とりあえず次の教室に移動しながら話そうってことになって、四季《しき》ちゃんと並んで歩きながら、ポツポツと自分が感じた違和感も交えて起こった出来事を話していたら、少しずつ自分の中でも心の整理ができてくるようで。
「凜子《りんこ》ちゃん、その男、知ってる人だった?」
四季ちゃんに問いかけられて、私は小さく首を振る。
そういえば、向こうは私の名前を知っているみたいだったけど、私は彼の顔を見てもクラスメイトという認識にならなかったし、当然名前も思い浮かばなかった。あちらから自己紹介も受けていなければ、こちらから聞くような真似もしなかった。
それを伝えると、「何それ。あっちだけ凜子ちゃんのことを知ってるとか……ますます気持ち悪いね。けど、こっちが相手に興味を持ってるって思われるのは危なそうだし、凜子ちゃんから名前を聞かなかったのは正解だと思う!」って四季ちゃんが眉根を寄せてまくし立てる。
私のことなのに、まるで自分のことみたいに考えてくれる四季ちゃんの存在が、本当にありがたいって思ったの。
そこでふと、私はあることを思い出した。
「あ、でもね、四季《しき》ちゃん。私、その人のこと、どこかで見たことがある気もして――」
言ったら、「え!? どこで!?」って詰め寄られる。
私は四季ちゃんの迫力に、しばし自分の記憶を手繰り寄せながら考える。 彼に既視感を覚えたのは……あの人が教室を出て行った際。帽子を被った後ろ姿を目にした時、だ。そんな姿の男性を目にしたのは……確か。
「多分……バイト先のコンビニ」
ゴミ箱のところで声をかけてきた、あの人の後ろ姿に似ている気がしたんだ。
口調とか雰囲気なんかが合致しなくてすぐにはピンとこなかったけど、あの後ろ姿だけは同一人物にしか思えない。そう答えたら、四季《しき》ちゃんが驚いたように瞳を見開いた。
「ちょっと! それ、すっごくマズイじゃん! だって凜子《りんこ》ちゃん、今まで変な気配、コンビニ
「あ、あの……。向井《むかい》……凜子《りんこ》さん?」 と、背後から不意に声を掛けられて、私は思わず「あ、はいっ」って答えて身体を跳ねさせる。 振り返ると、奏芽《かなめ》さんによく似た顔立ち――でも目はシャープな印象の奏芽さんと違って、愛らしい様相のぱっちり二重――の、おさげ姿の女性が、小学生くらいの女の子と一緒に立っていた。 髪の色は少し赤みがかかって見えて……私と同じブリュネットに近い、かな? 身長は私と同じくらいだと思う。でも、身にまとった雰囲気《オーラ》がハムスターとかリスとか……とにかくそんな感じの小動物系で、何だか私よりも小柄に見える気がしたの。 年上なはずなんだけど、なんて言うのかな。思わずギュッ!ってしたくなるような可愛さというか。 そんな彼女とは、一度だけ奏芽さんとスーパーでお買い物をしていた時にお会いしたことがある。「あっ、後ろから急に声掛けてごめんなさい。霧島《きりしま》音芽《おとめ》です。鳥飼《とりかい》奏芽《かなめ》の妹の」 前に一度お会いしましたよね?と言われるまでもなく、彼女――音芽さん――のことは私も覚えている。 見た目から、奏芽さんの血縁者なことは容易に推測できる、でも奏芽さんとは全く身に纏う趣《おもむき》の違う妹さん。 それに、何より私、音芽さんの横に立つ女の子とも面識があるの。その少女のことは、ある意味音芽さんより印象に残っているかもしれないくらいで。「奏芽がどうしてもって言うから、和音《かずね》、あなたの事、見つけるお手伝いに来てあげたのよ。パパはお姉さんとは会ったことないし、ママもぼんやりしててあてにならないところがあるから」 ツンとした様子で私を睨みつけてくるその女の子。うん。私も彼女のことはよく覚えてる。奏芽さんの姪っ子の和音《かずね》ちゃんだ。 そっか。音芽さんと和音《かずね》ちゃんが一緒だから……。だからハルさん《相手》には私が分かるっておっしゃったんだ。
