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あの夜、すべてを終わらせた

あの夜、すべてを終わらせた

By:  チビッコCompleted
Language: Japanese
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結婚したその日に、私は社長である夫・葛城祐介(かつらぎ ゆうすけ)にこう言った。 「あなたが他の人を好きになっても構わない。ただ、その騒ぎが私に及ぶなら、もうあなたとは会わないようにするから」 だからその後、祐介が学校の先生・野口沙耶香(のぐち さやか)のことが好きになっても、彼女を別の場所に隠すだけで、私には知られないようにしていた。 そして沙耶香にも欲しいものは何でも与えたけど、私の前にだけは姿を見せるなと、きつく言いつけていた。 でも、沙耶香は祐介に甘やかされているのをいいことに、彼の言いつけを守らなかった。そして、妊娠した大きなお腹抱えて私の前に現れると、見せつけるようにこう言ったのだ。 「祐介さん本人があなたのことなんて愛したことないって、結婚したのも奥山家のためだって言っていましたよ。 自分の立場が分かっているなら、さっさと子供をおろして離婚したらどうです?じゃないと、祐介さんに捨てられたら、慰謝料は一銭も手に入らなくなりますよ!」 それを聞いて私は微笑んで、父にメッセージを送った。 【葛城家への投資は、すべて引き揚げて!私、離婚するから】

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Chapter 1

第1話

葛城莉緒(かつらぎ りお)は、ネイルサロンの特別ルームに座っていた。でも、店員は気まずそうな顔でこう言った。「葛城さん、こちらのカードですが、残高が足りないようでして……」

莉緒はきょとんとした。先月、夫の葛城祐介(かつらぎ ゆうすけ)がこのカードをくれた時、たしか60万円入っていると言っていたのに。

しかも、それを使うのが今日が初めてなのに。

そこで店員に履歴を調べてもらうと,こう言われた。「葛城さん、先週の木曜の午後に、56万円のご利用がございました」

「先週の木曜日?56万円?」莉緒は思わず指を止めた。「その日、私は一日中、会社にいましたけど」

店員は口ごもった。「は、はい。ご主人が、ある女性の方をお連れになったんです。お帰りの際に、その女性が店員の一人へのチップだと言ってお支払いをされて行かれました」

それを聞いて、莉緒の心臓が急にどきどきして、耳鳴りがした。

先週の木曜日、祐介は大事なクライアントと会うと言っていた。家に帰ってきたのは夜の8時過ぎで、接待が長引いて疲れたと愚痴っていたはずだ。

自分はそれを聞いて、わざわざ会議を早く切り上げて、彼のために酔い覚ましのスープまで作ってあげたのに。

「防犯カメラ、見せてください」莉緒の声はか細く、気持ちが重く沈んでいった。

そして防犯カメラの映像には、祐介が水色のワンピースを着た女の肩を抱いて入ってくる姿が映っていた。

女が祐介を見上げて何かを言うと、彼は愛おしそうに彼女の髪を撫でた。

莉緒は呆然とした。その親密な仕草は、まるで二人が付き合いたての若いカップルのように見えた。

もし、祐介が自分の夫でなければ、それは何とも微笑ましい光景だっただろう。

そう思っていると、突然、映像の中の祐介が店員に何か言われ、ひざまずくと、その女の足にペディキュアを塗り始めた。

それだけじゃない。塗り終わった後、彼は愛おしそうに女の足を両手で包み込んで、キスまでしたのだ。

それを目にした莉緒は全身の血が凍りついた。あのプライドの高い祐介が、他の女のためにひざまずいてペディキュアを塗るなんて。

しかもあの夜、家に帰ってきた彼は、他の女の足にキスしたその口で、自分にキスしたのだ。

そう気が付いた莉緒はこみ上げてくる吐き気を抑えきれなかった。

そして映像は続いた。祐介はずっと女の子のそばにいて、帰り際には当たり前のように彼女の白いハンドバッグを持ってあげていた。

莉緒は画面を食い入るように見つめた。そのバッグは、自分のクローゼットにあるものと全く同じだった。

あれは先週、祐介が出張から帰ってきた時にわざわざプレゼントしてくれたものだった。今考えればプレゼントをもらったのは自分だけじゃなかったようだ。

「この映像、私のメールアドレスに送ってください」そこまで見て莉緒は立ち上がろうとしたが、足に力が入らなかった。それでも、彼女はなんとかバッグを掴んで店を飛び出した。

