Chapter: 第14報:終幕の謝罪文<strong>2016年某月某日 編集済み</strong>半年ほどFacebookを不在にしておりました。不在の間に皆様から書き込まれたエントリに目を通すと「雲隠れでは」との指摘もあります。まさしく、その通りです。心配して電話をかけてくださった皆様。中にはLINEなどで厳しい言葉を投げかけられた方もいらっしゃいましたが、改めて身が引き締まる思いでした。本当にありがとうございました。事情をご存じでない方に向けて、改めてご説明いたします。実は私、クロカワテツヤは、半年前まで、シロカネマユラという高校時代の元恋人と不倫しておりました。誘ってきたのは彼女の方です。もちろん、それで私の罪が軽くなるとは思っておりません。私自身もシロカネさんをいいように利用し、彼女の心を弄んでしまったのだと思います。そのことを彼女自身に暴露されたのが、まさに半年前のこと。当時の私とシロカネさんの友人・知人、のべ1,300人以上の方の前に大変下品でお恥ずかしい写真を晒してしまいましたこと、今更ながら深くお詫び申し上げます。そちらの投稿は、現在すでにシロカネさんのアカウントごと削除されております。削除は私から依頼したものではありましたが、まさかアカウントごととは思いませんでした。以来、彼女とは一切連絡が取れておりません。もちろん、慰謝料を要求されればお支払いするつもりで、こちらから直接家を訪ねたりもしま
Dernière mise à jour: 2025-08-19
Chapter: 第13報:恋のアップデート10年前に俺を振ったマユラは、最後のメールに「あなたの幸せを願っている」と書いていた。その言葉は、ぜんぜんフェアじゃなかった。ヤツには新しい恋人がいる。俺には、マユラと別れて付き合える女なんていない。大学に行けば、新たな出会いはいくらでもある。けれどどんな女を見ても、そこにマユラの影を探してしまう。「女の恋は上書き保存」とはよく言ったものだ。男の恋など、いくら上書きしようとしてもムリだ。以前のデータの保護がどうやったって解除できず、新規インストールには失敗ばかり。男にとって恋なんて言えるのは、初恋の相手だけかもしれない。その後ユキノと出会ったのは恋じゃなかった。妹ができたような感覚が近い。やがて仲が深まるうち、「恋人」をすっとばして「妻」とフォルダをリネームしたにすぎない。いまだに俺の「恋人」フォルダには、マユラが存在していた。もう二度と開けてはいけないフォルダだ。永遠にアップデートされないまま、忘れ去られていくべきものだった。10年越しにそれがアップデートされたいま。状況は最悪でしかない。マユラと交わりながら妻の名を呼んでしまった俺は、ヤツのiPhoneで写真を撮られている。局部丸出しの恥ずかしい格好で。「これ、ぜんぶFacebookにアップするから」「やめてくれ……
Dernière mise à jour: 2025-08-17
Chapter: 第12報:愛しのレッグカットきしむベッドの音、悲鳴に近いあえぎ声。香水のニオイ、それに混じるオスとメスのクサさ。汗のしょっぱさに、唾液の甘さ。目に映るマユラの裸体、泣き出しそうな表情。肉と肉が擦れる感触と、体全体を包む熱気――否、熱は体の奥底からこみ上げてくる。俺とマユラの命を燃やし、溢れ、また外から内側を温める。五感すべてが、ヤツに釘付けになる。狂っている。俺もマユラも既におかしくなっている。いや、10年前からそうだ。どうしてこんな女を抱いたんだろう。「じつは俺さ、シロカネのことが気になってて」高校のころ、よく俺やマユラと一緒につるんでいた男友達に告げると、こう返された。「え……やめといたほうがいいんじゃねえの……」決してマユラは嫌われていたわけじゃない。誰とでも仲よく付き合えた。一緒にいて気兼ねしない女。しかしそれゆえに、深いところでつながりあえない存在。誰もがシロカネマユラの存在を知っていたが、誰もヤツの心の奥底の闇を知らないし、知ろうとしなかった。俺だけが興味を持った。そして知った。裸のマユラを。その股に刻まれた無数の傷、リストカットならぬレッグカットの跡を。見て率直に、キモチワルイと思った。自分でそんなところに傷をつくるなんて、アタマおかしいんじゃないか。けれ
