第9話

ガラスブースにいる人たちが振り返ると、成瀬が優奈を冷たく見つめているのが見えた。その深い瞳は怒りに満ちていた。

優奈は一瞬驚きの表情になり、成瀬とここで会うとは思っていなかった。

しばらくして彼女は淡々と目をそらし、何事もなかったかのように目の前のワイングラスを手に取って一口飲んだ。

彼女が自分を無視しているのを見て、成瀬の顔色は一層険しくなり、数歩歩いて優奈に歩み寄り、彼女の手を掴んで引きずり出した。

彩花の表情が暗くなり、成瀬の前に素早く立ちふさがり、冷たく言った。「成瀬さん、何をしているのですか？」

成瀬は彼女を一瞥し、怒りを込めて「どけ！」と叫んだ。

彩花は冷笑し、「優奈ちゃんは私の友達です。成瀬さんが私の友達を連れて行くなら、説明をしていただかないと」と言った。

成瀬は冷ややかな表情を浮かべ、耐えられないとばかりに「最後に言う、どけ！」と叫んだ。

二人が対峙しているのを見て、成瀬と対立すると必ず不利になるとわかっている優奈は、唇を噛んで「彩花ちゃん、私は大丈夫。すぐ戻るから」と言った。

彩花は心配そうに彼女を見つめ、「優奈ちゃん......」と言った。

「心配しないで、彼は私に何もできないわ」

その言葉が終わると、成瀬は彼女を引っ張って外へと引きずり出した。優奈がよろけて倒れそうになり、それを見た彩花は再び怒りが湧き上がった。

以前の優奈は本当に盲目だった。どうして成瀬のような全く紳士的な振る舞いを持たない男に惹かれたのか分からない！

成瀬は優奈を廊下の端まで引っ張り、彼女の手を放して冷たく問うた。「優奈、自分が既婚者だって知ってるのか？昨日は中村と揉めて、今日はバーに来てホストと遊んで、俺をどこまでバカにしたら気が済むの？」

優奈は彼につままれて真っ赤になった手首を揉みながら、淡々と「このまま離婚協議書にサインせずに先延ばしにすると、もっとバカにするわよ」

成瀬は冷笑し、「また他の男と絡むなら絶対後悔させてやる！」と言った。

優奈はその言葉を聞いて微笑み、無関心に彼を見つめた。

「どうやって後悔させるの？小池家を使って脅すつもり？比奈も小池家の人間だってことを忘れないで。もし小池家に不利なことをしたら、彼女も悲しむでしょう。彼女を悲しませるつもりなの？」

成瀬の表情が変わったのは、優奈が比奈の話を持ち出したからではなく、優奈が本当に心を決めて離婚する気なら、彼女を引き留めるだけの手段が自分にはあまりないことにふと気づいたからだった。