この学校は、そういう意味でセキュリティが甘めなんだと改めて実感させられた。 自分がこうなってみて初めて気付かされたけど、これって結構怖いことなのかも?「ね? 気をつけないとって思ったでしょ?」 四季《しき》ちゃんが私の表情を見て、そう声を掛けてきて、私は神妙な面持ちでうなずいた。 今までは、学内にいれば安全だって勝手に思いこんでいたけれど、そんなことはないみたい。*** 買ったもの――四季《しき》ちゃんはコーヒー、私はミルクティー――を学生ホールで2人並んで飲んでから、その足で待合場所《正門》を目指す。 予め届いた奏芽《かなめ》さんからのメールによると、迎えに来てくださる方たちの仕事が終わるのは16時40分とのことで。大学《ここ》には17時までには着けるだろう、と書かれていた。 時計を見ると16時45分。 奏芽さんがいつも迎えに来てくださる辺りに立っていたらいいのかな? メッセージによると、お相手の車は〟ワインレッドのミニバン(ソリオバンディット)〟らしいのだけど、車に疎い私はミニバンもソリオバンディットもぴんと来なかった。 それでさっき、ミルクティーを飲みながらスマホで「ソリオバンディット」を検索してみたの。 その様子に気付いた四季ちゃんが、「私、ソリオなら知ってるから大丈夫だよ」って言ってくれたけど、私、自分でも知っておかなくちゃ、何だか落ち着かない性分で。 「赤って、白や黒に比べたら台数も少ないし、目立つはずだよ? もう少し力抜いて構えてても平気だよ」って、と苦笑いする四季ちゃんに、「でも四季ちゃんの彼氏さんの車……」ってつぶやいたら、「あ。ごめん、うちのも赤でした」と。 そう、そうなの。実は四季《しき》ちゃんの彼氏さんの車も赤だから。 四季ちゃんは、赤は多くないって言うけれど、車種によっては決して少なくないお色だとも思ってしまう。 私が調べてみた感じだと、ソリオバンディットという車も、赤――クラレットレッドメタリックというらしい――はカタログの表紙になって
とりあえず次の教室に移動しながら話そうってことになって、四季《しき》ちゃんと並んで歩きながら、ポツポツと自分が感じた違和感も交えて起こった出来事を話していたら、少しずつ自分の中でも心の整理ができてくるようで。「凜子《りんこ》ちゃん、その男、知ってる人だった?」 四季ちゃんに問いかけられて、私は小さく首を振る。 そういえば、向こうは私の名前を知っているみたいだったけど、私は彼の顔を見てもクラスメイトという認識にならなかったし、当然名前も思い浮かばなかった。あちらから自己紹介も受けていなければ、こちらから聞くような真似もしなかった。 それを伝えると、「何それ。あっちだけ凜子ちゃんのことを知ってるとか……ますます気持ち悪いね。けど、こっちが相手に興味を持ってるって思われるのは危なそうだし、凜子ちゃんから名前を聞かなかったのは正解だと思う!」って四季ちゃんが眉根を寄せてまくし立てる。 私のことなのに、まるで自分のことみたいに考えてくれる四季ちゃんの存在が、本当にありがたいって思ったの。 そこでふと、私はあることを思い出した。「あ、でもね、四季《しき》ちゃん。私、その人のこと、どこかで見たことがある気もして――」 言ったら、「え!? どこで!?」って詰め寄られる。 私は四季ちゃんの迫力に、しばし自分の記憶を手繰り寄せながら考える。 彼に既視感を覚えたのは……あの人が教室を出て行った際。帽子を被った後ろ姿を目にした時、だ。 そんな姿の男性を目にしたのは……確か。「多分……バイト先のコンビニ」 ゴミ箱のところで声をかけてきた、あの人の後ろ姿に似ている気がしたんだ。 口調とか雰囲気なんかが合致しなくてすぐにはピンとこなかったけど、あの後ろ姿だけは同一人物にしか思えない。 そう答えたら、四季《しき》ちゃんが驚いたように瞳を見開いた。「ちょっと! それ、すっごくマズイじゃん! だって凜子《りんこ》ちゃん、今まで変な気配、コンビニ
講義が終わった後も、何だかさっきの彼のことが頭から離れなくて、私はそそくさと身支度を整えると、沢山の人たちに紛れて教室を出た。 いつもなら、みんなが引けた頃を狙ってのんびりと――何なら1番最後に――ひとりで教室を出るのが好きなんだけど、今日はそうするのが怖い。 それで、沢山の学友に紛れるようにして、四季《しき》ちゃんと約束した学生ホールを目指す。 努力した甲斐あって、1度も人の流れから外れることなく人混みの中を進むことが出来てホッとする。 学生ホールはいつも数名の学生がたむろしている場所なので、ここにいれば1人ぼっちになる心配もない。 それでも何となく怖くて、人の出入りが多い出入り口付近、尚かつ学生課の窓口近辺の席に陣取ると、用もないのにスマホの画面をじっと見つめ続けた。 こういう行動も私らしくないんだけど、今日は平素のように、鞄の中から持ち歩いている文庫本を取り出して物語の中に入り込む気持ちにもなれなくて、スマホを手に画面とホールの入り口とを交互に見ては四季ちゃんの到着を今か今かと心待ちにする。 