Chapter: 第113章:残された時間*遥花【2025年11月】病院の個室は静かで、白いカーテンが柔らかい陽射しを遮っていた。香澄はベッドに横たわり、点滴のチューブが腕に繋がれている。顔色はまだ青白いが、目だけは昔のままの優しさを取り戻していた。私はベッドの脇に座り、香澄の手を握っていた。彼女の指は細くて冷たい。でも、握り返してくれる力が、確かにあった。「遥花……ありがとう。来てくれて」香澄の声は弱々しかったが、穏やかだった。私は微笑んで、首を振った。「ありがとうはこっちよ。戻ってきてくれて」香澄は小さく笑った。目尻に、涙が溜まる。「戻れたのは、遥花のおかげ。蓮の作ったコードがなかったら……私はまだ、sophilaのままでいた」蓮のコード。あの子の執念が、封印を解いた。統合の瞬間、香澄の体が震え、過去の香澄とsophilaが一つになった。あのときの衝撃で、腫瘍が一気に悪化した。医師の診断は、残酷だった。「脳腫瘍、末期です。手術はもう不可能。余命は……数週間から数ヶ月」その言葉を聞いたとき、私は膝から崩れ落ちた。香澄はベッドの上で、静かに泣いていた。でも、今は泣かない。泣いている暇はない。残された時間を、一緒に過ごすために。「香澄……私たち、残された時間を一緒に過ごそう」私は、香澄の額にそっとキスをした。彼女は目を閉じて、頷いた。「うん……お願い」※病院の廊下で、蓮と菖蒲が待っていた。菖蒲はマネージャーの奥野さんと一緒に来ていて、今日は撮影の合間を縫って駆けつけた。「ママ! 香澄さん、どう?」菖蒲が駆け寄ってきて、私の腰に抱きつく。私は菖蒲を抱き上げて、頷いた。「少し落ち着いたわ。ありがとう、来てくれて」蓮はノートパソコンを抱えたまま、静かに言った。「遥花……ステアリンググループの件、終わったよ」私は目を丸くした。「終わった……?」蓮はパソコンを開いて、画面を見せてくれた。株価チャートが、急回復している。赤かった線が、緑に変わっていた。「香澄さんのサーバーから抜き出した不正データ、全部公開した。ネットブロード社のハッキング証拠も、警察に提出した。ユナイトコーポレーションの買収計画は凍結。総帥に就任した悠真……父さんの采配もうまくいってる」菖蒲が目を輝かせた。「すごーい! ざあこお兄ちゃん、めっちゃカッコいいじゃん!」蓮は照れくさそうに頭を掻いた。「でも
Last Updated: 2026-02-26
Chapter: 第110章:統合の瞬間*sophila頭が割れそうだった。膝をついた瞬間、世界が音を失った。社長室の床が冷たくて、指先が震える。遥花の声が遠くから聞こえる。「香澄……過去のあなたを、解放するわ。もう、恐れなくていい」その言葉が、胸の奥に突き刺さった。次の瞬間、私の意識は体から引き剥がされた。暗闇の中に落ちていく。まるで深い井戸の底へ、ゆっくりと沈んでいくような感覚。そこは、真っ白な空間だった。どこまでも続く白い床と、白い天井。まるで病院の無菌室のようだ。私は立っていた。黒いスーツを着た「反町香澄」――sophilaの私が。そして、向かい側に、もう一人の私がいた。白いワンピースを着て、長い髪を肩に流した、昔の私。高校時代の、柔らかい笑顔の香澄。二人の私が、静かに向き合っていた。「……やっと、会えたね」過去の私が、優しく微笑んだ。私は、唇を歪めた。「会いたくなんてなかった。私は弱い。すぐにあなたに頼ってしまう。だから……」過去の香澄は、静かに首を振った。「あなたが私を封印したせいで、遥花は泣いたわ。私が、遥花を悲しませてしまった」怒りか、悔しさか、自分でもわからない。「違う、あなたじゃない! 遥花を悲しませたのは私のせい……私は、あなたを独占しようとしたの!」しかし過去の香澄が否定する。「あなたはただ、強くあろうとしただけ。弱いままじゃ、遥花を幸せにできない。