Dernière mise à jour: 2025-08-15
Chapter: 第11報:ふたりだけのプリズン珍しいことに、空には雨雲ではなく星空が広がっている。この街で雨が降らない日もあると、ようやく証明された。思い返せば今までも、この街で雨が降らない日もあったろう。ただの曇りの日も、星が出ている日も。ちゃんと見上げず、気づかなかっただけでは。言葉に記したことが、いつも真実とは限らない。むしろ嘘だらけだ。俺が不倫したことも、そうだったらいいと思う。マユラなんて元カノ、最初から存在しなかった。そうであれば、気分だってどれほど晴れるか。マユラの家に着いてインターホンを押す。が、返事はない。Facebookのメッセージで行くと伝えておいたハズ。「既読」も確認した。仕方なく家の前で待つことにする。スマホはカバンにしまってある。見たくもない。ネットの炎上は激しさを増している。投稿の公開範囲が俺とマユラの知人のみの設定になっていたことと、俺が会社の人間とは誰とも「友達」になっていなかったのは救いだ。が、バレるのも時間の問題かもしれない。俺より交友関係の広いマユラの「友達」に、俺と仕事上で付き合いのある人間がいないという保証はない。このスキャンダルが表に出たらおおごとだ。ひょっとしたら、会社もクビになるかもしれない。プロジェクトが頓挫してブルーになっていたことが、ここまで波及するとは……改
Dernière mise à jour: 2025-08-13
Chapter: 第10報:終わりからの始まり「これで最後だ」というセリフを、いったい何度叫んだことだろう。「もう辞めよう」と言って突き放そうとするたび、マユラは俺にからみついてきた。逆にマユラからふりほどこうとするなら、今度は俺の方が放せなくなった。綱引きのようなセックス。疲労困憊で、文字通り精も根も尽きた。射精したのも何回だろう。ヤツと抱き合うと、下半身も思春期に戻ってしまう。妻とはいつも1回。2回以上はとてもできないのに。またも中央線の車内、脳みそが綿でくるまれたような眠気に、吊革を何度も手放しそうになった。アルコールも入っていないのに、周りの乗客にはタチの悪い酔っぱらいと思われたことだろう。辛うじて寝過ごさず中野駅のホームに降り立ったときも、フラフラでしばらくマトモに歩けなかった。ベンチに腰掛け、少しだけ休む。目を閉じると、マユラの肌色の肉体が――腹が、背中が、太股が、乳房が、そして毛で覆われた股間が、ぐるぐると回っていた。股間のものはヒリヒリと痛みながらも、また勃とうとしている。だめだ、だめだ。激しく頭を振り、睡魔と性欲を振り払う。立ち上がり、家路に戻る。途中、飯を何も食べてないことに気づき、駅前の通りの「なか卯」に寄る。出されたうどんの白さを見て、またマユラの肌を連想してしまい、慌ててかき込んだ。店を出て約10分、なんとかぶじマン
Dernière mise à jour: 2025-08-11
