瑠璃からの呼びかけを聞いた瞬間、夏美と賢は不安そうに、表情の乏しい彼女を見つめた。夏美は胸が張り裂けそうな思いで、そっと呼びかけた。「千璃……」瑠璃はうっすらと微笑み、涼しげな秋の湖を思わせる美しい瞳で周囲を見渡しながら、ゆっくりとヨーロッパ風のソファに歩み寄った。そして、長く細い指先でその表面をそっとなぞった。「以前、蛍のために、わざわざ私をここへ招いて食事に誘ったことがあったんですよね。あのとき、蛍のために、自分たちの『仇』である私を丁寧にもてなして……きっとあの場は、内心とても複雑だったんじゃないですか?」その言葉を聞いた夏美と賢の胸には、さらに深い苦しみが押し寄せた。それを気にも留めず、瑠璃は穏やかな笑みを浮かべたまま続けた。「そのとき、碓氷夫人、あなたは私に訊いたんですよね。『この何年もの間、両親を見つけられなかったのか』って」そう言いながら、瑠璃は夏美の深い謝罪の眼差しを見つめ返した。「碓氷夫人、私の答え……覚えてますか?」「千璃……」「私は言いましたわ。見つけたって。でも、一緒にはなれない。たとえ本当の両親の前に立っても、きっと彼らは私を認めないだろうって」夏美の目が真っ赤に腫れ上がり、涙をこぼしながら瑠璃の手を握った。「千璃……お願い、ママの話を聞いて……」瑠璃はふっと笑った。「説明なんて、いらないです。責めているわけじゃないです。ただ、言いたいだけ――私たちは血が繋がっていても、きっと縁がなかったんだと思います」「そんなことない、千璃……お願い、それだけは言わないで。全部、私たちが悪いの。あんな女、四宮蛍なんかに振り回されて……実の娘のことまで見失って……」「千璃、お願いだ。パパとママに、償わせてくれ」賢もそばに寄ってきた。いまだ凛々しさを感じさせるその顔に、深い哀しみと後悔が滲んでいた。「千璃……この何年、ずっとお前のことを忘れた日はなかった。蛍が現れる前、お母さんは毎晩お前のことを想っていた。お前が元気かどうか、幸せに暮らしているかを心配していた。この大きな屋敷の中にも、お前専用の部屋をずっと残してあったんだよ。お母さんは毎日その部屋を丁寧に掃除して、いつかお前が戻ってくる日のために……」「家?」瑠璃は笑った。「ここが私の家?……でも、なんだかすごくよそよそ
物音に気づいた瑠璃は、ゆっくりと振り返った。すると、夏美と賢が穏やかな微笑みを浮かべながら、彼女をじっと見つめていた。その顔には笑みがあったが、その瞳の奥にある動揺と不安までは隠しきれていなかった。ここまで来た以上、瑠璃にはもう遠回しに言うつもりはなかった。「もう、気づいているんでしょう?」落ち着いた表情で、彼女は口を開いた。その瞬間、賢と夏美はまるで何かに打たれたかのように驚き、戸惑いを隠せない顔で瑠璃を見つめた。しばらく沈黙が続いた後、夏美が恐る恐る口を開いた。「ヴィオラさん……」「ヴィオラさん?」瑠璃はその呼び名を繰り返し、微笑みながら夏美の言葉を遮った。「私のこと、碓氷千璃って呼ぶべきじゃないんですか?」「……」「……」その一言を聞いた瞬間、夏美と賢は息を呑んだ。彼らは呆然と、小さく整った顔に穏やかな微笑みを浮かべる瑠璃を見つめた。ほんの一瞬のうちに、その目には溢れんばかりの涙が込み上げていた。「千璃!」夏美は涙を流しながら、感情のままに瑠璃の元へ駆け寄った。その目には、深い後悔と詫びの気持ちが滲んでいた。そしてそこには、母としての愛情と慈しみが満ちていた。しばらくして、夏美は震える指先をそっと瑠璃の頬へと伸ばした。彼女の白く繊細な頬を大切そうになぞり、その温もりと確かさを感じながら、夏美は唇を噛み締め、胸の痛みに耐えながら瑠璃を抱きしめた。「私の子……大切な娘……」堪えきれずに叫ぶようにそう言って、彼女は瑠璃を力いっぱい抱きしめた。「千璃……やっと会えた……ごめんなさい、ほんとうにごめんなさい……」泣きながら詫びる彼女の声は、大きく震えていた。賢もまた目を赤くしながら瑠璃のもとに近づき、嗚咽交じりに言った。「娘よ……父さんも謝りたい。本当に、すまなかった」心の底からの謝罪だった。彼の目にも、声にも、深い悔恨と理解の念が溢れていた。賢は数秒ほどためらってから、そっと手を伸ばし、優しく瑠璃の頭に触れた。そして慈しむように、ゆっくりと撫でた。夏美と賢から伝わる愛情と謝意を受けながらも、瑠璃の表情は終始静かで、微動だにしなかった。その顔には、何の感情の波も浮かんでいなかった。ただ、長くて濃い睫毛が静かに揺れているだけだった。彼女はそのハッグを拒むこと