隆一に作られた道具のままじゃ、彼女を傷つけるだけだと思った。だから、私を封印したんでしょ。強くなって、すべてを壊して、遥花を自由にしてあげようとしたんじゃない」過去の香澄がゆっくりと近づいてきた。彼女の瞳は、涙で濡れていた。「違うわ。私は、ただ怖かったのよ。弱いままで、遥花に嫌われてしまうのが。遥花に、愛され続ける自信がなかった。だから、あなたを閉じ込めて、強がった。復讐なんて、ただの言い訳。本当は、遥花に触れたくて、抱きしめたくて、でも怖くて……」白い空間に、私の声が反響する。頭痛が、再び激しくなる。腫瘍が、脳を締め付ける。過去の香澄は、悲しげに微笑んだ。「もう、いいのよ。遥花が来てくれた。彼女は、私たちを愛してくれている。sophilaも、香澄も、全部愛してくれているって……抱きしめてくれた」その瞬間、外の世界から、遥花の温かさが流れ込んできた。彼女の腕の感触、唇の柔らかさ、胸の鼓動。遥花が、私を抱きし
Last Updated: 2026-02-23
Chapter: 第109章:再会への旅*遥花朝の陽射しがカーテンの隙間から差し込む。リビングのテーブルに、蓮と菖蒲の朝食を並べながら、私は静かに息を吐いた。今日は香澄に会いに行くと決めた日。「ママ、どこか行くの?」菖蒲が目をこすりながらリビングに入ってきた。彼女の髪は寝癖で跳ねていて、いつものように可愛い。私は微笑んで、菖蒲の頭を撫でた。「うん、ちょっと用事でね。一人で出かけてくるわ」菖蒲の目が、大きく見開かれた。「え……一人で? また、帰ってこないつもり?」「心配しないで、夕方には帰るから」菖蒲は、唇を尖らせた。「ママ……絶対帰ってきてね。菖蒲、ママがいないと寂しいもん」その言葉に、胸が締め付けられた。菖蒲の小さな手が、私の服の裾を握る。私はしゃがんで、菖蒲を抱きしめた。「うん、絶対帰ってくる。菖蒲と蓮とパパと、一緒にいるよ」蓮が階段を降りてきた。ノートパソコンを抱えている。「遥花……僕のアプリで、香澄さんの位置は追えるよ。リアルタイムで。危なくなったら、すぐに連絡する」蓮の声は、落ち着いている。でも、目が少し赤い。私の決意を、止める気はないみたいだ。「ありがとう、蓮。頼りにしてるわ」悠真は、朝から会社に出かけていた。昨夜、すべてを話した。香澄に会いに行くこと。過去の香澄を救うために、一人で行きたいと。彼は悩んでいたようだが、もう私を止めることはしなかった。ただ、「気をつけて。帰ってきてくれ」とだけ言った。家を出た。菖蒲は玄関で手を振って、「ママ、絶対帰ってきてね!」と泣きながら叫ぶ。蓮は「アプリで追ってるから、大丈夫だよ」と静かに言いながら、私に笑顔を向けてくれた。電車の中で、過去の記憶が蘇る。香澄と出会った子供の頃。彼女はいつも明るくて、私の厳しい家庭環境を笑い飛ばしてくれた。香澄は、私の初めての友達……そして私が双子を身ごもってから、とても短い間だけど、共に暮らし、共に双子を育て、そして愛し合った、かけがえの無い家族だ。今、香澄は反町香澄として、私たちの敵になっている。でも、私は信じている。彼女の中には、まだ過去の香澄がいる。sophilaが封印した、優しい香澄が。東京駅に着き、ネットブロード社の本社へ向かうタクシーの中で、蓮からLINEが来た。「遥花、香澄さんの位置は最上階の社長室。アプリでリアルタイム追跡中。……でも、解放コードを入れるには、香澄さんのデバイ
Last Updated: 2026-02-21
