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第0611話
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目黒様に囚われた新婚妻 第0614話
隼人は病室へ行き、言葉もなく静かに祖父のそばに寄り添っていた。窓の外の空は、朝から夜へと移り変わっていったが、隼人の心は、終始黒いままだった。彼は知っていた。——自分がこの世で最も愛する女人と、自分の息子が、明日には別の男と共にこの街を離れていく。止めることはできなかった。それは、自分の中でとっくに誓っていたこと。——もう二度と彼女に無理をさせない、と。彼女が本当に幸せになれるのなら、自分は手放そう、と。だが、その彼女を連れて行く男が瞬であることだけは、彼の心に深い葛藤を呼び起こしていた。「瑠……」突然、かすれた老いた声が、病室の静けさを破った。隼人は驚いて顔を上げ、祖父が話しているのを目にして、思わず歓喜した。「瑠、瑠……」「おじいちゃん！？しゃべれるようになったのか？」彼はすぐさま祖父の冷たい手を握りしめた。祖父は隼人をじっと見つめ、微かに震える手で彼の手をぎゅっと握り返しながら、苦しげに何度も同じ言葉を繰り返した。「瑠……瑠……」隼人は最初は戸惑っていたが、すぐに気づいた。「瑠璃？」その名前を口にしたとたん、彼の胸がずきんと痛んだ。祖父は目を閉じ、わずかに頷いた。それが返事の代わりだった。「瑠……」「おじいちゃん、ご安心を。瑠璃は今、元気にしている。これから幸せになるよ」そう言いながら、隼人は祖父の手をそっと握りしめ、温もりを伝えた。祖父は乾いた唇を震わせながら、必死に言葉を紡いだ。「瑠……璃……」はっきりとした発音ではなかったが、その二文字は確かに、隼人の耳に届いた。隼人は苦しげに笑いながらため息をついた。「おじいちゃん、あのとき俺を叱ってくれて正解だったよ。俺は見る目がなくて、瑠璃の大切さに気づけなかった。今さら言っても、もう遅いけどな……」彼はそっと窓の外の夜空を見上げた。その瞳には、拭いきれない寂しさが滲んでいた。「明日には、瑠璃は君ちゃんを連れて景市を離れる。俺みたいなクズにもう邪魔されることもない。きっと、あいつはもっと幸せで、自由に生きられるんだ」隼人のその言葉を聞きながら、祖父は無念そうに呼吸を整えようとしたが、思うように声を出すことができなかった。隼人はその夜、祖父の病室に付き添い続けた。空が白み始める頃には、空港の方向
目黒様に囚われた新婚妻 第0613話
祖父には、瞬が何をしようとしているのか分からなかった。ただ、胸の奥に嫌な予感が広がっていた。とはいえ、白昼堂々、瞬が過激な行動に出るとは思っていなかった。瞬はただ静かに笑みを浮かべながら、スーツのポケットから一枚の写真を取り出した。彼は写真の表面を祖父の目の前に突き出し、その黒く冷たい瞳には陰湿な笑みが浮かんでいた。「この写真の男、覚えてるよね？一人はあんたの実の弟、もう一人は弟の妻。二人はもともと仲睦まじくて、素直で賢い子どももいた。家庭も仕事も順風満帆でした。でも、結果はどうなった？」瞬の声には氷のような冷たさが宿っていた。そして次の瞬間、彼は写真を祖父の顔に向かって鋭く叩きつけた。「全部、あんたが壊したんだ！」「……ううっ……」祖父は苦しげなうめき声を漏らし、瞳を見開いた。瞬はその様子を見て、口元を冷たく歪めた。「どうした？辛い？苦しい？これが報いだよ」「ううっ、うううっ……」「でも安心して。