Chapter: 第9報:忘却のための射精「ひぁっ……ま、待って……ここでしたら、泡で染みちゃう……」湯船の中で俺と股間を重ね合わせながらも、マユラは抗議する。バカな心配だ。泡風呂の泡が浮いているのは水面だけ、中の湯に混じっていることはない。「だいじょうぶだよ、激しくしなければ。ちゃんと、気持ちいいだろ?」「う、うんっ……、き、きもちいい……」ヤツの甘えた声に、俺の股間のものがビクビクと反応し、硬度を増す。そのたびまた、ひゃあん、という声が響く。もっと深くつながりたい。「いったん、手を離すぞ」と、マユラの上体を支えるのを、ヤツの背後に延びた自身の両手に任せ、俺の腰を挟むようなポジションにあるマユの両足をつかむ。その二本を持ち上げ、俺の肩に載せる。「わわっ……ちょっ……何するの、怖いっ……あっ」おびえた声を出す一方で、さきほどより一層甘い声がマユラの喉の奥からもれる。俺の先端が、ズブ、と深く入ったのを感じる。ここほど広い
Dernière mise à jour: 2025-08-09
Chapter: 第46章:大晦日の亡霊*悠真【2015年12月31日】屋敷のリビングは、暖炉の火も消えて冷えきっていた。俺は缶ビールを片手に、ソファに沈み込んでいる。もう紅白も終わり、NHKでは『ゆく年くる年』を放送している。あと10分で新年だそうだが、どうでもいい。缶ビールをもう一本開けようとしたとき、スマホが鳴った。画面に表示されたのは、末継阿左美のLINEだ。彼女の方から一体、何の用だ?ため息をつきながら、通話ボタンを押す。「悠真さん? 今一人ですか?」「ああ、一人だ」「よかったら一緒に初詣行きません?」「何で俺とお前が」「どうせ部屋でテレビでも見ながら、ビール飲んでたんでしょ」図星だ。俺は苦笑いしながら、ソファに深くもたれかかった。「わかった、付き合ってやる……と言いたいところだが、生憎、足が無いんだ。ドライバーは例の事件で捕まったし、秘書の佐伯もさすがに年末年始は休暇を取ってる」「えー、つまんない……あ、じゃあ、年明けまでダベってましょうよ」「何で俺が女子大生なんかと……」「あ、いま馬鹿にしましたけど、これでも一度、お見合いした仲ですよね。それに悠真さんだって、私のことをちょいちょい頼ってくるくせに」……そう言われたら、言い返せない。「わかったよ……ただ、一応、気になってることを聞いておくぞ。お前、前に言ったよな? お前に予知能力はない、霊感があるだけだって。どうして霊感でそこまで読めるようになった。それに……この間のクリスマスだって」「ああ、役に立ったでしょう? テニスボールとポリ袋。防刃手袋は……むしろ無くても困らなかったようですけど。まぁ、備えあれば憂いなしってやつですね」「確かに役に立ったが……もう未来予知レベルじゃないか。何なんだ」阿左美は、少し間を置いて、静かに言った。「それは私の力じゃありません。百合子さんですよ」……百合子。俺は缶ビールをテーブルに置いた。手が震えていた。「先日、ようやくニュースが出ましたよね。ほら、長野の……」クリスマスの夜の、あの事件の直後のことだ。長野の山奥で発見された、とある女性の遺体が、佐野百合子のものであることが判明したというニュースが流れた。“遭難事故”。……事件はそう処理されたが、俺にはそれが“組織”の口封じに見えて仕方ない。「本当に事故で死んだのか、それとも裏があるのか。悠真さんも薄々わかってるんでし
Dernière mise à jour: 2025-11-23
Chapter: 第45章:裏切りの仮面*悠真ポリ袋を頭にかぶったまま、抵抗を続ける神崎。 「ぐっ……あぁっ……!」 明らかに苦しそうな声を上げる。と、マンションの中からもう一人、見知らぬ男が出てきた。 「僕が手足を抑えます! あんまりやり過ぎない方がいいです、死んでしまいます!」 「……お前、誰だ⁉」 「奥野です! 遠藤先輩の、職場の後輩です!」 こんな状況でも礼儀正しく自己紹介する男、奥野。もちろん有言実行で、神崎の両手は抑えつけている。 「はいっ、これで縛り付けて!」 と、香澄から何かを渡された。結束バンドとビニールテープだ。なかなか用意周到……いや感心している場合ではない。俺と奥野で、テキパキと神崎を縛った。 やがて、ガックリと力を無くす神崎。 「えっ……死んだ⁉」 「いや、失神してるだけです。