離婚したら元旦那がストーカー化しました

離婚したら元旦那がストーカー化しました

By:  知念夕顔Updated just now
Language: Japanese
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長谷川郁梨(はせがわ かおり)は折原承平(おりはら しょうへい)と結婚して三年、どれほど尽くしても、彼の心が自分に向くことはなかった。そして郁梨はついに悟った。彼の胸の奥には、今も忘れられない女性がいるのだと。 我に返った郁梨は、迷いなく離婚協議書を突きつけ、その場を立ち去った。 離婚してからというもの、承平の暮らしはどこか空虚だった。ようやく承平は気づいたのだ、郁梨が、自分にとってなくてはならない存在だったことに。いつも隣にいたはずの彼女がいないだけで、何もかもがうまくいかない。 その頃、郁梨は芸能界で一躍注目を集めていた。人気俳優との共演が話題となり、ファンの間では二人を応援する声が絶えなかった。 そんな様子を目の当たりにして、折原社長は嫉妬で気が狂いそうになった。 彼女のSNSを覗き見し、彼女の出演作に投資して撮影現場に顔を出し、洗濯や料理まで買って出る始末。 だが、既に大女優になった郁梨は、そんな彼を冷ややかに見下ろし、吐き捨てるように言った。「今さら何しに来たの?帰って」

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Chapter 1

第1話

「三年ぶりの帰国――国民的女優の中泉清香(なかいずみ さやか)がついに帰国し、謎の男性がボディーガードを連れて出迎え、二人は親しげな様子で……」

動画の中では、整った顔立ちの清香が、マスク姿の長身の男に優しく庇われるように抱き寄せられ、多くのボディーガードに囲まれながら黒い高級車へと乗り込んでいった。

その映像を見ていた長谷川郁梨(はせがわ かおり)の指先が、握ったタブレットの縁でほんのり白くなっていた。

あの黒いファントム、見間違えるはずがない。夫の折原承平(おりはら しょうへい)の愛車だった。

郁梨はそっとタブレットを置いた。胸の奥に、じくじくと重い痛みが広がる。彼女と承平が結婚して三年。だが、承平の周囲の限られた人間を除いて、誰も折原グループの当主が既婚者だとは知らなかった。それもそのはず、承平は一度たりとも彼女を公式の場に連れて行ったことがなかったからだ。

なのに、清香が帰国した途端、彼は空港まで迎えに行き、大勢の目の前で彼女を守るようにふるまい、まるで彼女は特別だと世界に知らしめるような態度をとった。

……まさに、特別な存在にふさわしい扱いだった。

自分なんて……結局のところ、ただ家族の目をごまかすための都合のいい存在でしかなかった。

郁梨は深く息を吸い込み、ローテーブルの上に置かれていたスマートフォンを手に取った。LINEを開き、ピン留めされているトーク画面をタップする。

最後のやり取りは、今日の午後三時二十分に送ったメッセージだった。

【今日は夕食、帰ってくる?】

【帰らない】

返信が届いたのは、たった二分前のことだった。

一方では、愛人に寄り添いながら、もう一方では、妻である自分をただの形式で扱う。

……郁梨は皮肉な笑みを浮かべた。

……

深夜一時、黒いファントムが静かに別荘の前に停まった。

別荘の灯りは、いつものように、まるで誰かを待ち続けるかのように、頑なに点いたままだった。

郁梨はずいぶん前に横になっていたが、眠れてはいなかった。目を閉じても、意識はずっと浅いままだ。

カチャリと音を立てて、ドアが開く。郁梨はゆっくりと体を起こし、まるで昼間のニュースなど知らないふうを装って、何気なく問いかけた。

「おかえり。ずいぶん遅かったのね」

「接待だ」

承平は必要最低限の言葉しか発さず、その身体にはっきりと酒の匂いをまとっていた。

ネクタイを乱暴に引き解くその仕草は、どこか無防備で、郁梨の目が思わず奪われる。だが彼が今日、清香と一緒にいたことを思い出した瞬間、胸の奥が波立った。「シャワーでも浴びたら?お酒くさいわ」