家に帰ると、彼女はまっすぐ書斎に駆け込んだ。

震える指で、私立探偵に電話をかけて言った。「祐介の最近の行動を全部調べて、報告してちょうだい」

3時間後、メールボックスに数十枚の写真が届いた。

それは祐介と野口沙耶香(のぐち さやか)という女がスーパーで買い物をしていたり、映画館で恋人つなぎをしていたりしているものだった。

そして何よりショックだったのは、その中には婚姻届の写真まであった。日付を見ると、二人が「結婚」して、もう1年以上も経っていた。

莉緒は震えが止まらなかった。

彼女は結婚式の日、目の前でひざまずいて誓った祐介の言葉を思い出した。「莉緒、一生君を裏切らないと誓うよ」

この男の一生って、こんなに短かったのね。

そう思っていると突然スマホが震えた。探偵からの追加情報だ。【野口沙耶香、24歳、私立中学教師、婚姻届は祐介さんが知人に頼んで偽造させた書類です。彼は毎週水曜と金曜の午後、野口さんのマンションを訪れています】

莉緒は震える手で電話をかけた。「お父さん、葛城グループの、あの新エネルギー事業から資金を引き揚げたら……」

「どうしたんだ?」父親の奥山慎吾(おくやま しんご)の声が、とたんに険しくなった。「祐介にいじめられたのか?」

この一言で、莉緒は崩れ落ちそうになった。

結婚式で、父は目を赤くしながら自分の手を祐介に託した。「もし莉緒を悲しませることがあれば、あなたをこの業界で生きていけなくしてやるからな」

「祐介が……」そう思い返して、莉緒は喉に何かが詰まったようで、声が出ないのだ。同時に去年、自分が肺炎で高熱を出した時、祐介は夜通し自分を背負って救急病院へ走り、ベッドのそばで3日3晩、看病してくれたことを思い出した。

自分のためにあんなに必死になってくれた人が、どうして他の女と「結婚」なんてしてるの?

「ううん、まだ何でもないの」莉緒は手の甲を強く噛んで、嗚咽をこらえた。「また連絡するから」

その電話を切ると、ガレージのドアが開く音が聞こえた。

祐介が入ってきた。彼は手には書類の入った封筒を持ち、いつもと変わらない優しい笑顔を浮かべていた。「今日は早かったんだね」

「うん、ネイルサロンに行ってたの」莉緒は手を差し出して見せた。「あなたがくれたカードでね」

その瞬間、祐介の体がこわばった。すぐに平静を装ったけど、莉緒にははっきりとわかった。

「そういえば」彼女はわざとさりげなく尋ねた。「店員さんが言ってたけど、先週の木曜日、あなたが女の子を連れてきたって」

それを聞いて祐介は一瞬、固まった。そして、慎重に莉緒の表情をうかがった。

莉緒が普段と変わらない顔をしているのを見て、彼は安心したように優しく微笑んだ。「ああ、隣の太田さんの娘さんだよ。ネイルサロンに行きたいけど、一人じゃ心細いって言うから、君がよく行く店を紹介してあげたんだ」

そう言いながら祐介は歩み寄ってきて、莉緒を抱きしめた。「お腹すいたろ?俺がご飯作るよ」

キッチンへ向かう夫の後ろ姿を見つめながら、莉緒の胸は苦しくなった。

もし自分が気づかなかったら、この人は永遠に自分を騙し続けるつもりだったんだろうか?