とりあえず、顔の袋は外しましょう」 奥野から言われるまま、恐る恐るポリ袋を外す。その下から出てきたのは、目が血走り、泡を吹いている神崎だ。予想が的中した。俺を裏切り、遥花たちを脅かしていたのは、やはり長年俺のすぐそばにいたこの男……やるせなさが胸を締めつける。間違いであって欲しかった。 「悠真……一体、どうやって入ってきたの?」 震える声で遥花が尋ねる。俺は言葉を濁した。 「それは……まぁ、いいじゃないか」 偶然やってきたテレビクルーに、テニスボールを渡すことで得られた鍵で……なんて、いま話しても信じてもらえないだろうし、混乱を与えるだけだ。 香澄は不満そうな顔をしながらも、震える声で言った。 「助けは要らないなんて言ったけど……助かったわ。ありがとう」 俺は首を振る。 「礼には及ばんさ。むしろ、俺のせいで君たちにこんな危険が及んでいるんだと思う。すまなかった」 俺の謝罪に、遥花は怯えた声で言った。 「やっぱり、大道寺家の子供を私が産んだから、こんなことになってるのね……? 神崎さんも、どうしてこんなことを?」 俺は、のびている神崎を見ながら答えた。 「俺もうまく説明できない……だが、俺をハメた女に言われたんだ。百合子さ。俺のことを狙っている“組織”がいると。少なくとも俺は……そしてステアリンググループは、そういう脅威にさらされている」 言葉を失っている遥花と香澄。俺は続けた。 「こいつの犯行も、こいつ単独じゃ
Dernière mise à jour: 2025-11-22
Chapter: 第44章:鍵と蹴り*悠真遥花から助けを求められていないことは、100%わかっていた。それでも俺は阿左美に背中を押される形で、遥花と香澄のマンションまで向かった。車の運転席に座る佐伯は無表情のままハンドルを握り、バックミラー越しに一度だけ俺を見た。「悠真様、本当によろしいのですか……あのような形でお別れになった元奥様と、このような形で会いに行かれるなど……」「黙って運転しろ」それ以上は佐伯も、何も言わなかった。普段通り、機械のように黙々と指示された仕事をこなす。マンションの前に着くと案の定、黒のレクサスが停まっていた。神崎の車……か? 確信は持てなかった。ナンバープレートを確認しようとしても、番号なんて覚えているわけがない。神崎の車になら何百回と乗っているはずなのに、一度も意識したことがなかったのだ。そもそも俺は神崎のことを、まるで知らなかった。名前すら、最近まで「ドライバー」としか呼んでいなかった男だ。反省している場合じゃない。俺は車を降り、マンションに近づいた。佐伯はエンジンをかけたまま待機してもらう。持っているのは、阿左美に言われた三種の神器――テニスボール、ポリ袋、防刃手袋。どれも意味がわからないが、持っているだけで少しだけ落ち着く。まるで子供がお守りを握りしめているような気分だ。オートロックのエントランスの前で立ち尽くす。インターホンを押す勇気はない。遥花が出たら、どう顔をすればいい? 香澄が出たら、もっと最悪だ。どうやって中に入るか……。考えてあぐねていると、突然、後ろからゾロゾロと人が押し寄せてきた。「さて、やって参りました! こちらの物件、お値段いくら!?」マイク、カメラ、三脚を抱えた十数人の集団が、まるでロケバスから吐き出されたようにマンションに雪崩れ込んでいく。テレビクルー? 俺は反射的に後ずさったが、「おお、買ってきてくれたかテニスボール! 早かったな。早く渡せ」突然、カメラマンに腕を掴まれる。抗議する間もなく、俺が持っていたテニスボールが奪い取られた。一瞬でカッターで切り裂かれ、中の空気も抜けてペシャンコになる。「にしても、いくら出演アイドルのスキャンダルが出たからって、わざわざこんな夜に撮り直すこともないのにな……」「まぁ、時期が時期ですしね……にしても、ディレクターの事務所があるマンションを借りるなんて! いくらロケ地が抑えられ