Chapter: 第108章:暴走と家族会議*蓮学校から帰ってきて、すぐに自分の部屋にこもった。ノートパソコンを開いて、『Phantom Guard』のコードをいじり始める。sophila――反町香澄社長のサーバーに侵入して、彼女の秘密を探る。最新のバージョンで、今度こそ突破してやる。「よし……ファイアウォールの抜け道、昨日見つけたやつを使って……」キーボードを叩く。画面にデータが流れ込んでくる。機密ファイル、ログ……そして、変なフォルダを見つけた。「Sealed Memory」って名前。封印された記憶? なんだこれ。パスワードがかかってるけど、僕のアプリでクラック。開くと、中に古いプログラムのコードがいっぱい。隆一の洗脳プログラム……? これ、隆一が幼い頃の香澄に使ったやつだ。僕の知識で分析してみる。「これ……洗脳プログラムの一部。でも、sophilaがこれを使って、自分で過去の香澄を封印した痕跡がある……」ログを見ると、sophilaが自分の意思でプログラムを起動して、過去の香澄の人格を封印した記録が残ってる。隆一の洗脳プログラムを、sophilaが利用したんだ。自分の弱い部分――過去の香澄を、隠すために。「香澄は、自分の意思で過去の自分を封印してた……? どうして?」さらに深く掘ってみる。プログラムのコメントに、sophilaのメモみたいなものが残ってる。「弱い自分を閉じ込めれば、私は強くなれる。遥花を傷つけないために」。……遥花? ママのこと? sophilaは、ママを傷つけないために、過去の香澄を封印した? でも、今のsophilaはママを傷つけるようなことばっかりしてる。矛盾してる。「もしかして、封印したせいで、sophila自身がおかしくなっちゃったのかも……」頭を掻く。隆一の洗脳プログラムは、元々人格を操るためのもの。sophilaがそれを使って自分をいじったら、予想外の結果になったのかも。弱い自分を封印したつもりが、逆に強すぎる人格が暴走し始めた……みたいな。「sophilaを倒すんじゃなくて、過去の香澄を解放すれば……元の香澄に戻れるかも」閃いた。アプリをさらに改良して、封印データを解除するハッキングコードを書く。隆一のプログラムの構造を解析して、逆の動作をするように。理論上は可能だ。でも、実際にやるには、香澄のスマホかパソコンに直接アクセスしないと……。「まずは、
Last Updated: 2026-02-20
Chapter: 第107章:暗闇と頭痛*sophilaオフィスの社長室はいつも通り静かで、冷たい。窓の外、東京湾の景色が広がっているけど、今日は霧がかかってぼんやりしている。私の気分みたいだ。デスクの上で、スマホが震えた。円城寺椿からの報告。開くと、予想外の言葉が並んでいた。「ごめんなさい、社長。私はもう、あなたの命令には従えません。遥花さんを愛してしまったんです。本気で。隆一様の仇を取るためじゃなく、私自身のために、彼女を幸せにしたいと思います」……裏切り? 椿が? あの忠実だった椿が、私の計画を捨てる?胸がざわついた。スマホを握る手が、わずかに震える。椿は、私の指示で悠真を誘惑するはずだった。遥花を巻き込んで、大道寺家を内側から崩壊させるための道具だったのに。彼女の愛が本物になってしまった……?「ふん……愚かな子ね」独り言のように呟く。部屋に誰もいない。秘書も、社員も、今日は呼びたくなかった。一人になりたかった。椿の裏切りで、急に孤独が押し寄せてきた。立ち上がり、窓辺に近づいた。ガラスに映る自分の顔。反町香澄。ネットブロード社の社長として、すべてを手に入れたはずなのに、何かが足りない。隆一の影はもうない。私は自分の意思で動いている。ステアリンググループを崩壊させるのも、大道寺家を潰すのも、私の復讐のため。私の人生を歪めたすべてに、報いを与えるため。デスクに戻り、パソコンを開く。ステアリンググループの株価をチェック。まだ下がり続けている。ユナイトコーポレーションの買収は着々と進んでいる。社内のハッカーたちに指示を出す。Slackで、グループチャットにメッセージを打つ。「ステアリンググループの機密データをさらに引き抜け。