「ああ」

承平は上着を脱ぎ、そのまま何も言わずに浴室へと向かっていった。

承平が浴室から出てくると、何も言わずにベッドへ横たわった。言葉も、視線も交わさない。ただただ無言のまま、まるでこの部屋にいるのは自分ひとりだけだとでも言うように。

郁梨は背を向けたままの承平を見つめながら、胸の奥に重たい苛立ちが渦巻くのを感じていた。今日は清香と十分に甘い時間を過ごしたから、もう妻の相手をする気にもなれないってこと?

それとも、清香が戻ってきたから、彼女のために身を慎むつもりなの?

ふと、郁梨の胸に衝動が湧いた。試してみたくなったのだ。この男が、どこまで自分に心を向けていないのかを。

彼女はそっと布団にもぐり込み、自分から彼に腕を回した。

その瞬間、承平の眉がはっきりとひそめられる。

「郁梨、やめろ」

いつもなら、この一言で郁梨はおとなしく手を放していた。だが今夜の彼女はさらに強く、彼の身体にしがみついた。

彼は自分の夫だ。それなのに、抱きしめることすら許されないなんて、おかしな話だ。

「郁梨!」

「ねえ、どうしたの?あなた?」

郁梨の声はどこまでも無邪気で、まるで何もしていないかのようだった。けれどその細い指先は、まるで偶然を装うように、承平の喉元をすっとなぞっていった。

承平の喉仏が小さく動く。口の中が急に乾き、息が詰まりそうになる。

結婚してからというもの、承平はこういうことに関して自分を抑えたことなどなかった。いつもは彼のほうが主導権を握っていた。だが今夜、立場が、逆転していた。

そして、彼は認めざるを得なかった。郁梨という女は、人を惑わす天性を持った狩人だ。

——

火をつけたのは郁梨だった。だが最終的に、翻弄されたのもまた、郁梨自身だった。

隣では、承平がすでに深く眠っていた。郁梨はそっと手を伸ばし、その整った横顔の輪郭を、指でなぞる。

この顔だ。文句のつけようがないほどの美貌。誰かが夢中になるのも、無理はない。けれど今の彼は、まだ自分の夫だ。承平は、郁梨のものなのだ。

もし承平が、この結婚生活の中で清香と何かあったのだとしたら。

そのときは、もう二度と彼を好きにはなれない。

郁梨はそんなことをぼんやりと思いながら、いつしか静かに夢の中へと落ちていった。

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第1話
「三年ぶりの帰国――国民的女優の中泉清香(なかいずみ さやか)がついに帰国し、謎の男性がボディーガードを連れて出迎え、二人は親しげな様子で……」動画の中では、整った顔立ちの清香が、マスク姿の長身の男に優しく庇われるように抱き寄せられ、多くのボディーガードに囲まれながら黒い高級車へと乗り込んでいった。その映像を見ていた長谷川郁梨(はせがわ かおり)の指先が、握ったタブレットの縁でほんのり白くなっていた。あの黒いファントム、見間違えるはずがない。夫の折原承平(おりはら しょうへい)の愛車だった。郁梨はそっとタブレットを置いた。胸の奥に、じくじくと重い痛みが広がる。彼女と承平が結婚して三年。だが、承平の周囲の限られた人間を除いて、誰も折原グループの当主が既婚者だとは知らなかった。それもそのはず、承平は一度たりとも彼女を公式の場に連れて行ったことがなかったからだ。なのに、清香が帰国した途端、彼は空港まで迎えに行き、大勢の目の前で彼女を守るようにふるまい、まるで彼女は特別だと世界に知らしめるような態度をとった。……まさに、特別な存在にふさわしい扱いだった。自分なんて……結局のところ、ただ家族の目をごまかすための都合のいい存在でしかなかった。郁梨は深く息を吸い込み、ローテーブルの上に置かれていたスマートフォンを手に取った。