけた時には既に【原型】を留めて居らず、大幅に【崩れて】しまっていた後で。 それでもあのような反応を返してきたのは、確かにそれがまだ【生きていた】からなのだろうか。「あんな状態になっていたのに、生きてた……だって……?」 そう思ってもやはり、その事を否定したいと意識が動く。「中身、出てた……よ……な……?」 その気持ちを言葉として外へ吐き出すと、つい考えてしまうのが素朴な疑問だ。 実際、生き物と呼べるモノは、どれくらい形が壊れてしまうと完全に【物】へと【変わってしまう】のだろうか、と。 勿論、今まで生きてきた人生の中で、死体というものを葬儀の時以外は見た事が無い。 それを見るために敢えて作ろうと思ったことはないし、そういう現場に居合わせたことも幸いなことに無かった。だからこそ、こうやって。かつては生き物の形をしていたモノが変わってしまった瞬間の混乱は強く残ってしまう。「でも……笑ったんだよ……っ」 痛い、助けて。そう懇願される方がどれ程よかっただろう。そうすれば起こったこと
Last Updated: 2026-10-24
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午前零時になると感じる頭痛。 ここ数日は決まって、この時間になると症状が出てしまう。 いい加減生活を改めろと身体が警告を発しているということなのだろうか。それは分かっていのだが、中々辞められないのが自堕落な生活だった。 今日もまた、時計の針が。 零を指し示す。 そしてまた、鋭い痛みに視界を閉ざした瞬間、耳に届いたのは予想外の言葉だった。 ※原案は、GoodNovel編集部で用意していただいたヒントを使用しています。 ※ホラージャンルなので、レーティングをR18に設定しています。レーティングを下げることは予定していません。(性描写というより、暴力等の描写に対しての設定です)
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Chapter: 2nd stage:13
「佐藤くんってさぁ、結構心配性なんだね」 開きっぱなしになっている玄関から建物の中へと入ると、瓦礫を器用に避けながら山田が先を歩いて行く。「別に神経質ってわけじゃねぇけど、こういうときって、普通、警戒するもんじゃねーの?」 彼女に何かあったときに直ぐに対応出来るよう気を付けながら後に続いて歩き出す。建物内に篭もった埃と黴臭さ。慌てて口元を手で覆うが間に合わず、気が付いたら盛大に咳き込んでしまっていた。「大丈夫?」「ん。平気」 差し出されたハンカチを手に取り礼を言い、溢れ出た涙を軽く拭いながら思ったのは割とどうでも良いことだ。「何?」 急に足が止まったことを不思議に思ったのだろう。振り返った山田が不満げにこちらを見ながら首を傾げた。「ゴミが目に入ったみたいで直ぐに動けなかっただけだよ」 そう言って誤魔化しはしたが、本当はハンカチから香る匂いが思ったより心地よく、山田という女性を意識してしまったことに罪悪感を感じただけだったりするから気持ちは複雑である。「足下、気を付けた方が良いよ」 咄嗟の言い訳に納得したのだろうか。彼女はそれ以上の追求をする事はせず、中断していた探索を再開するべく足を動かし始める。「ゴミ、結構多いね」 山田の言葉通り、建物内は剥がれ落ちたコンクリートに混ざって、様々な種類のゴミが散乱していた。そもそも、壁に残された落書きを見ても、ここが好奇心を満たすためのスポットとして使われ居ることは直ぐに分かる。「肝試しとかに使うには丁度良いだろうから、まぁ、そんな感じなんじゃないか?」 未だ外が明るいため、気持ちに余裕があるのだろう。スマートフォンのライトで前を照らしながら進んで行く山田の声は明るく、この状況を楽しんでいることは明らかで。元々好奇心も強いのかもしれない。目に付く気になるものを片っ端良から調べては、得意げに感想を言う姿が可愛いと思ってしまう。「ねぇ、ねぇ、佐藤くーん!」 今度は何を見つけたのだろうか。こっちこっちと手招く彼女の元へと近寄り「何だ」と問いかければ、ここを見て欲しいと指をさされる。「これ、何だろう?」「うーん……」 そこにあったのは黒いスプレーで描かれた落書きだった。「ただの落書きだろ?」 同じような落書きは、そこかしこに見受けられる。だからその落書きだけが特別なものだとは思えない。そう伝
