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【2017年2月】隆一の逮捕から1年が過ぎた。「叔父貴~! おはようございますっス~!」「……って、何が"おはようございます”、だ! 20分遅刻だぞ!」そして俺のオフィスで、吉田幸太郎が秘書として働き始めてからは約3ヶ月になる。甥っ子をステアリンググループに巻き込むのは気が進まなかったし、姉の遺言にも反するようで気が咎めたが、ただこれは幸太郎自身が志願したことだった。「電車が遅れたんスよ~、LINEしたじゃないっすか」「ほう、何線が遅れたんだ? お前が使ってるのは中央線だろう。確かによく遅延も発生する路線だが、今日に限っては遅延情報なんて出ていなかったぞ」「ギクゥ! ……そ、そんな……細かい情報調べないで欲しいッス……」「だったら遅刻なんてしないことだな。俺は叔父として、お前を立派に育て上げる義務がある。何よりお前、半年後に阿左美と結婚するんじゃなかったのか?」そう言うと、だらしなかった幸太郎の表情も急にキリッとなる。「結婚、するッス! ようやく向こうのご両親にも許可が降りたんスからね……いやぁ、大手IT企業の社長令嬢と結婚ってワケっスから、さすがに大道寺家の一族だって秘密もバラさないわけにはいかなかったっスよ~。無事安定した職にも就けて、叔父貴には感謝しかないっス」急に揉み手しながらすり寄ってくる。……ったく、気持ち悪いやつだ。「あ、そう言えば叔父貴、テレビ局からオファー来てるっスよ。『ステアリンググループの御曹司、社内に潜むテロリスト逮捕から1年――当時の様子を徹底取材』って!」「……何? またかよ」その手のオファーはすでに何度か来ていた。ただ、社内からテロリスト――"隆一”を生み出してしまったことは、ステアリンググループの汚点でもある。世に出すとしても慎重にならねば。「ただ今度のテレビクルー、なんか熱心なんすよね……『悠真さんとは会ったことがあるから。"一昨年のマンションキーの借りパク事件”って言えば伝わるハズだから』、って」「"マンションキーの借りパク事件”……ゲッ、まさか例のテレビクルーか?」最悪じゃないか。俺を軽犯罪者としてネタにした連中だ。まぁ、自業自得と言えばそうだが……。「『汚名返上にもなるいい機会だからぜひ受けて欲しい』って。どうするっスか?」なるほどな、ものは言い様だ。だが、ここはあえて受ける方が良い場合
俺たちは屋上へ駆け上がった。数百メートル離れた遠くの夜空に、ヘリの赤い航行灯が点滅しているのが見える。隆一は、まだ屋上の中央に立っていた。逃亡する前に何とか間に合いはしたが、やつの周りを黒い戦闘服の戦闘員が3人、銃を構えて囲んでいる。海外の組織か……まさか会社の金で雇ったんじゃないだろうな?「ほう、大道寺悠真とその仲間たちめ、生きていたのか。だが、そうでなくては面白くもない。天が我らを選ぶか、お前たちを選ぶか。奇しくもこちらは4人、お前たちも4人。正々堂々、ここでしっかり決着といこうじゃないか」「何が正々堂々だ、武器を持ってやがるクセに……」が、不利な状況はそれだけじゃなかった。「sophila……おい、どうした! そっちへ行くな!」bearから離れたsophilaが突然、隆一の元へ歩いていく。隆一は両手を広げ、sophilaを腕の中に抱きしめた。隆一に抱かれながら、唇と唇で熱くキスを交わす隆一とsophila……まさか、また洗脳ってやつか!?「おっと、5対3か。やはりsophilaは私が作った傑作だよ。私の姿を見たり、香水を嗅いだりすると、従順に従うよう躾けておいた。その甲斐があったな」「クソッ、やっぱり連れて来なきゃよかったじゃねえか……!」これが絶体絶命というやつか……。「おい、大道寺悠真。こんなことで諦められては困る。仕事も収まっていなければ報酬もまだだからな。俺はどんなことがあろうと、任された仕事を最後までまっとうする主義だ」と、bearが柔道の構えを見せる。銃相手に肉弾戦……無謀でしかない。が、俺は見逃さなかった。bearの構えを見て、敵が一瞬怯んだのを。外国人は日本人の柔道を恐れると聞く。まだ、勝機があるかもしれない。「行くぞ」そんな声が聞こえたかと思ったときにはすでに、bearは戦闘員に向かって突進していた。素早い動きで最初の戦闘員の銃口を掴み、大外刈りで投げ飛ばす。銃が床に落ち、戦闘員が倒れる。次の戦闘員が慌てて銃を発砲するが、照準が合わず、弾は虚空に消える。bearは払い腰でその戦闘員を宙に舞わせ、床に叩きつけた。「馬鹿者、何をやっている!」隆一が叱咤し、三人目の戦闘員がbearに発砲する。bearは避けようとしたが間に合わず、肩に被弾した。「ぐっ……」呻いて、床に転がるbear。床に血が溢れていく。「be