LINEを開き、ピン留めされているトーク画面をタップする。最後のやり取りは、今日の午後三時二十分に送ったメッセージだった。【今日は夕食、帰ってくる?】【帰らない】返信が届いたのは、たった二分前のことだった。一方では、愛人に寄り添いながら、もう一方では、妻である自分をただの形式で扱う。……郁梨は皮肉な笑みを浮かべた。……深夜一時、黒いファントムが静かに別荘の前に停まった。別荘の灯りは、いつものように、まるで誰かを待ち続けるかのように、頑なに点いたままだった。郁梨はずいぶん前に横になっていたが、眠れてはいなかった。目を閉じても、意識はずっと浅いままだ。カチャリと音を立てて、ドアが開く。郁梨はゆっくりと体を起こし、まるで昼間のニュースなど知らないふうを装って、何気なく問いかけた。「おかえり。ずいぶん遅かったのね」「接待だ」承平は必要最低限の言葉しか発さず、その身体にはっきりと酒の
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第2話
朝。承平が階下に降りてきたとき、郁梨はすでに朝食を作り終えていた。彼はいつも、彼女の作るごはんが好きだった。だが今日は、いつものように食卓に座ることなく、立ったまま言葉を発した。「郁梨。周防が、午後に離婚協議書を持ってくる」箸を持っていた郁梨の手が、じわりと力を込めて握られる。彼女はゆっくりと顔を上げ、澄んだ目で彼を見つめながら、静かに口を開いた。「離婚するの?清香が戻ってきたから?」承平は二秒ほど黙ってから、低く言い放った。「郁梨、忘れたのか?結婚契約にはっきり書いてある。俺はいつでも、この関係を終わらせられる」そう。確かにそれは、紛れもない事実だった。最初から、二人の間には取り決めがあった。ただこの三年という歳月が、彼が自分を愛していないという現実を、郁梨に忘れさせていただけなのだ。郁梨の鼻の奥がツンと痛んだ。けれど、彼女の顔には一切の動揺が現れなかった。「承平、本当に離婚するつもりなの?後悔しない?」「ああ」彼の返事はあまりにもあっさりしていて、そこに迷いの色は一切なかった。郁梨は静かに頷いた。「わかった。あなたの望み、叶えてあげる」彼女は承平を、本気で愛していた。けれど、彼の心には最初から清香しかいなかった。どれだけ尽くしても、どれだけ想っても、辿り着くのは変わらぬ結末――離婚。ならば、しがみついたところで鬱陶しがられるだけだ。承平の視線が郁梨に注がれた。しばらくそのまま、そして、ゆっくりと逸らされた。彼は思っていたのだ。彼女が、もっと取り乱して騒ぐものだと。だが、彼女が、ここまで冷静でいられるとは、思ってもみなかった。そのことが妙に胸に引っかかって、承平の中に、理由のわからない苛立ちがじわりと湧き上がった。彼はネクタイを無造作に引き、くるりと背を向けて部屋を出ていった。——ダイニングには、郁梨ひとりが残された。彼女は食卓の前にじっと座ったまま、微動だにしなかった。やがて、承平のアシスタントが予定通り姿を現した。「奥様。こちらが、社長との離婚協議書です。ご確認ください」周防隆浩(すおう たかひろ)は、テーブルの上に残された手つかずの朝食と、郁梨のやや青ざめた表情を目にし、心の中で小さくため息をついた。だが、それでも彼にできることは何もなかった。郁梨は小さく「え
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第3話