Last Updated: 2026-11-04
Chapter: 2nd stage:12
 よく見ると、確かに彼女たちの手は不自然な形で置かれている事に気が付いてしまう。「スマホ自体はさ、利き手で持ってるから見ただけじゃ変な事に気付かないんだけど、空いた方の手、ずっと、シートに投げ出されてる状態で動いてないの。一人だけならまぁ、分かるんだけど、四人とも同じ状態だから、流石にこれはあり得ないと思う」 あり得ない。そう言われると本当にそんな気がしてくるから不思議だ。 バスに乗り合わせた乗客は一見すると普通に見える。荷物を抱えた老女に、単語帳を捲る男子生徒。携帯ゲーム機に夢中の小学生と、若いカップルが一組。最後尾には女性高校生のグループが一組。後はバスを運転している運転手といった感じだ。彼等はそれぞれ意思を持って行動をしているかのように見えるが、よく見てみると、短い時間に設定された同じ行動を繰り返しているようにも見える。 例えば、小学生。音楽を聴く限りだと、少し前に流行った謎解きゲームを楽しんでいるようだが、ゲーム機から漏れた音は短期間で同じ台詞だけを繰り返してた。このゲーム自体は自分でも楽しんだ経験があるため、音楽の繋がり方が不自然だという事は分かる。本来途切れる場所では無いところで不自然に切れた音声。何度も繰り返す同じフレーズは明らかに変である。 若いカップルも同様で、スマートフォンの画面を見て笑っては、何度もキスを繰り返している。ぱっと見はただいちゃついているだけのように見えるが、よく見てみると、唇が重なった後に巻き戻しのような行動を行った後、先程と全く同じ動きを繰り返しているのだ。 老女の場合は正直判断が付かない。彼女は荷物を抱えて座っているだけで、特に目立った違和感がないためである。 それは単語帳を捲る男子学生も同じだ。それ以外の行動が無いため、本当なのか嘘なのかの判断は非常に難しかった。「こういうの見てるとさ、自分が思ってるリアルって本当に存在してるのかなって不安になるよね」 いつの間にか山田は窓の外に目を向けている。「自分では自分は本物だって思ってるけど、もしかしたらこの人達みたいに、同じ事を延々と繰り返しているだけなのかも知れない。でも、その事って自分では気付けないでしょ? 何か、凄く怖くなっちゃうよね」「…………」 いつの間にかバス停留所までは十数メートル。緩やかに速度を落とし停車したバスから降りると、他の乗客を乗せた
Last Updated: 2026-11-03
Chapter: 2nd stage:11
 素早く纏められていく荷物。いつの間にか教室から出た山田が、廊下で佐藤が来るのを待っている。「早くしないと置いていくからね!」 どうやら此方の都合というものは考えてくれないらしい。随分と中途半端でスッキリはしないが、諦めカバンを掴むと彼女の後を追い掛けるようにして教室を出た。「何かさ、こう言うのってちょっとワクワクしない?」 先を歩く山田の足取りは妙に軽いもので。ついさっき知り合ったばかりだというのに妙に近い距離感にはどうもまだ慣れない。「そうだな」 だからだろうか。無意識に曖昧な物言いで答えながら建物を出ると、太陽の位置は未だ高い場所に居座ったままで眩しかった。 校舎を出る前に行き先は確認しておいた。どうやら目的地である廃病院は、バスで移動しないと行けない距離らしい。そんなわけで現在はバスを待っている状態だ。時刻表を確認するとバスが来るまでもう暫く時間がかりそうなため、山田が持っていたレモン飴を食べながら、互いにスマートフォンを操作し情報を集めていく。「この町に廃病院って一個しかないみたいだから、多分ここで当たってると思うんだけど」 纏めサイトと地図アプリを交互に見ながら向かう先を定めていく。