Dernière mise à jour: 2025-11-21
Chapter: 第43章:パーティの匂いと忍び寄る影*香澄【2015年12月25日(金) 夕方】マンションに戻ると、部屋はすっかりクリスマスの匂いに包まれていた。奥野が張り切って焼いたローストビーフの香ばしい煙と、温め直したチキンソテーのバター香。生クリームたっぷりのケーキと、シャンパンの泡の音。蓮と菖蒲は小さなサンタ帽をかぶせられ、赤いクリスマススタイ(よだれかけ)を着て「うー!」「きゃー!」と大はしゃぎだ。「ただいまー! 遅くなってごめん!」玄関で靴を脱ぐなり、遥花が飛びついてきた。いつもより強く抱きしめ返し、耳元で囁く。「大丈夫? 怖かったよね」「……うん。でも香澄が帰ってきてくれたから、もう平気」遥花の震えが少しずつ収まっていくのを感じて、胸を撫で下ろす。奥野はキッチンで「先輩、おかえりっす!」と手を振ってくれたけど、まだ事情は話せていない。きっと遥花からも、何も説明できなかったに違いない。朝イチでT探偵事務所に乗り込んで得られた衝撃の事実……探偵に遥花の情報を横流しした神崎一二三は、大道寺悠真の専属ドライバーだった。しかも今日、遥花がマンション前で目撃したという黒のレクサスは、神崎が乗り回す車種とも一致していたそう。雇用主の悠真本人にも確認したが、神崎は休みを取っていて連絡が取れない。悠真のすぐそばにいる人間が私たちを監視していたのは事実。そして神崎が脅迫状を送ってきた本人である可能性が高い。 一応、遥花の元夫である悠真自身が脅迫犯ではないかという疑いもかけたが、電話で会話した限りではシロと見て良さそうだ。むしろ彼は子供の養育費などの工面まで考えていたが、そこは遥花の意向で断りを入れたところだ。別れた元夫になんて、助は乞わない。私も遥花も、彼とは今後も無関係でいくつもりだ。「それで、香澄……どうするの?」遥花が小声で聞いてくる。私はサンタ帽をかぶった蓮の頬をつつきながら、できるだけ明るい声で答えた。「今夜はまずパーティ楽しもう。奥野も来てくれてるし、犯人が本当に今夜動くなら、むしろチャンス。人数が多い方が安全でしょ?」「……でも、無関係な奥野さんまで巻きこんじゃって……」「それは私も申し訳なく思ってたけど……一先ず、できる限りの準備はしてあるから」私はバッグから、帰る途中でホームセンターで買い揃えたものをそっと取り出す。黒いビニールテープ、結束バンド、玄関ドア用の補助ロック(二重
Dernière mise à jour: 2025-11-20
Chapter: 第42章:防刃手袋とテニスボール*悠真ステアリングタワーの重役室。大きな窓から見える東京は、完全にクリスマスカラーに染まっていた。ただ、妻も恋人もいない俺にとっては関係のない話だ。書類の整理をしていると、スマホに電話がかかってきた。相手はT探偵事務所。「もしもし……」「大道寺悠真! あなたの専属ドライバーは今どこにいるの!?」出ると、田中ではなく、若い女性の声が俺の耳を耳をつんざく。この声は……遥花の恋人、香澄か? 一体何なんだ、藪から棒に……と思いつつ、「俺の専属ドライバーがどうかしたのか? 彼なら今休暇を取っている」答えるなり、香澄はまたヒステリックに叫ぶ。「何ですって!? どうして今日に限って……!」「そりゃ、休む権利は誰だってあるだろう……例年のことだしな。クリスチャンだと言っていたから、讃美歌でも歌いに行くんじゃないか?」言いながら、あのほとんど会話らしい会話もマトモにできないような無口なあいつが讃美歌を? と想像し、つい笑ってしまったが、「何笑ってんのよ! こっちは一大事なんだから!」香澄に怒られた。「ああ、それはすま……いや、今のは俺が悪いのか? ちゃんと説明してくれ。