と、ふと背後から刺すような視線を感じた気がして、私はゾクリと肩を震わせた。 視線の先を確認したいけれど、何だか怖くて出来なくて、ギュッとスマホを握りしめて見るとはなしに画面をスクロールする。 震えないように身体に力を入れているからか、すごく疲れた。 と、ブブッと手の中のスマホが震えて、バナー通知に「鳥飼《とりかい》奏芽《かなめ》」の文字が表示される。 それだけで不安な気持ちが薄らいだ気がして、すがり付くようにそこをタップしてメッセージアプリを立ち上げる。〟凜子《りんこ》、変わりないか?〟 たったそれだけの短い文面だけど、無意識にその文字を指先でなぞりたくなってしまう。 このメッセージの先に、奏芽さんがいてくれると思うと、何だか勇気をもらえる気がした。 奏芽さん……。 さっきあったことを相談するべき? ふとそう思ったけれど、文章で説明するのは何だか難しい気がして…&hell
この人は言動が読めない。 というか、色々ちぐはぐな気がして……何だか近くにいるだけで、居心地が悪くてそわそわする。 奏芽《かなめ》さんも初対面の時から割と強引だったけど……言動に一貫性があったからかな。こういう気持ちの悪さは感じなかった。「あの、でも私……」 それで何とかお断りしようと思ったのだけど、相手は全然引き下がってくれないの。 今ほどこの場に四季《しき》ちゃんがいない事や、奏芽《かなめ》さんがいてくれない事を心細く思った瞬間はない。 私は太ももに載せた膝掛けをギュッと握ると、大好きな奏芽《かなめ》さんの顔を思い出しながら、気持ちを落ち着かせるようにゆっくりと息を吐き出した。 それから、頑張って顔を上げると、「……ごめんなさい。私、本当にこういうの、すごく苦手なんです。なので……ほ、他の方を当たって下さい」 男性の顔を真っ直ぐに見つめて、そう言ったの。 あえて、「当たっていただけないですか?」という婉曲的な表現は避けたけど……私の想い、通じた……かな。 彼は私の言葉に小さく息を飲むと、何故かとても意外だという顔をして……。 確かに、奏芽さんや四季《しき》ちゃんに出会う前の私なら、ここまで強く食い下がられたら押し切られてしまっていたかもしれない。でも今は違うから。 そこまで思って、でもどうして初対面なはずなのに、そんな顔をされてしまったんだろう?って不思議に思う。 今のって……まるで私
四季《しき》ちゃんと別れての授業。 いつもなら何て事のない一人での受講が、何だか今日は少し不安で。 せめても……と思って、いつもは真ん中より少し後方あたりの席を選ぶところを、今日は教授に近い場所に、と教壇に近い席――前から2列目を陣取ってみた。 ここは劇場《シアター》のように教壇に対して放射線状に席が配置されている大型の教室で、後方に行くに従って階段を上がって行くように席の位置が高くなっていっている。 どこに座っても、ちゃんと講義内容が分かるように大型モニターに教授の姿やホワイトボードなどが映し出されるし、教授の声もマイクを通して教室のあちこちに配されたスピーカーから聞こえてくるの。 だからかな。 比較的後ろの席に人気があって、いつも後方から埋まるように席がまばらに埋まっている印象。もちろん今日も。 私みたいに前の方に詰めて座る生徒は逆に目立つのだけれど。 あれ? 珍しいな。 私と同じ列、ほんの数席離れたところに今日は見慣れない男の人が座ってきた。*** 教室内はちゃんと冷暖房完備で、この部屋も割と温かくしてある。それでも何となく足元が寒い気がした私は、鞄からいつも持ち歩いている膝掛けを取り出して足に載せた。 そんなに音を立てて動いたつもりはなかったけれど、衣擦れの音が耳障りだったのかな? 先刻の男性が私の方をジッと見てきて――。 その視線と目があって、思わず条件反射で小声でごめんなさいと謝って会釈したら、意外にもニコッと微笑み返された。 良かった、気分を害されてはいないみたい? そう思ってホッとしていたら、その人がおもむろに立ち上がった。 「なんだろう?」と思っていたら「隣、いい?」って聞かれたの。 あまりに想定外のことに、良いとも悪いとも答えられずにいるうちに、さっさとすぐ横に腰を下ろされてしまった。 こんなに沢山席が余っているのに、わざわざすぐ隣とか……ものすごく落ち着かない。