今はあんたに何もするつもりはない。ただ、あんたにも家族を失うというのがどういうことか、しっかり味わってもらうよ」そう言い捨てると、瞬は一切の未練を見せず、背を向けて堂々とその場を立ち去った。祖父はその背中を見つめながら、顔を真っ赤に染め、呼吸が乱れていった。「うっ……ううっ、けほっ……けほっ！」その頃、隼人はすでに別荘へ向かう道中だった。使用人からの電話を受けた彼は嫌な胸騒ぎを覚え、急いで車を走らせた。別荘の門の前に到着すると、ちょうど瞬の車がすれ違いざまに出ていくところだった。その不穏な空気に、隼人の胸はさらにざわついた。急いで車を停め、屋敷に駆け込むと、庭の方から激しく咳き込む音が聞こえた。彼が顔を上げると、車椅子に座る祖父が呼吸困難に陥り、大量の血を口から吐き出していた。「おじいちゃん！」隼人はすぐさま駆け寄ったが、祖父はすでに意識を失って倒れていた。……市中心病院。祖父は緊急処置室に運ばれ、1時間が経過した後、ようやく医師が出てきた。白衣の医師は疲れた表情で首を横に振りながら言った。「患者さんの病状が急激に悪化しました。心の準備をしておいてください」その言葉を聞いた隼人は、庭で拾ったあの写真を強く握りしめた。「先生、どうして父が突然吐血したんですか？」邦
目黒様に囚われた新婚妻 第0612話
彼女は、隼人と瞬がすれ違う瞬間を見ていた。二人はほんの一瞬だけ視線を交わしたようだったが、言葉は交わさなかった。瞬はまっすぐに彼女の方へ歩み寄ってきた。端整な顔には春風のような柔らかな微笑みを浮かべていた。その高い背が近づくにつれて、隼人の遠ざかる背中は彼の影に完全に隠されていった。「待っててくれたのか？」瞬は優しく微笑みながら言い、そっと瑠璃の肩に手を回して方向を変えた。瑠璃はかすかに微笑み、瞬と共に家の中へと歩き出した。視線の隅で、隼人の背中が完全に滲み、やがて視界から消えていった。だが、その遥か彼方で、隼人は足を止めていた。ふと振り返ると、瞬が瑠璃を腕に抱いて歩く姿が視界に飛び込んできた。その瞬間、胸の中に無数の蟻が這い寄り、心を食い破っていくような痛みが襲った。彼の目に浮かんだ涙は、吹き抜ける風にさらわれ、静かに乾いていった。かつて瑠璃が彼を追いかけ、慕ってくれていた記憶——それらすべてが、風に散る灰色の砂像のように崩れ去っていった。「千璃ちゃん……愛してる」遠く離れた場所から、彼は彼女の美しい後ろ姿を見つめ、想いを口にした。その言葉を風に託すと、隼人は涙を浮かべたまま、微笑んでその場を去っていった。彼の心の中には、鋭い棘を持つ蔦が生い茂り、呼吸すらも苦しくなるほどに締めつけていた。……碓氷家。瞬は婿として夏美と賢と向かい合い、静かに語り合っていた。二人が瑠璃に対して抱える罪悪感や名残惜しさを知ると、瞬はこう約束した。「これからは、なるべく瑠璃と君秋をこちらへ連れて来ます。それが難しければ、プライベートジェットでお二人をF国へ招待します」瑠璃はそばで微笑みながらその言葉に頷いていたが、心の中にはなぜか隼人の顔が浮かんでしまっていた。だが、彼女はすぐにその思考を打ち消した。——あの日、海辺で背を向けて立ち去った彼。もう振り返ることもなかったあの人とは、もう何の未練も残す必要はない。一度切った縁なら、完全に断ち切るべきだ。……その後まもなく、瞬は「用事がある」と言って碓氷家を後にした。彼は一人で車を走らせ、隼人の別荘へ向かった。門は開いており、瞬は躊躇なく足を踏み入れた。その目には、いつもの温和さは一切なく、冷たい鋭さだけが宿っていた。屋内では使用人が掃除をしていたが