一体、何があった? どうして俺の専属ドライバーの所在なんて……そもそも、君と彼とは面識もないんじゃないか?」通話の向こうから大きなため息が聞こえる。失礼な女だ。わけもわからないことを訊かれてため息を吐きたいのはこっちだと言うのに。だがその直後、彼女はもっとわけのわからないことを言い出したのだ。「あなたが探偵に依頼して突き止めた私たちの住所……情報提供した人物がわかったのよ。ネットに書き込んだやつ。それが、神崎一二三……あなたが専属ドライバーとして雇っている人物だったってワケ!」神崎一二三……ドライバーのあいつが? なんであいつが、遥花の住処を知っていたんだ?「それは本当なのか? どうやって調べた?」「あのね……いちいち経緯まで説明しなきゃいけないの? ともかく、そいつが今休暇を取ってるって言うなら、もしかしたら遥花のことをストーキングしてるかもしれないわ」神崎が遥花のストーキングを……だめだ、信じられない話ばかりでついていけない。「遥花は今、どこだ?」「マンションよ。双子の面倒を見ているはず」「なんだ、外ではないんだな……」部屋の中なら安心だ。そう思ってホッとしかけたが、「そ
Dernière mise à jour: 2025-11-19
Chapter: 第41章:サンタの帽子と黒のレクサス*遥花【2015年12月25日(金) 昼】時刻はお昼を回っているのに、香澄はまだ帰ってこない。蓮と菖蒲はベビーベッドで仲良く手足をバタつかせている。赤ちゃんってこうやって、自然に体の動かし方を覚えていくんだな。感心して二人を交互に見ながら、時折スマホもチラチラ見てしまう。「香澄、早く帰ってきて……」思わず呟くと、蓮が「うー!」と手をバタバタ。菖蒲も「きゃー!」と叫びながら真似するように体を動かす。まるで“香澄ママ、早く!”と言っているみたいで、思わず笑ってしまう。ふと、インターホンが鳴った。香澄は鍵を持ってるから鳴らさない。一瞬ドキッとするが、モニターに映った顔を見てホッとした。「奥野さん……今、開けますね」奥野さんを部屋に招くと、両手に買い物袋を提げ、息をハァハァさせながら言う。「いやぁ、僕も有給取っちゃいましたよ! パーティなんて久しぶりで、気合い入れすぎちゃって!」キッチンに袋をドサドサ置くと、中からローストビーフ用の肉塊、シャンパン、ケーキ、さらにはサンタの帽子まで出てきた。「奥野さん、これ、すごい量! 大人3人で食べきれるかな……」「えへへ、尊敬する遠藤先輩のご家族ですから! きっちり腕を震わせていただきます! 残ったらまぁ、休日用の作り置きにでも!」奥野さんはエプロン姿でキッチンに立つ。さすがは香澄の部下、驚くほど手際がいい。「ローストビーフは低温調理でじっくり! ケーキは後でデコります!」蓮と菖蒲もベッドの中で寝そべりながら、興味津々でキッチンを眺めている。菖蒲が「うー!」と手を伸ばしてグーパーしていると、奥野さんが「あら、手伝いたいのかな? 未来のシェフ!」とニコニコしている。時計は12時半。そろそろ授乳の時間だ。私は一瞬、いつものように「タンデム授乳やるから手伝って」と言いたくなったが、奥野さんは男性ゲストだ。さすがに授乳のサポートなんてお願いできない。それに「今からおっぱいあげますから、こっち見ないでください」と言うのも何だか失礼な気がした。ありがたいことに、向こうは料理を始めている。その間にパパッと済ませようと、まずは蓮を持ち上げてリビングまで運ぶ。一生懸命、母乳を吸う蓮。蓮も菖蒲も体重はほぼ同じだけれど、蓮の方がやはり力強く吸う気がしている。ついまじまじと見てしまうが、目元は何となく私にソックリな気がする。男の子は
Dernière mise à jour: 2025-11-18