莉緒はスマホを手に取り、父親にメッセージを送った。【来週、葛城家への投資は、すべて引き揚げて!私、離婚するから】

送り終えると、彼女はキッチンに目を向けた。

そこで、祐介は手際よく野菜を切っていた。

この1年ちょっと、きっとあの女の家で、こうして料理の腕を磨いてきたわけね。

莉緒はすっと立ち上がると、結婚指輪を外してリビングのテーブルに置いた。そして、寝室へと向かった。
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松坂 美枝
松坂 美枝
糟糠の妻を持ちながら自分はえらいと思い込んで浮気したら全部パアになった男の話 お前んとこの会社無能しかいないんかと言いたくなるようなペラい会社だった ずっと一途に想っててくれた人と主人公は幸せになれて良かった
2025-12-04 10:53:44
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第1話
葛城莉緒(かつらぎ りお)は、ネイルサロンの特別ルームに座っていた。でも、店員は気まずそうな顔でこう言った。「葛城さん、こちらのカードですが、残高が足りないようでして……」莉緒はきょとんとした。先月、夫の葛城祐介(かつらぎ ゆうすけ)がこのカードをくれた時、たしか60万円入っていると言っていたのに。しかも、それを使うのが今日が初めてなのに。そこで店員に履歴を調べてもらうと,こう言われた。「葛城さん、先週の木曜の午後に、56万円のご利用がございました」「先週の木曜日?56万円?」莉緒は思わず指を止めた。「その日、私は一日中、会社にいましたけど」店員は口ごもった。「は、はい。ご主人が、ある女性の方をお連れになったんです。お帰りの際に、その女性が店員の一人へのチップだと言ってお支払いをされて行かれました」それを聞いて、莉緒の心臓が急にどきどきして、耳鳴りがした。先週の木曜日、祐介は大事なクライアントと会うと言っていた。家に帰ってきたのは夜の8時過ぎで、接待が長引いて疲れたと愚痴っていたはずだ。自分はそれを聞いて、わざわざ会議を早く切り上げて、彼のために酔い覚ましのスープまで作ってあげたのに。「防犯カメラ、見せてください」莉緒の声はか細く、気持ちが重く沈んでいった。そして防犯カメラの映像には、祐介が水色のワンピースを着た女の肩を抱いて入ってくる姿が映っていた。女が祐介を見上げて何かを言うと、彼は愛おしそうに彼女の髪を撫でた。莉緒は呆然とした。その親密な仕草は、まるで二人が付き合いたての若いカップルのように見えた。もし、祐介が自分の夫でなければ、それは何とも微笑ましい光景だっただろう。そう思っていると、突然、映像の中の祐介が店員に何か言われ、ひざまずくと、その女の足にペディキュアを塗り始めた。それだけじゃない。塗り終わった後、彼は愛おしそうに女の足を両手で包み込んで、キスまでしたのだ。それを目にした莉緒は全身の血が凍りついた。あのプライドの高い祐介が、他の女のためにひざまずいてペディキュアを塗るなんて。しかもあの夜、家に帰ってきた彼は、他の女の足にキスしたその口で、自分にキスしたのだ。そう気が付いた莉緒はこみ上げてくる吐き気を抑えきれなかった。そして映像は続いた。祐介はずっと女の子のそばにいて、帰り際
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第2話
莉緒はベッドに横たわり、天井の明かりを見つめていた。その優しい光は、目が疲れないようにと、祐介がわざわざ選んでくれたものだ。彼女は寝返りを打って、枕に顔をうずめた。そして息をするたびに、いつもの柔軟剤の香りを感じていた。これも祐介が替えてくれたものだった。このブランドは肌に優しいからと、彼が言っていた。しかし、目を閉じると、浮かんでくるのはあの防犯カメラの映像ばかりだ。祐介が、水色のワンピースを着た女の子を抱きしめていた。そして優しく微笑みかけながら、彼女の髪を撫でていた。その笑顔を、莉緒はよく知っていた。3年前、祐介が初めて自分に会った時も、あんなふうに笑っていた。