夏美と賢は部屋の外から、その光景を目にしていた。その姿を見た瞬間、胸が張り裂けそうなほどの痛みが二人を襲った。彼らは部屋に入る勇気を持てなかった。そして、まだ瑠璃に——君秋が彼女の実の息子だという真実を告げることも、できなかった。こみ上げる想いに堪えきれず、夏美は口元を押さえ、嗚咽を抑えるようにして踵を返し、早足でその場を離れた。「夏美……」賢が声を潜めて夏美を呼び止め、名残惜しそうにもう一度、瑠璃の姿を見てから彼女を追いかけた。夏美は部屋に戻ると、そのままベッドに倒れ込み、顔を覆って泣き崩れた。賢も胸が張り裂けそうだったが、夫として、そして男として——この場では彼女よりも強くあらねばならなかった。「夏美、もう泣かないで……そんなふうにしないで」彼はそっと肩に手を置き、優しく慰めた。「何があっても、少なくとも俺たちの娘は生きている。それも立派に、しっかりと……それを、まずは喜ぶべきじゃないか?」その言葉を聞いた瞬間、夏美の涙は逆にさらに溢れた。もちろん、喜ぶべきことだった。でも——脳裏に浮かんでくるのは、これまでに自分が瑠璃に向けた、数々の暴言や暴力の記憶ばかりだった。病に倒れ、吐血しながらも必死に生きていたあの子に、冷たく「演技だ」と言い放った自分の言葉——すべてが、胸を締めつけた。「私、なんて母親なの……たとえ赤の他人だったとしても、あんなふうに手を上げたり、罵ったりすべきじゃなかった……」夏美は涙で腫れた目を賢に向けた。「賢……知ってる?私、この手であの子を何度も叩いたの。『下劣な女』『クソ女』って罵った。挙句の果てには『死ねばいい』『親に捨てられて当然だ』なんて言ってしまった……あの子が病気で苦しんで吐血していた時でさえ、私は『どうせ気を引くための芝居だ』と、疑って責め立てたのよ……」賢は彼女の言葉を聞きながら、目に涙を滲ませ、喉を鳴らした。「もういい……夏美、言わないで……」彼が絞り出すように呟く声には、彼自身が父親としてどれだけ酷いことをしてきたかという悔恨も込められていた。夏美の涙は止まらず、まるで息もできないかのように激しく泣き続けた。「賢……私、どうしてあんなことを娘に……目の前にあんなに似た目元があったのに、どうして気づけなかったの……あの子は、私とそっくりだ
車の窓が閉まっていても、夏美の震える声ははっきりと瑠璃の耳に届いていた。その声から滲み出る感情を、彼女はすでに理解していた。夏美は何かを必死に抑えていた。その「何か」が何であるかは、瑠璃にとってもう明白だった。「コンコン……」再び、窓が優しくノックされる。夏美は力を込めすぎないよう、そっと叩いた。彼女を怒らせたくなかった。だが無視されるのも怖くて、どうしても呼びかけずにはいられなかった。「ヴィオラさん……ヴィオラ……」呼びかけたその瞬間——「カチャッ」シートベルトが外れる音が聞こえた。そのわずかな反応に、夏美と賢の顔が同時に明るくなった。瑠璃がついに、車から降りてくる気になったのだ。ドアが開かれ、彼女が外へと姿を現す。その姿を目にした瞬間、二人の目にはうっすらと光が宿り、湿った瞳には希望の色が浮かんでいた。瑠璃はそんな二人の姿を静かに見つめながら、淡々と口を開いた。「君ちゃんは部屋にいるんですか?」「……いるわ!部屋にいる!」夏美と賢は何度もうなずきながら、必死に彼女の目を見つめた。「分かりました」瑠璃は短く答え、それ以上何も言わずに家の中へと歩き出した。その背中を、夏美と賢は呆然と見送った。感極まった夏美が、ぽつりと名前を呼んだ。「千璃……」瑠璃は背後の熱い視線をしっかりと感じていた。