地図上に刺さるピンを中心に、画面を拡大して周辺に何か目立つ物は無いかと探しながら。「初めて行く場所だからわかんねぇよな」「そうなんだよね」 ってか、普通に土地勘無いもんね、私たち。これこそが、彼女が漏らす本音なのだろう。ただ、少なくとも彼女はこの環境に馴染んできているらしく、そう言って楽しそうに笑ってみせられてしまう。「そう言えば、アンタも転校生ってことになってんだっけか?」 遠くの方から見えてくるバスのシルエット。バス停まで銃数メートルと言うところで一度、信号に引っかかり止まってしまった。「うん」 信号が変わり動き出したバスだが、すぐに速度を落とし目の前で停車する。ドアが開くタイミングで聞こえてくるのは、空気の抜ける大きな音だ。「私も最近こっちに来たばっかりだから、まだ友達が居なくてさぁ」 先に乗車した山田の後を追い掛けて適当な場所に立つと、最後の乗客を乗せたバスが緩やかに動き出した。「設定があるって分かっちゃってからは、何となく……周りの人たちに声かけにくくって」 窓の外で景色が流れていく。「見た事はあるのに、全然この場所を知ら
Last Updated: 2026-11-02
Chapter: 2nd stage:10
「それじゃあ、放課後に行ってみようぜ」 そう言って笑うと、山田が変な顔をしながら固まってしまった。「山田……さん?」「何言ってるの? 佐藤くん」 彼女は何に対して驚いているのだろう。理解ができないと彼女を見ると、スマートフォンに表示された数字を指さしながら彼女がこう言った。「もう、放課後だよ?」 言われて初めて気が付いた。今が既に下校時刻になってしまっていることを。「え?」 考えてみれば、一体いつ学校に来たのかが分からない。 一番最後に覚えている記憶はあの奇妙な動画を見たところで、そこから先はぶつ切りのように一切の記憶が飛んでしまっている。「な、なぁ、山田さん」 だからだろう。思わずこんなことを聞いてしまったのは。「俺、どれくらい寝てた?」「どれくらいって……ずっと……じゃない?」 そう言って、彼女も何かがおかしいと言う事に気が付いたようだ。「あれ? でも、佐藤くん。そう言えば、いつ学校に来たの?」 山田からしてみれば、気が付けば佐藤は自分の席で寝ていたという感覚しか無い。 始めは授業を聞いていない生徒がいるなという印象。そのうち、一人だけ制服が違うと言う事に気が付き、次第にいつ起きるんだろうという疑問へと繋がった。最終的には、もしかしてという疑惑が上がり声を掛けてしまった。 そう考えると、声を掛けるというところに至るまでどれだけの時間を費やしたことになるのだろうか。「少なくとも、何時間も寝っぱなしだった? もしかして」 更に不可解な事は、声を掛けるまでに【佐藤という人間が、一度も目を覚ましていない】という事だ。普通なら、これだけ堂々と寝ている場合、教師によってはその生徒を起こそうと動きを見せるだろう。優しく注意するかも知れないし、怒鳴りつけて教室から追い出すパターンもあるかも知れない。それなのに、こうやって放課後になるまで、佐藤は誰にも相手にされていなかった。ま
Last Updated: 2026-10-31
Chapter: 2nd stage:09
「なぁ……ちょっと聞きたいことがあるんだけどさぁ」 もしかしたら、あの気持ち悪い映像をみたのが自分一人じゃ無いと安心したかったのかも知れない。「アンタ、病院に行く配信者の動画って見たことある?」「廃病院の動画?」「ああ」 記憶はまだ新しい。できるだけ見た映像を詳細に伝えると、山田は暫く考えてからゆっくりと首を振って見せた。「悪いけど、私はその動画見てないと思う」「……そうか」 そこで一度、途切れてしまった会話。元々親しい仲でも無いし、先程自己紹介をしたばかりなのだから、これ以上何を話したら良いのかが分からない。適当な理由を付けて返って貰おうかと考え始めたところで、山田が再び口を開く。「……動画自体は見てないんだけど……」 言いながらスマートフォンを操作し、彼女は何かを探し始める。