当時、彼は葛城家に引き取られたばかりの愛人の子で、パーティーでは誰からも相手にされずにいた。それでも勇気を振り絞って自分の前に歩み寄り、耳を真っ赤にしながら尋ねたのだ。「奥山さん、一曲、踊っていただけませんか?」その時の自分は、祐介を相手にしなかった。けれど彼は諦めなかった。毎日、手作りのお弁当を持って会社のビル下で自分を待っていた。たとえ自分が、見向きもしなくても。3ヶ月後、自分がようやくデートに応じると、祐介はまるで子供のようにはしゃいだ。そして、あの時彼は翌日時間通りに自分を迎えに行けるようにと、一晩中ビルの下で待っていた。さらに、結婚式の日、祐介はバージンロードでひざまずき、自分の手を握って言った。「莉緒、俺の人生をかけて、君を幸せにすると誓うよ」自分は、その言葉を信じた。結婚してからの3年間、祐介は本当に非の打ち所がないほど、自分によく尽くしてくれた。自分が機嫌が悪い時は彼が宥めてくれた。何かを欲しがれば、彼はすぐに用意してくれた。夜中に、駅前のお店のケーキが食べたいと言えば、彼は車を飛ばして街を横断してまで買いに行った。だから、莉緒は祐介が本当に自分を愛しているのだと思っていた。それなのに、今はどうだろう?そう思っていると、そっとドアが開いて、祐介がキッチンの料理の匂いを纏いながら入ってきた。彼はベッドのそばに腰かけると、莉緒の顔に触れようと手を伸ばした。「莉緒、ご飯できたよ」だが、莉緒は、何も言わずに彼の手を避けた。すると祐介は眉をひそめた。「どうした?具合でも悪いのか?」莉緒は首を横に振っ
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第3話
雨粒が、車の窓を叩いていた。祐介が力任せにドアを叩くと雨音の向こうから、「莉緒!俺の話を聞いてくれ!」と叫んでいるようだった。莉緒は運転席に座り、指でハンドルを軽く叩いていた。窓の外でずぶ濡れになっている二人を見ていると、なんだかおかしくなってきた。莉緒がゆっくりと窓を開けると、すぐに祐介の声が飛び込んできた。「いつからそこに?」「今、来たところ」彼女は鼻で笑った。祐介は顔色を変え、早口で言った。「彼女は、近所に住んでる妹みたいな子なんだ!今日、急に停電したっていうから、様子を見に来ただけで!」莉緒はもう聞きたくなくて、パワーウィンドウのスイッチに手を伸ばした。「莉緒さん!」その時、沙耶香が突然駆け寄ってきて、車の前に立ちはだかった。雨で白いワンピースが濡れて彼女の体に張り付き、いかにも可哀想な様子だった。「全部私が悪いんです!私たち、本当に何もありませんから。祐介さんのこと、怒らないであげてください!」だが莉緒は眉間にしわを寄せると、エンジンをかけた。そしてハンドルを切り、沙耶香を避けようとした。ドンッ。鈍い音がして、沙耶香が車の前に飛び出してきた。彼女はよろめきながら後ろに倒れ、雨で濡れた地面に尻もちをついた。莉緒は慌ててブレーキを踏んだが、心臓が止まるかと思った。「沙耶香!」祐介が駆け寄り、沙耶香を抱きかかえると、目に剥き出しの怒りを宿らせて莉緒を見つめた。「大丈夫」沙耶香は弱々しく首を振り、顔は血の気がなく、真っ青だった。「祐介さん、早く莉緒さんのところに行ってあげて」「今までどれだけあいつの機嫌を取ってきたと思ってるんだ!」祐介が突然、声を張り上げた。「あいつにとって俺はただの言いなりなんだ!君はこんな目に遭ってるのに、まだあいつの心配をするのか?君はお人好しすぎるよ!」莉緒は運転席で固まったまま、無意識に指に力を込めた。祐介が今まで、一度もこんな口調を自分に向けたことはなかったのだ。鋭く、嫌悪に満ちていて、まるで今まで被っていた仮面を、ついに剥ぎ取ったかのようだった。「彼女が自分でぶつかってきたの」莉緒は少し黙ってから、口を開いた。「もういい!」祐介が彼女の言葉を遮った。「俺を誤解するのは勝手だ。でも、今度は沙耶香を貶めるつもりか?彼女が妊娠してるって、分かってんのか?」その
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第4話