だが、彼女の足取りに迷いはなかった。胸に押し込めた痛みが、過去の記憶とともに波のように押し寄せてきた。忘れようとしても、痛みはいつもそこにある。……君秋の部屋に入ると、小さな君秋はベッドに寄りかかって絵本を読んでいた。その横顔は真剣そのもので、幼い顔には静かな集中が浮かんでいた。瑠璃の気配に気づいた君秋は、はっと顔を上げた。彼女の姿を見るなり、すぐに顔をぱっと輝かせた。「ママ!」そう呼んだ声には、何の躊躇もなかった。瑠璃の胸の奥に、ふんわりと甘い蜜のような感情が広がった。それは、ずっと癒えることのなかった心に、やさしい光を与えてくれた。「君ちゃん、こんな時間まで起きてたの?」彼女はベッドの縁に座り、小さな頭を撫でて優しく微笑んだ。「ママに会えるなら、朝まで起きててもいいよ」その答えに、思わず瑠璃は笑みをこぼした。「君ちゃんはほんとに口がうまいわね
隼人は冷たい風の中に立ち尽くし、背を向けて去っていく瑠璃の姿を名残惜しげに見つめていた。高く引き締まったその姿は、街灯の下に一筋の孤独な影を落としている。彼は苦笑を浮かべ、胸の奥からじんわりと広がる苦さを感じていた。目の奥にはうっすらと涙が浮かび、遠ざかる彼女の姿をぼやけさせる。彼女の今の冷たさや非情さを、どうして責めることができようか。すべては、自分が招いた結果なのだから――。……律子と若年と食事をした後、瑠璃は一人で以前のマンションへと戻った。彼女は窓際に立ち、ふと耳元に隼人の言葉が蘇る。――「俺が愛しているのは、ずっとお前だけだ」「ふっ」瑠璃はかすかに笑った。本当に愛しているなら、大切な人をあそこまで傷つけるなんて、できるはずがない。隼人、愛しているなんて言わないで。私の心が完全に壊れてから、そんな言葉を言われても、何の意味もない。「ブーブー……」ベッド脇のサイドテーブルに置いたスマホが震えた。瑠璃は思考を止め、画面を確認すると、それは夏美からの着信だった。彼らがあんなに慌てて自分を探していたのだから、きっともう自分が実の娘だと気づいているに違いない――。そう思いながら、彼女はスマホのバイブをそのままにして、しばらく無視していた。五度目の着信で、ようやく瑠璃は通話を受けた。その相手は、彼女が出るとは思っていなかったようで、一、二秒ほど沈黙したのち、喜びを抑えきれない声が響いた。「ヴィオラさん?」そう呼ばれたことに、瑠璃は少し驚いた。……まさか、まだ知らないの?隼人は伝えてないの?「どうかしましたか?どうしてそんなに何度も電話を?」彼女は感情を抑えたまま、淡々と尋ねた。夏美は感情の波を必死に隠しながら、平静を装って言った。「ヴィオラさん、君ちゃんがまた眠れないの。あなたに会いたがっていて……あなたの子守唄が聞きたいって。もし時間あれば、会いに来てくれないかな?」最初は冷たく拒もうとした瑠璃だったが、「君秋」という名前が出た瞬間、心の奥にあった抑え込んだ想いが、ふっとこぼれた。「すぐに行きます。君ちゃんにそう伝えてください」「ええ、必ず待ってるわ!」夏美の震える声から、ただならぬ感情が伝わってきた。その様子に、瑠璃はどこか違和感を覚えた。
若年は視線を横にずらし、その瞬間、眉間を深く寄せた。顔つきも一気に厳しくなった。瑠璃は背後を見ていなかったが、律子と若年の反応から、誰が来たのかすぐに察しがついた。そして同時に、周囲でささやき声が聞こえ始めた。中には興奮した様子で顔を赤らめる女性客の姿もあった。「うそ……めっちゃイケメン!」「たぶん目黒グループの社長よ!」「ネットで見たことある!あれが目黒隼人よ!」瑠璃は何も言わず、静かに箸を置いた。振り向きもせずに言った。「律子ちゃん、西園寺先輩。あんなくだらない人間、無視して別の店に行きましょう」律子は、接近してきた隼人を睨みつけながら拳を握った。「うん、瑠璃ちゃんがそう言うならそうする。西園寺先輩、行きましょう!」「……ああ」若年も立ち上がり、怒りを帯びた視線を隼人へ投げつけた。瑠璃はバッグを手に取り、そのまま立ち上がって振り返ると——そこにはすでに隼人が目の前まで歩み寄ってきていた。