「もしかしたら、これが関係あるかも」 差し出されたスマートフォンのディスプレイには、黒色で統一された悪趣味なデザインのサイトが表示されている。タイトルに「白藤高校の七不思議」と書かれているところから、どうやらこのサイトはそれらの噂話を集めた纏めサイトのようだ。「これ、昨日の夜に見た事無いメールアドレスから届いたものなんだけど、この中に廃病院の噂っていう項目があった気がする」 その言葉を確かめるべく、指を動かし画面をスクロールしていく。七不思議とされているはずなのに、纏めサイトに書き込まれている内容は思った以上に多く、目的のログを探すだけでも苦労をしてしまう。それでも根気よく探し続けていると、漸く見つけた一行に指が止まる。「これか?」 一度スマートフォンを山田に戻し確認してもらい、彼女が頷いたことでリンクをクリック。読み込み中のアニメーションが暫く表示された後、漸く開いたページに目を通すと、どいういう噂なのかという内容を確認することが出来た。「ってか、この病院、思ったよりも噂がいっぱいあるな」 言葉の通り、その廃病院で囁かれている噂話は幾つかあるようで、その殆どはよく耳にするような内容が多い様に見える。例えば、夜中に死んだはずの入院患者が徘徊しているだの、霊安室から呻き声が聞こえてくるだの。使われていない手術室で手術が行われているだの、診察室から奇怪な叫び声が聞こえてくるだの。どれもありそうで陳腐なものばかりだ。 中には、精神が壊れた浮浪者が住み着いており
Last Updated: 2026-10-30
Chapter: 2nd stage:08
 そんな馬鹿なと自分の発言に笑いながらもそう尋ねると、意外にも山田はそうだと頷いて見せた。「君が思っている通り、私もこの世界に引きずり込まれた一人で、【山田という生徒の役を与えられた人間】で間違い無いよ」 自分と同じように今の自分に違和感を感じる人間が居るという事実。それを喜んで良いものかと悩んでいると、彼女は渋い表情を浮かべながらこんな風に言葉を続ける。「本当の私は山田なんて名前じゃないし」「え?」「なんて言う名字だったかは忘れちゃったけど、私、かなり珍しい名字なんだよね、本来なら。全国的に見ても二桁居るかどうかな感じの。それなのに、目が覚めたら突然山田って人間になってて、本当に訳わかんないし」 この話はどこまでが本当で、どこからが嘘なのか分からない。しかし、本当の自分は別にあるという感覚が彼女にもあることに、何だか少しだけ気持ちが軽くなった。「それに、何か変な画面見なかった?」「画面?」「うん」 妙な胸騒ぎを覚え彼女に詳細をねだると、顎に手を当てた状態で左上を見ながら話始める。「昨日、家のPCが突然起動して、どうしようかと思ったら変な画面が出てきたんだよね。確か……【Sランクダンジョン「白藤高校」へようこそ】って書いてあったかなぁ?」「Sランクダンジョン「白藤高校」へようこそ?」「うん」 ダンジョンと言われて真っ先に思い付いたのは、ファンタジーの世界などで出てくる如何にもな設定だった。もしかして、これからそういう展開が来るのだろうか。そう思うとつい楽しみになってしまうのはオタクの性だろう。「ダンジョンって言っても、今のところそんな変なモノは見てないし、本当にそんなものが現れるのかは分かんないけどね」 期待した傍から否定されたダンジョンの存在。折角楽しくなって来たと言うのに、突きつけられた現実が残酷で、分かりやすく落ち込んでしまう。「何よ。本当にファンタジーみたいな世界と繋がって欲しかったとでも言いたい訳?」 山田に呆れたようにそう言われると、少々ムッとしてしまう。「どうせ現実じゃないんだから、少しくらい夢見させてくれてもいいじゃねぇか」 そう言って口を尖らせると、山田は目を見開いて驚いた後、嫌そうに顔を歪めて大きな溜息を吐く。「もし本当にそんなものと繋がったりしたら、人間なんて一瞬にして殺されちゃうと思うけど? それで
Last Updated: 2026-10-29
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