Chapter: エピローグ:香の鍵“香りとは檻である”かの詩人がその言葉を呟いたとき、そこにはどんな思いが込められていたのか。もう抜け出せない絶望感からか、あるいは自我を失くすほどの甘美な悦びに酔いしれてか。香りは時として人の心を捕らえる。そして一度囚われると、決して逃れることはできない――鍵を手に入れさえしなければ。果たして詩人は、その先の人生で鍵を得ることはできたのだろうか。春の始まり。2DKの簡素な集合住宅の一室で、情事にふける若い男女の声が響く。若い――と言っても、20代半ば。8年の年月を経て、成熟した大人の体となった、香織と拓海だった。長年スポーツに勤しんでいた拓海の体はすっかり引き締まり、盛り上がった筋肉にぷつぷつと汗が浮き上がっている。一方、香織の体は女性らしい丸みを帯び、柔らかで形の良い乳房も熟れた果実のような膨らみとなっていた。拓海が、香織のポツッと硬くなった乳首にキスをすると、彼女は「ひゃうっ……」と可愛らしい声を上げてのけ反る。その反応に興奮したのか、拓海はますます情熱的に香織の乳首を吸い上げる。「拓海……もうっ、相変わらず赤ちゃんみたいなことする……」「へへ、男の本能ってやつかな。目の前にあると、吸いたくてたまらなくなる」「私達に赤ちゃんができても、同じことするつもりなの?」そ
Dernière mise à jour: 2025-07-27
Chapter: 第18話:決戦と解放夏の日差しを浴びながら、香織は彩花と再び観客席に座っていた。しかし学園のグラウンドではない。より広く、青々とした芝生が広がる区営のグラウンドだった。学園のサッカー部が最も注力していた、「夏の試合」が今から始まろうとしていた。春の終わりのあの日、退学した瀬野らから誘われた時は、まったく行く気にもなれなかったこの試合。まさか自ら望んで観戦することになろうとは、香織自身も思ってもみなかった。いまフィールドに堂々と立つのは、例の試合結果からレギュラーに選ばれた拓海だ。そして彩花が応援していた新入部員もレギュラー入りし、今は拓海の味方として隣で肩を並べていた。香織は彼の汗と土の匂いを想像し、心で祈った。試合開始のホイッスルが鳴り、拓海は動き出す。相手チームは強豪で、序盤から圧倒的な攻勢を仕掛けてきた。拓海の動きにはまだぎこちなさが残り、ボールを奪われるたびに観客席からため息が漏れる。(拓海、頑張って……!)祈るように、香織は心の中で叫んだ。試合の開始前、コーチは拓海にこう戦略を伝えていた。「相手は前線が強い。拓海、お前は中盤で守備を固めつつ、隙を見たら一気に前へ出ろ。チームの逆転はタイミングが命だ」観客には圧されているように見えたが、拓海はほぼコーチの指示通り中盤で守備に徹し、相手の猛攻を食い止めていた。
Dernière mise à jour: 2025-07-26
Chapter: 第17話:幸せで神聖な営み香織と拓海は、直に肌と肌を重ねながら、舌と舌を絡めあいながら、強く求めあった。あの体育館の裏で、瀬野から無理矢理唇を奪われ、口腔を犯されたときとは全然違う。激しいだけでなく、優しさが込もった求め合うキス。どれほど長く重なっていただろうか。やがて唇を離し、互いに見つめ合う。「香織……この先に進んでもいい? 初めてで、うまくできるかわからないけど……」彼の真面目な言葉に、再び香織は頬を赤らめながら、こくんと頷く。だがその時、拓海が動きを止め、慌てたように呟いた。「待てよ……僕、アレ持ってない。まずいよね?」香織が目を上げると、拓海が困った顔でこちらを見ている。彼女がキョトンとする中、彼は「何か……ないかな」と言いながら物置の隅を見回す。ふと、古い棚の埃っぽい角に拓海は目を留めた。そこには、誰かが捨てたらしい未開封のゴムのパッケージが転がっていた。それを拾い上げ、驚いた声を上げる。「何だこれ……こんなとこに置いてあるなんて……一体、誰が?」香織も顔を赤らめながら呟く。「誰かが……使わなかったのかしら。でも、封が切れてないなら……」