承平の言葉には、郁梨に対する不信感が溢れていた。承平は郁梨に一言も尋ねず、一方的に罪を決めつけた。郁梨がどんな人間か、承平は決して知ろうとしない。もし知っていたら、郁梨がそんなことをするはずがないとわかっただろう。15分後、承平の車が別荘の前に止まった。郁梨は薄化粧をし、落ち着いた様子で車に乗り込んだ。承平はとても親孝行で、祖母が郁梨を連れて実家のお屋敷で食事をするように言えば、承平は必ず迎えに来る。これが郁梨の知る承平だった。だから承平が何も言わなくても、郁梨はすでに化粧を済ませて迎えを待っていた。しかし承平からすれば、まさに郁梨の思う壺にはまってしまったとしか思えないのだ。でなければ、どうして化粧まで済ませているのか。承平は眉をひそめ、唇を固く結んで郁梨と話すことを拒んだ。郁梨は濡れ衣を着せられないよう説明しようとしたが、承平の目に浮かんだ強い敵意を見て、用意していた言葉を飲み込んだ。郁梨は窓の外を見ながら、承平との初めての出会いを思い出した。3年前、郁梨がまだ映画学院の学生だった頃、その美しい容姿から、幸運にも大作映画の助演役に抜擢された。その映画の打ち上げで、郁梨は承平と出会った。承平は監督やスタッフ数人に取り巻かれ、まるで星に囲まれた月のように、郁梨の目の前に現れた。郁梨は心の中で思わず感心した。どうしてこんな完璧な顔をしているのか、ずるすぎる!おそらく郁梨が見惚れていたせいだろうか、承平は郁梨に気づき、ちらりとこちらの方を見た。ほんの一瞬だが、ものの数秒すら留まらなかった、かすめるようなその一瞥が、郁梨の胸をドキドキと高鳴らせた。当時、承平はまだ折原グループを継いでおらず、グループ傘下の映画制作会社である華星プロダクションの一社長に過ぎなかった。その映画はまさに華星プロダクションの出資作だった。折原グループの御曹司として生まれ、華星プロダクションの社長でもある承平を、どれだけ多くの女性がモノにしようと狙っていたことか。あの映画の主演役もそのうちの一人だった。承平は映画の打ち上げで薬を盛られるやいなや、承平にしつこく体を擦り寄せてくる主演役を蹴り飛ばし、助演役である郁梨をホテルの最上階スイートに引きずり込んだ。それは郁梨にとっての初体験だった。薬で理性を失った承平は極めて暴力的で、郁梨がど
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第4話
折原家の実家のお屋敷は、江城市の中で最も閑静な西区に佇んでおり、半径数十キロの範囲に人影はなく、家はただここの一軒だけだった。この広大な家はまるで昔の荘園のような風格を漂わせ、長い時の積み重ねが、実家のお屋敷の象徴としてその佇まいを輝かせている。承平の父親はダイニングの上座に座り、左手側には承平の祖母、右手側には承平の母親がいた。郁梨は承平の祖母の隣に座り、承平は郁梨の向かいに座っていた。ダイニングの空気は異様に重く、郁梨が折原家に嫁いで既に3年になるが、この嵐の前のような静けさはほとんど経験したことがなかった。郁梨はうつむいて静かに食事をし、自分の存在感をできるだけ消そうとしていた。突然、承平の父親がお箸を置いた。針の落ちる音さえ聞こえるほど静かなダイニングでは、その音がひときわ澄んで響いていた。「承平、郁梨、君たちはいつ子供を作るつもりなんだ?」折原栄徳(おりはら えいとく)はすでに表舞台から退いていたが、その威厳は依然としてあり、承平とよく似た顔は、歳月の重なりがより一層の落ち着きと内面の深さを感じさせていた。名指しされた郁梨は、無意識に向かい側に座る承平を見た。承平もちょうど目を上げた時に郁梨と視線が合ったが、郁梨は承平の目の中にある疑いの念をはっきりと見てとれた。もしかして、承平は郁梨が子供の話をわざと家族の前で持ち出すことで、子供を使って自分を束縛しようとしていると疑っているのか?承平の目には、郁梨がそんな人間にしか映っていないのか?もし郁梨が本気でそうしたいなら、結婚して3年も経っているんだから、その間にコンドームに穴を空けることぐらいできたはずではないか?郁梨は避けるどころか、むしろ承平の視線をまっすぐ受け止め、彼を睨みつけた。