株価をさらに下げろ。内部の不信を煽るためのフェイクニュースも散布しなさい」 返事はすぐ来た。「了解しました、社長」。 これでいい。椿がいなくても、計画は進む。遥花……あなたも、悠真も、苦しめばいい。あなたが愛した「過去の香澄」は、もう私だけのもの。 でも、頭の奥がズキズキ痛む。鎮痛剤を飲む。最近、頭痛が激しい。医者は「脳腫瘍の可能性が高い」って言うけど、手術なんて受けない。腫瘍は、「過去の香澄」の残滓。彼女を切除すれば、私は一人になる。それが怖い。 「遥花を……傷つけないで……」 また、幻聴が聞こえた。「過去の香澄」の声。苛立つ。頭を振って、声を追い払う。 「私は
Last Updated: 2026-02-19
Chapter: 第106章:忠誠心と自己矛盾*椿10月の暮れ。東京の空は、秋の終わりを告げるように灰色に染まっていた。 あたしは、ネットブロード社の社長室の前に立ち、深呼吸を繰り返していた。ドアの向こうにいるのは反町香澄――あたしが「隆一様の意志を継ぐ者」として仕えてきた女。彼女の命令はいつも絶対だった。でも、今日だけは違う。 ドアをノックする手が震える。入室を許されると、香澄はデスクに座ったまま、冷たい目でこちらを見上げた。黒いスーツが、彼女の肌をより白く見せている。美人だけど、どこか壊れそうな脆さがある。 「椿。報告を」 香澄の声は、いつものように感情が薄い。あたしは、喉に詰まった言葉を無理やり押し出した。 「遥花さんとの関係……順調です。彼女は、あたしを……本気で愛してくれています」 香澄の唇が、わずかに歪んだ。笑みなのか、嘲りなのか。 「順調? それは良かったわ。でも彼女、先日、私のところに来たわよ。“過去の香澄”を取り戻そうとして。まったく、どうして人間って、そんなに過去に縋りつきたがるのかしら」 まるで自分が、人間を超越した上位の存在にでもなったように言う。いや、ある意味そうかもしれない。彼女はあらゆるところが超越している。隆一様の洗脳によって作られた存在。まるで人の心が欠落している。 「遥花との関係が順調だというのなら、彼女に離婚を迫りなさい。すでに悠真にはそれを迫って、失敗したようだけど。遥花ならうまくいくんじゃないかしら。あれだけ人から傷つけられた経験を持つ彼女なら、悠真のことも傷つけまいと、あなたに従うんじゃないかしら。今度こそ大道寺家は崩壊よ。そしてそれが、ステアリンググループの崩壊の引き金になる」 だから、平気でこんな血も涙もない提案ができるんだ。あたしは拳を握った。爪が掌に食い込む。 「……できません」 香澄の目が、細くなる。 「できない? なぜ?」 「あたし……遥花さん、本気で愛してしもうたけん。隆一様の仇取るためやのうて、あたし自身のために、遥花さん幸せにしたいって……ほうじゃけんもう、彼女惑わせるようなことはしとうないし、ええとう(言いたく)ない」 部屋に、重い沈黙が落ちた。香澄はゆっくり立ち上がり、あたしに近づいてきた。冷たい指が、あたしの顎を掴む 「椿。あなたは、私の道具よ。愛なんて幻想にすぎない」 「違う……
Last Updated: 2026-02-17
Chapter: エピローグ:香の鍵“香りとは檻である”かの詩人がその言葉を呟いたとき、そこにはどんな思いが込められていたのか。もう抜け出せない絶望感からか、あるいは自我を失くすほどの甘美な悦びに酔いしれてか。香りは時として人の心を捕らえる。そして一度囚われると、決して逃れることはできない――鍵を手に入れさえしなければ。果たして詩人は、その先の人生で鍵を得ることはできたのだろうか。春の始まり。2DKの簡素な集合住宅の一室で、情事にふける若い男女の声が響く。若い――と言っても、20代半ば。8年の年月を経て、成熟した大人の体となった、香織と拓海だった。