Dernière mise à jour: 2025-07-25
Chapter: 第16話:もっと近くにテスト試合の前日、香織は図書室で彩花と話していた。彩花は頬を染め、興奮気味に切り出した。「香織、聞いて! サッカー部の新入部員に、めっちゃかっこいい子がいるの! 明日のテスト試合、絶対応援したいんだけど……一人じゃ恥ずかしくて。ね、付き合ってよ!」香織の心臓がドキンと鳴った。拓海も出る試合だ――彼の試練を近くで見たいが、内緒の恋愛は守らねば。香織は微笑み、彩花の熱意に押される形で答えた。「ふふ、そこまで言うなら付き合うわ。応援、楽しそうね」彩花が目を輝かせ、抱きつく。「やった! 香織と一緒なら、絶対楽しいよ!」香織自身も心の中では楽しみすぎて叫び出したい衝動に駆られながら、努めて冷静なお嬢様を装った。試合当日、香織は彩花と共に観客席に座った。夏の陽射しがグラウンドを照らし、拓海の姿が遠くに見える。彼は緊張した顔でフィールドに立ち、補欠ゆえの不慣れな動きが目立つ。「やっぱりあの新入部員、かっこいい!」彩花がそう興奮して叫ぶ中、香織は拓海の匂いを想像し、心で応援した。試合は拓海のチームが劣勢だった。ライバルの新入部員がドリブルで突破し、ゴールをキメる。守備で追われるばかりの拓海に
Dernière mise à jour: 2025-07-24
Chapter: 第15話:“おっぱい”の魔法数日後、香織は庭園のベンチで拓海を待っていた。夏の陽射しが薔薇の香りを濃くし、彼女の胸は微かな緊張で高鳴っていた。テスト試合を目前に控え、拓海が日に日に押しつぶされそうになっていることを、香織も感じ取っていた。(拓海の頑張りを、ただ待つだけじゃ足りない。私が彼を支えなきゃ……)拓海が現れた。汗で濡れた体操服が小太りな体に貼り付き、疲れ切った顔に無理やり笑みを浮かべている。香織を見つけ、ベンチに腰を下ろした。「香織……今日もこうして会えて、嬉しいよ……」“嬉しい”と言いながらも、彼の声は力なく、汗と土の匂いが濃密に漂う。香織は水筒を差し出し、穏やかに尋ねた。「練習、きつかったでしょ? テスト試合、近づいてるものね」拓海は苦笑し、俯いた。「うん……コーチに『今のお前じゃ無理だ』って言われてさ。ライバル連中も僕のことバカにして……僕、ほんとにレギュラーなんてなれるのかな……」彼の弱音と、匂い――汗と土、疲れ果てて決意が揺らぐようなニュアンス――が、彼女の心を揺さぶる。言葉だけでは足りない。もっと近くで、彼を支えたい。「拓海……ちょっと、こっちに来て」香織は立ち上がり、拓海の手を引い
Dernière mise à jour: 2025-07-23
Chapter: 第14話:友情と試練「彩花、私……恋人が出来ちゃった」ある日の昼休み、学園のカフェスペースの隅で、二人だけで昼食を取っている最中だった。香織の突然の告白に彩花は目を丸くし、持っていたサンドイッチをポロリと床に落とす。「あーっ! 最後に残しておいたタマゴサンドが……!」「わ、大丈夫!?」「うぅっ……埃まみれ……大丈夫じゃないよ! もったいない……」恨みがましい目で彩花は香織を見る。落としたのは自分なのに、香織のせいだとでも言いたげだ。「まさか……今日二人でご飯行こうって言ったのも、それを言うためだったの?」「いや、そういうわけ……でも、あるのかな……」たどたどしく答えながら、「あ、お詫びにこれ食べる?」と言って、弁当箱の中のふっくらとした卵焼きを箸で彩花に差し出す香織。「食べるっ」と言い、彩花は直接食いついた。まるで池に撒かれたエサを頬張るコイのように。「ん~、おいしい! 香織の家の卵焼き、最高~!」「良かった。実は今朝、自分で焼いてみたの」「へぇ、メイドさんが作ってくれたんじゃないんだ!」
Dernière mise à jour: 2025-07-22