承平は少し驚いたように、視線をそらした。折原蓮子(おりはら れんこ)も夫の言葉に続いて言った。「承平、あなたと郁ちゃんは結婚してもう3年になるんだから、そろそろ子供を作るべきよ。おばあちゃんも年だし、ひ孫が抱きたいのよ。そうでしょう、お母さん?」承平の祖母も合わせてうなずいた。「もちろんよ、もう3年も待っているのよ。早く子供を作ってちょうだい、でないとこの年老いた体では、もう赤ちゃんを抱き上げられなくなるわ」郁梨はお箸を置き、両手をテーブルの下でぎゅっと握りし
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第5話
郁梨は自分がとても幸運だと思っていた。承平の家族は郁梨に優しく、テレビによく出てくるような、お金持ちの出が人を見下すような態度をとるわけではなかった。唯一、承平だけが郁梨に対して冷たかった。しかし郁梨はよりによって承平を愛してしまった。どうしようもなく愛してしまった。郁梨は時折、自分の愚かさを噛みしめる。承平が自分を愛していないことなんて分かっていたのに、どうしてあんなにも心を尽くしてしまったのか?だからこそ、承平にあげた心を、今から少しずつ自分の元に取り戻すつもりだ。「承平!お前の兄がどうして今のようになったのか、忘れたのか?警告しておくが、これ以上清香と曖昧な関係を続けるなら、清香をもう一度締め出すことも厭わないぞ!」郁梨は顔を上げて栄徳を見た。もう一度?もしかして3年前、清香は折原家に締め出されたから、国外に逃げたのか?折原家の人たちはなんで清香を嫌っているのか?よく考えてみれば、承平の兄の交通事故では、清香も被害者だったから、折原家の人たちの器からすれば、清香に八つ当たりするようなことはしないはずだ。「お父さん!」栄徳の脅しはどうやら効き目があったようだ。承平が立ち上がった勢いで、座っていた椅子が後ろに倒れ、鈍い音を立てた。「どうだ?試してみる気か?」栄徳も机を叩いて立ち上がり、一歩も引かなかった。郁梨はこんなに激昂した承平の父親を見たことがほとんどなかった。承平は固く唇を結び、しばらく黙り込んだ。やがて、まるで観念したように態度を緩めた。「清香とは何もない」「ふん、誰を騙そうとしてるんだ?空港に迎えに行ったのはお前じゃなきゃ誰なんだ?」「迎えに行ったのは俺だ。清香には国内に友人がいない。帰国の情報が漏れて、空港にメディアが押し寄せた。清香は困り果てて、仕方なく俺に助けを求めてきただけだ。それ以上の意味はない」「どうやって信じろというんだ?」承平はしばらく黙り込み、突然郁梨を見た。「郁梨に聞いてみろ。昨夜俺が誰と寝たか」一瞬にして、折原家の人たちは郁梨の方を向いた。郁梨の顔が真っ赤になった。それは恥ずかしさからではなく、今の郁梨にはただただ屈辱感しか残っていなかった。承平は清香を守るためなら、なんでも平気に言うのだ。たとえ夫婦であっても、愛のない結婚生活なんて、表
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第6話
郁梨のスーツケースはきちんと閉められてなく、承平に強く引っ張られた拍子に床に落ち、中の衣類があちこちに散らばった。強く引っ張られたせいで郁梨の手首はひどく痛み、一晩中ほとんど眠れなかった上に、ダイニングでも長時間座りっぱなしだった郁梨は、目の前が真っ暗になり、頭がくらくらしていた。黙ってばかりの人だって、怒るときは怒る。疑われ、誤解され、都合よく盾にされた郁梨はもう我慢の限界だった。「承平、あなたどうかしてるわよ!」承平は郁梨の手首を掴んで目を細めた。「何白々しいこと言ってんだよ!お前がそんなに必死になってるのは、結局は折原家の嫁の座にしがみつきたいだけじゃないか?」