目黒様に囚われた新婚妻 第0611話
「パパ！」小さな君秋の澄んだ声が、静寂を破った。瑠璃は思わず門の外に目を向けた。——本当に、隼人だった。彼はシンプルなカジュアルウェアを身に着けていて、アイボリーのトップスが、いつもの冷たく気高い雰囲気に少し柔らかな優しさを添えていた。隼人も瑠璃の姿を見て、少し驚いたようだったが、すぐに柔らかい微笑みを浮かべ、母子のもとへ歩み寄ってきた。瑠璃の視線は、無意識に隼人の胸元へと落ちた。あの日、彼が彼女の手を握り、自分の胸に刃を突き立てた瞬間が、脳裏に鮮明に浮かんだ。その傷は、まだ癒えていないはずだった。「パパ！」君秋は小さな足をぱたぱたと動かして、隼人のもとへ駆け寄った。隼人はしゃがんで両腕を広げ、小さな体を優しく抱きしめた。「君ちゃん……」彼はその柔らかな頬に軽くキスを落とし、静かに語りかけた。「明日からママと一緒に別の場所で暮らすんだ。ママの言うことをちゃんと聞くんだよ？」穏やかに微笑む瞳の奥に、言葉にはできないほどの名残惜しさが隠されていた。君秋は純粋な目をぱちぱちと瞬かせながら、隼人を見つめた。「君ちゃんはパパとママと一緒に暮らしたい」その一言に、隼人の胸はぎゅっと締めつけられた。けれど彼は痛みに耐えるように微笑み、小さな頭をそっと撫でた。「パパは、やらなきゃいけないことがたくさんあってね。しばらく忙しいんだ。でも終わったら、必ず君ちゃんに会いに行くよ」「絶対に来てね。ぼくとママ、ずっとパパのこと待ってるから！」君秋はそう言って、かわいい小指を差し出した。隼人はその意味を理解し、小指を出して君秋と約束の指切りを交わした。その様子を、瑠璃は黙って見つめていた。穏やかで静かな表情の裏で、胸の中は波立っていた。指切りのあと、隼人は手にしていた上品なラッピングの箱を差し出した。「これはパパからのプレゼントだよ。君ちゃんが気に入ってくれると嬉しい」君秋は喜んでそれを受け取り、ぎゅっと胸に抱きしめた。「ありがとう、パパ！」「いい子だな」「パパ、ママに言いたいことがあるんでしょ？ 君ちゃん、空気読んで中に行くね」君秋はそう言って、くるりと体を反転させ、家の中へと駆け込んでいった。そのあまりにも大人びた言葉に、隼人と瑠璃は思わず目を見合わせた。幼い彼の
目黒様に囚われた新婚妻 第0610話
瞬に抱きかかえられて船に乗って間もなく、瑠璃は目を覚ました。うっすらと目を開けると、視界に入ってきたのは、心配と優しさに満ちた瞬の顔だった。「千璃、千璃……目が覚めたか？」彼は静かな声でそう問いかけた。瑠璃はまだ完全に目覚めきっておらず、視線を巡らせながら、どこか戸惑った様子で何かを探しているようだった。「千璃？」「瞬？どうして……あなたなの？」瑠璃は不思議そうに、自分を抱えている男を見上げた。「バカだな、俺以外に誰がいるって言うんだ？」瞬は微笑みながら彼女の頬を優しく撫でた。「隼人に連れ去られたって知って、ずっと探してた。さっき船で岸に近づいたとき、君が海に落ちるのを見たんだ」その言葉を聞いて、瑠璃の脳裏に、失神する前の記憶が少しずつ蘇ってきた。あの時、隼人が背を向けて遠ざかっていく姿を見て、胸がざわついた。そして手にしていた栞——木の葉のしおりを落としてしまった。慌てて拾おうとして、バランスを崩し、そのまま海に落ちたのだった。「無事でよかった。