その瞬間、成瀬の心に不安がよぎった。

しかしすぐに、その不安は激しい怒りに覆われた。

「もう説明しただろ。比奈ちゃんと何も悪いことはしていない！」

優奈は不満そうな表情を浮かべ、冷たく言った。「成瀬、説明なんて必要ないわ。あなたたちのことには全く興味がない。ただ、いつ離婚するつもりか知りたいだけ」

優奈の冷淡な表情を見て、成瀬の心の中に再び苛立ちが沸き起こった。

会うとすぐにこの女は離婚を口にし、自分がいくら低姿勢で説明しても、全く気にしていないんだ！

考えれば考えるほど、成瀬は腹が立ってきた。優奈の顎をつかむと、頭を下げてキスをした。自分を苦しめている赤い唇を、ぐっとこらえたかった。

優奈は成瀬がそんなことをするとは思ってもいなかった。唇に温かい感触が伝わると、体が電気ショックを受けたように固まった。

次の瞬間、優奈は激しく成瀬を押しのけ、彼の顔に一発の平手打ちを食らわせた。

「パシッ！」

鮮明な平手打ちの音が二人の間に響き、瞬く間に雰囲気が凍りついた。

成瀬は冷たい目で優奈を見つめ、彼女が嫌悪感を込めて口を拭っている様子に激怒した。

「優奈、もう一度拭いたらどうなるか試してみろ！」と成瀬は言った。

優奈は冷たく彼を見下し、無表情で言った。「もしあなたが犬に噛まれたら、もうとっくにシャワーを浴びてるかもね」

「君！」

成瀬は怒りで頭が爆発しそうになり、優奈を見つめる目は疎外感と冷たさに満ちていた。

以前の優奈は常に優しく語りかけてきたが、今はこんなに尖った言葉を使うのかと、彼は驚いた。

彼女が本当に追い詰められているのか、それとも元々こういう性格で隠していただけなのか。

優奈は時計を見て、成瀬と長く争う気もなくなり、冷たく言った。「明日も仕事があるので、もし何も用事がないなら、先に失礼するわ」

彼女は成瀬の顔を見ずにそのまま振り返って去ろうとした。

「待て！」

成瀬は彼女の前に立ちはだかり、「いつ仕事を見つけたんだ？」と聞いた。

「関係ないでしょ？」

成瀬は怒りを抑えながら歯を食いしばり、「忘れるな、俺たちは夫婦だ！」と告げた。

優奈は無関心な顔をして、「すぐに夫婦じゃなくなるわ」と言った。

「優奈、俺の忍耐には限界があるのだ！」

成瀬の耐え忍んでいる様子を見て、優奈は少し笑いながら、「離婚にすることもできるわ。そうすれば、我慢しなくて済むわよ」と言った。

「言ったろ、離婚に同意しない！」

「それなら、我慢して！」

「......」

二人の間の雰囲気が凍りついた時、横から優しい声が響いた。

「廉、優奈さん、どうして部屋に入らないんですか？」

優奈は振り返り、遠くないところに立っているのが佐々木だとわかり、顔の冷たさが少し和らいだ。

佐々木は成瀬の親友の一人で、以前成瀬が怪我をしていた時によく見舞いに来ており、性格も温和で、時々優奈とも会話ができたため、彼に良い印象を持っていた。

彼女は笑顔を見せて、「皆さん楽しんでください。私はこれ以上お邪魔しません」と言った。

佐々木の前で、成瀬は優奈を止めることはせず、彼女の姿が遠くなるのを見届けた後、冷たく佐々木に向き直った。

「どうして出てきたんだ？」

「トイレに行こうと思って、優奈さんが争っているのを見かけたから、喧嘩にならないようにと思って」と佐々木は答えた。

少し沈黙した後、佐々木は続けた。「廉、実は優奈さんはとても良い人だよ。お前が怪我をしていた二年間、彼女がずっとそばで世話をしていたんだ。たとえ彼女が好きじゃなくても、せめて優しくしてあげてほしい」

成瀬は冷たい目で、ゆっくりと「どうすればいいかは分かっている。今晩は他に用事があるから、帰るよ。加藤と井上に伝えて、私の勘定にしておいてくれ」と言った。

成瀬が去った後、佐々木はその場にしばらく立ち尽くし、煙を一服吸ってからブースに戻った。

成瀬があんなに騒ぎ立てたので、優奈と彩花はこれ以上滞在する気にならなくなり、会計を済ませ店を出た。

彩花に代行を呼んであげた後、優奈は路端でタクシーを待っていた。

タクシーを待っている間、彼女は明日から自分で車を運転して通勤しようと考えていた。

突然、黒いマイバッハが彼女の横に停まった。

優奈は細かく見ていなかったので、自分が呼んだ車だと思い込み、ドアを開けて乗り込んだ。

鼻先に馴染みのある香水の匂いが漂ってきて初めて、彼女は驚いて振り向いた。

隣に座っている男を見て眉をひそめた。すぐに車を降りようとした。

先ほどの暗さで、後部座席に人がいるのに気づかなかった。

成瀬は彼女の手首をつかみ、「ラトゥールに行く！」と冷たく言った。

運転手が車を発進させ、優奈は冷たい目で成瀬を見つめ、「手を離してもらえる？」と尋ねた。

その瞬間、彼女は自分の愚かさに悔い、さっき考え事をしていなければ、こんな低レベルのミスを犯すことはなかっただろう。

「田中、ドアをロックして」と成瀬が指示した。

「カチャッ」と音が出て、成瀬も優奈の手を放した。

優奈は冷ややかな表情で彼を見つめ、できるだけ穏やかに言った。「成瀬さん、明日本当に仕事があるから、あなたの気分に付き合っている暇はないわ」

成瀬は眉をしかめ、冷たく言った。「さっき酒を飲んだんだ。今晩帰ったら面倒を見てくれ」

優奈は不満げに「比奈に電話をかければ？彼女が直接世話をしたがっているはずよ」と返した。

優奈は「面倒」という言葉をわざと強調して、成瀬がきっと自分の意図を理解するだろうと考えた。

成瀬は冷笑し、「今は大人ぶっているな。一体、比奈ちゃんが俺の妻なのか、それとも君が俺の妻なのか？」と聞いた。