長年スポーツに勤しんでいた拓海の体はすっかり引き締まり、盛り上がった筋肉にぷつぷつと汗が浮き上がっている。一方、香織の体は女性らしい丸みを帯び、柔らかで形の良い乳房も熟れた果実のような膨らみとなっていた。拓海が、香織のポツッと硬くなった乳首にキスをすると、彼女は「ひゃうっ……」と可愛らしい声を上げてのけ反る。その反応に興奮したのか、拓海はますます情熱的に香織の乳首を吸い上げる。「拓海……もうっ、相変わらず赤ちゃんみたいなことする……」「へへ、男の本能ってやつかな。目の前にあると、吸いたくてたまらなくなる」「私達に赤ちゃんができても、同じことするつもりなの?」そ
Last Updated: 2025-07-27
Chapter: 第18話:決戦と解放夏の日差しを浴びながら、香織は彩花と再び観客席に座っていた。しかし学園のグラウンドではない。より広く、青々とした芝生が広がる区営のグラウンドだった。学園のサッカー部が最も注力していた、「夏の試合」が今から始まろうとしていた。春の終わりのあの日、退学した瀬野らから誘われた時は、まったく行く気にもなれなかったこの試合。まさか自ら望んで観戦することになろうとは、香織自身も思ってもみなかった。いまフィールドに堂々と立つのは、例の試合結果からレギュラーに選ばれた拓海だ。そして彩花が応援していた新入部員もレギュラー入りし、今は拓海の味方として隣で肩を並べていた。香織は彼の汗と土の匂いを想像し、心で祈った。試合開始のホイッスルが鳴り、拓海は動き出す。相手チームは強豪で、序盤から圧倒的な攻勢を仕掛けてきた。拓海の動きにはまだぎこちなさが残り、ボールを奪われるたびに観客席からため息が漏れる。(拓海、頑張って……!)祈るように、香織は心の中で叫んだ。試合の開始前、コーチは拓海にこう戦略を伝えていた。「相手は前線が強い。拓海、お前は中盤で守備を固めつつ、隙を見たら一気に前へ出ろ。チームの逆転はタイミングが命だ」観客には圧されているように見えたが、拓海はほぼコーチの指示通り中盤で守備に徹し、相手の猛攻を食い止めていた。
Last Updated: 2025-07-26
Chapter: 第17話:幸せで神聖な営み香織と拓海は、直に肌と肌を重ねながら、舌と舌を絡めあいながら、強く求めあった。あの体育館の裏で、瀬野から無理矢理唇を奪われ、口腔を犯されたときとは全然違う。激しいだけでなく、優しさが込もった求め合うキス。どれほど長く重なっていただろうか。やがて唇を離し、互いに見つめ合う。「香織……この先に進んでもいい? 初めてで、うまくできるかわからないけど……」彼の真面目な言葉に、再び香織は頬を赤らめながら、こくんと頷く。だがその時、拓海が動きを止め、慌てたように呟いた。「待てよ……僕、アレ持ってない。まずいよね?」香織が目を上げると、拓海が困った顔でこちらを見ている。彼女がキョトンとする中、彼は「何か……ないかな」と言いながら物置の隅を見回す。ふと、古い棚の埃っぽい角に拓海は目を留めた。そこには、誰かが捨てたらしい未開封のゴムのパッケージが転がっていた。それを拾い上げ、驚いた声を上げる。「何だこれ……こんなとこに置いてあるなんて……一体、誰が?」香織も顔を赤らめながら呟く。「誰かが……使わなかったのかしら。でも、封が切れてないなら……」
Last Updated: 2025-07-25