黒のレザージャケットを羽織った長身の彼は、冬の冷たい夕風を纏いながらも、相変わらず完璧な立ち姿を保っていた。だがその瞳は、これまでの冷淡なものとは違い、どこか春風のように柔らかく和らいでいた。「お前が今、俺に会いたくないことは分かってる。でもどうしても、伝えたいことがあるんだ」隼人は優しく語りかけた。瑠璃は律子と若年の方に微笑んで振り返った。「律子ちゃん、西園寺先輩、ちょっと待ってて」彼女は隼人を見ることもなく、店の外へと歩き出した。隼人はすぐに後を追った。冬の風が冷たく吹き抜ける黄昏の街。街灯の下に立つ瑠璃の姿は、温かく柔らかな光を受けながらも、どこか冷たく、美しかった。「隼人様はさすがね。いつだって私の居場所を的確に突き止める。まさかまた、昔みたいに『浮気現場』に乗り込んで、裏切り妻を罰しに来たわけじゃないでしょうね?でも勘違いしないで。私たちはもう何の関係もない。誰と一緒にいようと、何をしようと、あなたには関係ないわ」その言葉には、皮肉と冷笑が滲んでいた。隼人は黙ってその言葉を聞いていた。彼はよく覚えている——あの時、自分が瑠璃と若年が路上で焼き鳥を食べながら笑い合う姿を見て、なぜか胸の中がざわざわと不快に満ちた。今なら分かる。あれは、嫉妬だった。彼は、瑠璃をあまりにも気
「出て行った?どこへ行ったの?ご存知ですか?」夏美は焦りながら前台に問いかけた。受付の女性は少し考えたあと、こう答えた。「この時間ですし、たぶん家に帰られたのではないでしょうか」「家……」夏美はぼんやりと、その一文字を繰り返した。家……碓氷家は本来なら、瑠璃にとって「家」であるべき場所。けれど今となっては、夏美も賢も、瑠璃がその家に戻りたいと思ってくれるかどうかさえ、望むことができなかった。きっと——彼女は戻りたくないのだろう。夏美の脳裏には、数日前の夜、瑠璃が君秋のために碓氷家を訪れた時のあの言葉が浮かんだ。——「これが最後にここへ来ることになると思います」その時は意味が分からなかった。でも今なら、彼女の気持ちが分かる。そう思った瞬間、夏美の目からは再び涙が溢れ落ちた。後悔と悲しみに満ちた涙だった。賢が彼女を支えながら優しく声をかけた。「夏美、泣かないで。焦らないで。きっと千璃に会えるよ」「……でも、あの子はきっと私たちに会いたくないはず。私たちを……きっと心の底から憎んでる……」夏美の目は真っ赤に腫れ、涙が止まらなかった。頭の中には、あの日病院で、瑠璃が彼女に向かって「お母さん」と呼んだあの一言が蘇っていた。瑠璃はその時こう言った——「あなたを助けるためだけに呼んだのよ」けれど……あれは、嘘ではなかった。本当の「お母さん」だったのだ。その言葉が夏美の胸を締めつける。もし瑠璃が、もう自分を母親と認めてくれないのだとしたら、あの「お母さん」は、人生で最も美しく、そして最も痛ましい呼び方になるのだろう。一方その頃。瑠璃は車を走らせ、律子と約束した待ち合わせ場所に向かっていた。庶民的な雰囲気に包まれたマーラータンの屋台。夕食時ともなれば、店内はすでに満席だった。彼女の姿を見た客の何人かは、少し驚いた様子で目を見張った。まるで人間界のものとは思えない美しさを持つ女性が、こんな場所に現れるなんて。「瑠璃ちゃん、こっちこっち!」律子が手を振って呼びかけた。瑠璃はその声に振り向き、彼女の隣に座っていた温和な顔立ちの若年にも気づいた。笑顔で歩み寄って席に着くと、目の前には香り豊かなマーラータンの大きな丼が置かれていた。その匂いに、心までほっこりと温まった
