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第4話

Author: 小鳥遊梓
last update publish date: 2026-07-18 18:00:13

「……感心しないわ、人の部屋に勝手に入ってくるのは」

「ごめんなさい、ノックはしたんです」

 眉間に皺を寄せ、彼女は困り顔でそう言った。ノックをし、恐らく声もかけただろう。音もせず、ひたすら振動だけ伝わってくる部屋なんてわざわざ声をかけなくても責める者などいないだろうに。少なくとも私はそう思う。それに、これはどちらかと言えば、他の音を聞くなど全くなかった私に非がある。

 ただ、何日かこの部屋で生活するなら、この居室のことは説明しておいたほうがいいため、あちらからやって来てくれたのは都合が良い。

「あの、シャワーありがとうございます」

 律儀に軽く頭を下げながら。明日も使うはずなのに。きっと初日だからだろう。

「それで、その」

 言い淀む。そしてそこに亡と立ち尽くしたまま、部屋をぐるりと見渡した。この部屋は何なのかと言いたげな目で。当然だ。それを裏付けるように、目線は最終的にドラムセットへと吸い寄せられている。

「ドラム……」

 肺から最後の空気を送り出すようなか細さで呟く。

「珍しいかしら」

 彼女は複雑な形に頭を動かした。それは首を横に振っているようでもあり、肯定しているようでもある。恐らく両方の動作をいっぺんにやろうとしたのだろう。意味は分からなかったが、その気持ちはなんとなく理解出来る。

「……住んでいた家を整理しているときに、ベースが出てきたのを思い出しました」

「そう、ごめんなさい。心当たりはないの」

 言いながら、記憶を掘り起こす。姉のものではない。どうせできるのだろうけど、しかし少なくともベースをやっているという覚えはなかった。

 対して、「そうですか」と言いながら、彼女はどこか腑に落ちない様子である。即答したことにわざとらしさを感じたのだろうか。それに素っ気なさも内包していたことだろう。納得のいかない、という風ではあるが、それ以上は追及してこない。

 だが答えを持っていないのだから、それ以上に答えようがない。

「……趣味で叩いているの」

 固まっていた空気を壊すように、話を転じる。どのみち、この話はしておかなければならない。

「ここ、防音室だから振動は気になるかもしれないけれど我慢して。これはうちにいる最低条件よ」

 「はい」と雫のようにこぼれ落ちたような声。これまで聞いてきて、彼女の声はあまり大きくない。まだ私に対して緊張しているのか、そもそも小さい声なのかは分からない。まるで籠の中の小鳥と会話しているような、そんな気持ちにさせる。

こうして家内で向き合うと、様々な考えが閃くように現れた。どうして、先刻のファミレスでは彼女の事情を聞くだけ聞いて帰ってきてしまったのかと。制服姿を見て、即座に訊ねなければいけないことがあるではないか。

「貴女そういえば、学校は?」

 本当に、基本中の基本だろう。多分彼女の存在を目の前にして、まともな思考回路を損なっていたのだ。大人として、高校生相手にきちんとした対応ができないくらい思考力が落ちていたという事実が愚かしい。まさに、穴があったら入りたい。

「今日はお休みしました。……多分、ここからだと一時間くらいだと思います」

 肩の凝りがおりたような一声だった。何時からマンションの前にいたのか分からないが、これで学校を一日サボって私に会いに来ました、なんて言われていたら申し訳なさで胸がいっぱいになっていたところである。

「幸いね、さほど遠くないのは」

 今までようやく築いた関係値がリセットされるのは、学生は辛いだろう。私のような浅い関係性を構築していた人間ならいざ知らず、このようやく暖かくなってきたという季節に転学というのは。既に交友関係なんて出来上がっているであろうところに入っていくのは、孤立してしまってもおかしくない。今までずっと暮らしてきた父親と死別したばかりの彼女に、それは辛かろう。

 ……いいや。

 この家にいる期間はそれでもいいかもしれないが、仮に私の実家に引き取られることになったら? 父母の家は遠くもないが、近くもない。なのでそれを考えると、転学の必要がある可能性は大いにありえる。

 まあ、いまそんなことを考えても仕方がない。軽く考えて挙げられる問題は、きっと父母がやってきたときには解決するだろう。

 だから今日彼女と会話する必要性は、ここまでだ。この会話が終わりだと示唆させる、「明日は早いでしょう、もう寝なさい」という言葉。糸電話の糸を無理矢理引きちぎったように、この話題を終わらせる。

 私が考えなければならないのは、いかにこの三日間、姉に良く似たあの顔を見ないようにするかだ。

 幸い、この部屋についての説明はできた。だからこの部屋に籠ってさえいれば、彼女と顔を合わせるのは最低限になるだろう。私は明日も仕事で、しかも帰りが遅くなることは昼間のやり取りで確定している。

 あの琥珀色の瞳が、私の脳裏から離れない。

 ……大丈夫。

 これは私が勝手に抱えている呪いのようなものだ。だから自衛だって自分でする。私を守るための自衛。今日はろくなことがなかっただけに、明日の仕事とその後の予定は何事もなく事が運んでほしい。そんな懸念を貼り付けたまま、シャワールームへと向かう。

 その不純物が洗い流されることを期待して。

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