Chapter: 第16話:もっと近くにテスト試合の前日、香織は図書室で彩花と話していた。彩花は頬を染め、興奮気味に切り出した。「香織、聞いて! サッカー部の新入部員に、めっちゃかっこいい子がいるの! 明日のテスト試合、絶対応援したいんだけど……一人じゃ恥ずかしくて。ね、付き合ってよ!」香織の心臓がドキンと鳴った。拓海も出る試合だ――彼の試練を近くで見たいが、内緒の恋愛は守らねば。香織は微笑み、彩花の熱意に押される形で答えた。「ふふ、そこまで言うなら付き合うわ。応援、楽しそうね」彩花が目を輝かせ、抱きつく。「やった! 香織と一緒なら、絶対楽しいよ!」香織自身も心の中では楽しみすぎて叫び出したい衝動に駆られながら、努めて冷静なお嬢様を装った。試合当日、香織は彩花と共に観客席に座った。夏の陽射しがグラウンドを照らし、拓海の姿が遠くに見える。彼は緊張した顔でフィールドに立ち、補欠ゆえの不慣れな動きが目立つ。「やっぱりあの新入部員、かっこいい!」彩花がそう興奮して叫ぶ中、香織は拓海の匂いを想像し、心で応援した。試合は拓海のチームが劣勢だった。ライバルの新入部員がドリブルで突破し、ゴールをキメる。守備で追われるばかりの拓海に
Last Updated: 2025-07-24
Chapter: 第15話:“おっぱい”の魔法数日後、香織は庭園のベンチで拓海を待っていた。夏の陽射しが薔薇の香りを濃くし、彼女の胸は微かな緊張で高鳴っていた。テスト試合を目前に控え、拓海が日に日に押しつぶされそうになっていることを、香織も感じ取っていた。(拓海の頑張りを、ただ待つだけじゃ足りない。私が彼を支えなきゃ……)拓海が現れた。汗で濡れた体操服が小太りな体に貼り付き、疲れ切った顔に無理やり笑みを浮かべている。香織を見つけ、ベンチに腰を下ろした。「香織……今日もこうして会えて、嬉しいよ……」“嬉しい”と言いながらも、彼の声は力なく、汗と土の匂いが濃密に漂う。香織は水筒を差し出し、穏やかに尋ねた。「練習、きつかったでしょ? テスト試合、近づいてるものね」拓海は苦笑し、俯いた。「うん……コーチに『今のお前じゃ無理だ』って言われてさ。ライバル連中も僕のことバカにして……僕、ほんとにレギュラーなんてなれるのかな……」彼の弱音と、匂い――汗と土、疲れ果てて決意が揺らぐようなニュアンス――が、彼女の心を揺さぶる。言葉だけでは足りない。もっと近くで、彼を支えたい。「拓海……ちょっと、こっちに来て」香織は立ち上がり、拓海の手を引い
Last Updated: 2025-07-23
Chapter: 第14話:友情と試練「彩花、私……恋人が出来ちゃった」ある日の昼休み、学園のカフェスペースの隅で、二人だけで昼食を取っている最中だった。香織の突然の告白に彩花は目を丸くし、持っていたサンドイッチをポロリと床に落とす。「あーっ! 最後に残しておいたタマゴサンドが……!」「わ、大丈夫!?」「うぅっ……埃まみれ……大丈夫じゃないよ! もったいない……」恨みがましい目で彩花は香織を見る。落としたのは自分なのに、香織のせいだとでも言いたげだ。「まさか……今日二人でご飯行こうって言ったのも、それを言うためだったの?」「いや、そういうわけ……でも、あるのかな……」たどたどしく答えながら、「あ、お詫びにこれ食べる?」と言って、弁当箱の中のふっくらとした卵焼きを箸で彩花に差し出す香織。「食べるっ」と言い、彩花は直接食いついた。まるで池に撒かれたエサを頬張るコイのように。「ん~、おいしい! 香織の家の卵焼き、最高~!」「良かった。実は今朝、自分で焼いてみたの」「へぇ、メイドさんが作ってくれたんじゃないんだ!」
Last Updated: 2025-07-22