「パシャッ——」夏美の手にあったティーカップが、突然床に滑り落ちた。彼女の両手はその瞬間、空中で力を失い、まるで凍りついたかのように動かなくなった。「な、何て言ったの?ヴィオラが瑠璃?」夏美は呟くように繰り返し、次の瞬間には透明な涙が両目にいっぱいに溢れ、視界を曇らせていった。ぼやけた視界の中で、ただ一つはっきりと思い浮かぶのは、瑠璃の美しく整った顔だけだった。彼女には疑う気持ちは一切なかった。心の底から、愛しい娘が無事に生きていることを信じたかった。そして、この数ヶ月の間に千ヴィオラという女性を自然に好きになっていたのもまた事実だった。喜ぶべきはずなのに——なぜか胸が苦しくて仕方なかった。その時、物音を聞きつけて賢がやってきた。涙を流しながら呆然と立ち尽くす夏美の姿に、彼は驚きと心配の入り混じった表情で近づいてきた。「夏美、どうした?どうしてそんなに泣いてるんだ?」彼は隼人の方を向いて困惑した様子で尋ねた。「隼人様、いつ来たのか?君ちゃんを迎えに?」隼人はそっと君秋の頭を撫でながら答えた。「いいえ、君ちゃんを連れて帰るつもりはない。碓氷夫人が泣いているのも、悲しいからではなく——嬉しいからだ」「……嬉しい?」賢はさらに困惑し、言葉を失った。その時、夏美が突然振り返り、賢の手をぎゅっと掴んだ。「賢、私たちの娘……生きていたのよ!」「……なに?今、なんて言った?」賢の瞳に一瞬で興奮と期待の光が宿った。夏美は涙をこぼしながら言った。「ヴィオラ……ヴィオラは実は瑠璃だったの。彼女が私たちの娘、千璃だったのよ!」賢は体を固くし、心臓が強く脈打つのを感じた。「ヴィオラが、瑠璃……」夏美は賢の肩に身を寄せ、喜びと悲しみが交錯する涙を止められなかった。「賢……よかった、本当によかったわ。私たちの娘……生きていたのよ……」賢の目にもすでに涙が滲んでいた。彼は今にも溢れ出しそうな感情を必死で抑えながら、夏美の肩を軽く叩いて慰めた。しかし、内心ではすでに——今すぐにでも瑠璃に会いたくてたまらなかった。「千璃は今どこにいる?どこに?今すぐ会いたい」「隼人様、あなたなら知ってるはずよね!私の娘は今どこに?教えてください!」夏美もまた、我慢できないといった様子だった。隼人は眉を
この五年間で、隼人は初めて——君秋が「パパ」と呼んだその一言が、これほど心に響くものだと感じた。彼は君秋の前にしゃがみ込み、優しさと微笑みを湛えた視線で、じっくりと小さな顔を見つめた。心理的な影響かもしれないが、今こうして見れば見るほど、この子の眉や目元が瑠璃に似ている気がしてならなかった。「君ちゃん……」彼は内心の高鳴りを抑えながら、柔らかな声でそう呼びかけた。君秋はこくりと頷き、「パパ、僕、いつおうちに帰れるの?僕、ママに会いたい。あのママじゃなくて、ヴィオラお姉ちゃんのほうのママだよ」彼はわざわざ強調して言った。隼人の胸がきゅっと締めつけられる。「君ちゃん……ヴィオラお姉ちゃんはね、本当の君ちゃんのママなんだ。君ちゃんにはママはひとりだけ。それを忘れないで」「うん、忘れないよ」君秋は頷き、小さな手で手元の物を振って見せた。「もうすぐこのウサギ、完成するの。できたらママにあげるんだ、防犯用にね」そう言いながら、誇らしげに説明し始めた。隼人はやっと理解した——これは、ミニサイズの防犯グッズだった。五歳の君秋がこんなものを自作していることに驚きを隠せなかったが、以前彼が瑠璃にプレゼントした、位置情報チップ入りのブレスレットを思い出すと、この子はやはりすごい才能を持っているのだと実感した。ちょうどそのとき、夏美がティーセットとお菓子を手に持って家から出てきた。そして隼人の姿を見て、少し驚いた様子を見せた。「隼人様、いついらしたの?君ちゃんを迎えにいらしたの?」隼人は夏美のほうを見て、ゆっくりと立ち上がった。「おばあちゃん!」君秋が明るい声で夏美に呼びかけた。その幼い声には、以前にはなかった自然で嬉しそうな響きがあった。君秋のこの変化を見て、隼人ははっきりと分かっていた。すべては——瑠璃のおかげだと。この子はかつて、蛍の手で暗闇に引きずり込まれた。だが、瑠璃という実の母親が、彼を再び光の射す世界へと連れ戻してくれたのだ。「君ちゃんは本当にいい子ね」夏美は片手で君秋の頭をそっと撫で、そして少し寂しそうにため息をついた。「蛍のしたことは、到底許されるものじゃないし、私も賢も彼女のことは心底憎んでいます。でも、君ちゃんは何も悪くないし、この子は本当に素直で優しくて、私たちは心から彼