救出された俺たちは、佐伯から酸素スプレーを支給された。 「一酸化炭素の中毒症状には酸素補給が不可欠です。さあ早く使ってください」 「あ、ああ……助かった。てか、何でこんなものを。まるで俺たちが排ガス攻めに遭うってわかってたような感じじゃないか……」 「わかるわけありませんよ。ただ、阿左美様から指示を受けたのです。できるだけ多く持っていくように、と」 なるほど、またあいつのオカルトパワーに助けられたってわけか……。 お陰で俺とbear、遥花はほぼ復活した。蓮はなるべくガスを吸わないよう守られてはいたものの、不快感が取れないのか、一向に泣き止まない。大事をとって、遥花と蓮は田中と共に車へ戻り、車で病院へ向かうことになった。 排気ガスを一番吸ってしまった香澄も気を失い、「こいつも病院へ運んでくれ」とbearが抱きかかえようとしたが、その直前で目を覚ました。 「香澄……大丈夫なのか?」 尋ねると、 「香澄は眠っている。私はsophila」 また、人格が入れ替わったのか……。 「無理はするな。意識はあっても、お前のダメージが一番大きい。ここは離脱した方がいい」 bearにもそう諭されたが、 「ダメ。香澄に、"あとは、お願い”って言われたから」 と言って聞かなかった。 かくして、俺たちは4人で隆一の後を追うことになった。俺、佐伯、sophila、bear。またよくわからないパーティだ。 この面子だけで隆一が捕まえられるのか。隆一が犯罪者であることがハッキリした以上、警察の協力も要請すべきだろう。 が、先ほど別れる前、田中から止められた。「あれだけハデに入口を壊しておいて、我々が被害者だって堂々と言えますかね……」と。 「そもそも警察なんかの介入が入れば、マスコミにもバレます。国内大手グループの御曹司が、こんな平日の夜中に東京湾の倉庫で何を騒いでいるのかと株主にもとがめられますよ」 佐伯からもそんなことを……。「こっちは密室に閉じ込められて、あわや殺されるところだったんだぞ?」と反論したが、 「だから私が、早急に松山での処理を切り上げ、トンボ返りで救出に来たのではありませんか。それに悠真様、昨年のクリスマスの時だって、テレビクルーから鍵を奪った軽犯罪者だ、元妻のストーカーだとニュースになったこと、お忘れですか? 株価にも影響が出てしまいます
隆一の罠にはめられ、危うく人格が崩壊するところだった。けれどなんとか、まだ私は私の意識を保てている。心の中からsophilaの心配そうな声が聞こえる。私は香澄……遥花を愛し、双子を我が子として育てる香澄だ。大丈夫、私は消えたりなんかしない。けれど、それ以上の危機が目の前に迫ってきている。囲いがなくて気づかなかったが、隆一が立っていた場所は作業用のエレベーターになっていた。古いデザインで、現行の法律では違法となる設備だ。あのエレベーターが、この部屋から抜け出すための唯一の手段だった。扉もシャッターで閉じられた今、ここは完全な密室になってしまっている。そんな中に私と蓮、遥花、大道寺悠真、そしてbearは閉じ込められた。「あいつ、毒ガスをまくって言ってたけど、一体どうやって……」悠真が言う。確かに、倉庫に毒ガスをまく設備なんてあるわけが……と思っていると、何やら異臭が広がり始めた。最初は排気ガスのような、甘く腐った匂い。やがてそれは濃くなり、鼻腔を刺す刺激臭に変わった。喉の奥が焼けるように熱くなり、咳が止まらなくなる。「この匂い……一酸化炭素だ!」悠真が叫んだ。隆一の笑い声が、天井の隙間からまだ響いている。どうやら倉庫の換気ダクトを逆流させるように、隆一は外に置いた車両の排気管か何かを室内に接続していたらしい。シャッターが完全に閉まった今、排気ガスは逃げ場を失い、部屋に充満していく。 「毒ガスじゃなくて排気ガスじゃねえか。誇張しやがって……」「でも、息が……苦しい……」遥花が膝をつく。一酸化炭素でも、人体には十分毒になりうる。私も蓮にガスを吸わせないようガーゼを当てたが、苦しそうだ。赤ちゃんの小さな肺は、大人より早く酸欠になる。「クソッ、なんだこのシャッター!」悠真はシャッターを叩くが、金属音が響くだけで、びくともしない。「……どいてろ! ええい!」bearが叫び、近くの窓にコンクリートの塊を投げつける。だが、隆一が事前に強化していたのか、へこみすらしなかった。「……いや、まだ諦めるな。外には田中がいるハズだ……おい、早く来い! シャッターを開けろ!」悠真はスマホに向かって叫んでいる。やがて、扉のシャッターを叩く音がした。良かった、これで助かる……と思いきや。「ダメです、開きません! 開閉ボタンが効かなくなってます!」ドアの外から