Chapter: 第14報:終幕の謝罪文<strong>2016年某月某日 編集済み</strong>半年ほどFacebookを不在にしておりました。不在の間に皆様から書き込まれたエントリに目を通すと「雲隠れでは」との指摘もあります。まさしく、その通りです。心配して電話をかけてくださった皆様。中にはLINEなどで厳しい言葉を投げかけられた方もいらっしゃいましたが、改めて身が引き締まる思いでした。本当にありがとうございました。事情をご存じでない方に向けて、改めてご説明いたします。実は私、クロカワテツヤは、半年前まで、シロカネマユラという高校時代の元恋人と不倫しておりました。誘ってきたのは彼女の方です。もちろん、それで私の罪が軽くなるとは思っておりません。私自身もシロカネさんをいいように利用し、彼女の心を弄んでしまったのだと思います。そのことを彼女自身に暴露されたのが、まさに半年前のこと。当時の私とシロカネさんの友人・知人、のべ1,300人以上の方の前に大変下品でお恥ずかしい写真を晒してしまいましたこと、今更ながら深くお詫び申し上げます。そちらの投稿は、現在すでにシロカネさんのアカウントごと削除されております。削除は私から依頼したものではありましたが、まさかアカウントごととは思いませんでした。以来、彼女とは一切連絡が取れておりません。もちろん、慰謝料を要求されればお支払いするつもりで、こちらから直接家を訪ねたりもしま
Last Updated: 2025-08-19
Chapter: 第13報:恋のアップデート10年前に俺を振ったマユラは、最後のメールに「あなたの幸せを願っている」と書いていた。その言葉は、ぜんぜんフェアじゃなかった。ヤツには新しい恋人がいる。俺には、マユラと別れて付き合える女なんていない。大学に行けば、新たな出会いはいくらでもある。けれどどんな女を見ても、そこにマユラの影を探してしまう。「女の恋は上書き保存」とはよく言ったものだ。男の恋など、いくら上書きしようとしてもムリだ。以前のデータの保護がどうやったって解除できず、新規インストールには失敗ばかり。男にとって恋なんて言えるのは、初恋の相手だけかもしれない。その後ユキノと出会ったのは恋じゃなかった。妹ができたような感覚が近い。やがて仲が深まるうち、「恋人」をすっとばして「妻」とフォルダをリネームしたにすぎない。いまだに俺の「恋人」フォルダには、マユラが存在していた。もう二度と開けてはいけないフォルダだ。永遠にアップデートされないまま、忘れ去られていくべきものだった。10年越しにそれがアップデートされたいま。状況は最悪でしかない。マユラと交わりながら妻の名を呼んでしまった俺は、ヤツのiPhoneで写真を撮られている。局部丸出しの恥ずかしい格好で。「これ、ぜんぶFacebookにアップするから」「やめてくれ……
Last Updated: 2025-08-17
Chapter: 第12報:愛しのレッグカットきしむベッドの音、悲鳴に近いあえぎ声。香水のニオイ、それに混じるオスとメスのクサさ。汗のしょっぱさに、唾液の甘さ。目に映るマユラの裸体、泣き出しそうな表情。肉と肉が擦れる感触と、体全体を包む熱気――否、熱は体の奥底からこみ上げてくる。俺とマユラの命を燃やし、溢れ、また外から内側を温める。五感すべてが、ヤツに釘付けになる。狂っている。俺もマユラも既におかしくなっている。いや、10年前からそうだ。どうしてこんな女を抱いたんだろう。「じつは俺さ、シロカネのことが気になってて」高校のころ、よく俺やマユラと一緒につるんでいた男友達に告げると、こう返された。「え……やめといたほうがいいんじゃねえの……」決してマユラは嫌われていたわけじゃない。誰とでも仲よく付き合えた。一緒にいて気兼ねしない女。しかしそれゆえに、深いところでつながりあえない存在。誰もがシロカネマユラの存在を知っていたが、誰もヤツの心の奥底の闇を知らないし、知ろうとしなかった。俺だけが興味を持った。そして知った。裸のマユラを。その股に刻まれた無数の傷、リストカットならぬレッグカットの跡を。見て率直に、キモチワルイと思った。自分でそんなところに傷をつくるなんて、アタマおかしいんじゃないか。けれ
Last Updated: 2025-08-15