目を開けると、眩しい光が目に飛び込んできて、彼女は思わず手で顔を覆った。「莉緒!」視界に飛び込んできたのは祐介の顔だった。彼の目に喜びの色を浮かばせて言った。「君、妊娠したんだぞ!」莉緒は呆然としながら、無意識に自分の平らなお腹をそっと撫でた。そういえば生理が遅れていたけど、まさかこんなことになっていたなんて、考えてもみなかった。「莉緒、全部俺が悪かったんだ」祐介はベッドのそばに座り、おそるおそる莉緒の手を握りながら優しく言った。「勘違いなんだ。沙耶香のお腹の子は、彼女のひどい元カレの子供だよ。彼女が一人で可哀想だから、面倒を見てやっているだけなんだ」莉緒は祐介の手を振り払うと、鼻で笑ったが、何も言わなかった。そんな彼女を見て、祐介はため息をついて立ち上がった。「ゆっくり休んでろ。何か食べるものを買ってくるから」彼は背を向けて部屋を出ていき、足音はだんだん遠くなっていった。莉緒は閉ざされたドアを見つめながら、また無意識にお腹に手を当てていた。すると突然、隣の病室から笑い声が聞こえてきた。その甘ったるい声は、沙耶香のものだった。続いて、慣れ親しんだ祐介の低く優しい声が聞こえてきた。莉緒はスマホを手に取り、ボディーガードに電話をかけた。「書斎の引き出しに入っている離婚協議書、持ってきて」30分後、ボディーガードが静かに病室に現れ、莉緒にファイルを手渡した。莉緒は離婚協議書を開き、署名欄の上で指先を止めた。今の祐介が、簡単にサインするはずがないことは分かっていた。そう思っていると突然ドアが開かれたので、彼女は慌てて手に持った書類を隠した。祐介が上機嫌な顔で入ってきた。「莉緒、君の代わりに沙耶香に謝っておいたぞ。彼女許してくれたよ」それを聞いて莉緒は顔を上げ、冷たい目つきで言った。「私が彼女に許してもらう必要なんてあるの?」祐介の笑顔が一瞬固まったが、すぐにまた優しい表情に戻った。「お詫びに、お芝居のチケットを買ったんだ。今夜、沙耶香と一緒に観に行かないか?」すると莉緒は彼を数秒見つめ、ふと口の端を上げた。「いいわよ」劇場に着くと、沙耶香が白いワンピース姿で、祐介の隣におとなしく寄り添いながら、時々、莉緒のほうを盗み見ては、得意げな視線を向けてきた。莉緒は劇場の入り口に立ち、誰もいない客席を
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第5話
お芝居が終わった後、祐介と沙耶香はとっくにどこかへ消えてしまっていた。胸が締め付けられる思いで、莉緒は無表情のままタクシーを拾って家に帰った。家に着いた莉緒が荷造りを始めると、突然スマホが鳴った。父親からのメッセージだった。【出資の引き上げ手続きは済ませた。3日後に有効になる。その頃に迎えを寄越す】莉緒は【わかった】とだけ返し、スーツケースに服を畳んで入れ続けた。その夜、祐介は帰ってこなかった。【急用ができた。先に寝ててくれ】と、メッセージが一通来ただけだった。次の日の朝、莉緒がちょうど身支度を終えた、その時だった。ドアが乱暴に開けられ、祐介が飛び込んできた。彼は目を真っ赤にして、莉緒の手首を掴むと「来い!」と言った。「何するの?」莉緒は、祐介に引っぱられてよろめいた。祐介は何も言わず、彼女を乱暴に車へ押し込んだ。車は猛スピードで走り、いくつも信号を無視していった。莉緒は、この道が沙耶香の学校へ向かっていることに気づいた。そこに到着すると校門の前には、人だかりができていた。沙耶香が地面に座り込んでいて、服は汚れ、顔は涙で濡れていた。彼らの姿を見ると、彼女はすぐに立ち上がり、莉緒の前にひざまずいた。「莉緒さん、私、本当に祐介さんを誘惑したりしていません。どうか許してください」訳が分からずにしていると、「莉緒、何か言うことはないのか?」祐介は傍らから怒りに満ちた声で問いただした。「私は何もしていない」そう言うと莉緒は彼の手を振り払った。祐介は鼻で笑うと、メガネをかけた小さな男の子をぐいっと引き寄せた。「言ってみろ。誰が君たちをけしかけたんだ?」男の子は怯えた様子で莉緒を一瞥した。「こ、この人が野口先生に墨汁をかけろってお金をくれたんだ……」「嘘よ!」莉緒は怒りで震えながら叫んだ。「あなたのことなんて知らない!」だが、「もういい!」祐介は厳しい声で彼女の言葉を遮った。「沙耶香に謝れ」莉緒は首を横に振った。「どうしてやっていないことで謝らなきゃいけないの?」だが、祐介は冷たい顔で、莉緒を日差しがさんさんと照り付ける校庭まで引きずっていった。その後ろを沙耶香はよろよろと立ち上がってついていった。彼女のスカートは埃まみれで、膝には青あざができていた。そんな沙耶香はしゃくりあげなが