郁梨は目を赤くした。「私が何をしたっていうの?あなたは私を何だと思っているの!」「お前がどんな人間か、この3年間全く見抜けなかったよ。郁梨、お前は本当に手回しが良くて、よくもまあ平気で演じられるもんだな」郁梨は体を震わせ、さらに目を赤くした。「つまり、この3年間私があなたに尽くしたことは、全部ウソだと思っているの?」承平は郁梨の様子を見て、「そうじゃないか」と返すつもりだった言葉が喉に詰まり、口に出せなかった。しかし郁梨にとって、その言葉が口から出ようが出まいが、もはや関係はなかった。「承平、私たちにはもう話すことはない。私を放して!」承平は掴んだ手を緩めず、逆に力を込めた。郁梨は力を振り絞ってもがいた。「放して、気分が悪いからゲストルームで休みたいの」その言葉が引き金となったかのように、承平は郁梨の腰に腕を回して力強く抱き上げた。郁梨は思わず悲鳴を上げ、めまいもさらにひどくなった。「承平、本当に気分が悪いの」「ゲストルームになんか行く必要はない。子供が欲しいんだろ?じゃあその願いを叶えてやるよ!」「子供が欲しいなんて言ってない!」承平は郁梨の説明を全く信じなかった。「お前が言わない限り、俺の家族がそんなことを言うはずがない」「承平」郁梨は涙が浮かべた。「あなた……本当に最低ね」承平は郁梨を愛していない。それゆえに、どれほど郁梨が苦しんでも見て見ぬふりをし、涙を流しても心は動かなかった。郁梨は、そんな自分の存在が急にむなしく思えた。3年間の想いも努力も、承平の一瞬のいたわりすら引き出せなかったのだ。この男のどこが自分をそ
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第7話
隆浩はこんな折原社長を見たことがなかった。きちんとした身だしなみをしているのにスリッパを履いているため、普段の几帳面な姿と比べると、強烈な違和感があった。承平は昏睡状態の郁梨を腕に抱き抱え、髪の毛一本すら見せまいとしているかのように、郁梨を毛布で全身をしっかりと包み込んだ。承平が郁梨に離婚協議書にサインさせたことを知らなければ、隆浩は承平と郁梨があたかも仲の良い夫婦だと思い込むところだった。——「郁梨、郁梨、目を覚ませ、郁梨……」病院に向かう途中、承平は郁梨を何度も起こそうとしたが、郁梨はまだ意識を取り戻す気配がなかった。郁梨の顔は不自然に火照っていて、唇は血の気を感じないほど真っ白で、ひび割れて皮もめくれていた。隆浩はそれを見て思わず驚いた。「折原社長、奥様は突然このような重症になられたのでしょうか?」承平はこわばった表情で何も答えなかった。自分が人間らしからぬことをして郁梨をこうさせてしまったとでも言えっていうのか?病院に着く直前、承平は何かを思い出したかのように急に指示した。「女性の医師に診てもらえ、できれば婦人科の先生がいい」これで承平が説明しなくても、隆浩は何が起こったか理解した。うちの折原社長はなんてとんでもない人だ!隆浩が事前に病院に連絡していたため、郁梨はすぐに入院棟に運ばれ、それぞれ内科、外科、婦人科の女性の医師が揃ってやってきた。外科の先生を呼んだ理由は、万が一に備えてのことだ。だってうちの折原社長は獣以下だもの!三つの科で診察を受けると検査項目も当然多くなり、承平は看護師が郁梨の腕から採血した血液が入った十数本もの採血管を見て、顔色を変えて聞いた。「こんなにたくさん血を取るのか?郁梨の血を全部抜く気か?」看護師はびっくりし、先生の一人が慌てて説明した。「患者様は現在昏睡状態にあるため、多くの検査が必要不可欠なんです」別の先生は空気を読まずに言った。「今さら心配してるの?今まで何してたの?」自分が郁梨を心配する?承平は、自嘲にも似た笑みを浮かべた。自分と郁梨の結婚など、結局は打算の上に成り立った一つの契約にすぎない。心配という感情など芽生えるはずもなかった。自分が郁梨を気にかけているのは、ただ人としての最低限の道義からに過ぎない。今こうしてベッドに横たわっている郁梨に