Chapter: 第11報:ふたりだけのプリズン珍しいことに、空には雨雲ではなく星空が広がっている。この街で雨が降らない日もあると、ようやく証明された。思い返せば今までも、この街で雨が降らない日もあったろう。ただの曇りの日も、星が出ている日も。ちゃんと見上げず、気づかなかっただけでは。言葉に記したことが、いつも真実とは限らない。むしろ嘘だらけだ。俺が不倫したことも、そうだったらいいと思う。マユラなんて元カノ、最初から存在しなかった。そうであれば、気分だってどれほど晴れるか。マユラの家に着いてインターホンを押す。が、返事はない。Facebookのメッセージで行くと伝えておいたハズ。「既読」も確認した。仕方なく家の前で待つことにする。スマホはカバンにしまってある。見たくもない。ネットの炎上は激しさを増している。投稿の公開範囲が俺とマユラの知人のみの設定になっていたことと、俺が会社の人間とは誰とも「友達」になっていなかったのは救いだ。が、バレるのも時間の問題かもしれない。俺より交友関係の広いマユラの「友達」に、俺と仕事上で付き合いのある人間がいないという保証はない。このスキャンダルが表に出たらおおごとだ。ひょっとしたら、会社もクビになるかもしれない。プロジェクトが頓挫してブルーになっていたことが、ここまで波及するとは……改
Last Updated: 2025-08-13
Chapter: 第10報:終わりからの始まり「これで最後だ」というセリフを、いったい何度叫んだことだろう。「もう辞めよう」と言って突き放そうとするたび、マユラは俺にからみついてきた。逆にマユラからふりほどこうとするなら、今度は俺の方が放せなくなった。綱引きのようなセックス。疲労困憊で、文字通り精も根も尽きた。射精したのも何回だろう。ヤツと抱き合うと、下半身も思春期に戻ってしまう。妻とはいつも1回。2回以上はとてもできないのに。またも中央線の車内、脳みそが綿でくるまれたような眠気に、吊革を何度も手放しそうになった。アルコールも入っていないのに、周りの乗客にはタチの悪い酔っぱらいと思われたことだろう。辛うじて寝過ごさず中野駅のホームに降り立ったときも、フラフラでしばらくマトモに歩けなかった。ベンチに腰掛け、少しだけ休む。目を閉じると、マユラの肌色の肉体が――腹が、背中が、太股が、乳房が、そして毛で覆われた股間が、ぐるぐると回っていた。股間のものはヒリヒリと痛みながらも、また勃とうとしている。だめだ、だめだ。激しく頭を振り、睡魔と性欲を振り払う。立ち上がり、家路に戻る。途中、飯を何も食べてないことに気づき、駅前の通りの「なか卯」に寄る。出されたうどんの白さを見て、またマユラの肌を連想してしまい、慌ててかき込んだ。店を出て約10分、なんとかぶじマン
Last Updated: 2025-08-11
Chapter: 第9報:忘却のための射精「ひぁっ……ま、待って……ここでしたら、泡で染みちゃう……」湯船の中で俺と股間を重ね合わせながらも、マユラは抗議する。バカな心配だ。泡風呂の泡が浮いているのは水面だけ、中の湯に混じっていることはない。「だいじょうぶだよ、激しくしなければ。ちゃんと、気持ちいいだろ?」「う、うんっ……、き、きもちいい……」ヤツの甘えた声に、俺の股間のものがビクビクと反応し、硬度を増す。そのたびまた、ひゃあん、という声が響く。もっと深くつながりたい。「いったん、手を離すぞ」と、マユラの上体を支えるのを、ヤツの背後に延びた自身の両手に任せ、俺の腰を挟むようなポジションにあるマユの両足をつかむ。その二本を持ち上げ、俺の肩に載せる。「わわっ……ちょっ……何するの、怖いっ……あっ」おびえた声を出す一方で、さきほどより一層甘い声がマユラの喉の奥からもれる。俺の先端が、ズブ、と深く入ったのを感じる。ここほど広い
Last Updated: 2025-08-09