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第6話
次に目覚めた莉緒は、ツンと鼻につく消毒液の匂いを嗅いだ。下腹部にまだ鈍い痛みが残っていて、思わずお腹に手をやると、指先に冷たい点滴の針が触れた。「目が覚めたか?」気が付くと右の方から、祐介の声が聞こえてきた。莉緒が顔を向けると、彼がベッドのそばに座っているのが見えた。祐介は身を乗り出して莉緒のお腹に触れようとしたけれど、途中でぴたりとその手を止めた。「反省したか?」と彼は尋ねた。莉緒は目を閉じた。莉緒が黙っていると、祐介は彼女の頬に手を伸ばした。「最初から素直に言うことを聞いていればよかったんだ」彼の親指が、乾いてひび割れた莉緒の唇をなぞる。「そうすれば、こんな辛い思いをしなくても済んだのに」「隣の家の妹みたいな女のために、妊娠している私に跪させるなんて」莉緒は顔を背けて祐介の手を避けた。「それが理にかなってるっていうの?」それを聞いて祐介の手は宙で固まり、眉をひそめた。「俺は感情論で話しているんじゃない。事実に基づいて、正しいか間違っているかを判断しているだけだ」「疲れたから休みたいの」そう言うと、莉緒は布団を首元まで引き上げた。「出て行ってちょうだい」そんな彼女の態度に祐介は、明らかにきょとんとした表情を見せた。彼は莉緒を数秒見つめてから、スマホに目を落とした。「会社で急用ができた。また後で戻ってくる」ドアまで歩いて行った祐介は、ふと振り返った。「明日、何か検査があるのか?そういえば先生とそんな話をしていたよな?」「普通の妊婦健診よ」莉緒は一瞬、言葉に詰まった。祐介は探るように莉緒の顔をじろじろと見ていたが、急に引き返してくると、ベッドサイドのテーブルから彼女のスマホを取り上げた。「パスコードは?」「誕生日よ」莉緒は鼻で笑った。「覚えてる?」祐介は2回間違えて、3回目でやっとロックを解除できた。彼は素早く通話履歴に目を通し、特に怪しいところがないのを確認すると、スマホをベッドに放り投げた。「沙耶香は隣の病室にいる。用がないんだったらむやみに行くな」莉緒が黙っていると、祐介はふと笑った。「ヤキモチ妬きだな。彼女は本当に、ただの幼馴染の妹みたいなもんだって」それを聞いて莉緒は、嘲るように口の端を上げて、こくりと頷いた。そして祐介が出て行きドアが閉まると、莉緒はすぐにナースコールで
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第7話
しばらくして、眠りについた莉緒は乱暴に揺り起こされた。目を開けると、すぐ目の前には険しい表情をしている祐介がいた。その瞳は、氷のように冷たかった。「沙耶香がひどい出血で輸血が必要なんだ」と、彼は低い声で言った。「君と彼女は同じ血液型だから、今すぐ来てくれ」莉緒は一瞬固まったが、すぐに首を横に振った。「私、もともと貧血なの。これで献血したら、きっと耐えられない」祐介は鼻で笑った。「沙耶香を傷つけたとき、こうなるとは考えなかったのか?」それを聞いて莉緒は目を見開き、信じられないという顔で彼を見つめた。「私が、彼女を傷つけたって?」「責任逃れをするな」祐介はうんざりしたように手を振ると、二人のボディーガードがすぐさま彼女の両脇を固めた。「献血が終われば、この件はそれで済むんだ」莉緒はもがいたが、大柄な男二人の力には到底かなわなかった。彼女はベッドから無理やり引きずり降ろされ、ふらつきながら輸血室へと連行された。廊下の明かりが眩しくて、一瞬、視界がかすんだ。そのとき、ふと結婚したばかりの頃を思い出した。あの頃、自分が貧血でふらつくと、祐介は徹夜で栄養のあるスープを作ってくれた。そして、心配そうに、一口ずつ食べさせてくれたのだ。