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第8話
清香は帰国したばかりで、まだ住む場所が決まっておらず、一時的にホテルのスイートルームに滞在していた。承平は清香の住居の手配をしようとしたが、清香は何度も「迷惑をかけたくない」と頑なに言い張って助けを拒んだので、承平もそれ以上強くは言わなかった。黒いファントムがホテルの入り口に停まり、隆浩が運転席から降りて、承平が清香を車から降ろすのを手伝った。助手席に座っていた俊明が車窓から頭を出して言った。「折原社長、私も酔っ払ってしまって頭がくらくらしておりますので、清香さんのことは宜しく頼みます。私は先に帰って休むので、周防さん、私を家まで送ってくれませんか」折原社長と清香を二人きりにさせるのか?隆浩は少しためらいながら承平を見た。承平が隆浩に向かって軽く頷くと、隆浩は車に戻り、車を走らせた。清香は、まるで全身を預けるように承平にしがみついていた。承平は仕方なく清香を肩に寄りかからせ、腕をまわしてその腰を支えながら、ホテルの中へと入っていった。——承平は清香を部屋に連れ戻し、ソファに寝かせた。承平の中では、清香は節度のある人で、決して泥酔することはなかったが、今日はどうしたのだろう?それとも、海外で過ごした3年の間に、清香は変わってしまったのか。そう考えると、承平は眉をひそめた。「水、水が飲みたい」承平は水を一杯注いで戻り、清香の肩を軽く叩きながら優しく呼びかけた。清香はぼんやりとした酔った目をうっすらと開け、承平の顔を見ると、ふわりと微笑んだ。「承くん、会いたかったよ」清香が突然飛びついてきたので、承平は反射的に清香を受け止め、再びソファに寝かせた。「清香、まず水を飲みな」清香はまるで世間知らずの少女のように、素直に頷いた。この時の清香は、まるで3年前の時のままで、何も変わっていないようだった。水を飲み終えると、清香は再び身を寄せてきたので、承平は仕方なくコップを置き、清香の隣に座った。清香はすかさず承平の腕をしっかり抱きしめた。「承くん、私がどれだけあなたを想っていたか知らないよね。3年間、ずっとあなたのことを考えていた。なのに、どうして結婚してしまったの?辛いよ、本当に辛い!」そう言いながら、清香は涙をこらえきれずに泣き出した。「承くん、あなたが結婚してしまったら、私はどうすればいいの?こん
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第9話
真夜中に病院を出て、レストランまで清香を迎えに行き、その後また清香をホテルまで送り届けた。行ったり来たりしているうちに、承平がホテルを出た時には、もう夜が明けていた。隆浩はホテルの入り口で待っていた。「折原社長、おはようございます」「今日のスケジュールは?」「午前中に三つの会議が入っており、13時にはテープカット式典への出席、15時に岩尾(いわお)社長と契約書を締結する約束があります」三つの会議か、それでは病院に行く時間はなさそうだな。「直接会社に向かおう」隆浩は一瞬戸惑ってから、承平の足元を見た。「折原社長、まだ時間は早いので、まずご自宅へお送りしてシャワーを浴びて着替えられてはどうでしょうか?それにまだスリッパを履かれております……」承平は足元を見た。確かにスリッパを履いていた。スーツにスリッパ?いつから自分はこんなに無頓着になったのだろう?車中で、隆浩は自ら郁梨の話を切り出した。「折原社長、奥様のことですが、誰も面倒を見てあげないのはよくないのではないでしょうか?」