君のあの姿、心底怖かった……このまま永遠に目を覚まさないんじゃないかって……」瑠璃はしばらく呆然としていたが、やがてまばたきをしながら疲れた目で問いかけた。「私を……助けてくれたのはあなた？隼人は……」「君が落ちたときには、彼はもう立ち去っていたよ」その言葉を聞いた瞬間、瑠璃の心は、またもや深い海底に沈み込むような感覚に包まれた。あのとき、なんとなく隼人に助けられたような気がしていた。海の中から引き上げられ、名前を呼ばれ、岸へと抱き上げられた記憶。——でも、それは幻だったのか。彼は、本当に行ってしまった。一度も振り返らずに。「瞬……少し、頭がくらくらする……少し眠りたい」瑠璃はそう静かに呟いた。「いいよ。ゆっくり休んで。俺はずっとそばにいる」「……うん」瑠璃は短く返事をして、まだ手に握っていた木の葉のしおりを強く握りしめ、そっと目を閉じた。……瑠璃を瞬に託した後、隼人はまるで魂を抜かれたように、岸辺をさまよっていた。傷口は出血し、すでに炎症を起こしていたが、彼はまったく意に介していなかった。胸を引き裂くような痛みが、他のすべての感覚を奪っていた。夜になり、彼は静まり返った海を見つめながら、風に
目黒様に囚われた新婚妻 第0609話
隼人の感情は完全に崩壊していた。彼は絶望のあまり頭を垂れ、瑠璃の滑らかな額にそっと額を押し当てた。震える手で、彼女の柔らかな頬をそっと撫でながら、止まらない涙が熱く流れ落ちていった。「なぜ……どうして俺たちをこんなにも苦しめる？お前があれほど俺を愛してくれていたとき、俺はなんて愚かなことばかりしてたんだ……千璃ちゃん、お願いだから、俺のもとを離れないで……頼むよ……」隼人は瑠璃の青白い顔を抱きしめながら、心が涙と共に砕けていくのを感じていた。骨の髄まで痛みが染み込んでくるようだった。「千璃ちゃん……もしお前が本当に別の世界へ行こうとしてるなら、俺も一緒に行く」彼は冷たい指先で彼女の頬をなぞり、瞳には深い闇が広がっていた。「これからお前がどこへ行っても……俺はついて行く」そう囁き、彼は静かに微笑んで、唇を瑠璃の唇へと重ねた。——その時だった。「……っ、げほっ」瑠璃が小さく咳き込んだ。死にかけていた隼人の心が、その一瞬で鼓動を取り戻した。「千璃ちゃん！」彼は信じられないというように彼女を見つめた。「千璃ちゃん、目を覚ましたのか？」「けほっ、けほっ、けほっ！」瑠璃は何度も咳き込みながら、口から海水を激しく吐き出した。「千璃ちゃん、よかった！」隼人は喜びで彼女を抱き起こし、自分の胸にそっともたれさせた。「千璃ちゃん、目が覚めたんだね。俺だよ、隼人だよ」彼は彼女の顔を覗き込み、湿った睫毛がかすかに動き、秀麗な眉がぴくりと動いたのを見て、安堵の息をついた。彼はすぐさま瑠璃を抱き上げ、休ませようと別荘に向かおうとした。だが、振り返ったその瞬間——瞬の姿が目に入った。隼人の顔に浮かんでいた優しい表情は、一瞬にして鋭い光に変わった。「どけ。俺の邪魔をするな」瞬は一歩も引かず、真剣な表情で隼人の前に立った。隼人の腕の中で徐々に意識を取り戻している瑠璃を見て、彼は眉をひそめ、口を開いた。「瑠璃を、俺に渡してくれ」その言葉を聞いて、隼人はまるで大きな冗談を聞いたように鼻で笑った。「千璃ちゃんを俺以外の男に渡すつもりなんてない。ましてやお前に、渡すものか」その口調は冷酷で、圧倒的な威圧感を放っていた。瑠璃の体調が万全でないこともあり、隼人は瞬と争うのを避けるように、脇を
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