「莉緒、これから少しでも具合が悪かったら、絶対に言うんだよ」と、あの頃の彼は優しく言った。「君に辛い思いをさせたくないんだ」それなのに今は、輸血用の椅子に押さえつけられる自分を、祐介は冷たい目で見ているだけだった。針が腕の血管に突き刺さり、真っ赤な血液が管を伝って、採血バッグへと流れていった。それと共に、莉緒の顔色はどんどん青ざめていき、唇からは血の気が引き、指先が冷たくなっていった。見かねた医師は眉をひそめ、祐介に小声で言った。「葛城社長、奥さんは体が弱すぎます。これ以上の採血は危険ですよ」祐介は莉緒の真っ青な顔をじっと見て、わずかに眉を寄せた。一瞬、ためらったようにも見えた。でも、すぐに彼は冷たく言い放った。「続けろ」莉緒は目を閉じた。心臓をぎゅっと鷲掴みにされたような痛みが走った。やっぱり、この男は自分が死んでも構わないんだ。ほどなくして採血が終わる、莉緒はまっすぐに立つこともできず、目の前が何度も真っ暗になった。祐介は、今にも倒れそうな彼女を見て手を差し伸べ、支
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第8話
一方で、病室にいた莉緒はベッドに横になると、体は氷のように冷えきっているのを感じた。祐介が持ってきてくれた栄養のあるスープが、まだベッドの横に置いてあったが、もうすっかり冷めてしまっている。一口飲もうとしたけど、指先がひどく震えて、スプーンさえ握れなかった。そして下腹部の痛みがどんどんひどくなり、まるで、お腹の中をナイフでかき回されているみたいだった。莉緒は歯を食いしばり、精いっぱい力を振り絞りナースコールで医師を呼んだ。ほどなくして、駆け込んできた医師が彼女の青ざめた顔を見て診察しようと布団を捲ったが、目の前の光景に顔色を一変した。布団の下では、シーツは血まみれだったのだ。「貧血の人がこんなに大量に出血だと、命に関わります。ましてや、ついさっき無理に採血されたばかりだったし……」医師の声には緊張が走っていた。「すぐに手術をしないと、危険です!」それを聞いて莉緒は静かに目を閉じ、うなずいた。「お願いします」彼女は少し間を置いて、小さな声で言った。「このこと、主人には言わないでください」冷たい手術台に横たわりながら、莉緒の意識はもうろうとしていた。そして彼女は5年前のあの日に戻っていたようだった。あれは祐介に初めて会った日。彼は雨の中で自分を待っていて、その目にはやさしい笑みが浮かんでいた。そして、結婚した時も彼は自分の手を握って言った。「莉緒、一生大事にするよ」でも、祐介はだんだん変わってしまった。彼は、自分の強気なところが嫌だと言って、お淑やかじゃないとか、いつも偉そうだとか言って嫌がっていた。そう言われて莉緒は自分がいけないんだと思って、懸命に彼に気に入られようと努めてきた。でも、今になってやっと分かった。自分が悪かったんじゃない。祐介は、一度も自分を愛してなんかいなかったんだ。そう思っていると麻酔がだんだん効いてきて、冷たい器具が体に触れるのを感じると、莉緒は目を閉じ、一筋の涙を流した。これでお腹の子は、もういなくなってしまった。この5年間の結婚生活も、これで完全に終わりだ。手術が終わり、莉緒は病室へと運ばれた。看護師が布団をかけあげると、彼女にそっと声をかけた。「ゆっくり休んでくださいね」莉緒は、か細い声で尋ねた。「主人は来ましたか?」看護師は少しためらったあと、首を横に
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第9話
病院のエレベーターのドアがゆっくりと閉まっていく中、祐介はちょうど、沙耶香を支えながら階段を上がってきた。支えられた沙耶香は、彼の体にぐったりと寄りかかっていた。「祐介さん、もう歩けないよ」沙耶香はそう言うと、祐介の胸に倒れ込んだ。一方で寄りかかられた祐介は眉をひそめ、ぎこちなく彼女の体を支えた。「もうちょっとだけ我慢してくれ。病室はもうすぐそこだから」ふとエレベーターの方に目をやると、祐介の胸は針で刺されたようにちくりと痛んだ。「どうしたの?」沙耶香は顔を上げた。「いや、なんでもない」祐介は視線をそらすと、続けた。「ゆっくり休んでくれ。