香澄の人格が崩壊していく。ダメだった、止められなかった。“今度は私が、隆一と戦う。もう、sophilaだけに辛い思いはさせないから”と言った香澄。それでも大道寺悠真たちの到着を待つべきだったのだ。どのみち、蓮を抱えたままでは戦えない。けれど、香澄が強い責任感に駆られているのはわかった。自分がsophilaにすべてを押し付けてしまったから。隆一に付け入る隙を与えてしまったのも自分だし、いま蓮と共にこんな場所まで連れてこられたのも自分のせいだと感じているのも伝わって来た。強制的にコールドスリープさせれば良かったのだろうか。ただ私も、香澄の意図しないところで何度も香澄を裏切ってきた。もちろん自分の意思じゃない。隆一の使う香水――ジャコウの香り。動物的で官能的な香りだが、ボディソープなど、時々近い香りを嗅ぐこともある。香澄が特に残業などで疲労が溜まっている際にその匂いを嗅ぐと、強制的に人格がコールドスリープになる。そういうことが今まで何度かあった。その度に私は、香澄が自分から目覚めるまで香澄のフリをして凌いできたのだ。香澄としては数日間、意識を失っているような状態だ。2月12日の金曜、隆一が東京に来ているという連絡を受け取ったときも、連日の徹夜と、外出先のネットカフェで嗅いだ石鹸の香りで、人格が入れ替わった後だった。何とかして香澄本人にも伝えなければと、アプリにリマインドの通知も仕掛けていたが、人格が戻り、ようやく届いたのが隆一の襲撃の直前だった。香澄……香澄は悪くないのに。悪いのは私の至らなさだ。香澄のために良かれと思ってやったことが、すべて裏目に出る。そもそも、遥花を香澄と共に暮らすよう仕向けたりしなければ。どうして封筒で遥花を脅迫するようなことをしたのだろうか。あの時点の私は、自分の意思で行動していたのだろうか。もしかしたらすでに、隆一に洗脳されていたんじゃないか。今、香澄の目の前には隆一がいる。腕の中には、眠っている蓮。そして背後には、遥花、大道寺悠真、bearの3人。モニターには、私……いや、幼き日の香澄が、隆一に犯されている映像が映っている。嫌、見ないで……香澄が穢される瞬間を見ないで、誰か今すぐ映像を止めて! こうしている間にも、香澄の自我がどんどん崩壊していく。私には、それを止めることなどできない。隆一がゆっくりと歩み寄ってきた。つばの
【2016年2月15日(月)午後9時半】T探偵事務所の田中さんの運転する黒いプリウスが、東京湾の埋立地帯を疾走する。ヘッドライトが闇を切り裂く。車内は息苦しいほどの緊張に満ちていた。助手席の悠真は窓の外を見つめている。後部座席には私とbearさん。皆、特に語ることもなく、沈黙が続いていた。菖蒲は吉田さんと末継さんに任せ、マンションで待機してもらっている。「隆一の倉庫は、この先の埋立地のどこかよ」出発前に末継さんが霊視で特定したエリアの地図画像を悠真に送ったようだが、正確な位置まではわからない。「その辺りは、ステアリンググループが所有する古い物流倉庫群の一つだ」と悠真は答えていた。普段は使われていないはずの、誰も寄りつかない場所。「とにかく行って、しらみつぶしに探すか? ただ、隆一が使ってる可能性があるってことは、電気設備がまだ生きている可能性もあるかもしれない。幸太郎じゃ、そういうのを調べるのは無理か?」「ちょ、バカにしないで欲しいっス! これでも俺、探偵事務所のスタッフっすよ。香澄さんやbearさんみたいにハッキングかけたりはできないっスけど、電力会社とか、知り合いを頼って調べてみるっス!」というわけで、見つかり次第連絡が来るはずだったが……まだ何も来ないということは、いまのところ成果は出ていないようだ。「……ったく、何やってるんだあいつは!」痺れを切らしたように、助手席の悠真が言う。「やはり、俺がハッキングかけるしかないか。正直、不正を働いているわけでもない電力会社にハッキングなんて、ホワイトハッカーとしては違反行為だがな」と、スマホを操作し始めるbearさん。「違反すると、どうなるんですか?」ふと私が尋ねると、「免許はく奪。まぁ、それくらいなら優しい方で、最悪、禁固10年といったところか」恐ろしいことを言う。場合が場合だからとは言え、流石にリスクを背負い過ぎでは……。「bear、ストップだ。そんな危険を冒す必要はない。場所がわかった」と、スマホを持つ悠真が、後部座席を振り返って言う。「何? 吉田が見つけたのか?」「いや――聞いて驚け。香澄からChatworkに、位置情報が送られてきた」「香澄!? ってことは、目覚めたのね……!」香澄は無事……きっと、蓮も無事に違いない。そう自分自身に言い聞かせながら、心を落ち着ける