承平は頷き、すぐに人選を思いついた。「俺の母に電話して行ってもらうようにする」実際問題、郁梨の面倒を見られる人は限られていた。隆浩を除けば、お互いの両親と親友しか承平と郁梨の結婚を知らなかったからだ。郁梨の母親は癌を患っており、長年療養施設に入院している。承平の祖母も年を取っているから、承平の母親だけが唯一の選択肢だった。——郁梨は強い尿意に耐えかねて目を覚ました。一晩中点滴を受けていたのだから、そりゃトイレに行きたくなっちゃう。周りを見回し、自分が病院にいることと承平がそばにいないことに気づき、郁梨は思わず自嘲した。病院まで連れ回されたのか?本当に情けない。まあいい、一人でいるのはもう慣れている。郁梨は看護師に頼むのも気が引けて、自分でそっとトイレに行き、用を足した。点滴を再びかけようと上を見上げた時、突然めまいがして、部屋全体が回っているように感じた。郁梨は目覚めたばかりで体がまだ弱っていて、さっきもトイレに行くだけで精一杯だった。郁梨は本能的に何かにつかまりたかったが、何もつかめず空を切ったため、そのまま倒れ込んでしまった。バタンという音とともに郁梨の叫び声が響き、激しく転倒した。手に刺していた留置
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第10話
承平は昨夜もう出かけたんだ。電話があったのか?清香からの電話だろう。清香以外にこんなことができる人がいるとは、郁梨には到底思えなかった。だから、承平は昏睡状態の郁梨を置き去りにして、清香のもとへと向かった。郁梨の心は、まるで氷の穴に突き落とされたようだった。——承平は午前中に3つの会議をこなし、目が回るほど忙しかったため、食事を取った時にはもう12時を過ぎていた。ちょうど隆浩を呼んで郁梨の様子を聞きに行こうとしたところ、隆浩が先にノックして入ってきた。「折原社長、会長夫人から何度も社長宛に電話があったのですがお取りにならなかったため、私のところに掛かってきました。お早めに折り返し頂けるようお願いします」承平がポケットから携帯を取り出すと、母親からの不在着信が9件もあった。普段会議中は携帯をマナーモードにするので、電話に出られないのは問題ないが、母親の機嫌は今やそんなに穏やかではないだろう。——電話がつながると同時に、蓮子がまくしたてるように怒鳴りつけた。「こんなに電話してるのにどうして出ないの?そんなに忙しいの?折原グループにあなたがいなくても倒産しないでしょ?それに!承平、あなたは本当に人間なの?どうして私はこんなろくでなしを産んだのかしら?ここまで酷い仕打ちをするほど郁ちゃんに何か悪いことでもされたの?」さすがは実の息子、蓮子は遠慮なく罵倒した。「お母さん、会議中で携帯をマナーモードにしてたんだ」「マナーモードも何も関係ないわ!」蓮子は婦人科の田所先生から自分のバカ息子のせいでこっぴどく説教されていたので、腹立たしい気持ちを承平にぶつける以外方法はなかった。「お母さん、郁梨は……大丈夫なんだよね?」「大丈夫なわけないでしょ!」郁梨の話になると、蓮子の声はさらに高くなった。「40度もの高熱で、今朝やっと意識が戻ったのよ。先生からは、もう少し遅かったらそのまま火葬場行きだったって言われたわ!」「そんなにひどかったのか!」承平は自分でも気がつかなかったが、携帯を握る指先が突然力んだせいか白くなっていた。火葬場送りはもちろん田所先生が大げさに言っただけだが、40度の高熱でずっと意識が戻らない状況は決して楽観的ではなく、万一重篤な事態になれば取り返しのつかないことになる。「まだ大し
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