俺は午後から大事な会議があるんだ」沙耶香は唇を噛んだ。「じゃあ、次はいつ会いに来てくれるの?」「会議が終わり次第、すぐに来るよ」祐介は病室のドアを開け、彼女をベッドに横たえた。「おとなしくしててくれよ。何度も電話してくるな」「わかった」沙耶香はおとなしく頷いた。しかし、その指はそっとシーツの端を握りしめていた。「そうだ、昨日は莉緒さんが輸血してくれたんだよね?お礼を言ったほうがいいかな?」部屋を出ようとしていた祐介は、その言葉に動きを止めた。「ああ。でも、俺たちの関係は絶対に言うなよ」「わかってるよ」沙耶香は甘く微笑んだ。祐介は腕時計に目をやり、さらに眉間のしわを深くした。「もう行かないと。プロジェクトチームのみんなが待ってる」ただ、背を向けてさっていく祐介はその瞬間、沙耶香の顔が険しくなったことに、気が付いていなかった。一方で会議室に到着した祐介はネクタイを少し緩め、企画書を奥山グループの担当者の前に押し出した。「山田部長、この新エネルギー事業の計画は我々が3ヶ月かけて準備してきたものです」しかし、「葛城社長、そう焦らないでください」企画書を差し出された山田部長はゆっくりと資料をめくりながら言った。「ところで、奥さんは本日お見えにならないのですか?」それを聞いて、祐介は指でテーブルを二度叩いてから答えた。「彼女は、体調を崩していまして」そう言い終えたところに、ポケットのスマホが激しく震え始めた。着信画面に表示された【沙耶香】という文字を見て、祐介の目つきが険しくなった。「失礼します」彼は通話を切ると、技術的なパラメーターの説明を続けた。しかし、3分
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第10話
一方で隣の病室のドアを祐介が蹴り開けると、そこはもぬけの殻で、ベッドにはきれいに畳まれた病衣が置いてあるだけだった。そして、ベッドサイドテーブルに、一枚の紙が置かれていた。祐介は手をかすかに震わせながら近づくと、紙に指が触れた瞬間、まるで熱いものに触れたかのように、さっと手を引っ込めた。その紙に書かれた【離婚協議書】の文字が、目に突き刺さるように痛かった。そして一番下の署名を見て、彼は呆然とした。「ありえない」祐介は目を疑って、さらにはっきり見ようと離婚協議書を広げて近づいてみた。しかし、いくら見ても書類の署名欄には、はっきりと自分の名前が署名されていたのだ。この時彼はふと、あの日の劇場で莉緒が差し出してきた、一枚の紙のことを思い出した。同時に彼は、莉緒の目を盗んで、隣にいた沙耶香とこっそり手をつないだこと、そして振り返ると、莉緒がさっと視線を逸らしたことも思い出した。あの時の自分はひどく動転していたこともあって、同時に莉緒がまたふざけて何か誓約書でも書かせようとしているのだと思い込んでいたから。内容も見ずにサインし、さらに「君との約束を、破ったことなんてないだろ?」と笑いながら彼女の額にキスをしたのだ。この時祐介の心に、様々な感情が渦巻いた。莉緒は知っていたんだ。自分の浮気に、とっくに気づいていたんだ。「祐介さん!」そう思っていると、沙耶香がドアから顔を覗かせた。そして彼女は離婚協議書を目にした途端、目を輝かせた。「これ、莉緒さんが用意した離婚協議書!」そう言いながら彼女は小走りで駆け寄ると、祐介の腕に絡みついた。「これで私たちやっと一緒にいられるね、さっそく日にちを見つけて、離婚届も提出してきたら」「どけ!」祐介は沙耶香を振り払った。「俺が離婚するなんて、いつ言った?」振り払われて沙耶香はよろめき、顔から笑みが消えた。「せっかく彼女の方から離婚を切り出してくれたのに。それに……」彼女はお腹をさすり、はにかむように笑った。「祐介さん、この子を、父親のいない子にするつもり?」祐介は、まるで救いの藁を掴んだかのように叫んだ。「そうだ、子供だ!莉緒も妊娠してるんだから、離婚したいなんて思うはずがないんだ!」彼女はきっと、やきもちを焼いてるだけだ。自分に甘えたい、ただそれだけなんだ。祐介は震える手でスマホ
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